日本復活私論  Part II

                                    2014・5・1記

はじめに

2011年3月11日、私達は東北を襲った巨大なる災禍を経験しました。そして私はその災禍の中での日本人の行動を見て“本当の日本人気質”を見つけたような気がしたのです。それから1年後2012年2月にエッセイ『日本復活私論』を書き上げました。その後の1年間に『日本復活私論』に就いて4回も講演をさせて頂きました。講演に参加頂いた皆様からの感想は、「Y染色体ハプログループの話は初めて聞いたが、日本人として誇りを持たせる内容だったので良かった」とか、「オリジナルな内容で、よく調べられているなと感心しました」など好評だったので大変に嬉しく思いました。

2013年になると、「日本復活私論の続編に就いてまたスピーチをお願いしますよ」とのお誘いを頂き、「よし! それならもう一度皆さんに日本人は“特異な民族”であることを再認識して頂き、そして将来は日本人が世界から“地球を救う民族”として注目されてゆく姿を皆さんと一緒に創造しよう」と思い、「続編」に挑戦してみてはと考え始めていました。そして嬉しい事に2014年2月に『日本復活私論・Part II 』の第1回目の講演の機会を頂けたのです。このエッセイはその時の講話内容をベースに書き纏めたものです。

【目次】

はじめに

「日本復活私論」の初編を振り返って 

Y染色体ハプログループのDタイプに就いて再確認 

日本人は「森の民」であることの検証 

【4地球を守るのは“日本人” 

    (いい意味の「曖昧さ」と「ソフトパワー」を持つ日本人)

復活の原動力は「政治」「経済」では無く「日本の文化」なり

あとがき

【1】「日本復活私論」の初編を振り返って

「Part II」に入る前に「日本復活私論」はどんな背景から生まれて、どんな理論なのかを振り返ってみようと思います。
そもそもこの私論が生まれた切っ掛けは2011年3月11日午後2時46分、私達を襲った「東日本大震災」だったのです。宮城県・三陸沖を震源とする地震規模マグニチュード(M)9.0という巨大地震が発生、その20分後に引き続きM7.0の地震がほぼ同じ場所を震源として発生し、そのおよそ30~40分後に最高で18mの大津波が海岸を襲ってきたのです。第1発目の地震からおよそ1時間後に今度は「福島第一原発」1,2号機で炉心を冷やす冷却システムで故障事故が発生し、午後7時45分に政府より「原子力緊急事故事態宣言」が発令され、午後9時20分頃から福島第一原発から30km圏内の住民の避難が始まりました。巨大な地震/津波の“天災”に加え、恐ろしい「原発事故」という“人災”が加わり、一瞬にして日本は「Catastrophe(大災)の坩堝」の中に引きずり込まされて行ったのです。
その日の真夜中、パソコンを開いてインターネット上のユーチューブやツイッターに繋ぐと世界中から「ニッポン、ガンバレ!」のメッセージが届いていました。そして日本人同士でも「がんばろう!日本」、「負けないよ!」「力を合わせよう!」と言ったメッセージが飛びかっているではありませんか。自然と私の目頭が熱くなり涙がボロボロと流れ始めていました。

そうしたある日、インターネット上で私は『Y染色体ハプログループの研究により日本人のルーツが明らかに』という記事に巡り合ったのです。「東日本大震災」という大パニックの中でも冷静沈着な日本人は特殊な民族なのだと思っていた矢先に、この記事によって私の考えが裏付けされたように思ったのです。更にもう一つの私の自論ですが、世の万物は【誕生―成長―成熟―衰退―死/終焉】のサイクルを繰り返していると言う考を持っています。この度我々を襲ったCatastropheにより日本は万物のサイクルの「終焉期」を迎えており、現在は死から新たなる誕生に向かって「生む苦しみ期」に入り込んだと私は考えるのです。そしてその生む苦しみの変化の兆候が昨今の子供達への「教育」内容に表れているように思うのです。日本人とは、そもそもが「森の民」なのだから、もう欧米諸国の【人間中心主義】を真似ることから脱皮して、つまりは欧米型資本主義の【欲望の坩堝】から抜け出して、日本人本来の気質である【自然との共生】を貫き通せば、きっと近い将来日本人が地球上での模範民族として見直されるはずである、と言うのが【日本復活私論】なのです。

それではもう一度「日本人は特異な民族である」ことから話を始めましょう。

【2】Y染色体ハプログループのDタイプに就いて再確認

私の理論の根底に流れる思想は「日本人は特異な民族である」ということですから、この辺をもう一度じっくりと再確認しようと思います。民族のルーツを辿ってゆく方法には、・骨(頭骨、顔)の形、ABO式血液型 、言語(ヒッタイト語、アルタイ語など)や遺伝子分析など色々な方法があります。
遺伝子の研究はまだまだ未知の多い分野で、メンデルの遺伝法則(あのエンドウ豆の実験は有名)からたったの100年、そしてDNA(注1)が発見されてわずか50年なのです。

(注1)DNAとは「デオキシリボ核酸」のことで、糖、燐酸、塩基から構成されたヌクレオチドが繋がった長い鎖状の「二重螺旋構造」となっていて、この塩基にはアデニン(A)、シトシン(S)、グアニン(G)、チミン(T)の4種類が有り、この塩基の配列が遺伝子情報を持っています。つまり遺伝子とは情報のことです。

そしてつい20数年前の1980年代に入って母方(XX)遺伝を辿って行く「ミトコンドリアDNAの研究」が盛んに行われ、少しずつ人間のルーツが見えてきました。2000年に入ると、今度は父方(XY)遺伝を辿って行く「Y染色体ハプログループ分析」の研究が行われたのです。と言う事は「遺伝学」とはまだまだ若い研究分野なのです。

先ほど出て来ました男女の「性染色体」(XX=女、XY=男)についてどのように繋がって行くか(連鎖)の一例を「家系図」で説明しましょう。
男性の性染色体がXYですからY染色体を持っているのは、男性だけです。従ってあなたが男性なら、あなたのY染色体はあなたのお父さんからもらっているのです。当然あなたのお父さんもお父さんのお父さん、つまりあなたのおじいちゃんからもらっているのです。
上の「家系図」は第3世代の女性の学生(図中の矢印)が書いたもので、第1世代の男性(おじいちゃん)は3人の子供(男 1 女2)を持っていました。女子学生から見ると自分と妹を入れて父方の従兄弟は6人(男2、女4)で、父方のおじいちゃんから見れば孫は6人、しっかりと子孫は残していると言えますが、Y染色体から見ると、女子学生の従兄弟には男性が2人いるが、このY染色体はおじいちゃんのものと違いそれぞれの父親のものです。すなわち、このおじいちゃんのY染色体は第3世代で全く途切れてしまった事になります。
左の「家系図」は前の女子学生のものとは反対のケースです。図中の矢印の第3世代の男子学生が書いたものです。おじいちゃんは6人の子供を持ちました。(男4 女 2)そして孫が11人 (男8人 女3人)も居ますが、何とその孫の内の男7人がおじいちゃんのY染色体を引き継いでいるのです。このように見てゆくと人のつながり、つまり先祖の系譜は中々面白いですね。

それでは次に『Y染色体のハプロタイプ』の研究により解析されたY染色体の系統図を見てみましょう。

日本人はどうして異色な、特異な人種であるのか? について私の考えを左の図に沿って解説致しましょう。

縦軸に上から下に向かって進化を重ねて行きます。すなわち一番上の【Aタイプ】がアフリカ原住民族(つまりアダムとイブの時代)、それからB,C,D,E,〜と進化を重ねながらO,P,Q、Rまで至ります。これによれば【Oタイプ】が「中国人」、【Rタイプ】が「ヨーロッパ人」となっており、何と日本人は【Dタイプ】ですから上の方、つまりは人類の根源に近いと言うわけです。

さあ、これで私たち日本人は中国人とも韓国人とも違ったDNAの持主であること

がご理解頂けたでしょう。そして【Dタイプ】の所に「縄文人」そして【Oタイプ】の所に「弥生人」と書かれていますが、これに就いては次の章で説明致しましょう。

【3】日本人は「森の民」であることの検証

実は今回の【日本復活私論・Part II 】の中ではこの章が最も重要な部分なのです。
これからの説明には一部私独自の解釈がありまして、それ故に“私論”なのですが、信ずるか、信じないかは読者の皆様にお任せします。

この地図は200万年前頃(第3紀の終わり頃)の地形で、全体的に温暖気候になっていて、図中の緑色で塗った部分は、「森林」(落葉広葉樹林)が一面に繁殖していた地域なのです。当然動物は緑と水の豊かな場所を目指して移動して行きます。この図は大形の動物(象、サイ、野牛、熊、鹿など)がその森林を求めて移動している状態を表した図です。第4紀(200万年〜1万年)を「洪積世」と呼び前期(200万年〜50万年)は徐々に「寒冷期」に入って行き温帯北部の「泥河湾動物群」が森林に向かって移動しています。中期(50万年〜15万年)になりますと今度は地球は温暖化の「間氷期」に入りアジア南部から「万県動物群」の北への移動が始まります。再び寒冷期に入る後期(15万年〜1万年)では大陸北部にいたナウマン象やマンモスの
南下が起こり、この頃は北京原人が誕生し「周口店動物群」が図のように移動していた時代です。およそ10万年前(旧石器時代)にはアフリカから原生人類「ホモサピエンス」が海岸に沿って移動を開始しますが(上図)、これが人類の3回目の「出アフリカ」(注2)と言われています。

(注2)人類は約500万年前にアフリカに誕生したと言われる。その後地球は寒冷期と温暖期を繰り返すが、寒期は地上が乾燥化し食料が不足し、命を繋ぐ為に人類はアフリカから       の脱出(決死行)を試みる。これ「出アフリカ」と言うが約180万年前にアフリカから出て海岸線を移動し、中央アジアを経て東南アジアへ
拡散、後にすべて絶滅したがこれが「出アフリカの1回目」。60万年前ドナウ氷期には、やはり乾燥化して食料を求めてヨーロッパ方面へ移動するが、氷河期を乗り切れられず絶滅してしまう。これが「出アフリカ2回目」。
そして約10万年前、一つの集団がアフリカからユーラシアへ、その後全世界へと拡散し、現在のアフリカ人でないすべての人種がこの集団に由来する。これが人類の「出アフリカ3回目」に当たる。 

人類はアフリカから海岸線を移動しユーラシアの森林地帯に到着し、森の中で定住生活を始めます。初めはそれら大形動物と共生して生きて行きます。そして食料は木の実(ブナ、どんぐり、クルミなど)や海の幸(貝、魚、海藻など)を食べていました。この人種がY染色体ハプログループの【Dタイプ】であり、つまり「縄文人」の先祖だと言うのが私の考えです。

ところで、この旧石器時代にすでに日本列島に人類が住んでいたことを発見したのは、なんとアマチュア研究家で1949(昭和24)年の出来事でした。このお話が中学生用「新しい歴史教科書」(2001年度版)に『岩宿遺跡を発見した相澤忠洋』という題名で掲載されています。それまでは日本の文化「縄文文化」をもって最古とするのが日本の考古学の常識だったのですが、この相澤氏による岩宿(群馬県笠懸村)遺跡の発掘により「日本には旧石器文化」があったことが証明されたのです。1万3千年前に日本列島が大陸から完全に離れますが、この森に覆われていた部分が丁度スッポリ「日本列島」に当たります。従って日本人の祖先は、そもそも森の中で育ち、自然や他の動物と共生していた人種で、つまりは【森の民】と言われる所以なのです。

左の図は今から5千年〜3千年前、進化を重ねてきた【Oタイプ】が勢力を伸ばして、【Dタイプ】の地域に侵入して来た図です。この頃には「世界の四大文明」(エジプト、インダス、メソポタミア、中国/黄河)が誕生しています。黄河中下流域を中心とする黄土地帯でアワやキビなどを栽培する農耕社会が生まれ、これがY染色体パプロタイプ【Oタイプ】人種が起こした「黄河文明」だったのでしょう。

日本でも縄文人が「農耕」を始めており、2000年前ころ大陸から青銅器や鉄器の文化を持った新しい民族が日本列島に入り込んで来ますが、これが【Oタイプ】の進入だと私は思っています。そして日本列島に到達した【Oタイプ】を「弥生人」と呼び、彼らが縄文人と一緒になって「弥生文化」を起こしたのだ

と思います。地図をご覧頂くとヒマラヤ付近にも【Dタイプ】が残っていますが、この付近は山脈が連なる高地の為に余り他民族の侵入が無かったために、【Dタイプ】の血筋をそのまま強くのこしている地域で、この辺は現在のネパールやブータンの国に当たります。

一般には他の民族が侵入してくるとそこに争い(戦争)が怒るのが常ですが、縄文人と弥生人との間で戦いが繰り広げられたと言う話は日本史上でも出てきません。つまり縄文人(日本人の祖先)は「争う」のでは無く、「和合」していたのです。

さあ、これで日本人はO系統の中国人やR系統のヨーロッパ人とは違った、もっと人類の根源【Aタイプ】に近い【Dタイプ】のDNAを持っている人類であるということを再認識して頂いたと思います。

【4】地球を守るのは“日本人”(いい意味の「曖昧さ」と「ソフトパワー」を持つ日本人)

私は【日本復活私論】初編で「Y染色体ハプログループDタイプ」の日本人について次のように書いています。

『欧米を中心とした「近代文明」は18世紀イギリスを中心に起きた「産業革命」以降、大地を忘れ去り、大地が醸し出す「風土性」を無視して、資本主義の下、完全に「欲望の奴隷」と化してしまったのである。つまりは人間中心の考えで、“自分さえよければ”という価値観である。欧米人はY染色体分析ではR系統になるわけで、地球環境の厳しさに直面しながら(例えば砂漠気候)進化に進化を重ねた結果、“地球をコントロールする”という概念が遺伝子の中に埋め込まれたのでしょう。

日本人は違います。A系統(アダムとイブ)に近いD系統ですから、人類の根源に近く風土への順応性が高く、自然と共生してゆく種族である。』

そこでこの「Part II 」では、「日本人は特異な民族」ということに関連して2冊の書籍を紹介したいと思います。

1冊目は、岸根卓郎著の『人類 究極の研究』(東洋経済社)で文明が地球上で環境破壊を続けている事態を「文明」、「技術」、「哲学」、「宗教」、「文学」、「倫理」、「政治」、「社会」の各方面から解析しているのですが、この本の中で「日本人は特異な脳の持ち主」だと次のように説明しています。

『日本人の脳は左脳と右脳に回路がある「左右脳型」の特異な脳であるから、西洋人の「左脳型」とは、その機能において大きな違いがある。つまり日本人の「左右脳」は、理性的なもの(左脳の機能)と、感性的なもの(右脳の機能)とを一緒にして、“あいまいに処理”することになる。その証拠に日本人は人間関係においても論理よりも義理人情を重んじたりして、西洋人に比べて論理性において曖昧である。つまりは“論争”を好む西洋人気質と、“和”をもって貴しとする日本人気質の違いである。このように、日本人は左右脳の持ち主であるから、理性的なものと感性的なものを一緒にして曖昧に処理するから、西洋人からすれば、日本人は曖昧でファジーに写り誤解されやすい。しかしその曖昧さこそが【日本人の天性】と考える。これからそのような「日本人の曖昧さ」が、ついに国際的にも求められる時代がやってきた。白か黒か、Yes or No,の対決を迫る西洋人の「二者択一思想」では、これから益々混沌化する現実の世界ではもはや通用しなくなって来たのである。結論として、日本人こそ左右脳の回路によって、自然対決型の西洋文明と、自然共生型の東洋文明を融和させ、環境問題を解決することが出来るのである。』

私も日本人の持ついい意味での“曖昧さ”とは、例えば自動車を真っ直ぐ走らせる為に“ハンドルに遊び”が有るように、その遊びと曖昧さは同じようなもので、曖昧さが日本人の天性と言う岸根説には大いに共感させられます。

さて、次に紹介したい2冊目は『アメリカへの警告』(The Paradox of American Power: 日本経済新 聞社)であり、著者はジョセフ.S.ナイというハーバード大学ケネディースクールの院長でありクリントン政権で国防総省次官補を務めた方です。この本の中で彼はアメリカが【ソフトパワー】を弱めると今の地位を失うと、次のようにアメリカに対して警告を発しています。

『情報革命期の今は、国力とは「経済力」、「軍事力」という【ハードパワー】だけではない。価値観、文化など、自国の魅力によって他国に影響を与え、他国を引き付け、味方につける力【ソフトパワー】も重要な国力である。この二つのパワーを組み合わせて使って行くことこそが大切なのだ。そして情報革命、グローバル化が進む世界的情報時代には【ソフトパワー】が一層重要になる。』

つまり情報革命時代には、もはや「経済力」と「軍事力」で押さえ込む戦法はすでに世界で通用しなくなり、その明確な表れが2001年9月11日 アメリカを襲った【同時多発テロ事件】が物語っており、アメリカ国民にとって強烈なる警鐘となったのだ、と指摘しています。

従って、日本も地球と共生してゆくという日本人気質を発揮して【課題先進国】(注3)の日本から、【環境先進国】に向かって行けば、そんな日本人の行動を見て世界中の国々が日本を見習うはずであり、それこそが日本人の持つ「ソフトパワー」だと言いたいのです。

(注3)三菱総合研究所理事長である元東京大学総長の小宮山宏氏が2007年に『課題先進国日本』(中央公論新社)を出版された。この内容骨子は、日本には、まだどの国も解決したことの無い課題が山ほどある。エネルギーや資源の欠乏、環境汚染、ヒートアイランド現象、廃棄物処理、高齢化と少子化、都市の過密と地方の過疎、教育問題、公財政問題、農業問題などなど、日本には解決しなければならない課題が山積している。課題を先進的に抱えている国が、解決の答えを出さなければならない。そのように取り組んでいる国が本当の先進国といえよう。日本はこれから「課題解決先進国」として世界をリードして行くと主張している。

さてここまでのお話で、特異な人種【Dタイプ】である我々日本人がこれから地球を救うために他国の先頭に立って課題の解決に向かって進んで行く姿が創造されると思いますが如何でしょうか。

【5】復活の原動力は「政治」、「経済」では無く「日本の文化」なり

今の日本の現実の姿を見るに「日本が復活する」とは「何を血迷ったことを言うのか」と皆さんからクレームを受けそうです。たとえば政治の世界では、安倍総理の靖国参拝問題や領有権問題で世界から孤立化するような態度を取っていますし、原発に就いても現政府は使用済み燃料棒の処分法すら見つからないまま原発を「重要なベースロード電源」に位置付け再稼動を主張しています。

一体このような態度や判断は、本当に「地球と共生する民族」が取る態度なのかと疑問視されて、“日本の復活など考えられない”と強硬に読者の皆さんから批判を受けそうです。

私の考えですが、社会において現在40~80歳台の年齢層が主流を占めている間は残念ながら「日本の復活」はまだやってこないと思っています。何故なら1945年「太平洋戦争」に負け、アメリカが作った憲法の下で教育を受けてきた私たち日本人は、欧米の価値観がしみ込んでいて、社会を大きく変える事は出来ないのです。
その辺を分かり易く表現する為に「世代の変遷」の表を作ってみましたので(次頁)、それに沿って説明しましょう。各世代の間に書いている出来事は、その世代に取って最も深く関係した出来事を抽出して書き出したものです。

一番上が昭和10年代(1935〜45年代)に生まれた世代、これを【戦後教育世代】と名づけました。つまり戦争に負けてGHQによる教育を受けてきた世代で現在70〜80歳台の方たちです。この世代の教育に就いては武田恒泰著『日本人はいつ日本がすきになったのか』(PHP新書)の中で次のように書かれています。

『GHQが日本の学校教育において、歴史と神話を封印したことは、やがては日本人の民族性を失わせ、日本人同士の民族的なつながりを断ち切ることになる。日本人が民族の誇りを失い、国家に感謝する心を失い、そして国を愛する心をも失ってしまったのは、教育がねじ曲げられたことに起因していると言える。』

つまりは、このねじ曲げられた教育を受けたのが、この【戦後教育世代】なのです。

さて次の世代は昭和23〜25年生まれの【団塊の世代】になりますが、この方たちが現在65歳前後でして、戦後の教育を受けて来た親に育てられたのですから価値観はアメリカに右へ習いでしょう。

その次が【バブル世代】で昭和40~45年生まれの世代。殆どが団塊の世代の親ですから、経済大国になった日本、子供に欲しがる物を何でもかんでも与えることが幸せというアメリカ文化にあこがれた「物欲主義」の時代です。

以上に述べた3つの世代は、太平洋戦争での敗戦によるコンプレックスから、残念ながら日本人が本来持っているY染色体の【Dタイプ】気質は奥の方に隠れてしまっていました。

その次の世代からが平成に入って誕生した子供たちの世代、これを【就職氷河期世代】と言うそうで、この辺から不景気風が吹き始め、就職難や失業率UPの時代に突入して行きます。そして2005年頃には「ニート(働く意欲のない若者たち)」が急増して行きました。

【就職氷河期世代】の次が、1990年代に生まれた現在10歳代〜20歳代前半までの若者層世代で【さとり世代】(注4)と呼ばれています。

(注4)【さとり世代】とは、物心付いたときから、不景気であったので、車やブランド品、旅行、恋愛などへの興味は薄く、浪費や高望みをしない、過程よりも結果を重視して合理的に動く、すべてにおいてほどほどの穏やかな暮らしを志向するなど、悟りきったような価値観を持つ若者が多いことより、この世代を【さとり世代】と呼ぶ。

しかしこの辺から学校では「新しい教科書」が採用され始め子供に対する教育の仕方にも少しずつですが変化が生まれ始めました。もう物の豊かな時代は終わり、“金銭面的に豊かなら人生幸せ”という考え方が見直され始めたのです。

一番下の世代は「今誕生」してこれから教育を受ける世代です。これからの10年ではもっともっと教育の仕方と内容が変わり現在とは違った価値観を持つ集団になって行くことでしょう。現在で年齢が20歳以下の層が社会の主流になる頃には、Y染色体ハプログループ【Dタイプ】の特性が幅広く発揮されている時代になっていると期待しているのです。

これが私の「日本復活私論」の考えなのであります。つまりこの「復活」の意味は“欧米の真似ごとをしていた時代”から、“日本人として本来の有るべき姿【森の民】の時代に戻る“と言う事です。そしてその日本人の生き様(日本文化)を他国の人々がだまっていても真似をする時代が到来するという、それこそが日本人の持つ【ソフトパワー】だと言うのが「私論」なのであります。

あとがき

昨年末ころ友人から「日本復活私論」の続きをまた研究会で話してくれないかとお話を頂き、早速スピーチする内容の準備に取り掛かると、偶然にも、昨年の大晦日の東京新聞の紙面に『日本人らしさよ=大晦日に考える=』という題名の社説が目に飛び込んで来たのです。その社説の=まえがき=には次のように書かれていました。

『“日本をとりもどそう”と安倍首相は言いますが、それよりも“日本人らしさを取り戻そう”と言いたい。そんな事を思った1年でもありました。』

この書き出しは、私がスピーチしようとしているテーマと近似な内容なのでその巡り合わせに驚き、その社説に自然と引きずり込まされてしまいました。その記事の一部を書き出してみたいと思います。

『ことし印象深かった光景のひとつに、俳優高倉健さんの文化勲章を受けた時の会見がありました。こう言いました。「日本人に生まれてよかった!」
それを聞いて実に新鮮な感じを受けました。最近聞いた覚えがなかったからです。(中略)記者会見で健さんがこうも言いました。
「一生懸命やっていると、ちゃんと見てもらえているんだなあ」
日本人の倫理観を見事なほど簡素に述べています。勤勉を尊び、仕事は公正に評価される。うなずきつつ聞いた人もいたでしょう。目下、格差社会といわれます。こんな言い方があります。日本政府は、外国の企業・投資を呼び込もうとしている。そのために企業の税金を安くする。同じ恩恵は日本の企業も受けるが、厳しい競争のために経営効率を上げる。社員の給与を抑える。非正規労働者を増やす。ではそれは一体誰のための政策だろうか。こういう中に日本人らしさはあるのでしょうか。(中略)

政治の世界でも、政治参加の権利をめぐって格差に似たものが生まれつつあるのかも知れません。政治と民意が離れ過ぎた。例えば揺れに揺れた特定秘密保護法。情報を独占する国家と、情報を知らされざる国民。もう少し踏み込んで言えば、支配するものと支配されるもの。歴史の教えに従うなら、国家と国民の分離はその国の未来を不安定にしかねません。少なくとも民主国家からは遠ざかるでしょう。

日本人論といえば、作家の司馬遼太郎さんはこう語っていました。1991年、文化功労者に選ばれた時の会見で、
「どうして日本人はこんなにばかになったんだろう。昔は違ったろう。ここから(ぼくの)小説(を書くこと)は始まった。」
彼によれば武士道からきたストイシズム、禁欲主義。江戸の商人たちが到達した合理主義。その二つが明治で合体し、よき明治人を書く事で、無謀な戦争の愚かさや、戦後の土地バブルのようなことは、断じて日本人らしくない、と諭そうとしたのでした。
古い日本人を振りかざそうとは思いません。しかしそれは私達の先人の知恵であり、振り返る価値があるものです。(中略)

私達は、やはり時々自分を見つめ直さねばなりません。冒頭の健さんの言葉「日本人に生まれて本当によかった」は、私達自身を問い直すよい機会を与えてくれたような気がします。私達は経済的に豊かな国を取り戻すのか、それとも精神的に豊かな日本人らしさを取り戻すのか。そこが見るべき岐路です。日本は今自信喪失状態のようです。しかし政治にせよ、経済にせよ、日本人らしさを忘れているだけなのではないでしょうか。』

この記事のように、今までは私達が日本人らしさを忘れているだけの状態であったことを切に祈ります。「忘れているだけ」なら思い出して元に戻れるからです。
皆さん! 私達一人ひとりで「日本人らしさ」を取り戻して行こうでは有りませんか。
私達が、毎日毎日を“こころの豊かさ”の中で過ごして行けるように。
そうして、何十年か後には、高倉健さんや司馬遼太郎さんのような物の考え方を持つ人々で日本中が溢れているのです。            

                                   (日本復活私論Part II ・完)

<エッセイTOPへ><スピーチTOPへ>