ふざける菜古漬け(日本復活私論 Part III)

<『セールス・フォース・マネジメント研究会』40周年記念誌に掲載されたエッセイ「ふざける菜古漬け」を下記に掲載します。 (2017年1月)>

<はじめに>

私は還暦を迎えた2004年、世の中の出来事に「ふざける菜!」を連発して家族に迷惑を掛けてきたことを反省してエッセイ『ふざける菜撰集』を書き、その4年後(2008年)に益々酷くなる日本に対して鬱憤を晴らすエッセイ第2弾『ふざける菜漬け』を書きました。この鬱憤の源は「何故日本人は日本人らしさを自ら失っているのか」という疑問に有ったのですが、2011年3月11日の【東日本大震災】での被災者のあの冷静沈着な行動を見て、そしてその直後に【Y染色体ハプログループの研究】結果が発表され、日本人のルーツが中国人や韓国人のOタイプ、そしてヨーロッパ人のRタイプと比較しても人類の起源(Aタイプ)に近いDタイプであることを知り、私はいずれ日本人が地球を救うのだという確信を得て2012年に『日本復活私論』を書いたのです。この私論では“「森の民」である日本人の生き様を他の民族が真似をする時代がいずれ到来するのだ”と予見したのですが、あれから4年が経ちますが、その間も“いずれ日本が復活するのだ”という私論に益々自信を深めて参りました。今年(2016年)は私に取って人生6度目の年男に当たる年なので一つの節目として「日本復活」に就いての私論の根拠をここで再考察をしてみようと考えました。そんな経緯からこのエッセイに題名を付けるとすれば、「ふざける菜」の漬物も時間が経てば独特の味に変化して旨味を増すという事から、『ふざける菜古漬け』とでも名付けて『日本復活私論』の続き(Part III)として纏めてみたいと思います。
(1)日本人の「曖昧さ」

日本の政治、経済、教育、報道そして芸能などあらゆる分野を見ても何か中途半端で主体性のない曖昧な態度や倫理性に欠ける体制に不満を感じ、私は「ふざける菜」を連発していたのですが、日本人のルーツを知れば知るほど私の悲憤慷慨は短絡的な憂さ晴らしに過ぎなかったのでは、と思うようになりました。「アベノミクスと騒ぎながらも、いつまで経っても第3の矢の不発」、「3・11後もしゃあしゃあと原発の再稼動」、「いつまでも植民地感覚で取組む沖縄問題」、「子供の6人に一人が貧困」、そして「毎日流れる低俗なテレビ番組」などなど、一体日本はどうなってしまうのだろうかと落ち込んでいました。しかし考えてみれば、この現象は何も日本だけを襲っているのではなく、世界の先進諸国もほぼ同じような問題に直面しているのを考えると日本の姿も当たり前なのかも知れません。もしかすると日本人のそのようなハッキリしない態度こそがこれからの変化の激しい世の中を生き残れるのかも知れないと考えるようになったのです。

日本人の曖昧さに就いては岸根卓郎氏(京大名誉教授)が自著『人類究極の選択』(東洋経済新報社)の中で『日本人は左脳と右脳が回路で繋がった特異な「左右脳」の持ち主で、左脳の機能である理性的なものと右脳の機能である感性的なものを一緒にして曖昧に処理しているので、西洋人に比べて論理性において曖昧である。この曖昧こそが日本人の持つ天性なのだ。これからますます混沌とする時代にYes or No の対決を迫る西洋人の「二者択一思想」は通用せず、日本人の曖昧さが国際的にも求められる時代がやって来るのだ』と主張しています。

私は、古代人の脳はまだ左脳と右脳がはっきりと機能分離をしておらず1つの脳だったのではないかと考えています。そして日本人は人類の根元に近いY染色体・Dタイプであるので縄文人の祖先と考えられ、今でも1つの脳「左右脳」のDNAを奥深くに持っているのではと思うのです。つまり中国人やヨーロッパ人のように更に進化を重ねた結果、次第に左脳と右脳の機能にそれぞれ分化して行ったのではと考えています。この私の考えから、21世紀は混沌とした時代だからこそ「左右脳」の持ち主である日本人が世界を引っ張って行くのだ、という岸根氏の考えに私は賛同するのです。

(2)「縄文人」とは「日本人」

前章でハプログループ分析によると日本人はDタイプであるので「縄文人の祖先」と書きましたが、ところで「縄文時代」とはどの年代で、「縄文人」はどこに分布していたのでしょうか。ウィキペディアによれば、縄文時代とは1万4千年位前から紀元前4世紀までのおよそ1万年という長い期間ですが、世界史上では中石器時代から新石器時代に相当すると書かれています。そして「縄文時代」には「ひも(Cord)模様」(縄紋)をもった土器を使っていた時代で「縄文文化」は日本列島に於いて発展したと言われています。つまり世界では石器を使っていた時代に日本列島ではすでに土器を使い始めていた訳で、一方ヨーロッパとか他の地域で「縄文人」が居たという話はこれまで私は聞いた事が有りませんので、「縄文人」は日本列島にしか居なかった事からして、「縄文人」とは「日本人」であることは明確だと思うのです。更に「縄文」を英語で「Jomon」と言うのですから間違いなく日本オリジナルと言えましょう。

ところが、これを裏付ける別の研究が行われていた事を知りました。上述の父方の遺伝子(Y染色体)を辿って行くハプログループ分析は2000年に入ってからの研究成果ですが、それ以前に、何故に日本人に「成人T細胞白血病(ATL)」という「血液癌」が多いのか、という現象に着目して日本人研究者によって研究が進められ、その研究結果から10万年前から始まったアフリカからの現生人類の移動(出アフリカ)によって白血病(ATL)ウイルスは持ち込まれた事が判明したそうです。中央アジアから東南アジアに辿り着いた人種を「古モンゴロイド」と呼ぶそうで、これが「縄文人」の先祖でしょう。そして日本ではこの白血病ウイルスの陽性分布が西端の沖縄/琉球人と北端の北海道/アイヌ人に多いそうです。さらに判明した事に、数千年前に大陸から日本列島に移入して来た「弥生人」にはこの白血病ウイルスは無いとされているので、遺伝子解析の結果と同じ結論に至っているのです。

また国立遺伝研究所が2012年に、日本人の起源について、アイヌ人、本土日本人、琉球人、韓国人、中国人の5集団、約500人の遺伝子を分析した研究成果が発表されましたが、それによれば日本人は「縄文人」と「弥生人」から形成されている「二重構造説」が確認されたとのことです。従い日本人には「縄文人としてのDNA」を持っているのですから、それを引き出し本来あるべき姿「森の民」として持続可能な社会を作って行こうではないか、と言うのが「日本復活私論」のベースになっています。

(3)「寄り合い型社会」の到来

日本人が世界を引っ張って行くと言う自論にもう一つの根拠があります。それはこれからの社会形態が日本人に向いた型になると言うことです。これまで近代国家は制度を作りリーダーを中心に統制された「中央集権型社会」が主であったのですが、インターネット時代が到来すると、これからは権限が分散化され目的ごとに簡単にグループが組めるネット社会が構築されて行くのですが、この形態を「権限分散型社会」と言い、私は「寄り合い型社会」と名付けました。そもそも日本人の先祖は「縄文人」だったと考えると狩猟採集社会であり大きな国家集団にはなれず、かつ日本列島が自然環境で多様性に富んでいたことから民族間での征服や虐殺もなく、上手に「寄り合い型社会」を形成していたのでしょう。

国家の例を見てもソ連崩壊の後、米国はお山の大将に上り詰めましたが、9・11頃から米国の「超大国」としての地位に変化が見られ、少なくとも近い将来に米国が普通の国になった後、地球上には米国に代わるような別の超大国は生まれて来ないと思います。

企業についても同様のことが言えますが、中央集権型時代は国有企業やカリスマ的経営による大企業が勢力を伸ばし、その周りに衛生企業(下請け)群という形を作って来ましたが、これから変化の激しいネット社会では大企業は身が重過ぎてなかなか生き残って行くのが難しくなるでしょう。卑近な例を挙げますとこれまでは電力供給は大型電力会社から配電されていますが、近い将来に「自産自消」の形が網状に組まれて行き、エネルギーが足りない家/集団には余った家/集団から融通して貰うと言う「寄り合い」の形態、つまり本来有るべき姿の「スマートグリッド方式」が構築されて行くと信じます。

(4)日本人の「寛容」と「ソフトパワー」

縄文時代は1万年も続いたのですが、その間色々な部族がゆっくりと融合しながら自然と共存共栄をして来たと言われています。従って縄文時代には部族間の争い(戦争)は無かったそうで、更には2000年前に大陸から「弥生人」が移入した時でも「縄文人」は争いはせず一緒に和合したそうで、そんな縄文の血を引く日本人だからこそ「寛容」だと言われる所以ではないでしょうか。

「宗教」一つを取っても日本人は「神道」、「仏教」、「儒教」そして「キリスト教」などあらゆる宗教に対して寛容であり、それぞれの宗教に共通する「倫理観」を大事にしているのだと思います。日本人はキリストの誕生日「クリスマス」をお祝いし、年末にはお寺で「除夜の鐘」を聞き、そして正月には神社へ「初詣」に出かけるのです。しかし世界ニュースを見ていると、一つの宗教を信じたグループ/国が他の宗教のグループ/国と争ったり罵り合ったりして自分たちの街を破壊してゆくシーンを良く見ますが、これは日本人には理解し難く、そして人間として何と醜い争いとは思いませんか。

「争い」と言えば戦争そのものが時代の変化と共に変わって来ていると考えます。歴史上で戦争と言えば国対国の戦いで、どちらかの親分が負けたと宣言すればそれで戦いは終了します。しかし昨今の戦いは「戦争」ではなく殆どが「テロ事件」だと言う事です。テロ事件を戦争のように対処してしまった間違いを犯したのはそもそも米国が仕掛けた「イラク戦争」(2003年)が始まりなのです。これは米国とウサーマ・ビン・ラーディン(イスラム過激派テロリスト・アルカイーダの司令官)との戦いで「戦争」では無くて「テロ事件」だったのです。テロ事件の恐ろしさは、その親分が殺されても、別のテロリストが継続してどこかで再び争いを始めるので終わりが無いのです。従ってU・B・ラーディンが2011年5月に米軍により殺害されたと報道されていますが、いまなおアルカイーダ系の「イスラム国(IS)」がイラク/シリア/トルコの国境付近に勢力を張り、反欧米を掲げたテロ集団として世界中を恐怖に引きずり込んでいるのです。

冷戦終結後、お山の大将となった米国に対してジョセフ・S・ナイ(米国・国際政治学者)が自著『アメリカへの警告』(日本経済新聞社)で次のように書いています。

『これからの時代の国力とは経済力や軍事力という「ハードパワー」だけでは無く、価値観、文化など自国の魅力によって他国を引き付け、味方につける力「ソフトパワー」も重要な国力となる。情報革命やグローバル化が進む時代には「ソフトパワー」が一層重要になる』と警告を発しているのです。

「ソフトパワー」とは“強制や報酬ではなく、魅力によって望む結果を得る能力”ということであれば、寛容であり「左右脳」を持ち合わせている日本人こそがその「ソフトパワー」の持ち主と言えるのでは無いでしょうか。

(5)これからは「利他主義」の時代

私は日本人が縄文人のDNAを持ち合わせているのだから「縄文の精神」に戻ろうと主張していますが、一体それはどのような精神なのでしょうか。

日本列島が大陸から完全に離れて島国になるのは、1万3?4千年前と言われていますが、4万年ほど前つまり「旧石器時代」からすでに日本の部分に人類が住み始めていたのですから、その4万年前から現在までを1年にたとえると、「弥生時代」が始まったのが12月7日位となり、明治以降がほぼ大晦日の1日に収まるそうです。従って1年の殆どが「縄文時代」に当たっていると言っても過言ではありません。ところが私たちの学校での歴史の授業では何とたったの最後の1ヶ月の部分だけを一生懸命勉強して来た事になるのです。これでは私たちが私たちオリジナルの「縄文の精神」に就いてしっかり学ぶことも出来ず「縄文時代」に就いてよく知らないのは当然の事でしょう。

私たちの時代の文明は18世紀にイギリスで起きた「産業革命」から始まるアングロサクソン系欧米人による「マネー資本主義」が羽振りを利かして来たのですが、この人間中心の考えは遂に地球上の自然を破壊し尽くし、此処に来てやっと人間は自分達が存亡の危機に直面している事に気づき始めました。そして人間も動物の一種なのだから、他の動物と同様に、種族保存のために自己犠牲してでも他の主体を助けて生存させるという考えに変わりつつあるのです。この考えを「利他主義」と言います。これまでの「資本主義」では、自分の欲求が満たされれば、それが幸せと考えていたのですが、最近は徐々にではありますが、満足の仕方が変わって来ているのです。すなわち自分の労力、時間、お金などを他人に与える事によって他人の幸せを考える姿勢を持つ事が長期的にみて高い満足度をもたらすと考えるようになってきているのです。これこそ「森の民」である「縄文人」の考え方であり、日本人なら取り戻せると信じます。

この「私論」の根底に流れる思想、「縄文人」、「森の民」、「Y染色体ハプログループ分析でDタイプ」、「左右脳」、そして「ソフトパワーの持ち主」などの日本人/縄文人の特異性や優位性に関して世界に向けて啓蒙したところで、誰も見向きもしないでしょう。従って3・11「東日本大震災」の時の被災者が取った冷静沈着な行動を見て世界の人々が日本人の素晴らしさを認めたように、日本人が「日本人らしさ」つまり「利他精神(人様のために)」をモットーに日々の生活を重ねて行けば、いずれ他民族も日本を真似する時代が到来すると私は考えるのです。

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