・ 日本復活私論 Part II 2014・5・1記 |
先ほど出て来ました男女の「性染色体」(XX=女、XY=男)についてどのように繋がって行くか(連鎖)の一例を「家系図」で説明しましょう。 男性の性染色体がXYですからY染色体を持っているのは、男性だけです。従ってあなたが男性なら、あなたのY染色体はあなたのお父さんからもらっているのです。当然あなたのお父さんもお父さんのお父さん、つまりあなたのおじいちゃんからもらっているのです。 |
上の「家系図」は第3世代の女性の学生(図中の矢印)が書いたもので、第1世代の男性(おじいちゃん)は3人の子供(男 1 女2)を持っていました。女子学生から見ると自分と妹を入れて父方の従兄弟は6人(男2、女4)で、父方のおじいちゃんから見れば孫は6人、しっかりと子孫は残していると言えますが、Y染色体から見ると、女子学生の従兄弟には男性が2人いるが、このY染色体はおじいちゃんのものと違いそれぞれの父親のものです。すなわち、このおじいちゃんのY染色体は第3世代で全く途切れてしまった事になります。 |
左の「家系図」は前の女子学生のものとは反対のケースです。図中の矢印の第3世代の男子学生が書いたものです。おじいちゃんは6人の子供を持ちました。(男4 女 2)そして孫が11人 (男8人 女3人)も居ますが、何とその孫の内の男7人がおじいちゃんのY染色体を引き継いでいるのです。このように見てゆくと人のつながり、つまり先祖の系譜は中々面白いですね。
それでは次に『Y染色体のハプロタイプ』の研究により解析されたY染色体の系統図を見てみましょう。 |
日本人はどうして異色な、特異な人種であるのか? について私の考えを左の図に沿って解説致しましょう。
縦軸に上から下に向かって進化を重ねて行きます。すなわち一番上の【Aタイプ】がアフリカ原住民族(つまりアダムとイブの時代)、それからB,C,D,E,〜と進化を重ねながらO,P,Q、Rまで至ります。これによれば【Oタイプ】が「中国人」、【Rタイプ】が「ヨーロッパ人」となっており、何と日本人は【Dタイプ】ですから上の方、つまりは人類の根源に近いと言うわけです。 さあ、これで私たち日本人は中国人とも韓国人とも違ったDNAの持主であること がご理解頂けたでしょう。そして【Dタイプ】の所に「縄文人」そして【Oタイプ】の所に「弥生人」と書かれていますが、これに就いては次の章で説明致しましょう。 |
【3】日本人は「森の民」であることの検証 実は今回の【日本復活私論・Part II 】の中ではこの章が最も重要な部分なのです。 |
この地図は200万年前頃(第3紀の終わり頃)の地形で、全体的に温暖気候になっていて、図中の緑色で塗った部分は、「森林」(落葉広葉樹林)が一面に繁殖していた地域なのです。当然動物は緑と水の豊かな場所を目指して移動して行きます。この図は大形の動物(象、サイ、野牛、熊、鹿など)がその森林を求めて移動している状態を表した図です。第4紀(200万年〜1万年)を「洪積世」と呼び前期(200万年〜50万年)は徐々に「寒冷期」に入って行き温帯北部の「泥河湾動物群」が森林に向かって移動しています。中期(50万年〜15万年)になりますと今度は地球は温暖化の「間氷期」に入りアジア南部から「万県動物群」の北への移動が始まります。再び寒冷期に入る後期(15万年〜1万年)では大陸北部にいたナウマン象やマンモスの |
南下が起こり、この頃は北京原人が誕生し「周口店動物群」が図のように移動していた時代です。およそ10万年前(旧石器時代)にはアフリカから原生人類「ホモサピエンス」が海岸に沿って移動を開始しますが(上図)、これが人類の3回目の「出アフリカ」(注2)と言われています。
(注2)人類は約500万年前にアフリカに誕生したと言われる。その後地球は寒冷期と温暖期を繰り返すが、寒期は地上が乾燥化し食料が不足し、命を繋ぐ為に人類はアフリカから の脱出(決死行)を試みる。これを「出アフリカ」と言うが約180万年前にアフリカから出て海岸線を移動し、中央アジアを経て東南アジアへ |
人類はアフリカから海岸線を移動しユーラシアの森林地帯に到着し、森の中で定住生活を始めます。初めはそれら大形動物と共生して生きて行きます。そして食料は木の実(ブナ、どんぐり、クルミなど)や海の幸(貝、魚、海藻など)を食べていました。この人種がY染色体ハプログループの【Dタイプ】であり、つまり「縄文人」の先祖だと言うのが私の考えです。 ところで、この旧石器時代にすでに日本列島に人類が住んでいたことを発見したのは、なんとアマチュア研究家で1949(昭和24)年の出来事でした。このお話が中学生用「新しい歴史教科書」(2001年度版)に『岩宿遺跡を発見した相澤忠洋』という題名で掲載されています。それまでは日本の文化「縄文文化」をもって最古とするのが日本の考古学の常識だったのですが、この相澤氏による岩宿(群馬県笠懸村)遺跡の発掘により「日本には旧石器文化」があったことが証明されたのです。1万3千年前に日本列島が大陸から完全に離れますが、この森に覆われていた部分が丁度スッポリ「日本列島」に当たります。従って日本人の祖先は、そもそも森の中で育ち、自然や他の動物と共生していた人種で、つまりは【森の民】と言われる所以なのです。 |
左の図は今から5千年〜3千年前、進化を重ねてきた【Oタイプ】が勢力を伸ばして、【Dタイプ】の地域に侵入して来た図です。この頃には「世界の四大文明」(エジプト、インダス、メソポタミア、中国/黄河)が誕生しています。黄河中下流域を中心とする黄土地帯でアワやキビなどを栽培する農耕社会が生まれ、これがY染色体パプロタイプ【Oタイプ】人種が起こした「黄河文明」だったのでしょう。
日本でも縄文人が「農耕」を始めており、2000年前ころ大陸から青銅器や鉄器の文化を持った新しい民族が日本列島に入り込んで来ますが、これが【Oタイプ】の進入だと私は思っています。そして日本列島に到達した【Oタイプ】を「弥生人」と呼び、彼らが縄文人と一緒になって「弥生文化」を起こしたのだ |
と思います。地図をご覧頂くとヒマラヤ付近にも【Dタイプ】が残っていますが、この付近は山脈が連なる高地の為に余り他民族の侵入が無かったために、【Dタイプ】の血筋をそのまま強くのこしている地域で、この辺は現在のネパールやブータンの国に当たります。
一般には他の民族が侵入してくるとそこに争い(戦争)が怒るのが常ですが、縄文人と弥生人との間で戦いが繰り広げられたと言う話は日本史上でも出てきません。つまり縄文人(日本人の祖先)は「争う」のでは無く、「和合」していたのです。 さあ、これで日本人はO系統の中国人やR系統のヨーロッパ人とは違った、もっと人類の根源【Aタイプ】に近い【Dタイプ】のDNAを持っている人類であるということを再認識して頂いたと思います。 |
さて、次に紹介したい2冊目は『アメリカへの警告』(The Paradox of American Power: 日本経済新 聞社)であり、著者はジョセフ.S.ナイというハーバード大学ケネディースクールの院長でありクリントン政権で国防総省次官補を務めた方です。この本の中で彼はアメリカが【ソフトパワー】を弱めると今の地位を失うと、次のようにアメリカに対して警告を発しています。 『情報革命期の今は、国力とは「経済力」、「軍事力」という【ハードパワー】だけではない。価値観、文化など、自国の魅力によって他国に影響を与え、他国を引き付け、味方につける力【ソフトパワー】も重要な国力である。この二つのパワーを組み合わせて使って行くことこそが大切なのだ。そして情報革命、グローバル化が進む世界的情報時代には【ソフトパワー】が一層重要になる。』 つまり情報革命時代には、もはや「経済力」と「軍事力」で押さえ込む戦法はすでに世界で通用しなくなり、その明確な表れが2001年9月11日 アメリカを襲った【同時多発テロ事件】が物語っており、アメリカ国民にとって強烈なる警鐘となったのだ、と指摘しています。 従って、日本も地球と共生してゆくという日本人気質を発揮して【課題先進国】(注3)の日本から、【環境先進国】に向かって行けば、そんな日本人の行動を見て世界中の国々が日本を見習うはずであり、それこそが日本人の持つ「ソフトパワー」だと言いたいのです。 (注3)三菱総合研究所理事長である元東京大学総長の小宮山宏氏が2007年に『課題先進国日本』(中央公論新社)を出版された。この内容骨子は、日本には、まだどの国も解決したことの無い課題が山ほどある。エネルギーや資源の欠乏、環境汚染、ヒートアイランド現象、廃棄物処理、高齢化と少子化、都市の過密と地方の過疎、教育問題、公財政問題、農業問題などなど、日本には解決しなければならない課題が山積している。課題を先進的に抱えている国が、解決の答えを出さなければならない。そのように取り組んでいる国が本当の先進国といえよう。日本はこれから「課題解決先進国」として世界をリードして行くと主張している。 |
さてここまでのお話で、特異な人種【Dタイプ】である我々日本人がこれから地球を救うために他国の先頭に立って課題の解決に向かって進んで行く姿が創造されると思いますが如何でしょうか。 |
一番上が昭和10年代(1935〜45年代)に生まれた世代、これを【戦後教育世代】と名づけました。つまり戦争に負けてGHQによる教育を受けてきた世代で現在70〜80歳台の方たちです。この世代の教育に就いては武田恒泰著『日本人はいつ日本がすきになったのか』(PHP新書)の中で次のように書かれています。 『GHQが日本の学校教育において、歴史と神話を封印したことは、やがては日本人の民族性を失わせ、日本人同士の民族的なつながりを断ち切ることになる。日本人が民族の誇りを失い、国家に感謝する心を失い、そして国を愛する心をも失ってしまったのは、教育がねじ曲げられたことに起因していると言える。』 つまりは、このねじ曲げられた教育を受けたのが、この【戦後教育世代】なのです。 さて次の世代は昭和23〜25年生まれの【団塊の世代】になりますが、この方たちが現在65歳前後でして、戦後の教育を受けて来た親に育てられたのですから価値観はアメリカに右へ習いでしょう。 |
その次が【バブル世代】で昭和40~45年生まれの世代。殆どが団塊の世代の親ですから、経済大国になった日本、子供に欲しがる物を何でもかんでも与えることが幸せというアメリカ文化にあこがれた「物欲主義」の時代です。 以上に述べた3つの世代は、太平洋戦争での敗戦によるコンプレックスから、残念ながら日本人が本来持っているY染色体の【Dタイプ】気質は奥の方に隠れてしまっていました。 その次の世代からが平成に入って誕生した子供たちの世代、これを【就職氷河期世代】と言うそうで、この辺から不景気風が吹き始め、就職難や失業率UPの時代に突入して行きます。そして2005年頃には「ニート(働く意欲のない若者たち)」が急増して行きました。 【就職氷河期世代】の次が、1990年代に生まれた現在10歳代〜20歳代前半までの若者層世代で【さとり世代】(注4)と呼ばれています。 (注4)【さとり世代】とは、物心付いたときから、不景気であったので、車やブランド品、旅行、恋愛などへの興味は薄く、浪費や高望みをしない、過程よりも結果を重視して合理的に動く、すべてにおいてほどほどの穏やかな暮らしを志向するなど、悟りきったような価値観を持つ若者が多いことより、この世代を【さとり世代】と呼ぶ。 しかしこの辺から学校では「新しい教科書」が採用され始め子供に対する教育の仕方にも少しずつですが変化が生まれ始めました。もう物の豊かな時代は終わり、“金銭面的に豊かなら人生幸せ”という考え方が見直され始めたのです。 一番下の世代は「今誕生」してこれから教育を受ける世代です。これからの10年ではもっともっと教育の仕方と内容が変わり現在とは違った価値観を持つ集団になって行くことでしょう。現在で年齢が20歳以下の層が社会の主流になる頃には、Y染色体ハプログループ【Dタイプ】の特性が幅広く発揮されている時代になっていると期待しているのです。 これが私の「日本復活私論」の考えなのであります。つまりこの「復活」の意味は“欧米の真似ごとをしていた時代”から、“日本人として本来の有るべき姿【森の民】の時代に戻る“と言う事です。そしてその日本人の生き様(日本文化)を他国の人々がだまっていても真似をする時代が到来するという、それこそが日本人の持つ【ソフトパワー】だと言うのが「私論」なのであります。 |