第20回『文京を歩くかい』  文京区の境界線を歩こう<その1>

秋の気候がままならず、実施日の10月27日(土)の前日午後から雨が降り出して実施日の午前中まで雨との天気予報にはヒヤヒヤしていましたが、当日は朝から快晴でむしろ暑いくらいでした。14名の参加者で、巣鴨「真性寺」からスタート、文京区の境界となる道を歩きました。今回は巣鴨からスタートして最終地は飯田橋までの全周の西側半分を歩きました。
            <スタート地・巣鴨「真性寺」にて>
「文京宮下公園」から江戸橋通りにでてすぐに四つ角を右に回ると「東洋女子高校」の脇に出ます。この高校の卒業生に女優の「三崎知恵子」さんがおられます。彼女の印象が強いのは、トラさんの叔母さん役で下の画像の中心にいる女性です。
そこから道をジグザグに南下して「宮坂」を下って氷川下に出ます。「宮坂」とは神々しい名前ですが、実はここに「有栖川宮熾仁親王」(ありすがわのみや・たるひと・しんのう)の住んでいたお屋敷があったので、「お宮様の坂」から名が付いたそうです。この熾仁親王は、徳川14代将軍「家茂」と結婚させられる前の「和宮」と婚約していたのですが、「公武合体策」により婚約解消となった経緯があります。
氷川下に出た道が「千川通り」で、そこを突っ切って大塚の丘を上り「大塚公園」に出て、ここで最初の休憩を取りました。15分ほどの休憩後、次に新大塚の交差点を左に渡ってすぐの急坂を下りて大塚六丁目付近の狭い道をジグザクに歩き、暫く行くと「雑司が谷霊園」(豊島区)と「護国寺」との間を走る大通りに出ます。ここから左に護国寺の墓地の中を突っ切って「本堂」の前に出て、ここで2回目の休憩を取りました。休憩後正面参道を「惣門」から「仁王門」を抜けて「不忍通り」に出ます。
            <護国寺・惣門のところにて>
不忍通りを右に日大豊山高校の前を通過して緩やかな上り坂「清戸坂」に入ります。とすぐ右に「清土鬼子母神」が見えますので、そこに寄って現在の「鬼子母神」との違いを知ったのです。鬼子母神とは安産・子育ての神様だそうで、室町時代にこの地(雑司が谷)に住んでいた雑司役(現在の庶務係)の武士が「鬼子母神像」を掘り出し「星の井」(三角形をした井戸で現存)で洗い清めて、南池袋にある「東陽坊」(現在の「鬼子母神堂」)に納めたと言う経緯があるそうです。
清土鬼子母神を後にして、再び清戸坂に出て右に上って行くときには、正面から強烈な西日が射して汗をかくほどでした。坂を上り切ると「目白通り」に出ますが、そこを突っ切ってすぐの急な「富士見坂」を下ります。この坂の途中に左に入る細い坂に分岐します。その坂名を「日無坂」と言います。この分岐する所の風景が大好きで記念写真を撮りました。
  <左「日無坂」、右「富士見坂」、右の先の方に新宿の高層ビル群が>
この後、「豊川稲荷」から「肥後細川公園」と「関口芭蕉庵」の2つの庭園をグルリと周って、神田川沿いを「大洗堰」から「江戸川公園」を通って江戸川橋・交差点に出ました。そこで皆さんと相談して、「時間的にも、ここから飯田橋の懇親会場に直行しましょう」と言う意見に纏まり、午後4時30分無事に宴会会場「鳥どり総本家」に到着、いつものように呑むや、食べるや、喋るやで、楽しい一日が無事終了致しました。今回もおよそ10kmを歩いたようです。皆さん、ご苦労さまでした。

『文京区境界線を歩こう』の<その2『完結編』>は2019年の春を予定します。是非お楽しみに!!

<TOPページへ>