NPO『生まれ育ちとこころを学ぶサンの会』での講演

NPO『生まれ育ちとこころを学ぶサンの会』(以下「サンの会」と略す)が"大人が大人になる為の授業・日本人のアイデンティティーを探る旅"と銘打って、三軒茶屋にある世田谷ボランティアセンターを会場にして、私が【日本復活私論】をお話しする機会を頂きました。以下にその時使用したパワーポイント資料(以下「PP資料」と略す)を使って要点を解説致します。

左のPP資料<はじめに>で示すように、私のエッセイ「買いたい新著(3):【日本復活私論】」は7つの項目から構成されているのですが、今回はスピーチの後でこの【日本復活私論】をお土産として配布するので、本日のスピーチはチョット違った角度からお話して参りましょう。

そこで左のPP資料が示す「今日のお話の進行」の順番に沿ってお話して参ります。

今回お招きいただいたNPO法人の名前の中に“こころを学ぶ”という言葉が在ります。そこで私はまずは本日の本論に入る前に「こころとは?」というお話から入って行きたく思います。そしてその次に私がインターネット上で発見した記事『日本人はこんな民族らしい』というお話をして、その次に「歴史は繰り返す」というテーマで私の考え【万物のサイクル】に関して解説致します。そしてもうこれからは欧米資本主義の真似事は止めて「日本人よ、本来の“森の民”に戻ろう」という結論に到ります。そうすることで世界の国々が日本の真似をして、“自然との共生”をベースとした新しい平和な文化が地球全体に生まれて来るというのが私の考えです。

今日のお話の最後に、それを裏付ける為に「これからは日本人にピッタリの【寄り合い社会】が到来する」というお話をして締めと致します。

また、私は「人類学者」でも、「考古学者」でも、「哲学者」でも、「経済学者」でもありませんので、今日のテーマ「日本の復活」などと大それたお話が皆様の前で出来る立場では無いのですが、実は3・11【東日本大震災】の後で“ひらめいた”ことがありましたので、今日はそれを皆様の前で話させて頂いて、皆様と一緒になって「日本の将来はどんなものか?」を考える機会にしたいと思います。従いまして後で皆様からご質問を受けても、専門的な研究者のような回答は出来ないことを始めにお断りして置かねばなりません。

そんな前提で、気軽な気持ちでお聞き下さい。

さて「こころ」に就いてお話する前に、今日お集まりの皆さんが、それぞれのこころに触れて頂くためにこれから動画をご覧頂きます。この動画はあの3・11の出来事の直後にYouTube上で流れていたものなのです。

すでに3・11から1年が経ち、私達のこころの中ではあの恐ろしさが薄れかかっています。人間は怖いもの、辛いもの、嫌なものには蓋をしてしまおうという欲望があり、やむを得ないのでしょうが、3・11は人ごとでは無く、私達すべての人々への「警告」なのですから今日はもう一度しっかりとあの出来事をご自分の目で確かめて頂きます。

さて、これから10分ほどの動画を見て頂くのですが、その前に2011年3月11日 あの午後2時46分、あなたは、どこで、何をされていましたか? そしてあの瞬間、何を思い、そしてどんな行動を取りましたか? 静かに思い起こしてください。

思い出せましたら、左のプレイボタンをクリック下さい。

(尚、この動画はYouTube上で流れていたものを繋いで編集したものです。)

いかがでしたか? そして今皆さん一人ひとり、それぞれが同じ出来事に対して違った「こころ」をお持ちです。

それでは「こころ」に就いて私の考えを説明致しましょう。
(以下は私のエッセイ『日本復活私論』より抜粋したのもです。)

実は「こころ」の研究はまだ浅いのです。未だ心身医学においても“心の定義”が確立されていないと言います。そんな訳ですから、これから「こころとは?」に関してお話を進めて参りますが、これは私の考えであって正しいかどうかは分かりません。誰も分からない訳ですが。

「脳」に関しては昔から大変に関心が高く研究されて来ており、医学的にも脳の詳細が解明されています。「脳」と「心」との大きな違いは、“脳は見える”が“心は見えない”ところにあるようです。「心」は形も無く、生まれたり消えたりしており、また私の自説ですが、時に体から外に浮遊すると考えており、つまり掴みどころが無いものと言うことで、研究対象として大変に難しかったのでしょう。「近代科学」は「唯物主義」に立脚しており、“目に見えないものは信じない”という原則に従っています。従い「心」は「脳という物質の産物」であると定義して来たそうです。(唯物的一元論)

一方「心」と「脳」は同質のものではないという理論も有ったのですが、この理論(心身二元論)に立つと不都合があるので伏せて来ていたのかも知れません。もし、“「心」は「脳」から離れて存在する”ということにすると、従来から言われている「霊魂の世界」、そして死後も自我の存在を認める「宗教」の考えに触れてしまうので避けてきたのではないでしょうか。

しかし20世紀に入ると医学の中でも「心身二元論」が見直されて「心理学的精神医学」が生まれ、「唯物一元論」に立った「脳精神医学」と並行して研究され始めたそうです。

さて「こころ」は体のどこに有るのでしょうか?

「心」は掴みどころが無いと上述しましたが、目に見えない「心」は何処にあるのでしょうか。あるときには「胸」に、そしてあるときには「腹」に、そしてまたあるときには「体の外」にあるのではないでしょうか。

悲しいとき胸が締め付けられ、感動したとき胸が高鳴っています。祈るときには手を胸に当てがいます。心を落ち着かせるときは腹式呼吸をし、黙想するときは、両手を腹部で合わせ組むのです。腹黒いヤツには腹が立って「胸に手を当ててよく考えろ!」と叫びます。「体の外」とはあの「放心状態」の時です。

あいつの行動が頭に来て「ふざけるな!」と叫んだとき、叫んでいる行動は「心」、そしてアドレナリンを多く排出しているのが「脳」の行動だそうです。

つまり「心」とは「意識」であり、「感情」「気持ち」であり、「行動」です。
そして『言葉は信じられないケースが多いが、行動をジ〜ット見ていれば、その人の“こころ”が分かる』とよく言われます。

さて上のPP資料をご覧下さい。これは3・11の15日後の東京新聞の夕刊記事です。
写真は渋谷駅前の交差点の姿ですが、節電の為にネオンサインが消え、真っ暗で相手の顔が見えない雑踏の中でこの記者が買い物に来ていた主婦に「身の回りで最も変ったことは?」と問い掛けますと、「私達のこころでは-‐」とつぶやいていたそうです。

それでは次に「日本民族の特異性」に就いてお話しましょう。

私は日本人とは特異な民族なのではないかと考えていました。子供の頃学校で、日本人は「モンゴロイド系」の黄色人種で、東ユーラシア人の分類に属し、数億年前に日本の島が北は樺太付近で、南は朝鮮半島のところでユーラシア大陸と繋がっていた頃に、そこを通って入ってきた民族が源で、1億年以上前に氷河期が終わって海水の水位が高まると、日本列島が大陸から離れ、北ルートと南ルートで入った種族が混ざって今の日本人のルーツとなっていると教わりました。とすれば我ら日本人は数億年前に遡れば、隣の中国、朝鮮やロシアと同系統の人種ということになるが、本当なのでしょうか。

ところが、ある日この私のスッキリしない疑問点を払拭してくれたインターネット記事にめぐり逢ったのです。それは『Y染色体ハプログループの研究により日本人のルーツが明らかに』と言った内容の記事でした。その説明によれば、Y染色体とは男性の性染色体で、それを調べて行くことで父親のルーツを辿る訳です。

Y染色体の研究結果によれば、日本人はD系統に属し、そのD系統は現在世界で極めて稀な系統で、日本人が最大集積地点として希少な血を高頻度で受け継いでいるという。このD系統で日本人以外では、遠く西に離れたチベット人などに存在するだけらしい。この背景には両者を分断するように広大な地域にアジア系O系統が広く流入し、島国の日本や山岳のチベットにのみD系統が残ったらしい。Y染色体を調べると、中国人や朝鮮人、東南アジア人、インド人はO系統に属し日本人とは全く違う系統と言う事になります。

上の分布資料をご覧下さい。このY染色体には大きく分けてAからRまでの18種あるという。Aは人類発祥の地アフリカの「黒人種族」でこのAから時を経ながらこのように分岐・進化して来ているという。

この分岐・進化の様子をみても日本人(D系統)は何と異質で独立系であることが伺えます。これが日本人のルーツに関して私の気持ちをスッキリさせてくれた理由であり「日本人は特異な民族」である証と意を強くしました。そして中国人や東南アジア人は何度も分岐を重ねた結果の「O系統」であり、更に分岐を重ねた最新のR型が「西洋人型(白色種型)」なのです。そしてD系統と分岐したE系統は地中海沿岸や中東に広く分布する人種で我々と近い仲間であり、それぞれ非常に古い系統であると言う。

日本人は何と古い固有の民族であったかがお分かり頂けましょう。

次に、この復活私論の根底に在る考え【万物のサイクル】に就いての説明をしましょう。

私は、世の中にあるすべてのもの、生き物(有機体)、非生命(無機体)、文明、社会などすべてのものが【誕生→成長→成熟→衰退→死/終焉】のサイクルを繰り返していると思っています。そしてそのサイクルにはその対象物によって数億〜数十億年の周期、数千年周期、何百年周期、何十年周期と、その周期の長さは多種あるわけですが、それらの周期がすべて何らかの形でお互いに関係しているのです。

「生き物」の周期に就いては誰もが周知のことでありここで述べる必要も無いでしょう。人間も一人ひとりその周期を繰り返しているのです。

「非生命」(つまり無機体)となれば「鉱物」などがその例ですが、それで出来上がっている「地球」ですら、誕生が46億年前で、地球生命は太陽次第なのですが、あと26億年は大丈夫といっている点からも無機体もそれぞれで周期を持っている事が納得出来ましょう。そして地球が生きている以上、地球上の自然環境も億年周期で繰り返していると信じます。例えば太陽上の黒点の量により地球上の気象に影響が出るといわれているがこれにも周期説があります。

「文明」に就いてはどうでしょう。世界史の教科書に出てくる「世界四大文明」の例で説明しましょう。紀元前3500年頃、大河に沿って生まれた「メソポタミア」、「エジプト」、「インド」、「中国」の四文明はその後滅亡し、少なくとも、チグリス・ユーフラテス川や、ナイル川、インダス川、そして黄河に沿って今はもう巨大都市は残っていません。この滅亡の原因は地球上の気候変動と言われています。この辺は安田喜憲著『人類破滅の選択』(1990年6月発行 学習研究社)に詳しい。この著の中で面白いのは、遺跡の地下深くの地層分析をした結果、『旧約聖書』の「創世記」に書かれている「ノアの大洪水伝説」は紀元前2900~2800年に実際にあった大洪水であり、メソポタミアに最初の統一王朝を形成したシュメール人によってか書かれたもので、その後バビロニアからヘブライ人を通して『旧約聖書』まで語り継がれたものと分析しています。そして地球の気候変動により大洪水は数千年周期で繰り返されていたと言います。今、タイ国を襲っている大洪水は洪水周期から見てその予兆ではないのか、と不吉な考えが頭をよぎりました。

「文化」に関しても、その栄枯盛衰は学校で習う「歴史」の教科書にも書かれています。つまり日本の歴史上、【古代】の白鳳文化(7世紀)から、天平文化(8世紀)、唐風文化(9世紀)、国風文化(10世紀)を経て、【中世】は鎌倉文化(12世紀)、室町文化(14世紀)、そして【近世】に入り桃山文化(16世紀)や江戸文化(18世紀)が栄え、【近代】を迎えて明治時代に栄えた近代文化や大正文化を経て【現代】に入って戦後文化の中で我々は生活している訳です。つまりは時代時代にそれぞれ特徴を持った文化が百年〜数百年単位の周期で“誕生から繁栄を経て終焉”と質を変えて繰り返して来たことになります。

つまり周期をもって歴史も繰り返しているという考えに立つと、「時間」軸上での「今=現在」は、地球生命の壮年期に位置し、地球環境は21世紀に入って大気中の温室効果ガス濃度の人為的な増加により急激な「地球温暖化現象」を引き起こしており予断を許さない状態です。そして【欲望の奴隷】と化した「人間中心主義」の「近代文明」は行き詰まり状態の衰退期に入り、日本の戦後文化も道徳心の薄れた「享楽文化」の真っ只中にあると言えましょう。

つまりは文明も文化も周期を持つとすれば、現在は「衰退から死/終焉」のタイミングを迎えているのです。もし世の万物が周期を持て繰り返しているとするなら、今回の東北を襲った大災を契機に日本人がこころを有るべき姿に変えて行けば、いよいよ次の新しい文明の起こりと、それに沿った新しい文化が日本を中心に生まれて来るのではと「ひらめき」を感じたのです。

ここで新書をご紹介しましょう。

3・11から暫く経って、日本のマーケッターとして活躍中の神田昌典氏がダイヤモンド社のビジネス情報サイト『オンライン』でインタビューを受けた記事に遭遇しました。この記事の掲載日は2011年4月4日でしたから東日本大震災からわずか3週間後だったのです。その時に彼は「3・11により価値観が一変しました。従い日本人が正しい振る舞いを見せた時、我々のあり方が世界中の経済活動の模範とされていくに違いない。奇蹟の復興の10年となる」と主張していました。彼はその後構想を纏め上げ、今年2月にPHP社から『2022−これから10年、活躍できる人の条件』という新書を発刊しました。
上のPP資料をご覧下さい。その中で印象的な文章の一部分を抜き出してあります。私の「万物のサイクル」での「終焉/死」の局面を、彼は「欠落」という表現を使っていますが、同じ時期に同じような事を考えていた人が居たと思うと嬉しくなって来ます。

さて、『誕生→成長→成熟→衰退→死/終焉』のサイクルを繰り返していると言いましたが、「死/終焉」から「誕生」への移行が一瞬にしてガラリと変るものでは無く、その移行にはむしろ「生む苦しみ」がありそれ相応の時間が必要となります。

この日本のおかしさは「ただただ欧米の文化に憧れて真似してきた生活や教育」に原因が有ると言いましたが、現在の日本人口の8割以上が終戦後の日本人の本質からかけ離れた【欧米型人間中心主義】をベースとした教育を受けて来たのですから、簡単には生活を変える事など出来ません。それを本来有るべき姿に変えて行くには日本人一人ひとりの考えや価値観が変らねばならず、その為には幼児からの教育が根底から変らねばなりません。そしてその幼児たちが社会人となり子の親となれば、やっと“国が変れる地盤”が整ったことになるのでしょう。

しかし昨今その変化の予兆が教育の世界にも少しずつだが現れて来ているように思います。

ある日、私は中学生用『新しい【歴史】教科書』(自由社)を読む機会がありました。私の時代の歴史教科書のように、単に歴史上の出来事を年代順に並べているのとは違い、それぞれの時代の出来事に繋がりを持たせ、それぞれの時代の日本の生き様と、日本人としてのすばらしさを実感させる構成になっています。つまり「新しい教科書」は「日本人として日本に生まれて良かった」と感じるような内容構成であり、これからの教育の世界に小さな変化の予兆を感じたのです。このようにして少しずつでも教育の内容が変りながら、いずれ“国が変れる地盤”が整った時に、現在のアメリカが作った「日本国憲法」から日本人の手で日本国に合った「憲法」を創ることが出来るのでしょう。

こうした経緯を経て新しいサイクルの「誕生」から「成長」への時代に入って行くのだと思うのです。この『新しい歴史教科書(中学用)』の中の<歴史を学ぶとは>で書かれている内容の骨子を書き出したものが上のPP資料です。

さて、それではどのようにして日本を中心とした新しい文化、文明が生まれて来るのでしょうか。

他の動植物とは違い、人間はこの「こころ」を持ってしまったばっかりに、欲望の為すがまま人間中心の「科学」「物理学」などの学問を作り上げそして進化を続け、それと共に【自然(じねん)】から外れて行ってしまったのではないでしょうか。ここでの自然(じねん)とは山・川の「自然(しぜん)」の意ではなく、仏教世界の「自から然り」という意味で、「人としての道理」を指しています。つまりは自然に逆らって創り上げたものはその裏には罪が横たわっていると言う事です。しかし「こころ」を持ってしまった人間は、未知なものは知りたいという欲望に駆られ、欲しいものは必ず手に入れようと努め、楽になろうとして文明を開化させて来たが、それらはすべて自然(じねん)からは外れているのです。人間の都合のいいように作った「時間」の概念も、「数学」も「科学」もすべて地球に対しては逆らった「業」なのでしょう。

それでも昔は「文明」は大地と人間の係わり合いの中での誕生し、発展してきたのですが、18世紀イギリスを中心に起きた「産業革命」以降の「近代文明」は「大地」を忘れ去り、大地が醸し出す「風土性」を無視して、資本主義の下、完全に【欲望の奴隷】と化してしまったのです。つまりは人間中心の考えで、「自分さえ良ければ」という価値観です。これを【欧米型人間中心主義】と言います。その欧米人は「ハプログループの系統図」でも分かったように「Y染色体による種族分析」ではR型に属し、地球環境の厳しさに直面しながら進化に進化を重ねた間にいつの間にか「地球をコントロールする」という概念が遺伝子の中に埋め込まれて行ったのでしょうか。

それでは、「森の民」に戻るにはどうすればよいのでしょうか。

日本人は太古の時代から森の中で生まれ育って来ました。森はこんもりと木々に覆われブナやドングリ、クルミなど食料にも恵まれ、綺麗な清水が湧き出ており、そんな森も「誕生」から「死/終焉」までのサイクルを繰り返しながら絶えず変化しており(諸行無常)、それに逆らう事無くそこにあるがままに従って(自然=じねん)、生活を営んでゆくのが「森の民」の精神です。今回の「東日本大震災」によって、まだ日本人の「こころ」にはこの精神が残っていることを知らされました。つまり「がんばろう!日本」の精神です。これは自分中心の言葉ではなくて、相手を慮って発せられたシグナルではないでしょうか。そして自己中心の国々の人々から「がんばれ!日本。あなた達はひとりじゃあ無い」と言ってきてくれたのは、Y染色体分析によるD型民族の魅力(冷静沈着)が認められたからだと確信します。

具体的に我々はどう「行動」すればよいのでしょうか。それは日本人が持つ本来の気質「ひとさまの為に」をモットーに行動を取ればいいのです。欧米文明のように「自分がよければいい」という理念は結局「欲望の坩堝」に嵌り、行き着く所は甚だしい格差社会であり、日本人にはそもそもその気質は合わないので、結局は「こころ」満たされず幸福感に浸れないで来たのだと思います。

実は日本にだけある日本固有の宗教があります。それは「神道(しんとう)」といい日本古代から生まれていた宗教で「人としての道」を説いていますが、明確な「教義」や「経典」が有る訳ではないので、古代から延々と日本人の「こころ」の中に生きてきたと言えます。

これは森羅万象に(つまり気象や地理地形にも)「神」が宿っているという考えで(八百万の神信仰)、我身を包むありとあらゆるものに神が宿っているのだから、それらと一緒に生きてゆこう(共生)という考えなのです。日本人は誰もがこの考えのDNAをこころの中に持っているということです。この「神道」の精神は地縁、血縁などの共同体(部族や村など)を守る信仰とも言え、時間軸で「過去」での「ご先祖」を大事にして、そして「現在」では欲望の坩堝に嵌らぬように「少欲知足」の精神を貫き、そして「未来」に対しては、

子供や孫の世代に負の遺産を残さないような行動を取るよう心がけて行けば、それが「人様の為に生きている」という結果になるのです。

この考えと行動は、自分の「幸福感」に繋がり、現在の世の中が「死/終焉」の局面にあるとすれば、これから少しずつ新たな「誕生」の局面に向って行くはずです。きっと40~50年先にはこの道先案内人が「日本人」だと言うのが私の結論、「日本復活私論」なのであります。

そしてこれからは日本人にピッタリ型の社会が到来するのだ、というポイントを解説しましょう。左のPP資料をご覧下さい。これまでは「中央集権型社会」で日本航空、東京電力、日立、ソニー、NTTなどなど巨大企業を中心に経済が廻っていたのですが、これからはインターネットの益々の普及により「権限分散型社会」が到来するということです。この権限分散型を私は「寄り合い型」と表現しており、これはまさしく日本人のこころの中に持っている本質なのです。
従来の「親分子分型」(中央集権型)から「寄り合い型」(権限分散型)になる一例を「東電が消えて行くかも?」のケースで説明しましょう。

左の図は東電が各家庭に電気を配電している姿です。経営も電気料金も何もかもが東電のやるがままです。右の図は各家庭が発電する姿です。風の強い所なら「風力発電」、太陽が燦燦と照りつける地域なら「太陽光発電」、そして温泉地帯なら「地熱発電」などと家の立地条件に合わせて各家が発電します。そして各家が「蓄電池」を持っていて電気が余れば蓄電しておき、近所に電力不足の家があれば、お互いに配電し合うシステムです。

つまりこれが本当の「寄り合い・助け合い型」と言えましょう。東電が絡んだ「スマートグリッド」が騒がれていますが、右図のように各家がスマートにやりこなしている姿が本当の「スマートグリッド方式」と言えますね。

尚、「中央集権型」と「権限分散型」の詳細、及び書籍『ヒトデはクモよりなぜ強い』に関しては、ここでの解説は省略し、ご興味のある方は私のHP上の<スピーチ>欄の早稲田大学「SFM研究会」講演【遂にこころの時代到来か】(2011年5月)をお読み下さい。

以上で私のスピーチを終わります。ご清聴ありがとうございました。

<完>

<<追記>>

この講演後、参加者の皆様から感想のメールを頂きましたので、その内からいくつかのメールを紹介させて頂きます。

@ HD様

宮原様、今日は、貴重なお話をお伺いし、日本人である自分を再確認を致しました。

もっともっとお話をお伺いしたかったです。そして、一人でも意識をされましたら、良き環境、良き社会に繋がっていくのでしょうね。本当に今日は有難うございました。大人の授業始まったばかりです。どうぞ宜しくお願い致します。これからもどうぞご指導の程宜しくお願い致します。

A HY様

大変良いお話をお聞きし大変参考になりました。

もっと時間を取っていろいろお話しできる場があるといいですね。

昨日いただいた資料の「Y染色ハプログループ」を求職者支援訓練などで日本人としての誇りを持たせるために使ってみたいと思います。私のPower Pointの一部として添付のように整理してみました。間違っているところがありましたらご指摘願います。

今後ともよろしくご指導願います。

B TM様

宮原 一敏さま、こんばんは、お疲れ様でした、久しぶり宮原さんの講演聞きましたが判りやすいですね。良く調べられ、オリジナルな内容なので興味を惹きます。また、お願いしますので、ネタ考えておいて下さい。

C TG様

宮原一敏様 ピーマン農家のTGです。先日は、講演ご苦労様でした。

何か世界がおかしいという思いは、私にもあります。では、どうするかと考え、家族の関わりから見直していかなければならないと考えています。

そんな中で先生のお話を伺いまして また別の見方を出来ました。

今後とも宜しくご指導お願いします。

<了>

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