<はじめに>

早稲田大学・異業種研究会【セールス・フォース・マネージメント研究会】35周年おめでとうございます。世間にはこのような研究会、勉強会などの集会が沢山ありますが、35年もの長い間続けてこられたのには愕きを感じます。この研究会を運営されてきた関係者の方々のご苦労に深謝申し上げます。

35周年記念誌【壷中の天地】への掲載出稿のために、2010年2月から8月に掛けて書上げましたエッセイ『老いの証明』の中の第3章「ケチな読書術」と第5章「古本が結ぶ不思議な縁」に加筆し再編集して纏めたのが次のエッセイです。

昨年(2011年)に読破した古本の数は37冊になりますが、その不思議な「ご縁」には愕かされ続けています。今年早々に発刊されるあるNPO団体の10周年記念誌への寄稿文を先日書上げたのですが、このエッセイも買ってきた古本が偶然にも役に立ったのです。本当に「古本が結ぶ不思議な縁」には愕きと共に、大いに感謝しております。

(2012年1月15日記)

『古本が結ぶ不思議な縁』

私は子供の頃は読書が大の苦手であった。そういえばその頃、両親が本を読んでいる姿を殆ど見たことが無かったので、その点は親譲りなのかも知れない。小中学生の頃、国語の授業が最も嫌いだった。理由は順番が来て立って教科書を読ませられた時、スムースに読めずにいつも突っかかりながら読んでいた。そして漢字の読みも苦手な方だった。中学の国語の時間、教科書を読んでいる時、「そして自らの努力で〜〜」という箇所を「そしてじからの〜〜」と読んで皆から笑われた事を今でも鮮明に覚えている。

しかし人生とは不思議なものである。中年を過ぎた頃から結構な量の本を読み出したのである。それも乱読で同時に2〜3冊を平行読みする時もあった。従って本の内容がしっかりと頭に残っているケースは稀であるが。そして何と50歳の後半になって、今度はエッセイを書き始めたのである。大学も工学系を歩いてきた自分を考えると想像も付かない変異である。先日エッセイ作品数を数えてみたら35点にもなっていた。若い頃本もろくに読まなかった者が、年を取って文章を書くとは摩訶不思議な現象では無かろうか。

さてさて年金生活に入った私の「ケチな読書術」をご披露したい。「読書術」の表現となると、相当な「術」と思われそうだが、「ケチな術」ということでご容赦頂こう。

我が家は「神田神保町」に近く本探しには地理的に恵まれている。最近はよほどの事が無い限り新刊本は買わない。「神保町」は昔から【古本の町】であり、定期的に「古本屋巡り」をするのが私の楽しみの一つになっている。定期的といったが、実は月に1〜2回健康のために「半日ウオーキング」をするのだが、そのコースに必ず神保町を通過するように組んでいる。この理由は家を出る時のリュックには水ボトルをサイドポッケに入れてあるだけで中は空にしておき神保町にて古本を数冊購入して、これをリュックの重みにするのである。つまりある程度の重さを持った小型リュックにして、それを背負って歩こうという訳で、一石二鳥を狙っているのだ。古本の平均購入価格は、厚手の学術書でも千円以下で、殆どが「3冊まで5百円」の古本屋で購入するようにしている。新書や文庫の古本はサイズ的にも重さ的にも貢献しないので殆ど買わないようにしている。

古本屋を歩いていて何時も不思議に思うのだが、ありとあらゆる種類の古本が並んでいる群の中で、私が読みたいと思わせる本の表題だけが私の視界の中でぼやけずクッキリと見えるのだ。ス〜〜ット通過しそうな所でフット立ち止まり、「ほら、私を取り上げて!」と訴えている本をスット抜き出しペラペラと中身をチェックし、そして価格をチェックして、それを購入するのである。

「躓く石も縁の端」の諺ではないが、そうして選ばれた古本も私の手に入る縁を持っていたのかも知れない。更に不思議なのは、その古本の内容が何らかの形で私の生活や行動に関係している事に気づいたり、偶然に見つけた古本同士に関連性があったりするケースがあるのだ。そこでその様な不思議な“ご縁”に就いて書いてみたい。

私はゴールデンウイーク明けの5月10日〜13日(2010年)に、3泊4日で「鯖街道」(福井県・小浜市から京都・出町柳までの75km)を一人で歩く計画を立てていた。そんな自分の行動を前にしてか、4月に神保町に出て買う古本も次のような“登山もの”が多かった。

   ・ 『富士山 村山古道を歩く』畑掘操八著 風濤社

   ・ 『日本アルプス百名山紀行』深田久弥著 河出書房新社

   ・ 『一日二日の百名山』   深田久弥著 河出書房新社

   ・ 『百名山の人 深田久弥伝』田澤拓也著 TBSブリタニカ

そして7月10日、参議院議員選挙の日は、グッタリするような夏日で、日本の将来を占う大切な選挙なのに、うんざりするような人材不足でシラケ・ムードであった。そんな選挙前の5〜6月はどう言うわけか“理屈っぽい本”を買い込んでいた。

   ・ 『だから、僕は、書く』  佐野真一著 平凡社

   ・ 『この国のけじめ』    藤原正彦著 文藝春秋

   ・ 『課題先進国 日本』   小宮山宏著 中央公論新社

   ・ 『生命の哲学』      小林道徳著 人文書館 

   ・ 『宇宙に果てはあるか』  吉田伸夫著 新潮選書

これらの古本の中身が私の生活と何かで繋がっていたという、あるいは買ってきた古本同士が内容で偶然にも関連し合っていたという、「えにし」みたいな出来事をこれから書いてみよう。

5月半ばに入って読み始めた本は「登山もの」で深田久弥(きゅうや)著の『日本アルプス百名山紀行』であった。私は2001年から2年間を仕事の関係で伊那市で過ごした。伊那谷は南アルプスと中央アルプスに挟まれた日本のスイスとも言われる美しい盆地である。更に私は2005年に日本一長いと言われる「塩の道」(静岡県・相良町から新潟県・糸魚川までの全長350km)を一人行脚したのだが、その際に松本からの千国街道(糸魚川街道)の左側には北アルプスの連峰がずうっと連なっていた。そんな単身赴任や一人行脚の体験を通して書籍のタイトルに“日本アルプス”の文字を見ただけでグッ〜ト引き寄せられたのかも知れない。

そして私は伊那市での単身赴任時代に何度も何度も新宿〜伊那間を鉄道や高速バスで往復していたので、『日本アルプス百名山紀行』は私にとってはヨダレが出るような次の文章から始まっていたのだ。

  『中央線の辰野で伊那電鉄に乗り換えると、きまって眠くなるから妙だ。夜更かしの癖のある
   僕は、新宿をたって甲府を過ぎるまでは、どうしても寝付けない。釜無川の谷に沿うて、ゴ
   トンゴトンと上りだす頃になって、やっと眠気がさしてくる。その眠気がちょうどいい加減に熟し
   た頃が辰野だ。伊那電に乗り換えてしばらくは緊張しているが、やがてこんどは本式に眠く
   なる。 (略) 伊那入舟駅で降りて、さあいよいよこれから山に入るんだぞと思ってはじめて
   シャンとする。』

私は“伊那電鉄”と出てきてまずビクッとした。次に“釜無川に沿ってゴトンゴトン”の文章に引き付けられ、これは今のJR中央東線が韮崎を過ぎて小淵沢に向けてゴットンゴットンと上って行く姿を連想する。最近は中央高速バスでの移動が多いので新宿からの途中、丁度「双葉」のサービスエリアでトイレ休憩があるが、“釜無川に沿ってのゴトンゴトン”とは高速道路で言えば双葉から須玉に向っての上り坂の付近であろうか。次に私を惹きつけたのは“伊那入舟駅で下車”と言う表現である。現在この入舟駅は存在しないが、現在のJR飯田線の「伊那北」駅のようだ。

ところで日本で初めて“電車”が走ったのは、何とこの伊那谷だったのである。明治42年に辰野、伊那松島間8.6kmが開通し、電車は1両で37人乗り、1日に12往復していたそうで、チンチンとベルを鳴らしながら走ったので「チンチン電車」と呼ばれたそうだ。この“伊那電”は明治45年、伊那入舟駅(現在の伊那北駅)まで伸び、同年その次の“伊那町”駅(現在の伊那市駅)まで延伸されたと言う。更には大正3年に“赤穂”(現在の駒ヶ根)、大正7年に“飯島”まで、大正12年に“飯田”まで伸び、昭和に入って2年“天竜峡”まで開通している。辰野から天竜峡まで全長80kmもある私鉄が実に20年の歳月を掛けて完成したのである。そして昭和18年伊那電が愛知県・豊橋から飯田までの伸びてきた“飯田線”に繋がって国有化され、その後「JR東海」となり現在に至っているのだが。

深田エッセイの魅力は「登山もの」とはいえ、その登山に至るまでの行程、その地域の歴史や風土、そして交通路や山野草の紹介などの文章が散りばめられており、とにかく読み易いのだ。あっと言う間に2冊目の『一日二日の百名山』に入っていた。この本の中に、私の「塩の道・一人行脚」の時に側を通過した『雨飾山』に関して書かれており、そのエッセイの中にもまたまた私にとってヨダレの出そうな文章が有ったのだ。

  『越後の糸魚川と信州の大町とを繋ぐ大糸線は、あと6里を残して完成していない。これさ
   え通じれば、日本中部の一番幅の広い部分を横断する鉄道が、継ぎはぎだらけながら完
   成するわけだ。すなわち糸魚川から大町(大糸線)、大町から松本(電車)、松本から辰
   野(中央線)、辰野から飯田(伊那電鉄)、飯田から天竜川に沿って豊橋まで(三信鉄道)、
   南北アルプスの東側を走るこの線を日本地溝帯と称するそうだが、確かに日本海から太平
   洋まで、しかも一番幅の広いところを、ほとんど千メートルの高さを越えること無しに突き抜け
   ることの出来るのは、思えば不思議な地形である。』

そうなのだ。その“不思議な地形”こそが「塩の道」であり、私はその地形に沿って歩いた事になる。私が塩の道を歩いて糸魚川駅前に出た時、駅舎の正面に【大糸線全線開通50周年】と書かれた大きな看板が立っていたので、このエッセイは逆算して昭和15年(1940)頃に書かれたと思われる。

ここまで読んでくると、この「深田久弥」とはどんな人物だったのかと大いに気になってくる。早速3冊目の田澤拓也著『百名山の人・深田久弥伝』を引き続き読み始める。読んでいくうちに如何に波乱万丈な人生だったか驚かされると同時に私に取って何か因縁めいたものを感じてならない。

久弥が東京帝国大学在学中に改造社という出版社で働き始める。この時改造社の懸賞創作募集に応募してきた青森に住む北畠美代と文通を重ねて、昭和4年(1929)頃から同棲生活を始める。その頃彼が発表する東北の女性を題材にした小説作品はすべて北畠が原稿を書いていたという。そして昭和16年(1941)5月中村光夫の結婚式に久弥が出席し偶然にも初恋の人、同じ年齢の木庭志げ子(中村光夫の姉)に会い恋に陥る。何とこの志げ子は私が生まれ育ち今も住んでいるここ文京区・西片町に住んでいた。一方久弥は帝大時代に寮生活をしていて、二人は本郷三丁目付近ですれ違う時にいつもお互いが意識し合っていたという。中村光夫の結婚式の後、猛烈な攻勢を仕掛けた深田に32歳の志げ子がこたえるまでに長い時間は掛からない。披露宴のわずか1ヶ月後、二人は信州の小谷温泉の近くに有る雨飾山に一緒に出掛けたという。これでエッセイ『雨飾山』は昭和16年頃に書かれた事が確認出来た。

それにしても“志げ子”と言う名前は私の母と全く同じ漢字を使った同名であったのも不思議だ。「重子」でも「茂子」、「成子」、「滋子」、「繁子」でもなく「志げ子」だったのだ。と言うことは昭和16〜17年代には、この西片町に二人の「志げ子」が住んでいた事になる。

7月に入って理屈っぽい本を読み出した。7月10日が参議院議員選挙の日だというのに外での街頭演説や宣伝カーの騒音が今年はあまり気にならない。余りの暑さに出控えているのか、それとも熱か入らぬか。最初に読み始めたのが佐野真一著『だから、僕は、書く』である。佐野真一と言えばノンフィクション作家として有名だが、彼はノンフィクションに就いて次の様に定義している。

  『ノンフィクションとは一言で言うと、事実ですべてを語ることです。(略)今この世の中は、どう
   ゆうふうに動いているんだろう、あるいはこの事件は、どういうことから起きたんだろうということ
   を、膨大な取材を積み重ねながら、事実をもって語らしめてゆく文芸。』

ノンフィクションは「聞き書き」の技だと言う。そして取材の基本は「あるく、みる、きく」であり、彼に最も影響を与えた人物に【宮本常一】が居たと語っている。続けて藤原正彦著『この国のけじめ』を読んでいると、『数学者の読書ゼミ』の章でピタリと止まった。それは私が昨今思い悩んでいた「恐るべき日本政治の貧困と、外国に対するネゴシエータ不在」に対して、一つの納得解を与えてくれたからだ。その文章を次に書きとめておきたい。

  『教養がどうしても必要なのは、長期的視野や大局観を得たいと思う時である。長期的視
   野や大局観を持つとは、時流に流されず、一旦自分を高みに置き、現象や物事を俯瞰し
   つつ考察するということである。そこで時空を越える唯一の方法、すなわち読書により、古今
   東西の偉人賢人の声に耳を傾け、庶民の哀歓に心を震わせる、ということが必要になる。
   長期的視野や大局観は、リーダーとなる人の絶対条件である。わが国の政治や経済政策
   がいつまで経ってもうまく機能せず、社会や教育が少しずつ荒廃してゆくのは、リーダーたち
   の大局観の欠如による。』

という考えから数学者である著者・藤原正彦氏は大学で「読書ゼミ」を始めるのだが、更に読み進めてゆくと、突然に次のような文章が出てきた。

  『学生に読ませる本は私が独断で決める。初期の頃は、私自身の読みたい本を何冊か入れ
   たが、よく知られた本でもがっかりするようなことがあり、いまではすでに読んで感銘を受けた
   ものから選ぶようにしている。ここ数年の定番は、新渡戸稲造「武士道」、内村鑑三「余は
   如何にして基督信徒となりし乎」「代表的日本人」、福沢諭吉「学問のすすめ」および「福
   翁自伝」、山川菊枝「武士の女性」、宮本常一「忘れられた日本人」無着成恭編「山び
   こ学校」、日本戦没学生記念会編「きけわだつみのこえ」などである。』

まことに驚きである。読んできた2冊の古本に偶然にも連続して民俗学者【宮本常一】が登場したのである。早速ながらインターネット上のオークションから宮本常一著『忘れられた日本人』の古本を探し出し400円で落札し現在手元にある。

このように買ってきた本が、私の生活に何らか関係のある内容であったり、あるいは古本同士で繋がりを持ち、また古本の内容から次の読みたい本のヒントを貰うなど、その関連性がなかなかに面白い。今手元に未読の古本が5冊残っているが、これら古本は私に次にどんな“ご縁”を齎してくれるか楽しみである。

【了】

<TOPページへ>