第18回『文京を歩くかい』 <小石川七福神を訪ねて>
10月10日の火曜日の開催でした。これまで17回開催されていましたが、殆どが「土曜日」開催で2回ほど「日曜」が有りましたが。なぜ今回初めてのウィークデーの開催となったのか?これには訳が在ったのです。前回7月16日(日)開催時の懇親会の席で神楽坂でライブハウスを運営している中村正美氏が居たことから「よし、次回は歩いた後でジャズライブを企画しよう」と提案が出されて皆さんが酔った勢いで「大賛成!」ということになったのです。ライブハウスを貸し切るには金額の関係でウィークデーでなければ無理のようです。金額の関係と申しますのは、場所を貸し切り、ドリンク2杯+軽食をつけて、参加費を5000円で抑えようとするとウィークデーでなければ実施が不可能なのです。そして最低でも30〜40人集めねばなりません。 ところが、暫くたって会員の方々から、「汗をかいた後でジャズを聴くのはしっくりこない」との意見が聞こえて来て、また考えてみれば、ジャズライブは午後7時半ころからの開始が普通で、ウォーキングは夕方5時ころには終えてしまいますのでその間の時間をどうやって過ごすのか、と言った問題が有ることに気づき、今回はジャズライブを諦めて従来のようにウォーキング+懇親会の形での開催と決めました。前置きが長くなりました。今回もドタキャンが3名ほど居られましたが総勢17名の参加で懇親会のみ参加が2名居られまして、いつも多くの参加を頂き本当に嬉しく思っております。 |
さて今回は「小石川七福神巡り」です。今回も「文京まち案内」ガイドをお願いして、文京の歴史を勉強しながら歩きました。スタートはJR水道橋駅東口から白山通りに沿って神田川を渡り交差点を突っ切るとそこに「藤田東湖御母致命地」があります。この辺は水戸藩の上屋敷があったところで東湖は水戸藩主でしたのでここに母と一緒に住んでいたのですが、安政2年(1855)に「安政の大地震」がおこり、屋敷から母と一緒に外に避難したのですが、火鉢の火が気になると母は屋内に戻ったのを見て東湖は後を追ったのですが、崩れ落ちる鴨居で下敷きになりそうな母を助けて自分が鴨居の下敷きとなってしまい、何とか脱出しようと頑張ったそうですが、ついに力尽きて圧死してしまったそうです。この地は明治になって「東京砲兵工廠」になり我が国最大の官営兵器工場となりました。そして昭和12年「後楽園スタジアム」や「遊園地」が作られ現在に至っています。この遊園地の横に「福禄寿」が祀られています。本来は「小石川後楽園」の庭園の中に祀られていたのですが、庭園には門限があり閉まってしまうので、遊園地脇に移されたそうです。 |
さて次は「源覚寺」(毘沙門天)。ここは「こんにゃく閻魔」という名称の方が有名です。その謂れは宝暦の頃(1750〜)眼を患った老婆がここの閻魔大王に37日の祈願をしておりましてその満願の夜、えんま様が夢枕に現れ自分の片目を老婆に与えようと告げられました。翌日自分の眼は直っていましたがえんま様の右目が黄色く濁っていたそうです。老婆はその後自分の大好物の「こんにゃく」を絶ってその恩返しにえんま様に「こんにゃく」を供え続けたそうです。
さて次の行程は善光寺坂を登り途中の「澤蔵司稲荷」に寄りました。ここには本堂の脇から入れる不思議な空間があり「お穴」と呼ぶそうです。鬱蒼と茂った大木に包まれ昼間でも薄暗い神秘的な一角ですが、その最も低い所に「霊窟」があり狐が住んでいると伝えられているそうです。この澤蔵司稲荷は「伝通院」の敷地内にあるのですが、その伝通院には徳川家康の生母「於大の方」のお墓があり徳川家の菩提寺となっています。その墓の前で記念写真を撮りました。この伝通院の正門の前に「福聚院(大黒天)」があります。 |
その次が本日4番目の七福神になります「真珠院(布袋尊)」。ここにも穴場があります。本堂下の通路を抜けると裏手が墓地になっていて、なかなか凝った設計になっていますので是非見て欲しい空間です。そしてその奥に大きな布袋様が平和な顔をして私たちを出迎えてくれます。 ここから次の七福神に行く途中に「三百坂」という坂があります。この謂れは「松平播磨守」の屋敷で新しく召し抱えた者が役立つ人物かを試すために、主君が登城する時に、玄関でお目見えした後で衣服を改めてこの坂で供の列に加わらせるようにしたのですが、それに間に合わなかった場合には300文の罰金を払わせたそうです。この300文とは今の価値で1万円ほどですから、確かに厳しい罰金額でしたので、きっと真剣に着替えた事でしょう。この後「宗慶寺(寿老人)」そしてすぐ側にある「極楽水(弁財天)」と続きます。
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江戸時代の古川柳に『極楽の水も流るる小石川』とあるが如くに水が湧き出ていたのでしょうが、現在は高層ビルの谷間に弁天様の祠がチョコンとあり、水は完全に枯れています。この高層ビルの所を抜けると桜並木で有名な「播磨坂」の途中に出ます。この地も松平播磨守の上屋敷だったので、この坂名が付いています。「文京区五大はな祭り」に湯島天神の梅と菊祭り、根津神社のつつじ祭り、白山神社のあじさい祭りと並びここ播磨坂のさくら祭りが入っています。 |
播磨坂を登りきって春日通りに出て信号を渡るとすぐに「徳雲寺(弁財天)」に到着します。茗荷谷に落ちる崖っぷちに建立したお寺で本堂に入る左手に六角堂があり、その中に弁財天が祀られているのですが、ここの弁天様はドグロを巻いた蛇なのです。ここから次の寺に行くには一旦春日通に出て地下鉄・丸ノ内線「茗荷谷」駅の方に少し行き左に折れてクネクネ曲がった急坂を下ります。この坂を「釈迦坂」と言うそうですが、これは坂下から見上げると徳雲寺の釈迦石像が見えたからといわれています。 次はいよいよ本日最後の七福神「深光寺(恵比寿)」です。釈迦坂を下り切ると正面の高台に拓殖大学がデ〜ンと建っています。正面の「蛭坂」を上らず左に折れて少し行くと左の小山の上に深光寺があります。本堂の横に恵比寿様が祀られていますが、その左横に南総里見八犬伝などでおなじみの「滝沢馬琴」の墓があります。 ここで「文京まち案内」ガイドが最後となります。本当にありがとうございました。(16:30) |
ここから「懇親会」の会場があるJR飯田橋駅前までの歩きが残っています。
深光寺から地下鉄・丸ノ内線のガードを潜るとそこが春日通から下ってくる「藤坂」の所に出ますがその角の「藤寺」の前を通過して地下鉄と平行して歩きます。この細道は昔清水が流れていたそうで「清水谷」と呼ばれています。しばらく行くと「巻石通り」に出ますが、この道は徳川家康の命を受けて神田関口の「大洗堰」で神田川の流れをせき止めて木樋で渡し、小石川後楽園を経て神田、日本橋への上水道「神田上水」の通り道だったのです。さらに巻石通りを突っ切りしばらく行くと神田川にでますが、そこも突っ切り最短距離で飯田橋を目指します。 予定通り5時前に宴会場に到着、皆さんで歩き切った後の美味しいビールで乾杯です。今日も大いに充実した半日でございました。ありがとうございました。 |