【老いの証明】
最近とみに頭の回転が遅くなったような気がする。ワイフとの会話も「あの」、「その」、「あれ」、「これ」の代名詞が極端に増えている。しかしワイフとは少なくとも生活の中で定例化した会話では殆どの主語がこの種の代名詞で通じてしまうのだ。しかし会話の中で突然思い出せない人名、事象をその種代名詞で誤魔化そうとすると、トラブルに至るのが常である。老いたがために“仕出かした失敗”や“老いにブレーキを掛ける努力”を書き綴ってみたい。 第1話: 『すごい体験』 東京駅をワイフと二人走りに走ったのです。それも真剣に。こんな経験は 第2話: 『ボケ除け俳句』 衰えにストップを掛ける為に俳句を始める。2つの句会に投句するのでここ 第3話: 『ケチな読書術』 古本屋での本探しは大変に楽しいものである。ここでの30分や 第4話: 『あたりまえの喜び』 当たり前に生きてきたのが“驚異の出来事”だったことに 第5話: 『古本が結ぶ不思議な縁』 古本をを読んでいると内容が自分の生活に偶然にも関連して 閉め話: 『シングルタスクマン』 本当の<老いの証明>はここで述べられております。 |
私は「尖閣列島」は当然日本の領土と思っていたし、その様に学校で教わったと記憶している。地図帳を開いて確かめてみても、尖閣列島(諸島)までは日本領土と表示されている。しかしこの本は、「実は歴史的に見ても間違いなく中国の領土である」と主張しているのだ。興味あるではないか。この本によれば、尖閣列島は中国・明の時代から「釣魚(ちょうぎょ)島」と中国名が付けられており、日本の文献でも江戸の中期1785年に林子平によって書かれた『三国通覧図説』の中の付図でも「釣魚島」は中国領土として色分して表示されていた事から見ても明らかに中国領土と主張している。更には地理的に見ても、中国から東方向の琉球に向けての |
航路は偏西風に乗って容易に航海が出来たと思われ、当時日本側から西に向っての逆方向の航海は至難の業と思われる事からも日本が中国より先駆けて「釣魚島」を開拓したとは考えにくい。そして日本は日清戦争の勝利に乗じて釣魚島が「無人島」だったのを理由に中国に対して日本の領土と主張した事になっており、中国は「略奪された」と主張している。
誰も住んでいない小島を自分のものだと言い争うのも大人気ないと思うのだが、こと国土の問題となると「はい、そうですか」と簡単には引き下がれないものだ。国の境界線がどこかにより「200海里問題」にも触れて、それぞれの国の管轄権にも関係してくるので簡単に解決する方法は無いであろう。韓国との竹島問題、そしてロシアとの北方領土問題のごとく人間はいつまでも「ショバの取り合い」で争い続けるのだ。 南の太平洋上にも同様の問題を抱えている。太平洋に浮かぶ孤島「沖ノ鳥島」が日本領土の境界となっているが、中国が「あれは単なる岩」と主張したことに端を発し、石原東京都知事が波で削られて島が消えてしまうのを避けるために、慌てて島の保全工事を行い、その付近で漁業の創業を始めたのが5年ほど前の出来事だったが、結局は欲の突っ張った人間さまには戦争を回避出来ないのと同様に、領土問題を解決できる道を見つけることは出来ないのであろう。 ②『人類 究極の選択』岸根卓郎著 東洋経済新報社(1995年4月発行2900円) まずは「古本書棚」の写真をご覧頂きたい。この本は580ページに及ぶ分厚い本なのだが、2週間で読み上げたのは私に取っては相当早いスピードである。そもそもこの本が古本屋で私の目に留まったのは本の副題「地球との共生を求めて」という小さな字に引き付けられた事にある。古本屋を歩いていて何時も不思議に思うのだが、ありとあらゆる種類の古本が並んでいる群の中で、私が読みたいと思わせる本の表題だけが私の視界の中でぼやけずクッキリと見えるのだ。ス~~ット通過しそうな所でフット立ち止まり、「ほら、私を取り上げて!」と訴えている本をスット抜き出しペラペラと中身をチェックして、そして価格をチェックして、それを購入するのである。「躓く石も縁の端」の諺ではないが、そうして選ばれた古本も私の手に入る縁を持っていたのかも知れない。この本は私にそんな事を考えさせる“究極の選択”のような読みがいのある本であった。 私はこれまでにスピーチの機会が有ると、「21世紀はこころの時代」というテーマで欧米型文明である“人間中心主義”の行き詰まり、“森の民”である日本人の日本文化の取り戻し、“少欲知足”の精神での日常生活の改善などを訴えて来たが、この本は私の様な直感的思考からの話ではなく、環境問題を「文明」、「技術」、「哲学」、「宗教」、「文学」、「倫理」、「政治」、「社会」の各方面から現実的に解明されており深く感銘を受けた。この本の第1章「序論」での次のような書き出しからしても、私をグ~~ト引き込ませてしまうのだ。 「文明の前に森林があり、文明の後に砂漠が残る」 「自然破壊を非難する文章ですら、緑(森林)を食い潰して作られた紙の上に印刷さ れるという事実を忘れてはならない」 「物質的な豊かさのみを追求する時代の科学的物質文明(欲物文明)の下では、人類 は『乱開発・乱獲→大量生産→大量消費→大量廃棄』によってこの自然の精緻な生 態系の秩序を大きく撹乱している。 こんな内容で始まるこの本は私の興味を沸き立たせ次へ次へとページを読み進ませる。この本の発刊は平成7(1995)年4月であり、今から15年前である。この年の1月には“阪神淡路大震災”があり、3月にはオウム真理教による“地下鉄サリン事件”の有った年でもう遥か昔のように感じるのだが、この環境問題に関しては15年前から何も変わらず、むしろ今はもっと悪くなっているように感じてならない。 「環境問題が日に日に悪くなっている」と感じてしまうのは、政治も経済もその場その時の対策で逃げまくって将来にツケを残しているように思えるからだろうか。「高速道路無料化」、「ガソリン税の廃止」とか「原子力発電の増大」とか、本当に次世代の事を考えているのだろうか。 この本では「日本人の脳は左脳と右脳に回路がある“左右脳型”な脳であるから、西洋人の左脳型の脳とはその機能において大きな違いがある」と説明している。この結果として「論争を好む西洋人気質と、和を持って貴しとする日本人気質の違いが見られる」と言う。我々日本も一神教の欧米文化からオサラバして、多神教の我が大和魂の日本人による「調和主義的文明」を地球上で実現してゆく時代が到来しようとしているのではないのだろうか。 この本は、倫理面からも「環境破壊は、現代世代が加害者となって、未来世代がその被害者になるということだ」とも指摘している。そして「現在世代が地球資源を使い尽くし、地球環境を破壊し尽くすことは、これからこの世にやってくる罪なき『最も弱い立場』の未来世代の人々を、現在世代の人々が一方的に殺戮し尽すことになる」と警告している。 だから「現在の繁栄は未来の窮乏であり、現在の成長は人類の終末を意味する、と知るべきである」と言い切っている。そうならぬ為には「社会的規範として世代間倫理は、各人や各集団や各国が、それぞれの責任において自然破壊や資源枯渇の負荷を次世代へ積み残してはならない。これが【持続性の世代間倫理】であり、そして自然の生存権は人間だけではなく、全生物種、全生態系、景観などにも生存の権利があるので、人間がそれを否定してはならない」と主張している。私も全く同感で、この明快な指摘で胸がス~~トして来るのだ。 15年前にこの本の著者・岸根卓郎氏が広い分野からの解析により明快に述べられていた事が、現在では“持続性”に関しては【サステナビリティ学問】として大学などに学部が新設され研究が始まっているし、“全生物種の生存”に関しては一例として、今年10月に名古屋で【生物多様性EXPO2010】が開催され、人間中心主義から脱皮してあらゆる生物が地球上で生き残れるようにしようとする産業界の取り組みが披露される事になっている。 我ら人類も“このままでは人類の終末”である事に気づき始めているのだろうか。そして世界中が日本人のリードにより調和主義的文明に入って行く前触れかと思うと仕合せな気持ちにさせ、自分の頭を整理させてくれたこの15年前の分厚い本に感謝、感謝の気持ちである。 今は友人から紹介された新刊本『日本の分水嶺を行く』(細川舜司著 新樹社)を読んでいるのだが、その次に読む本が無いので何となく不安になっていた。早速神保町に出掛け、次の4冊を1550円にて購入して来た。総重量は1.6Kgで有った。 (1)『梅と雪 水戸の天狗党』 杉田幸三著 永田書房 (2)『これを読んだら連絡ください』 前川麻子著 光文社 (3)『くたばれ 竹中平蔵 さらに失われる10年』 藤沢昌一著 駒草出版 (4)『歴史散歩 江戸と東京』 堤 紫海著 文化総合出版 これでこの先1ヵ月半は何とかもちそうで、変な不安から抜け出ることが出来たようだ。 |
科学的分析とは、このグラフは全国の高齢者(男性)をピックアップして20年間の追跡調査より分析したものだからだ。この最も左のライン(比較的若くに死亡)が恐ろしいラインで20%近くも居るのだ。このラインの丸で囲まれた斜線部分がPBN(ピンボケネタキリ)期間で介護という世話で若い世代に多大なる迷惑を掛けている期間である。これが長ければ長いほど辛い人生となる。一番右上のライン(健康維持)が10%も居るが、これは羨ましい限りだが、まあ精々真ん中のライン(徐々に健康悪化)の70%ラインに沿って残された人生を送れば、それがPPKだと示唆している。 |
そしてあなたが、今ハット一番左ラインに沿っているのではと気付いたら、今すぐに真ん中の線にジャンプアップするように努めればよいのだと小宮山氏は言う。それが図に示した矢印である。そのための一番効き目のある“薬”は(つまり行動は)【社会への積極的な参加】であると小宮山氏はヒントをくれている。
さてこの図の横軸は63~89歳までの年齢で、縦軸の0、1,2,3に就いて解説しよう。 3 = 自立 2 = 手段的日常生活動作(IADL)に援助が必要なレベル。 IADL(Instrumental ADL)=手段的日常生活動作とは 買物、洗濯、電話、 薬管理、金銭管理、乗り物 および趣味活動など。 1 = 基本的(ADL)および手段的日常生活動作(IADL)に援助が必要なレベル ADL(Activity of Daily Living)=基本的日常生活動作とは 食事、排泄、着脱衣、 入浴、移動、寝起きなど。 0 = 死 |
ところで、何ゆえに小宮山氏の講演の中でADLやIADLが登場してくるのか、不思議に思われるだろうが、実はこの講演の最大テーマである「日本が低炭素社会を構築」するには、新しい産業、新しい雇用、そして経済の活性化を起こさねばならぬが、そのためには3要素が考えられると言う。それは①【グリーン】(エコハウス、省エネ家電、エコカー、太陽光パネル、風力発電、水、食料など)、②【シルバー】(バリアフリー・インフラ、健康管理、視覚・聴覚支援など)そして③【知】(教育、生涯学習、付加価値創造など)となるが、日本は③が不得意であるので①と②に注力し、日本は特に老齢化大国としては世界の先進であり且つ技術大国であるから②で世界のリーダーとなればよい、と主張する。 「団塊の世代」が一斉に定年を迎えた日本が、これから生き残る道はシルバー産業での新しいビジネス・モデルの発掘に取り組み、その分野での世界のリーダーという道を辿るべきと主張しているのである。 なるほど、隠居生活だ、なんて言ってのんびりとしてはいられない。それでは「PBN症候群」にハマルのが落ちである。これまで私が65年間、当たり前のような人生を歩いて来られたのも、ラッキー中のラッキーで「ありがたい」と感謝せねばならぬのだ。当たり前に過ごしてこられたことは驚異なことだったと気づいた。つまり「そう簡単には有り得ない」、すなわち「有り難い=感謝」なのである。 これからは、いつまでも基本的日常生活動作(ADL)そして手段的日常生活動作(IADL)が当たり前に出来続けるよう「PP]で生きながら、そして「PP」を続けていられる日々に喜びを感じつつ「K」に辿りつこうと自分に言い聞かせた。 |
私はゴールデンウイーク明けの5月10日~13日、3泊4日で「鯖街道」(福井県・小浜市から京都・出町柳までの75km)を一人で歩く計画を立てていた。そんな自分の行動を前にしてか、4月頃の買う古本も次のような“登山もの”が多かった。 ・ 『富士山 村山古道を歩く』 畑掘操八著 風濤社 ・ 『日本アルプス百名山紀行』 深田久弥著 河出書房新社 ・ 『一日二日の百名山』 深田久弥著 河出書房新社 ・ 『百名山の人 深田久弥伝』 田澤拓也著 TBSブリタニカ そして7月10日は参議院議員選挙の日で、うんざりするような夏日で、日本の将来を占う大切な選挙なのに、うんざりするような人材不足でシラケ・ムードであった。そんな選挙前の5~6月はどう言うわけか“理屈っぽい本”を買い込んでいた。 ・ 『だから、僕は、書く』 佐野真一著 平凡社 ・ 『この国のけじめ』 藤原正彦著 文藝春秋 ・ 『課題先進国 日本』 小宮山宏著 中央公論新社 ・ 『生命の哲学』 小林道徳著 人文書館 ・ 『宇宙に果てはあるか』 吉田伸夫著 新潮選書 これらの古本の中身が私の生活と何かで繋がっていたという、あるいは買ってきた古本同士が内容で偶然にも関連し合っていたという、「えにし」みたいな出来事をこれから書いてみよう。こんな事を考えてしまうのも年を取って、考える時間が有りすぎるという状況が生み出す現象なのであろうか。 |
丁度「鯖街道」の旅に出るのに前後して読んでいたのが、この<老いの証明>第3章『ケチな読書術』の最後の方で書かかれていた杉田幸三著『梅と雪(水戸の天狗党)』であった。この古本を買う時に私の目に引っかかったのは表紙を開いたページ全面に常陸の国・那珂湊から下野(しもつけ)、上野(こうずけ)、信濃、美濃を通過して越前の国まで線が引かれていて「筑波勢行軍経路略図」と書かれており、その丁度中間点になんと「和田峠」と書かれており、これが非常に私を引き付けたのだった。なんで引き付けられたかの説明は後にして、まずは「天狗党」とは一体何であったのか頭の整理をしておきたい。
「水戸天狗党」とは水戸藩内の尊皇攘夷派の呼び名で、尊皇攘夷とは天皇を尊び、外国勢力を打ち払おうという思想で、特に水戸9代藩主「水戸斉昭(なりあき)」は強い攘夷論者であって、下級武士で学者の「藤田東湖」らを登用して質素倹約、軍備充実、藩校弘道館の設置など藩政改革を行う。この頃次第に尊王攘夷思想が全国に広まる。 |
遂にペリーの来航で対外危機が高まると尊皇攘夷派の活動が活発化、しかし結局幕府は開国を宣言してしまい、尊皇攘夷派は暴走し始める。水戸の浪士により「桜田門外の変」、「東禅寺事件」、「坂下門外の変」など過激な事件が連発した。全国各地に尊皇攘夷運動が盛んになる中、「藤田小四郎」(藤田東湖の子)を中心に水戸尊皇攘夷派の急進グループが筑波山で兵を挙げる。これが「天狗党」である。この時長州藩の「桂小五郎」(のちの木戸孝允)から軍資金を得ていたと言う。 しかし幕府軍や水戸の諸正党の軍が天狗党を攻め、次第に天狗党は追い詰められる。そこで当時京都にいた「一橋慶喜」(斉昭の子、後の15代将軍)に力を借りて朝廷に尊皇攘夷を訴えようと決め、1864年(元治元年)10月京都に向けて1000人ほどの大部隊の天狗党が移動を開始する。 さてさて「和田峠」の話に移そう。「和田峠」とは5年前に私が静岡県・相良町から新潟県・糸魚川までの350kmの「塩の道・一人行脚」をやってみようと思い起こさせた理由の一つなのである。和田峠は諏訪市から佐久市に抜ける中山道にある峠で、古代から和田峠は“黒曜石”が採れたという。海岸から生きる為に必要な塩が山奥に運ばれてくると、その復路は漁の釣り針や銛などの漁具になる黒曜石が山を下りて行ったという。自然とその道は長きに亘り商業道として栄え、それを塩の道と言うのだそうだ。この和田峠の“黒曜石”が日本最古のそして最長の塩の道の“生みの親”だったのである。 黒曜石は先が鋭く尖っていて黒光りしているので、昼間太陽光を浴びて地表の遠くからでもキラキラと光って見えたようだ。そこで古代人はそれを星のようだと喩えていた様で、この峠付近に「星の糞峠」とか「星ヶ塔」という地名が残っているという。なんとロマンティックな話ではないか。 |
5月半ば、時代物小説の次に読み始めた本は"登山もの"で深田久弥(きゅうや)著の『日本アルプス百名山紀行』であった。 これは4月に購入していたのだが、本の題名に「百名山」が入っている古本が3冊並んでいたので躊躇せず買った中の1冊である。この3冊は新品であり3冊の定価合計が5400円になるが、それを2650円で買い込んだ。これは半値で買ったと言うことで、小生の古本購入相場としてはチョット高いのだが、新品であり読みたかった登山本だからやむを得ない。
「百名山」の名付け親がこの本の著者であり登山家の「深田久弥」だが、彼の文章力には驚かされた。彼のエッセイは本当に読みやすく、あっという間に読んでしまった。 私は2001年から2年間仕事で伊那市に単身赴任していた。南アルプスと中央アルプスに挟まれた日本のスイスとも言われる伊那谷は私の大好きな土地柄であり、そこで |
の生活から駄本【伊那谷と私】が生まれた。 そして2005年に伊那谷を突っ切る「塩の道」を歩いた時には、松本から糸魚川までの「千国街道(糸魚川街道)」は北アルプスの連峰がピタリと寄り添っていた。そんな私にはこの本の題名の中の“日本アルプス”の文字を見ただけでグッ~ト引き寄せられたのだ。 そしてもう一つ、深田エッセイは全く時代差を感じさせないのだ。勿論「登山エッセイ」であるから70年前も現在も山の上は大きくは変わってはいなかろう、と言えようがしかし彼の文章は美しく、とにかく新鮮なのだ。彼のエッセイ『南アルプスの一角・甲斐駒ケ岳』からその一端を述べてみたい。そのエッセイは私にはユダレが出るような文章から始まっていた。 『中央線の辰野で伊那電鉄に乗り換えると、きまって眠くなるから妙だ。夜更かしの癖 次の私の興奮は“伊那入舟駅で下車”と言う表現である。現在この“入舟駅”は存在しない。この入舟駅を調べてみると、現在のJR飯田線の「伊那北」駅のようだ。 ところで日本で初めて“電車”が走ったのは、実はこの伊那谷だったのである。この“伊那電”は明治45年、辰野から伊那入舟駅(現在の伊那北駅)まで走っていて、同年その次の駅として“伊那町”駅(現在の伊那市駅)まで延伸されたと言う。そして昭和18年伊那電が“飯田線”の一部として国有化され、その後JRとなり現在に至っているのだが。 『その前年の夏、東京市立商業学校の生徒一行7人が遭難して、4人の犠牲者を この文章を手掛かりに甲斐駒の遭難記録をインターネットで調べると、有ったではないか。この遭難は昭和13年(1938)7月31日~8月3日と記されていた。つまり今から70年も前に書かれたエッセイだったのである。 |
深田エッセイの魅力は「登山もの」とはいえ、その登山に至るまでの行程、そして司馬遼太郎風にその地域の歴史や風土、そして交通路や山野草の紹介などの文章が散りばめられており、とにかく読み易いのだ。あっと言う間に2冊目の『一日二日の百名山』に入っていた。この本の中に、私の「塩の道・一人行脚」の時に側を通過した「雨飾山」に関するエッセイがあるではないか。このエッセイ『雨飾山』の中に「塩の道」に触れる、そしてそこを走る鉄道に就いて語っている、私にとってユダレの出そうな文章にめぐり合った。
『越後の糸魚川と信州の大町とを繋ぐ大糸線は、 |
確かに日本海から太平洋まで、しかも一番幅の広いところを、ほとんど千メート ルの高さを越えること無しに突き抜けることの出来るのは、思えば不思議な地形 である。』 そうなのだ。その“不思議な地形”こそが「塩の道」であり、私はその地形に沿って歩いた事になる。私が塩の道を歩いて糸魚川駅前に出た時、駅の上に「大糸線全線開通50周年」と書かれた大きな看板が立っていたので、このエッセイは逆算して昭和15年(1940)ころに書かれたと思われる。 ここまで読んでくると、この「深田久弥」とはどんな人物だったのかと大いに気になってくる。早速田澤拓也著『百名山の人・深田久弥伝』を引き続き読み始める。読んでいくうちに如何に波乱万丈な人生だったか驚かされると同時に私に取って何か因縁めいたものを感じてならない。 |
久弥が東京帝国大学在学中に改造社という出版社で働き始める。この時改造社の懸賞創作募集に応募してきた青森に住む北畠美代と文通を重ねて、昭和4年(1929)に同棲生活が始まる。その頃彼が発表する東北の女性を題材にした小説作品はすべて北畠が原稿を書いていたという。そして昭和16年(1941)5月中村光夫の結婚式に久弥が出席し偶然にも初恋の人、同じ年齢の木庭志げ子(中村光夫の姉)に会い恋に陥る。何とこの志げ子は私が住む文京区・西片町に住んでいて、久弥は帝大時代に寮生活をしていて、二人は本郷三丁目付近でいつもすれ違う時にお互いが意識し合っていたという。猛烈な攻勢を仕掛けた深田に32歳の志げ子がこたえるまでに長い時間は掛からない。披露宴の1ヶ月のち、二人は信州の小谷温泉の近く、雨飾山に一緒に出掛けたという。これでエッセイ『雨飾山』は昭和16年に書かれた事が確認出来た。 |
それにしても“志げ子”と言う名前は私の母と全く同じ漢字を使った同名であったのも不思議だ。「重子」でも「茂子」、「成子」、「滋子」、「繁子」でもなく「志げ子」だったのだ。昭和16~17年代には、この西片に二人の「志げ子」が住んでいた事になる。
7月に入って理屈っぽい本を読み出した。7月10日が参議院議員選挙の日だというのに外での街頭演説や宣伝カーの騒音が今年はあまり気にならない。余りの暑さに出控えているのか、それとも熱か入らぬか。最初に読み始めたのが佐野真一著『だから、僕は、書く』である。佐野真一と言えばノンフィクション作家として有名だが、彼はノンフィクションに就いてこの様に定義している。 『ノンフィクションとは一言で言うと、事実ですべてを語ることです。(略)今この世 |
ノンフィクションは「聞き書き」の技だと言う。そして取材の基本は「あるく、みる、きく」であり、彼に最も影響を与えた人物に「宮本常一」を挙げている。1937年宮本常一は商業主義ではない、新しい観光と旅のあり方を探求し『あるく、みる、きく』という雑誌を発行し、彼の取材方法は、歩きに歩いて、風景の中から歴史を読み取り、そこに住む人びとから丹念に話を聞き取る、という実にベーシックな方法とったと言う。とすれば深田久弥の「登山もの」も、私の駄本【伊那谷と私】も【塩の道・一人行脚】もノンフィクションのジャンルと言えようか。
続けて藤原正彦著『この国のけじめ』を読んでいると、突然に次のような文章が出てきた。 『学生に読ませる本は私が独断で決める。初期の頃 |
ここ数年の定番は、新渡戸稲造「武士道」、内村鑑三「余は如何にして基督信徒 となりし乎」「代表的日本人」、福沢諭吉「学問のすすめ」、および「福翁自伝」、山 川菊枝「武士の女性」、宮本常一「忘れられた日本人」無着成恭編「山びこ学校」、 日本戦没学生記念会編「きけわだつみのこえ」などである。』(116ページ) まことに驚きである。連続して民俗学者「宮本常一」の登場である。早速ながらインターネット上のオークションから宮本常一著『忘れられた日本人』の古本を探し出し400円で落札し現在手元にある。 |
このように古本屋で買ってきた本が、私の生活に何らかの関係のある内容であったり、あるいは古本同士で繋がりを持ち、また古本の内容から次の読みたい本のヒントを貰うなど、その関連性がなかなかに面白い。
このエッセイを書いている最中に3冊読み上げ、一方で佐野真一著『だから、僕は、書く』の中でノンフィクションの代表作として紹介されているディーン・E・マーフィー著『マンハッタン、9月11日・生還者たちの証言』をインタネット購入(定価2600円+税を999円で落札)したので、上述の宮本常一『忘れられた日本人』と合わせ2冊増えて、現在読み待ちの古本がお陰さまでまだ5冊残っているので、このクソ暑い8月も何とか持ちそうである。 今読み始めたのは半村良著の『葛飾物語』だが、昭和18年から平成2年までの葛飾の変化してゆく姿を描いた小説で、なかなか涼しげで面白そうだ。 |