なぜ私は一人で歩くのだろうか。 それも普段は殆ど誰も歩いていない道を。

今から5年前の『塩の道・一人行脚』もそうだった。そう、あの時もたった一人になって自然の中に浸ってみたいと思ったのだ。だから賑やかな道、四国お遍路や日本アルプス連峰を避けて、多分誰も歩いていないだろうと塩の道350kmを選んだのだった。ところが1年ほど前から、またまた無性に大自然の中に自分を落とし込みたいという欲望が襲ってきたのだ。

私は、親から「おまえは口から生まれてきたようで良く喋るよ。“口は災いの元”だから気をつけなさい」とよく説教されたものだ。しかしベラベラ喋る特徴を生かす方法もチャント心得たのだ。つまり「一旦喋った以上は実行に移せ!」が私のモットーである。“65歳も過ぎて、一人で誰も歩いていない山路を歩く”など普通なら「バカじゃないか」と言われそうで避けたいところだが、挑戦したい難題は、まず広くアナウンスしてしまって自分を追い込むのである。つまり「言った以上は、やらねば男が廃る」への強制的落とし込みである。今年の年賀状で親しい友人には「今年は鯖街道・古道に挑戦したい」と書いていた。

さて「鯖街道」と私の出会いだが、1年ほど前に友人から「若狭湾から峠を越えて京都に鯖を運んだ街道があるが、殆ど人が歩いていない」と聞き、大いに気になりインターネットで調べ始めた。「鯖街道」とは若狭湾から京都に向かう多数の街道があるが、運ばれた物資の中で特に「鯖」が注目され、これらを「鯖街道」と呼ぶようになったと言う。

鯖街道には大きく分けて5本あるという。私はその内の最も高低差がきつく、京都への最短距離と言われる『根来(ねごり)坂越え』ルートを選択した。

今年2月に入って行程作りに入った。このルートは「京都は遠ても18里」と言われ凡そ75kmで、普通であれば2泊3日で完歩したいところだが、私には次のようなハンディキャップが有る。(1)東京から福井県・小浜市まで電車移動で半日を要すこと、(2)65歳を過ぎた翁が無理して山で逸れ遭難しても笑われ者になるだけ、というハンディを考慮して慎重に行程を作った。しかしスタート初日は半日が電車移動に費やされるので午前中の11時ころ小浜に着く為には、東京を1日前の夜中に出発しなければならない。初日から車中泊なんていう行程は絶対に避けなければならない。電車乗り継ぎの問題で、一番早く小浜市に着くのが午後1時20分である。午後2時ころ小浜を歩き出したとして、午後4〜5時ごろの到達地点は山の中で適当な宿泊施設が全く無い。途中の「上根来」には元小学校分校だった建物が廃校となり現在「山の家」として利用されていて、事前に予約すれば泊まるだけは可能との話だが、この年で寝袋の中で一人寝る勇気はもう無い。そんな訳で行程の初っ端から壁にぶつかっていた。

3月半ば過ぎ、私の友人が四国八十八札所・巡礼「通し打ち」の旅に出た。「通し打ち」とは一番札所(霊山寺)から八十八番(大窪寺)まで一挙に回ってしまう巡礼で普通で2ヶ月位掛かるらしい。彼が出発した数日後、携帯電話で彼から「昨夜泊まった民宿の人が大変親切で今日もこの民宿に泊まらせて貰うので、今“逆打ち”しているのだよ」との話。

その瞬間ひらめいた。「えっ! 逆打ち!!」 そうか、私の鯖街道も初日は「逆打ち」でこなせば何とかなりそう。そこで初日の行程をこんなように作り上げた。

東小浜駅に13:16着。そこでタクシーを呼び「上根来(かみねごり)集落」までタクシーで行きそこから私は今タクシーで上って来た道を歩いて小浜市まで下るのだ。そして宿を小浜市内で取ればいい。翌朝もタクシーで上根来まで運んでもらって、そこから2日目の歩きに入るのだ。これで一応3泊4日の行程は出来あがった。そして実行を5月連休明けの5月10日(月)〜13日(木)と決定した。

その後私の「鯖街道」行きを知った大阪の友人N氏から「小浜で会いましょう」と連絡頂き、そして京都の友人T氏からは、「京都・出町でお待ちしてます」との連絡を頂き、何とも“見送り”と“出迎え”を友人にして頂けるという大変に贅沢な「鯖街道・一人旅」の演出となったのである。

【第1日目】逆打ち 上根来から小浜市まで

5月10日(月)はどんよりとした曇り空の朝を迎えた。4月29日から昨日の5月9日母の日まで、ゴールデンウィーク期間のすべて快晴の日が続いていたが、アンラッキーにも私の「鯖街道・一人歩き」の初日ははっきりしない天候のようだ。

東京駅08:33発の新幹線「ひかり505号」でまずは米原で下車、そこから北陸本線で近江塩津まで「新快速」に乗る。近江塩津で26分の待ち合わせで京都からの湖西線に乗り2つ目の敦賀駅で下車して、そこ始発の小浜線に乗り換え、およそ1時間後の13時16分に東小浜駅に到着する予定になっている。

新幹線が関が原を越えるころには雲が低く垂れ込めて細かな雨が降り出していた。この様子では今日の歩きは雨だなと判断して昼飯は電車の移動中にどこかで食べてしまおうと決めた。米原で新幹線から北陸本線のホームに移動する途中に、お弁当を担いで来て売っているおばさんが居た。躊躇せずそのお弁当を買い込んだ。その後ホームに下りるも売店らしいものは一切無く、この直感判断は大正解であったのだ。車両はガラガラで、これならゆっくりと昼食を食べながら行けると思っていたが、突然車内放送で、「近江塩津までは前2両が参ります」とのことで、慌てて5号車から2号車へ移動する。

近江塩津ではシトシトと雨が降り続いており、明日挑戦すると思われる西の方向の山々は低い雲に覆われていた。この駅は北陸本線と湖西線の合流駅なので少しは賑やかと思いきや、ホームにはベンチすらない寂しい駅である。それでも私と同じように乗り換える客が3人ほど居た。

12:01発の湖西線に乗り敦賀で小浜線に乗り換えた。小浜線の2両連結のワンマンカーで降りる際は1両目しかドアが開かないと言うので、空いている2両目の席に座り、堂々と昼飯を食べ始めた。ゆっくりとした心地よいスピードで走るローカルな電車内では何にも気にすることはない、と自分に言い聞かせながら箸を運ぶ。なかなか美味しい幕の内弁当であった。

予定の13:16に東小浜着。

<雨の近江塩津駅>
早速タクシーを呼んで上根来に向かう。

今雨は上がっているようだが、いつ振り出してもおかしくない様な空模様。タクシーの待ち時間に、リュックの一番下の方に詰め込んでいた雨具を上の方に移動しておいた。5分もするとタクシーが来たが、「上根来まで」と言うとやはり不思議な顔をしていた。とにかく今タクシーに乗って走っているこの道を数時間後に歩いて戻って来るのかの思うと、何か自分でも奇妙な気持ちにさせると同時に、良く道を見ておこうと外の流れる雨景色にジ〜ット目を凝らしていた。

事情を知った運転手さんは、途中の名所旧跡を説明してくれた。車が右に「若狭神宮寺」を通過した時、「ここでは3月2日に『お水送り』という伝統的神事が行われるのです」と説明してくれる。何と奈良時代に遡ったお話だそうで、東大寺の二月堂にここ若狭の水を送ると言う儀式で、若狭の神宮寺で清められたお水(お香水)を「鵜の瀬」の所で遠敷(おにゅう)川に流すと10日後に奈良東大寺の二月堂に届くと言われ、二月堂では3月12日に「お水取り」の儀式が行われ、奈良では春を告げる行事として有名だそうだ。そんなお話を聞いている時に車は小雨の中、その「鵜の瀬」の公園脇を通過していた。

20分ほどで「上根来」の集落に到着、さあいよいよここから歩きの開始である。全く人気が無い山道に降ろされ、タクシーは静かに来た道を引き返して行った。何かポツンと一人ぼっちに置いて行かれたようで寂しくなって来る。時計は午後2時5分を指していた。
今日は6時までに宿に入ろう。京都から友人が来てくれていて楽しい夕食を共にする事になっているのだ。長く待たせてはいけない。
空模様は霧雨が時折舞っているような状態で雨具を使用しないでも済みそうだ。歩行ステッキを片手に持ち、歩き始めた。道の両側には、すでに人が住まなくなってから相当時間が経っていると思われる廃屋が不気味な姿をさらけ出しており、集落機能を失って限界集落化がヒタヒタと襲ってきている村の空洞化の姿をマザマザと見せ付けられ何とも寂しい。

<人が住んでいる限界点・上根来>
集落を外れて暫く下ると道は大きく左に曲
がるが、その右高台に大きな建物が現れる。その高台に行く上り坂の脇に大きな桜の大木があった。高台は広場になっていて、建物の形から学校を連想する。「そうか、これが申し込めば宿泊できる“上根来山の家”なのか」と独り言が出た。赤色の郵便受けがある入口に近づいてガラス窓越しに中を覗くと、「用務員室」という字が見えたので、間違いなく今は廃校となった小学校の分校であったことが確認出来た。埃にまみれた冷蔵庫、その隣に畳の和座敷が見える。もし宿泊を電話で申し込むと、ここに一人寝ると言う事か、と建物の回りをグルリ見渡しながら、私には恐ろしくて到底出来ないと確信した。

下り始めて最初の集落「中の畑」に入ると、30分ほど前に私とすれ違った郵便配達の人が、仕事を終えて戻って来たのか、私の側にオートバイを止めて話しかけてきた。

<上根来山の家(旧上根来小学校分校)>


「この雨の中を峠から降りてきたのかね」

“峠”とはキット「根来坂峠」のことであろうと推察して、

「いいえ、私は今日東京から来て鯖街道を歩いていますが、タクシーで上根来まで上がって、そこから歩き始めたところです。根来坂峠は明日挑戦します。今日は小浜の町に宿を取ってあります。ところで先ほど私とすれ違いましたが、上の村まで郵便物を運ばれたのですか」と聞くと、

「そう、上根来まで行ってきた。あそこにはまだ四世帯が残っている。皆村を出て行って今では四家族しか残っていないが、変った人も居て、都会から来たという男性が一人で住んでいる。先週末にこの下の『鵜の瀬公園』に家族で来たのだが、その時にも鯖街道を歩いているという数人のグル−プにすれ違ったよ。まあ、一人で歩くなんて凄いが、気をつけて行きなさいよ」と忠告を頂いた。

「中の畑」集落を抜けた付近で雨が強く降り始めた。丁度目の前にガレージ風の軒先があり、そのスペースを借りて雨具を着る事にする。遠敷川に沿って走っている舗装道路が雨で黒光りしている。下り傾斜が少し楽になったと感じた所が「下根来」の集落で、橋向こうに「見昌寺」、続いて右手に「八幡神社」が現れる。「お水送り」神事の時に「お香水」が流される場所と教わった「鵜の瀬」に着いたころは、最も雨の降りが激しく帽子の庇からポタポタと水滴が垂れている。公園のあずま屋で5分ほどの休憩をとり15時45分スタート。鵜の瀬を過ぎると道は緩やかな上りとなるが、その右手に「忠野」の集落が見えてくる。その集落の手前の斜面にはビッシリと白い花を咲かせたシャガの群生が雨の中で光っているようで美しかった。
<見昌寺>
<鵜の瀬のあずま屋>
<鵜の瀬のせせらぎ>

遠敷川が大きく右へカーブするが、それに沿ってなだらかに下ると「若狭神宮寺」への入口を通過する。もうこの辺まで来ると民家が多くなりホットする。「若狭彦神社」の杜を左に見ながら、一層民家が密集している「竜前」の町に入る。そして「若狭姫神社」の所まで来ると小浜市に繋がる国道27号線との交差点がもうすぐそこである。

交差点に出ると真っ直ぐ先に3時間ほど前に下車した「東小浜駅」が靄の中に霞んで見えていた。小浜市に向かうには交差点を左折するのだが、さすが国道だけあって車の通りが激しかった。

<忠野の村落とシャガの群生>
<若狭神宮寺入口>
<若狭姫神社>
「遠敷」〜「木崎」を通過して「南川」の橋を渡ると「湯岡」の交差点に出る。そこの交差点をヘアピンカーブのように右にカーブして小浜線のガードを潜り抜けると右に小浜警察署が現れる。ここでトイレを拝借、時計を見ると午後5時、玄関先の階段で一息入れる事にする。この道を暫く直進するとJR小浜駅前に出る。その前の商店街を直進、暫く行くと泉町の商店街アーケードが右手に現れるが、その中央部まで行くと「鯖街道・資料館」がり、その前の地面に「鯖街道モニュメント」が埋められていた。ここで記念写真をパチリ。さあこれで、今日の予定された行程は終了、友人の待つ宿に急いだ。ホテル着は17時45分で何とか予定通りにスケジュールをこなすことが出来た。
すでに友人N氏はホテルに到着し一風呂浴びて休息を取られていたようで、早速私も汗を流しに風呂に入り、6時過ぎから楽しみにしていた夕食の始まりである。万歩計によれば、本日の半日行程で25,225歩、15.13kmと示していたが、やはり歩き切った後のビールは何とも言えない美味さである。N氏も鯖が大好きで、一度は小浜に来てみたいと思っていたので丁度良い機会だったとのこと。次から次に出てくる色鮮やかな会席料理と熱燗、そして楽しい男同士のお話、最後は、名物の「へしこ」(鯖の切り身に塩を振って糠漬けにした郷土料理)のお茶漬けを頂き大変に充実した宴であった。就寝前に二人で風呂に行き、その帰りロビーにあるピアノを突然N氏が弾き始めたのだ。
<小浜市駅前泉町のモニュメント>
誰も居ない広いロビーにクラシックの音色が響き渡った。このような機会に思いがけずN氏のピアノが聞けたとは、何と言うめぐり合わせであろうか。明日からの一人峠越え挑戦に十分耐えられるエネルギーを頂けたようだ。 今夜はグッスリ眠れそう。
<オバマでピアノを弾く友人>

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