【第3日目 久多〜花背峠〜鞍馬へ】
3日目の朝も雨模様。6時に起床、雨戸の外、屋根から滴り落ちる雨水が庭の地面を打つ音が聞こえる。今日も雨の中での挑戦かとチットばかり憂鬱にさせる。7時に朝食を頂きながら進路変更の考えが頭をよぎる。この久多なら峠を超えないで久多川に沿って真直ぐ東に歩けば1時間位で「若狭街道」の梅ノ木町に出られ、そこからバスで京都・出町柳まで行けるのだ。つまり最終日の花背峠越えを諦めて、ここから東京へ戻ろうと考え始めていたのだ。予定変更の場合は今夜の鞍馬での宿、そして出迎えてくれる京都の友人にその旨連絡せねばならない。食後すぐに京都の天候も大いに気になったのでまずは宿泊予定の旅館に電話を入れた。 |
電話に出た男性によれば、天候は丁度雨が上がったところと言う。私が予定変更を匂わすと、先方から「当日のキャンセルは全額頂く事になりますよ」と言われ、私は速やかに「あ、そちら雨が上がってますか、それなら予定通り実行します。今晩お世話になりますが、よろしくお願いします」と言って電話を切っていた。まったく現金なものである。
出発の準備をしながら外を見ると、何となく雨脚も弱まった気がする。昨夜お願いしておいた昼食用のおにぎりを受け取って8時に宿を出発。宿の女将さんが、裏から抜ける近道を教えてくれる。大谷川を跨ぐ吊り橋を渡ると昨日通過した志古淵神社の前に出た。郵便局のあるT字路に来て今日はそこを右折する。 |
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<鯖を形どった案内標識>
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ここから暫くは林道を歩く事になるが、その入口にかわいらしく親子の4匹の鯖を形どった案内標識があった。
暫く林道を登ってゆくとがけ崩れで道が塞がれている。不気味な感じがするが、崩れてまだそんなに時間が経過していなはずだ。ゴールデンウイーク期間は晴天続きで地盤は緩んでいなかったはずだ。すると連休後の雨で急に地盤が緩み崩れたのか。そ〜っと崩落現場の脇を通過する時、全身に身震いが走った。暫く歩を進めると木々に覆われて薄暗くなっているところに入り込むが、そこが林道の行き止まりで左側斜面を登るようにと標識が立っている。いよいよ「オグロ坂」への急な登りである。(8時50分) |
<オグロ坂への途中がけ崩れ>
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<オグロ坂への急な登り口>
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さあ、今日最初の峠越えに挑戦である。暫くはジグザグに急勾配を登ってゆく。20分もフウフウ言いながら登ったであろうか。一休みと顔を正面に向けると「ドッキーン!」と心臓が止まるような驚きに襲われた。目の前に巨大な怪獣が口をあけてこちらに迫って来ようとしている。そしてその隣には“とぐろ”を巻いた大蛇が居た。それらの奇異な姿を捉えようと無我夢中になってデジカメのシャッターを押していた。気を落ち着かせてよくよくそれら巨大像を観ればそれは変形した大木だったのだ。しかし何故ここにだけこんな奇木が群生しているのだろう。その後でデジカメで撮ったスナップ写真を見ると、すべて焦点定まらずピンボケ写真だったのだが、それほど気は動転していたのだろう。 |
<怪獣が口を開けて迫ってくる>
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<大蛇がトグロを巻いている>
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暫く登ると道はブナの木々に覆われた平たい尾根に出る。しかし木々があたかも行く手を邪魔するかのように道を横切って倒れており、「よいしょ」と大きく股を開いて乗り越えねばならない。このような状況が続くと、「これは正しい道なのか?」と不安になって来るのだ。案の定二股に分かれる地点に出たが全く案内板が無い。どちらに行けばいいのか?一旦立ち止まり冷静になって判断する事にする。腕時計は9時40分を指している。リュックを下ろし25000分の1の地図を出して、今の居る位置を確かめる。地図上からは道は「オグロ坂峠」を目指して何本もの等高線を突っ切っている。と言うことはこの地点は激しい登りのはず。そこで右の登りの山道を選ぶ事にする。 |
そして10分ほど歩いても不自然に感じたら、もう一度ここに戻ろうと考えた。暫く急斜面を登ると前方に道案内板が見えて来たので「よし、道の選択は間違いなかった」と一人満足しながら胸を撫でおろしていた。その標識によれば 右方向が「峰床山(970m)」への、そして左方向が「鎌倉山(950m)」への登山口との交差点となっていたので間違いなく「オグロ坂峠(896m)」であることを確認出来た(10時50分)。暫くは平坦な道を行くとモヤッ〜ト霧に包まれた湿地帯に入り込んだようだ。風が吹いてサ〜ット霧が晴れるとそこに【京都の自然二百選・八丁平】と書かれたコンクリート柱が現れた。その下には【マムシに注意】と書かれた板が立て掛けられている。枯れた木々はバラバラに倒れ、湿地帯とは言え水は黒々と色を変え、何とも殺風景で薄気味悪い。 |
<オグロ坂峠標識が見えた>
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<八丁平>
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暫くはこの薄気味悪い湿地帯の中、道を失わないように通過する。「スジ谷峠」を経て、急な下り坂を一挙に下りると突然アスファルト道路に出た。そこは車の行き止まり広場みたいでそこに入るゲートのようなものがあり今は閉まっている。左に林野管理事務所、そして右手にトイレの建屋がある。事務所の中から人の声が聞こえた。ゲートがしっかり閉まっているのが気になったので事務所のドアを開けて、「すみません。今、山から下りてきた者ですが、あそこのゲートは横から通過していいのでしょうか? このまま真っ直ぐ下れば尾越の村へ出ますでしょうか」と問い合わせた。中には二人の男性が居てタバコを吹かしていたようだが、その内の一人が、「20分も歩けば尾越に出るよ」と答えてくれた。 | |
<スジ峠の標識>
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今は雨が上がっている。少し先に人家の屋根らしきものがポツポツと見えてきた。そして道の脇には捨てられた車が残酷な姿で横たわっている。人が住んでいる集落に近づくとこのような情景に遭遇して悲しい気持ちにさせる。尾越の民家に近づいたとき、木の下にまだ車体がピカピカに光っている廃車が現れる。まだ捨てられて間近かなので有ろうか。民家の前に来ると大きな母屋の雨戸はピシャリと閉ざされていて、全く人の住んでいる気配が無い。庭への入口の門は何重にも針金で結いられている。寂しい。悲しい。これが限界集落の生の姿なのか。(11時25分) |
<自然美を壊す>
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<捨てたばかりでピカピカ>
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<もう誰も住んでない家>
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集落を抜けると道はまた山への上り坂となりクネクネと左右に曲がりながら峠を越えるようだ。その曲がり角には必ずと言っていいほど錆付いた廃車が鎮座ましているのだ。これは一体どういう現象なのか?道の曲がり角のスペースは夜中にでも車を捨てに来た時、ヒッソリと置いて行き易い場所なのだろうか。しかし何故このような目立つ場所に車を置き去りに出来るのだろうか?酷いものはご丁寧に車の壁面に店の名前、電話番号が記載されたまま捨ててある車もある。一体どんな神経の持ち主なのだろうか。「大見町」の集落に入る手前の林の中にはチョコンとテレビが捨てられていた。将来必ずしやこれら捨てられた物から人類への復讐はなされよう。それはジワジワと腐った物体から危険物資が雨と共ににじみ出て徐々に地下水を汚染することになるのだろう。 |
<曲がり角に廃車>
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<積み重ねられた廃車>
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<チョコンとTVが寂しそう>
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大見町のT字路に出た。ここを左折暫く行くと納屋があった。「あそこなら雨を凌げて昼食を取るのには最適だ」と判断して庭を突っ切り納屋に近づき、ここを昼飯の場として使わせて頂く事にする。側にあったベニア板を地面に敷き、ビッショリ濡れた靴を脱いで足を延ばして座り込む。まだ雨はシトシトと降り続けている。民宿「ダン林」で作ってもらったチョット大き目のおにぎりを口いっぱいに頬張った。 |
30分ほどの昼食休みを取り、再び歩き始める。道は緩やかな登りであるが道に車の轍があるので小型車なら上がって来られそう。暫く登っていると早速後ろから小型の車が近づいて来た。私の脇で車が止まると、運転席の窓が開いて「歩いているんだよね。乗りなさいと言ってもダメだよね」と声を掛けてきたが、私は「ありがとうございます。ハイ」と返事をすると車は細い山道を上って行った。暫く林道をクネクネと登ってゆくとチョット広めの峠のような場所に1台の軽トラックが鎮座ましていた。運転席の窓は開いたまま、後ろのタイヤ一つが外されたまま、しかしナンバープレートは付いたまま、何とも不思議な状態で置かれている。その奇妙な車の直ぐ先で、道は二手に分かれていて右に登るか左に下るか迷ってしまった。 | |
<峠に不気味な廃車が、その先に迷った分岐>
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何とも気味の悪い場所だった。登り方向を選んで暫く行くとなだらかな「大見尾根」に出たが、そこでまたまた悲しい情景に出っくわしてしまう。
尾根から下を見ると、ブナの木々など新緑に染めた美しい山の斜面に車がダイビングして無残な姿で転がっているのだ。本来なら自然のままで美しい谷間なのだろうが、そこに鋼の塊が無残な姿で転がっている。なんで人間はこんな事をするのだろうか。あちらにも、こちらにもそんな鋼の塊がゴロゴロしていた。 |
13時30分、「滝谷山(876m)」登山口の脇を通過する。歩いている尾根も850m位のレベルであるから、山頂もすぐそこであろう。山道の直ぐ脇には、木の皮が熊に引っかき削られて裸にされている無残な姿が散見される。ということは近くに熊がいるということだ。登山用ステッキに付けてある鈴の音を大きく響かすようにステッキを強く地面に叩く。そして時々後ろを振り返る。 杉林の中を真っ直ぐに伸びた林道を歩く。暫く下ると「百井青少年村」への分岐点に差し掛かる。 |
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<熊が木の皮を剥いだ跡>
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この辺を「和佐谷峠」と言うらしい。道は次第に平坦となり左手に小屋が現れその前に大型キャンピングカーが置き去りにされている。折角の景観をぶち壊している。暫く歩を進めるとまたまた人間様がゴミを撒き散らした無残な谷が見えてくる。その先には大型の車が捨て落とされ腹をこちらに向けてひっくり返り、その側にサイクリング自転車が2台が放置されている。何と言う姿であろうか。私は一人で街道を旅して何を見に来たのであろうか。 |
林道にまたまた霧が出てきて先の方をボ〜ット霞が掛かってくる。「杉の峠」を経て14時に「花背峠」に到着した。ここはバスも通る自動車道路で、峠の所に温度計があり【只今の温度 7℃】と表示されていた。雨具を着ていたせいか、そんな低温とは気が付かず歩いてきた事になる。これからはこのアスファルトの敷かれた自動車道路を鞍馬川に沿ってダラダラと下って行く事になる。 鞍馬の町に入ったのが3時30分、街道の両サイドにびっしりと並んだ切り妻造りの民家や玄関口の格子戸など、昔門前町として賑わった面影を今に残している。 |
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<花背峠に出た所、温度は7℃だった>
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暫く下ると右手に鞍馬寺の仁王門に上る広い階段が現れる。そしてその少し先が叡山電鉄・鞍馬線の鞍馬駅入口となる。今日の宿泊先『くら満荘』は電鉄駅入口のまん前に有った。3時50分宿の玄関に入ると女将さんが笑顔で迎えてくれた。
実は今夜は大変に贅沢な一泊となるのだ。一般的には昔の古道を訪ねての一人行脚の場合には街道沿いの民宿や宿坊にお世話になるのだが、今回の鞍馬街道の鞍馬付近にはたった2軒しか宿がないのだ。そしてその両方とも京都からチョット入った観光地だけに宿泊料金からしても高級旅館であった。この宿も「料理旅館」と銘打っており、きっと「京料理」が満喫出来るのだろう。さあ、今日は今回の鯖街道・一人歩きの最後の夜であり、無事京都盆地側に出られた事を祝して一人贅沢をさせて頂く事にしよう。 |
<鞍馬の門前町>
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<鞍馬寺の仁王門>
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早速2階の和座敷に通された。すぐに「お疲れでっしゃろ」と言いながら“ぜんざいと渋茶”を運んできてくれる。甘い“ぜんざい”を頬張りながら、「よかったな〜ぁ!今朝諦めて進路変更をしないで。明日はここから京都に向って下るのみだ」と一人心の中でそうつぶやいていた。一息ついたところで、汗を流しにお風呂に向ったが、どうやら今夜のお客は私一人のようで館内は静かだったが、1階に下りると子供の賑やかな声が聞こえるが、お孫さんの誕生日とかで息子ご夫婦が来ているらしい。 |
夕食は期待していた通りのすばらしい会席料理だった。たった一人の客にこのようにこころのこもった一つ、一つの作品を戴くことに恐縮してしまう。料理コースの終盤になると女将さんが、「ちょっとお部屋を真っ暗にして宜しいでしょうか。次のお料理の演出です」と言って、真っ暗な中に蝋燭の炎が揺れるお盆を私の前に置く。お盆の上には“蛍烏賊の酢造り”が載っていた。その脇にチョコンと可愛らしい“蛍かずら”の花が置かれている。蛍ずくしの何とすばらしい風情であろう。 明日はきっと晴れてくれるだろう。美味しい料理を戴いた後、ゆっくりと床に入り今日の簡単な行動日記を記す。 |
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<蛍いかの酢造りの脇に蛍かずら>
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万歩計は36265歩 21.75kmとなっていた。何と偶然だろうが昨日の記録と数十歩多く、数十メートル長いだけの違いであったのだ。今日もグッスリと眠れそうだ。枕元のスタンドに手を伸ばしてスイッチを押した。 |
【第4日目 鞍馬山 〜 京都・出町柳まで】
朝6時に目を覚ます。そ〜っと障子戸を開いてガラス窓越しに外を見ると、鞍馬の山は低い雲に覆われシトシトと雨が降っている様子。これで今回の4日間全日程朝は雨降りだった事になる。何と言う不運であろうか。いやしかし考え方によっては、今回は雨の山道だったからこそ、スッポリと霧に包まれてあたかも子宮の中を神に近づく道程を体験出来たではないか。 7時30分に朝食をとり、8時10分リュックを一旦宿に預けて、身軽になって鞍馬山散策に出発。本堂に上るケーブルカーを待っている間に見る見るうちに雲が晴れて行き青空が顔を出し始めた。「本殿金堂」に着いたころにはすっかり晴れ上がり、正面には比叡の山々が美しく望めた。宿の女将さんの薦めで「鞍馬山霊宝殿」まで上がって館内を閲覧していると、「鞍馬山信仰」に大いに興味を持った。 |
<鞍馬寺・本殿金堂>
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<本殿より比叡の山々を望む>
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鞍馬山は2億6千万年前、海底火山の隆起によって生まれ、太古より大きな宇宙の力“尊天”を頂いて山全体が大自然の宝庫だそうで、自然界の万物はそれぞれが天から授かったかけがえの無い宝物であり、いろいろなことを私達に教えてくれるという。一輪の花、一匹の虫に時空を越えた宇宙の働きを観る――鞍馬山はそのための道場という。今回の私の“鯖街道・一人歩き”は何だったのか。人間の身勝手な生き方の一面を見てしまった旅なのか。あの山奥で沢山の自動車が谷へダイビングさせられていた姿は何を意味しているのか。 1時間ほどの鞍馬山探索後「くら満荘」に戻ると、女将さんが美味しいコーヒーを煎れてくれる。暫くは女将さんと話が弾んだ。女将さんの話によれば、何と5日後の5月18日には私の今回歩いてきたコースを走って競う『鯖街道マウンテンマラソン』が開催されるそうだ。スタートは朝5時に小浜フイッシャーマンズワーフ公園前を出発し、同日午後4時にここ鞍馬が“足切り地点”となっていて、午後4時を過ぎて通過する人はここから電車で出町柳に行かねばならないそうだ。と言うことは早い人は10時間ほど走り続けて午後3時ごろには出町柳にゴールするのであろう。3泊4日で歩いてきた私には驚きである。 |
10時に宿を出発、鞍馬川に沿って街道を下り始める。空は真っ青に晴れ上がっている。 鞍馬川に貴船川が合流して長代川に変る地点、電鉄駅「貴船口」を通過、更に電鉄線に沿って南下して行き「二ノ瀬町」を過ぎると道は長代川を渡り「市原町」に入る。市原の市街を通り過ぎたあたりから山を切り開いた間を道が抜けるようで、その両側の山には寺が見える。その内の一つ、私が歩いている進行左側の寺は大きく「小町寺」と書かれていた。そこにある説明板によれば、 |
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<小野小町のお墓がある補陀落寺>
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『小町寺は俗称で正式には「補陀落寺」といい、遠く陸奥路まで漂白の身を運んだ一世の美人「小野小町」も、年老いて容色も衰えた身を、ここ市原野に昔 父が住んでいた懐かしさから荒れ果てた生家を訪れ、そこで朽木の倒れるようにあえなく亡くなるが、弔う人とてもなく雨風に晒され小町のしゃれこうべから生い育った一本のススキが風に震えていた』とか書かれていた。
これを読みながら、変なところに関心を寄せていた。つまり一昨日私は“朽木の集落”を通ったのだが普段あまりお目にかからない漢字“朽木”の連続出現が不思議でならなかったのだ。 |
11時に「二軒茶屋」の町に入りコンビニに寄って最初の休憩を取った。ソフトクリームとヨーグルトを平らげて元気モリモリとまた歩き出した。
暫く行くと「総合地球環境学研究所」という場所に出て道を左折、正面に「比叡山(838m)」の山頂がくっきりと見えている。暫く行くと右側「京大演習林」の敷地に沿って鞍馬街道は右に曲がっている。細くクネクネと曲がった道を行くと「圓通寺庭園」の脇を通り、急激な細い坂道を下るとすぐその先の「深泥池(みどろがいけ)」に到着。時計を見ると丁度12時、池の側のレストランで昼食をとる。食事を取る前に京都の友人T氏に出町柳の到着時刻を予定通り午後2時と携帯電話で伝えた。 |
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<あれが、比叡山>
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<鞍馬街道>
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<圓通寺>
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<深泥池>
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ランチ定食「和風ポークソティ+コロッケ」(\650)はボリュームたっぷりで大変に美味しかった。12時45分昼食を終えて外に出てチョイト歩くと、道の反対側に停まって「プッ!プッ!」とクラクションを鳴らしている車がある。何と、何と、友人T氏なのである。 「電話を貰って、多分この辺だろうと来てみました」との事だが良くも偶然に会えたものだと感心させられる。T氏は私から電話が入った時、この近辺に奥様と買い物に来て丁度奥様を降ろしたところだった、と言うのだがそれにしてもよくも偶然にピッタリ道路上でお会い出来たものだと不思議でならない。14時に出町柳駅前でお会いする事を確認すると、車は私から離れて行った。 |
真っ直ぐ南に向かうと最初に東西に走る「北山通」に突き当たった。そこを左折、3ブロックほど東に向って次に「下鴨本通」を南下。本当に京都の道は碁盤の目のように出来ているので歩き易い。「北泉通」交差点を13時に通過し、真っ直ぐ南下して「北大路通」を突っ切ると、左に「賀茂御祖(かもみおや)神社【通称:下鴨神社】」への入口があった。境内に入るとすぐ左に「中門」が在りその中が「言社(ことしゃ)」で7つの小さな社殿があってそれぞれが“えと”別になっているのが面白い。パンフレットによればこの神様は「えとの守り神」だそうだ。早速我えと“さる”の社の前で今回の一人歩きの無事完歩に感謝して手を合わせた。 | |
<下鴨神社・中門>
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朱色に塗られた「楼門」を出るとすぐに大きな鳥居を通過し、こんもりとした森の中に入る。鬱蒼と茂った木々の中を道は真っ直ぐ南に伸びている。この道を下ればそのまま「出町柳」に出るはずだ。太陽の光が新緑の森を照らして緑色の濃淡がすばらしい。この森は紀元前3世紀ごろの原生樹林と同じ植生が群生しているそうで、「糺(ただす)の森」と言われ、平成6年に「世界文化遺産」に登録されたという。森に入るとすぐに小さな橋を渡る。そこに流れる小川は幅3m、深さ0.4mの平安時代の古図に描かれていた小川の一部だそうでナラ林を流れる小川と言うことで「奈良の小川」と呼ぶそうだ。 | |
<真っ直ぐに伸びる【糺の森】>
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<【楼門】を出て大きな鳥居>
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<古代のナラの小川>
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13時35分、「糺の森」を出て「鴨川公園」に到着。ここは京都北西部上賀茂方面から流れて来る「鴨川」と京都北部の大原付近から流れて来る「高野川」とが合流して一本になる丁度三角州の部分である。鴨川を跨ぐ「出町橋」の袂に【鯖街道口】の石柱が立っていた。「あぁ〜、やっと着いた」と自然に独り言が口から出た。 空は真っ青に晴れ上がり私の完歩を祝ってくれている様だ。T氏と約束した午後2時までまだ少し時間がある。 |
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<出町橋脇に有った【鯖街道口】の石柱>
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その入口の地面に鯖街道のモニュメントを見つけた。商店街を歩いている人々は、地面に向って一生懸命に写真を撮っている私の姿を見て不思議そうな顔をしていた。 |
午後2時が近い。今来た道を戻るように「出町柳」駅前に向かう。駅前の交差点で信号待ちしていると、反対側で手を振っている人がいた。何と友人のT氏ではないか。私も自然と手を大きく振り上げてそれに応えた。何ともすばらしい一人行脚のフィナーレである。そして旅立ちの時、ゴールの時、力づけてくれる友人がいて私は幸せ者であるとつくづく感謝の気持ちでいっぱいになる。 |
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<出町柳駅前で手を振る友人>
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ここでの“鯖の刺身”と“しめ鯖”の味は最高で忘れられない思い出となろう。 「宮さん、以前に塩の道を歩き、今回は鯖街道を歩いたので、塩と鯖、これで“しめ鯖”は出来上がりです。次は何処ですか?」と聞いてきたので咄嗟に、 「あと足りない物は何だと思います? そう あと“酒”だけ有れば完璧です。ですから次は【酒街道】を探します」と、いい加減な事を言ってしまった。 |
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<嵯峨野・竹林の道>
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その時私の頭の中では、 「きっと昔 杜氏(とうじ)が通っていた道が在るかもしれない。どうしても見つからねば自分でそんな街道を作ってしまえばいい」なんて勝手な事を考えていたのである。 <完> |