第14回 『文京を歩くかい』<石神井川沿いを歩き旧中仙道を下ろう>

10月の最終日31日(土)午後1時JR王子駅からのスタート。今回からは歳相応にガツガツ歩くのは止めにして、歩きながら途中史跡を訪ねながらのんびり行こうという企画が皆さんに受けたのか私の予想より多い16名の参加を頂きました。今回のスペシャル企画は、途中「板橋・仲宿」から「近藤勇の墓」の区間を「いたばし観光セン
ター」のボランティア・ガイドをお願いしていた事です。さあ午後1時いよいよJR王子駅・音無親水公園口からの出発です。まずはすぐそばの山上にある「王子神社」に上がりそこで今日1日の無事を祈願して、石神井川に沿って歩き出します。この辺は眺めが素晴らしく「音無川」とも呼ばれていましたが昭和30年に河川工事が行われ、水路を変更しましたが、この付近を景勝の地として残そうと「音無親水公園」が造られたとの事です。この渓谷の一角で最初の集合写真を撮りました。(上の写真)

しばらく川を上りますと「紅葉橋」に出ます。この付近には「もみじ」が綺麗で、橋の袂に「金剛寺」があり別名「紅葉寺」と呼ばれ、「弘法大師」がここに立ち寄った際に「不動明王像」(弁財天)を彫り、石の上に安置したと言われ、これがこの寺のご本尊となり、12世紀には「源頼朝」が伊豆で挙兵し、石橋山の合戦で敗れ「安房(あわ)」に逃れたが、「上総(かずさ)」「下総(しもおさ)」を経て「隅田川」から「板橋」を通り、「府中・六所明神」を経て「鎌倉」に入って政権を樹立したという。この行程の途中1180年10月 この「金剛寺」に立ち寄って弁財天に祈願し「弁天堂」を建立し、所領の田畑を寄進したと伝えれれている由緒あるお寺のようです。

またしばらく川に沿って歩くと次は「観音橋」に出ます。その脇には大きな観音がニョッキと現れビックリします。(左の写真) これが「谷津大観音」だそうです。その右奥にある寺が「寿徳寺」で「近藤勇」の菩提寺だそうです。

さらに石神井川を上って行くと次に「金沢橋」で出ます。この辺一帯は加賀百万石・前田藩の下屋敷の敷地で徳川四代将軍「家綱」から6万坪が与えられたのが始まりで、その後何回かの替地拝領を経て、最終的には22万坪という広大な敷地となり「兼六公園」の約7倍の広さだったと言われます。この下屋敷は前田家の参勤交代途中の休息、着替え、狩猟、散策、などに利用されていたそうです。

スタートして約1時間後、「板橋・仲宿」に到着、そこにはボランティア・ガイドの方4名が待っていてくれました。いよいよガイドの始まりです。まずは「板橋」についての説明です。そもそもは平安時代に板張りの橋が有ったらしく、それが語源となっているそうで、江戸時代には中山道の日本橋から2里の地点であり、
旅の起点・終点としての宿場町として賑わっていたという。石神井川に掛かった板橋の北側、つまり京都に近いので「上宿」、板橋の南側が「仲宿」、そして王子新道から先を「平尾宿」と呼び南北に長い宿場町だったと言う。江戸時代の街道に沿って「江戸四宿」が在ったが、それは東海道の「品川宿」、甲州街道の「内藤新宿」、中山道の「板橋宿」、および奥州街道「千住宿」を言うのだが、その規模の大きさでは、千住/品川/内藤新宿/板橋の順で一番小さかったようで以外に思いました。しかし「飯盛女」の数は多かったそうで明治時代以降は「板橋遊郭」へと変貌していったそうです。
この宿場町の中を、ボランティア・ガイドの方は「仲宿脇本陣跡」→「文殊院」→「板橋本陣跡」→「遍照寺」→「平尾宿脇本陣跡」→「観明寺」→「東光寺」と順々に解説頂きましたが、その後でハプニングが起きました。国道17号線を横切ったと
ころに今回参加頂いているO氏のオフィスが有るのですが、その隣の「喫茶店」が丁度オープンの前日に当たりO氏のアレンジにより特別にそこで我々にコーヒーのご接待を受けたのです。(上の写真)丁度一休みには最高のタイミングで、大変に美味しいコーヒーをガイドの方ともに一緒に楽しむことが出来たのです。(上の写真)
さてコーヒーブレイクの後、暫く商店街を行くと次はJR板橋駅の前にある「近藤勇の墓」に到着します。(右の写真) 近藤勇といえば、江戸末期、欧米が支配領域を拡大すべく東アジアの植民地化に邁進している時代に、日本では「尊王攘夷」思想が高まり「公武合体」を実現すべく近藤勇は京都に乗り込むのだが、薩摩藩や長州藩などとの抗争や内部分裂を重ねて、遂には15代将軍・徳川慶喜による「大政奉還」が行われ、近藤勇は江戸に逃げるようにして戻り、その後も新政府軍に追われ流山で捕縛され即「板橋刑場」で梟首(きょうしゅ)されたのです。この悲劇の主人公を同士の永倉新八が
刑場の近場に墓所を建立したが、その地が先ほど通過した谷津大観音のそばの「寿徳寺」の境外墓地だったのだそうです。何かこの墓地に来ると異様な霊気を感じたのは私だけでしょうか。

ここでボランティアガイドの方々とは別れです。本当に親切にわかり易く史跡を説明頂き感謝で一杯です。すでに午後4時を過ぎており、秋の日はつるべ落としのように陰り始めていました。この後は唯ひたすら巣鴨のお地蔵さんを目指しました。「とげぬき地蔵」に着いたのは予定どおり午後5時、宴会場「熟成焼鳥・居酒屋『かまどか』」の暖簾をくぐった時には皆さんの顔はほころんでいました。

2時間のパーティー後、いつものように近所の「カラオケ屋」に飛び込み、足の使い込みの次は喉を大いに使い込んでいたので、皆さんまだまだお若い!この館を出たのは午後9時を回っておりました。(下の写真)

本当にお疲れさまでした。 来年もよろしく!!  (2015年11月22日 記)

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