文高連「緑に親しむ集い」家康の地を訪ねて

文高連の年中行事の一つで春に行われる「緑に親しむ集い」で私達本富士地区では5月29日(月)に「秩父宮殿下の庭園」と「静岡浅間神社」を訪ねる日帰りバス旅行でした。「静岡浅間神社」では現在NHKで放映中の大河ドラマ【どうする家康】にちなんで「大河ドラマ館」が設営されておりそこを見学するのが主目的でした。

今年の台風発生は例年に比べて早く、特に5月24日に太平洋のグアム付近に発生した「台風2号」は気圧905hPa、風速60m/s、瞬間風速85m/sと猛烈な台風で、それがいずれ沖縄に近づくという予報が出ており、このバス旅行もどうなるのかと危ぶまれました。案の定当日は朝からシトシトと雨が降っており、今日一日雨だなと諦め気味での出発でした。

<秩父宮庭園の散策>

本富士地区は11のクラブがあり、全クラブからの参加で総勢50名となり大型1台、中型1台で、バスの中ではゆったりとした席を取ることが出来ました。箱根の山を超える頃はバスの外は大雨でしたが、足柄の峠を超えると静岡方面の空が明るくなっておりました。御殿場インターを出て最初の訪問地は「秩父宮記念公園」でしたが、園内の散策も傘をささずに済みました。この公園は秩父宮殿下が肺結核を患われ療養の為に過ごされ、またその頃は第二次次世界大戦の最中でしたので疎開先として住んでいたそうです。雨上がりの靄っている静かな園内を歩くと心が洗われる感じがしました。次は東名高速を清水まで走り清水駅前のレストラン「ブランオーシャン」にて昼食を摂りました。金目鯛の煮付けとかナスの味噌田楽など静岡の名物を多種少量で楽しめて良かったです。

<大拝殿>

昼食の後一旦東名高速に上がり静岡市を目指します。静岡インターから市街に出て北に進路を取りますと何と何と前方に富士山が見えているでは有りませんか。

静岡浅間神社に着いて早速「大河ドラマ館」に入りましたが、残念ながら今一つでした。テレビ放映での家康が余りに頼りなく弱々しいシーンばかりを観ているせいか、皆さんの感想を聞くと「いまひとつね」といった所でした。

<百段階段>

ドラマ館を出た後、暫く境内を歩いていると眼前に巨大な急階段が現れます。これは「百段階段」と言うそうで、山頂には「麓山(はやま)神社」が祀られています。家康さんからパワーを貰ったせいなのか「よし登ってみよう」という気になり一人で「いちにさんし~」と数えながら途中で休むこと無く一挙に登り切れたのです。段段の数は105有りましたが、登り切った所の正面に【危険】と書かれた看板が立っていて、そこには「熊が出没するので要注意!」と書かれていました。周りには誰も居らず「ゾ~ット」して来て慌てて今上がってきた石段を夢中で下りました。それにしても「よくも一挙に上がれたものだ」と自分の体力がまだまだ衰えてはいないぞと、挑戦させてくれた家康さんに感謝しました。
ところで「静岡浅間神社」と「徳川家康」との関わりは、幼少の「竹千代」時代に今川義元の人質となり12年間駿府城で過ごしたのですが、14歳の時にこの静岡浅間神社にて元服式を行ったのだそうです。この人質時代の隠忍苦渋の生活から家康は人間の暖かさ、冷たさ、忍従、気概などを学んだと言われ、後に征夷大将軍に上り詰めるのですが、本殿、大拝殿、桜門をじっくり眺めますと、その重厚な造り、彫刻の微細さ、極彩色を放つ総漆塗りなどなどから当時の家康の偉大な勢力を感じ取ることが出来ました。

<笠雲を被った富士山>

午後3時すぎ、今回の旅のすべての訪問地を終えて、いよいよ帰路になります。東名高速に上がるとバスの正面に笠雲を被った富士山がデ~~ンと姿を表していました。箱根の山を超える辺りで黒い雲が現れバス正面の窓ガラスを雨が叩き始めました。箱根の山を超えて大井松田インター付近を通過する時に道路交通案内板に「大橋付近で事故の為渋滞が発生、東京まで200分」と出ていてビックリ仰天。静岡では家康さんのお陰様で全く傘の世話にならずに済んだのに、最後の最後に何という結末かとガックリしている時、運転手さんが前を走る1号車の運転手さんと「この先で高速から下におりますかね?」といった内容の話を無線でしている様子。その時に私の頭の中では、「家康さんの考え方で参りましょうよ。じ~~と渋滞が解けるまでこのままノロノロと参りましょうよ。ホトトギスの時の様に」なんて思っていたのです。結果的にはバスは高速道路をノロノロ走り続けたのです。しかしそれが多分正解で自宅には予定より1時間ほどの遅れて着くことが出来たのです。お疲れ様でした。

<参加50名の全体記念写真(総門の前にて皆さん笑顔>

コメントを残す