第13回 『文京を歩くかい』 <目白台地、小日向・小石川台地の坂を巡る>

6月7日の企画が梅雨の大雨に遭遇し残念ながら中止となりましたが、多くの方々から「折角だから季節が良くなったらやりましょうよ」とのご希望があり、「それでは、再現しよう」ということで、10月4日に実施致しました。

何と天気は最高の秋晴れで、暑さを感じるほどでした。今回の参加者は14名(男子10、女子4)で地下鉄・有楽町線「護国寺」駅に午前10時集合でしたが、びっくりハプニングでのスタートでした。何と“坂の博士”と言われる松本崇男氏が坂のガイドをしながら歩く計画でしたが、集合時間が過ぎても来られないので、本人に連絡を取ると何と本人が電話口に出るではありませんか。それから急いで家を出たとしても、合流するには2時間近く掛かろうと、我々は予定のコースを歩き途中からジョインしてもらう事にしました。しかし私は全く道順と坂の謂れの予習などして来ませんでしたので、初っ端から皆さんで坂道を探しながらし歩を進めました。

今回歩いた行程は、午前中が「目白台地に有る坂」で大地の中央には「護国寺」があり、また午後歩くのは「小日向・小石川台地に掛かる坂」で、この大地には「伝通院」があります。今回の行程を江戸の「切絵図」上でも見てみましょう。

<江戸切絵図 @ 目白台地と「護国寺」>
切絵図上で「スタート」地点を中央右上部分にピンク色で示しました。ここからスタートし午前中の道順を“赤の矢印”で示しました。図上のスタート地点から音羽大通りを南に下り、江戸時代の「音羽町五丁目」から右に折れて【鉄砲坂】(図上の1番)を上り、そして【鳥尾坂】(2番)を下ってまた音羽の大通りに出て江戸時代の「音羽町七丁目」でまた右に入り【七丁目坂】(3番)を上るといった具合に、坂を上り下りしてジグザクに歩くのですから堪ったものではありません。それから目白通りに出て【目白坂】(5番)を下り江戸川橋交差点に出て「江戸川公園」を神田川に沿って歩きます。神田上水の水取り入れ口「大洗堰跡」を通り過ぎ、駒塚橋の所の角に「水神社」が現れ、そこを右折すると右に「芭蕉庵」、皆さんでその庭園の池の周りをぐるりと一周し、庵を出るとそこが急な上り道【胸突坂】(6番)、そこを上りきって一旦目白通りに出て「目白台運動公園」の縁に沿って左折すると、道は細くなり木々が太陽光を遮って薄暗くしている【幽霊坂】(7番)を下ります。ここで第1発目の集合写真を撮りました。ここを下り切るとそこが「新江戸川公園」で、入園が無料なのでここでもグルリと園内散策を楽しみ2発目の集合写真。
<幽霊坂の下り 本当に幽霊が出そう?>
<新江戸川公園内の散策>
そこから豊川稲荷に出て【豊坂】(9番)を上り再び目白通りに出て【小布施坂】(10番)を下って次は【日無坂(富士見坂)】を上ります。この辺で足元がふら付く人が出始めた様です。坂の上から後ろを振り返ると新宿の高層ビル群が立ち並び富士山を眺めるのには邪魔になるでしょう。富士見坂を上り切るとそこは目白通りに不忍通りが突き当たる交差点ですが、そこを江戸川橋方向に戻るように100mも歩くと「成瀬記念館」があり、そこの手前を左折しますと緩やかな下りになりますが、ここが幽霊など全く想像できない明るい坂で【幽霊坂】(12番)と言いますが、すぐに太い不忍通りに出ます。この付近の不忍通りは緩やかな下りで【瀬戸坂】(13番)といい、「護国寺」に向かう道ですが、その途中で右折して【薬缶坂】(14番)を上ります。ここを曲がり掛けた時に今回のガイド役の松本氏から携帯電話で「護国寺駅に着いた」との連絡が入り、早速そこからジョイン頂きガイドをお願いしました。この時に松本氏が用意してくれた、江戸「切絵図」資料を皆さんに配布、大変に貴重な資料であり、江戸時代の歴史とリンクさせながらのウォーキングは更に楽しくさせてくれて、感謝、感謝です。ここにも添付させて貰っている「切絵図」はその時に配布されたものです。そして【三丁目坂】を下ると江戸時代の「音羽町三丁目」のところに出て左折して昼食処「喜来福食館」に12時20分到着、皆さん「ホット!」されている様子でした。
<富士見坂上り この辺で疲れ気味?>
<中華飯店でお昼・楽しそうな女性軍>
午後は1時30分にスタート、最初に「護国寺・仁王門」を潜って本堂へ。午後のルートは上の「切絵図」の中で“黒色の矢印”で示しました。「護国寺」を出て音羽通りを南に下り江戸時代の「音羽町六丁目」付近で左に入る【ねずみ坂】(18番)を上ります。途中から右に折れ、緩やかに【八幡坂】(19番)を下り突き当たって右に折れて【鷺坂】(20番)を下ると「巻石通り」に出ます。ここは「神田上水」を暗渠にして道にしたのでクネクネと曲がっているが、最初の信号交差点を左に折れ【大日坂】(21番)を上ります。
<午後:鼠坂の急な上り>
<石塀に囲まれた鷺坂にて>
<江戸切絵図 A 小日向・小石川台地と「伝通院」>
ここからは2つ目の上の「切絵図」をご覧頂きながら文章を読んでください。

切絵図の左下の黒矢印から、道の突き当たりを左に【服部坂】(22番)を下ってすぐの「小日向神社」前を左に【横町坂】(23番)を下ります。突き当たって左に今度は【薬缶坂】(24番)を上ります。今日の坂巡りでは2つ目の“薬缶坂”になりますが、この付近に野狐が出た事より、昔は野狐を「やかん」と言っていた事より名付いたと言われます。ここからクネクネと細道を「切支丹屋敷跡」に向かいます。この後【切支丹坂】(26番)を下り地下鉄・丸の内線の下のトンネルを潜ります。この付近が小日向台地と小石川台地との間の“茗荷谷”に当たります。ここから【庚申坂】(27番)の急坂を上って「春日通り」に出ます。しばらく春日通りを後楽園方向に歩き、左に小石川郵便局を通過して最初の左に入る道が【新坂】(28番)となりそこを下ります。途中「徳川慶喜終焉の地」を通過して、再び「巻石通り」に出て「小日向金剛寺」の角を左に入ります。この坂が【金剛寺坂】(30番)で途中右に折れて「永井荷風生育地」の前を通過し【安藤坂】(32番)に出てきます。この安藤坂を左に上がり春日通りを渡って真っ直ぐ突っ切ると「伝通院」に到着。ここで久々に20分ほどの休憩を取りました。ここから「沢蔵司稲荷」を通過して【善光寺坂】を下り小石川柳町に出てすぐにUターンするように【六角坂】(36番)を上ります。この辺は小石川台地の縁を歩いていますが、暫くして【堀坂】(38番)の急坂を下ります。その真下に「こんにゃく閻魔」があります。この地は地下鉄「春日駅」や「後楽園駅」に近いので、ここを一応解散地としました。

<伝通院・於大の方(家康の母)墓前にて>
<堀坂にて松本さんの解説を真剣に>
この後は懇親会に参加される方々が歩きを続けました。まずは春日の「文京シビックセンター」の前に出て【富坂】(39番)を右に上り、上ったところで中央大学理工学部の裏を左折して「北野神社(牛天神)」向かいます。北野神社の裏の【牛坂】(41番)を下りて、本日の坂巡りは終了です。

歩いた坂の総数は34箇所でした。皆さん一目散に打ち上げ式会場、水道橋の居酒屋に向かいました。本日の総距離はおよそ15kmでしたが、懇親会で述べられた、皆さんの感想は「道のアップダウンが激しくて、いつもより厳しかった」という印象だったようです。

それにしても、切絵図からみてもお分かりのように、殆どの道と坂は江戸時代のものから変わっていないことを今日のウォーキングから再認識する事が出来たのです。打ち上げ懇親会も半ばを過ぎたころ、飛び入りで駆けつけてくれた会員も居て、大変に嬉しく和気藹々の中で、あっという間に時間も経ち、解散は午後8時過ぎとなりました。本当に長い1日、苦労様でした。

それでは、皆様 来年の春にまたお会いいたしましょう。    <了>

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