【日本復活私論】 『かわさき塾』での講演 2012年11月30日(金)

11月30日(金)午後2時から武蔵小杉駅前にある「川崎市市民活動ゼンター」の会議場にて第19回〔かわさき塾〕が開催され、そこで『日本復活私論』の講演の機会を頂きました。

〔かわさき塾〕とは、「大人の知的遠足」と銘打って川崎にゆかりのある人々や題材を勉強する会として幅広く参加を呼びかけ活動を展開しているグループだそうです。

さて、私にとってこのテーマでの講演はこれで3回目になりますが、スピーチの内容は1回目「生まれ育ちとこころを学ぶサンの会」(於:世田谷ボランティアセンター)、第2回目「セールス・フォース・マネジメント研究会」(於:早稲田大学/国際会議場)での内容とほぼ同じなので、ここではスピーチの骨子を説明し、特に今回新たに挿入した部分に重点を置いて説明致しましょう。

今回の講演はタップリ2時間、そして参加者30数名という会議場超満員で年齢も30代から70代まで幅広い層ですので、話す内容にも神経を使いました。今回特に挿入した内容は〔かわさき塾〕からの要望で「江戸時代に見る日本人の気質」というテーマを加えました。

それでは私の『日本復活私論』の骨子を説明しましょう。

3・11「東日本大震災」を受け、私はある事がひらめいたのです。それはあんな大災害(Catastrophe)を受けても冷静沈着な行動を取っている被災地の人々の姿、そしてネット上で世界から膨大な量で舞い込む「ニッポン、がんばれ!」のメッセージ、そして「日本、頑張ろう!」と発信し始める私達、私はこころで「ありがとう」と叫び、涙が止まりませんでした。日本はすでに広島、長崎で被爆しているのに、何故に神は再び日本に残酷な「原発事故」を引き起こしたのか、と思いましたが、そうか!日本には素晴らしい歴史(先祖)が在ったのに、明治維新以降、欧米文化に追いつけと形振り構わずに欧米の「人間中心主義」を模倣して来てしまった為、神はそんな日本人の行動に怒りを感じ、それに気づかせようと日本に「大きなバチ」を与えたのだ。このCatastropheは私達に「日常だったことが、日常ではなくなり、また特別だったことが、特別ではなくなった。有って当たり前のことが、かけがいのないものだと感じるようになった」と気づかせてくれたのです。

更には昨年の5月ころ、私はインターネット上で「Y染色体パプログループの研究により日本人のルーツが明らかに」という記事にめぐり会いました。それによると日本人は【D系統】に属し、これは世界で極めて希な系統で日本人以外にはチベット人などに存在する特異な民俗であると知りました。その説によりますと、中国人、朝鮮人、東南アジア人、インド人は【O系統】、そして西洋人型(白色人種)は【R型】だそうです。そして【D型】から分岐した【E型】には地中海沿岸や中東に分布する人種だそうです。これで我々日本人は中国人や朝鮮人とは祖先が違い、もっと古い固有の民族だったことを知ったのです。

次に「歴史は繰り返している」ことに関して私の考えを解説しました。この世の万物(無機体/有機体/文明/文化などすべて)は【誕生―成長―成熟―衰退―終焉/死】のサイクルを繰り返していると私は考えているのです。

しかし昨今の地球上での諸問題を眺めるに、前述の「人間中心主義」は、どうやら「地球を人間がコントロールできる」という思い上がった考えであり、そろそろ欧米人もこの考えが行き詰まって来ていることに気づき始めているようです。

この「万物のサイクル」とは「終焉/死」で終りではなく、そこからまた「新しい誕生」に移り変わるという意味のサイクルなのです。そして「終焉/死」から「誕生」への転換にはそれなりに「生む苦しみ」の期間があるということです。この苦しみの期間が「今」なのだというのが、私の自論なのです。そしてこの転換の先頭を走るのが「D型民族」すなわち「日本人」であると考えています。つまりこれからの大事な考えは「地球をコントロールする」ではなく、「地球と共生する」といった考え方であり、これこそ「D型」種族の持つ特異性なのです。

「D型」の特性をあの「江戸時代」に見てみましょう。

江戸時代は「使い切り社会」とも言われていて、「下駄の歯修理屋」、「古着商」、「灰買い」、「傘の古骨買い」、「紙屑買い」、「人糞買い」などの職業が有ったのです。これと比較して現代を「使い捨て社会」といいますが、まあ、所謂欧米で始まった「大消費社会」のことです。大消費社会の問題は、大量の「ゴミ」を出すという点で、これが地球に優しくないのです。そこで江戸時代の「使い切り社会」の一例を【着物の一生】で見てみましょう。


左図のご覧の通り一切「ゴミ」を出していないのです。これこそ本当の「エコ社会」と言えましょう。

ここで私はもう一つのキーワード『森の民』に就いて解説しました。つまり「D型」種族は、そもそも自然と共生する「森の民」だと言うことです。「森の民」に関しては、これまでの講演でも何度も解説して参りましたので、ここでの解説は省きます。

さらに江戸時代にはもう一つ今からでも学ぶポイントがあるのです。それは「教育」です

幕藩体制のもと、藩は優秀な人材を輩出せねば滅びるとして「藩校」を自前で持ち、儒学、国学、医学、洋学、兵学、そして天文学など教え藩官僚を育て上げました。また町民レベルでは町の長老や浪士がボランティアで子供に教育をした「手習い所(寺小屋)」が全国に拡がりました。全国に何万もの寺小屋が有ったとも言われています。寺小屋ではまず「躾」を教え、それが出来るようになって初めて「読み書きソロバン」を教えるのです。そして武家に奉公する女子は 琴、三味線、踊りを習うのです。江戸時代は何と市民レベルまで文化度の高い生活をしていた事でしょう。従って江戸時代の識字率も都市部では80%もあったようで、世界一だったという話もあながちウソとも言えず、今の教育と比較しても雲泥の差が有るようです。現代では躾は誰がどこで教えているのでしょうか?

ちょっと悲観的な話になって来ましたが、実はこれからの社会は日本人向きの社会になると私は考えてるのです。これまでは「中央集権型社会」が幅を利かしていたのですが、インターネットが普及した社会では「権利分散型社会」が重視されるという事です。この「権利分散型」を私は「寄り合い型」と呼んでいますが、これこそ日本人が得意とする社会形態のように思うのです。

日本は欧米文化を無条件で取り入れてきたが為に抱えた諸問題(資源不足/低自給率/廃棄物処理/環境汚染/少子高齢化/教育・社会の崩壊/モラル低下/格差社会/財政赤字/政治腐敗/原発問題などなど)を今は一つひとつ他国より一足先に乗り切ろうと挑戦中なのです。なぜなら日本は小さな島国で、人口密度が高い国だけに、他国より先にこれら問題が一挙に顕著化してしまっているのです。従い他国もいずれこれら諸問題に直面した時に、それを乗り切るために日本の対応して来た仕方を学ぶのです。

この新しい(すなわち万物のサイクルの「新しい誕生」として)日本文化がいずれ世界の主流になると書いている2つの書籍の例を紹介しましょう。

(1)【2022−これから10年、活躍できる人の条件】神田昌典著 PHPビジネス新書

著者は総合ビジネス誌では「日本一のマ−ケッター」に選出された経営コンサルタントですが、この中で彼はこう言っています。(P47〜48)

『確かに言えることは―過去の歴史サイクルと同様、私たちは2015年までに【圧倒的な欠落】に気づくだろう。2015年には、私達には、何も無い事を知る事になる。いったい、何がないのか? おそらく人間の心について、そして人間の可能性について、なにも知らなかったことに、はじめて気づくのだと思う。この【圧倒的な欠落】を埋めるために、次の歴史サイクルが本格的に始まることになる。欠落を埋めてゆくために、明治維新以降は、ヨーロッパがモデルになった。終戦以降では、アメリカがモデルになった。ところが、今回の歴史の転換では、日本には全くモデルがない。
それは、なぜなら―おそらく日本がモデルになるからである。』

(2)【日本を捨てて、日本を知った】林 秀彦著 思想社

著者はテレビ・映画の脚本家で、「ただ今11人」、「若者たち」、「7人の刑事」、「鳩子の海」などのTV脚本で売れっ子脚本家とて活躍するが、日本での生活に絶望して1988年にオーストラリアの山中に閑居する。その中で、日本人はアングロサクソンが強盗団で血も涙も無い好戦的な野蛮人であることを知らないし、また南海の孤島の住民ならいざしらず、ある程度の文化文明を創造しえた民族で、窮地を知らずに歴史を歩んできた民族は日本人以外にいない、と辛口批判だが、オーストラリアの山中で何度も小津安二郎映画監督の【東京物語】を観る内に、『一を聞いて十を知る』日本人はスゴイと気づいたと言う。日本人は会話というものに99%の勘と、1%の言葉を使うスゴイ民族だと強調し、次のような文章に繋がってゆく。(P146〜147)

『少し熱を込めすぎて言えば、他の民族と比べ、多分2万年分ぐらい余計に進化した人類だ、ということである。ガイジンたちはそのことについて、まったく気づいていない。日本人の知性には、他者(人間同士だけではなく自然物を含めた相手)を自分と同じように『いつくしんでいる』成分がある。ハートだけでもなく、マインドだけでもなく、フィーリイングだけでもない、いかなる国の言葉にも置き換えることのできない「気息」のような力があり、それが言葉を無力化させ、西欧言語でいう「愛」とは全く質の異なる「情」が、波動としてお互いの心に加味され、人間のみか、花鳥風月、先祖の魂を含めた八百万の神々、つまり森羅万象との意思の疎通を完結させているのである。』

また著者は「比較愛国論」の項(P.108)で次のようにも述べている。

  『他者の干渉が無かった時代、とりわけ現在の日本が置かれて居る「生き馬の目を抜く」ようなガイジンの干渉のない時代は、欽明天皇の美しいがヒ弱な「感慨」で十全だった。いや、本当は、人間はみなかくあらねばならない。世界中の全民族が、日本人を見習わなければならない。しかし現実は違う。ガイジンらは常に血塗られた剣と、ポケットいっぱいのミサイルを誇示している。あと百年ほど先に、日本文明が世界の主流になる日まで、われわれはアチラ様の価値観に合わせなければならないのである。』

私の考えは100年も待たずに世界中が日本人の考えや行動を静かに真似する時代が到来するように思えるのです。そのD型種族の精神の根底には「人様の為に」という思想が流れているのです。つまりはこれまでの欧米文明のような「自分中心」にオサラバして、われわれ日本人は、本来の日本人気質を取り戻して生きてゆこうという考えです。

その纏めとして次の簡単に出来る2例を挙げて話を終りとしました。

(1)「森の民」だから「森」と「水」大事にしよう!

「水」の例を挙げましょう。日本は世界で「水道の水」が美味しい国の一つでしょう。水をお金で買うような生活を改めてみませんか。
風呂に入った後のお湯を一晩貯めて置き、冷たくなった翌朝に捨てませんか。
温まったお湯を皆が流せば川の水の温度が上がり、魚、植物に悪影響を与えますし、もしお湯を一晩貯めておけば、万が一夜中に巨大地震があるいは火事が襲っても防火用水として利用出来るのです。

(2)お金が無くても人に「施し」が出来るのです。早速実行しよう!

これを『無財の七施』と言うそうですが、皆さん明日からでも実行しませんか。それではその「七施」とは;

@優しいまなざしで、A和やかな顔で、そしてB暖かい言葉で人様と接しましょう。そしてC自分の体で奉仕しましょう。次が一番大事なのですが、D他人の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れる心を持ちましょう。E人に席を譲りましょう。そしてF雨、風を凌ぐところを与えましょう。


この様に日本人一人ひとりが行動を取ってゆけば、いずれ世界中が日本の真似をしてゆくと信ずるのです。これが『日本復活』の私論なのです。

以上で私の話を終わりとします。ご清聴ありがとうございました。

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