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平成二十二年(2010年)がやって来ようとしています。大晦日は単に三百六十五日目の夜なのですが、明日になればまた一日目から始まる節目の一夜なのです。明日からの数日を正月と言いますが、妻はその日を目指して数日前からおせち料理造りに取り組んでいます。私は大掃除と称して仏壇のお磨き、外窓ふき、外階段の掃除、外壁のスス落としなど普段しないところの掃除を例年行事としてやりこなしております。

大晦日の夕方、兄弟や息子夫婦がやってきて妻の料理を囲んで和やかな本年最後の晩餐が始まります。テレビでは恒例の歌番組が勝手に流れており、そして零時が近づくと番組「行く年・来る年」に変ります。テレビ画面も賑やかな歌番組から急に静かになって、雪に覆われたどこかの寺の鐘が響き渡り大勢の人々が雪の中を神社に向っている姿が映し出されます。毎年観るおなじみのシーンですが、こうして皆でテレビを見ているうち午前零時を通過して今年・来年が一瞬にして去年・今年に変るのです。


    テレビ観て鐘を聞き聞きこぞ今年


新しい年に入った夜中の一時過ぎ、私は息子夫婦を連れて近所の神社・稲荷に初詣に出かけました。私はこの年越し直後の初詣が毎年の習慣となっておりまして、家から一番近い「源覚寺(こんにゃく閻魔)」から始まり、次に「澤蔵司稲荷」にて新年の御札を戴き外庭で甘酒を頂戴して、次は「伝通院」。その後は伝通院のすぐ側にある「福寿寺(大黒天)」に寄って「お金は沢山いりませんが、お金に困りませんように」とお祈りして次の目的地へ。地下鉄・後楽園駅の近くの高台にある「北野神社(牛天神)」に来るのが家を出ておよそ一時間。この辺まで来ると、ちょっと体が冷えてきて、ここでも甘酒を頂くのがお決まりのコースなのです。

今年の祈りはいつもと違っておりました。息子の嫁の腹には子が宿らされているので、元気な子を産んでほしいと、握り締めているお賽銭の額もいつもと違っておりました。


    初詣初孫祈って倍を投げ


一月七日は「七草粥」の日です。我が家では鏡餅をこの日に割って食べやすいサイズにして朝の七草粥そして昼食のお汁粉にその餅を入れて楽しんでおります。昔はこの鏡餅が硬くなり包丁を入れて食べやすいサイズに切るのに大変苦労した思い出があります。最近ではプラスチック製の型に入れられて売られているので硬くならず切り易くなっております。

それにしても正月中は床の間などに頭にミカンを載せてデ〜〜ンと置かれて皆の注目をあつめていた鏡餅が正月が終わると定まらぬ形に姿を切り分けられて雑煮や汁粉に入れられ影の役者のようになっているのが滑稽に感じられます。


     鏡餅割られ焼かれて汁粉に埋もれ


正月が終わりますと、今度は「新年会」で多忙になります。学生時代の同期会、社会人の時の各種グループや地元町会や老人会の「新年会」や「賀詞交換会」が目白押しです。今年も一月中に十回も有りました。

私くらいの年齢にもなると顔を合わせれば話は「友人の訃報」と「病気の話」で賑わいます。「○○君は前から入院していたんだが遂に亡くなられたよ」とか、「△△さんがどうやら介護認定されて施設に入っているらしいよ」といった話題が宴席を沸騰させるのです。


     新年会訃報の肴ばかりなり


二月に入りますと「立春」を迎え暦の上では春らしくなって来るのでしょうが、気温的には寒さの最も厳しい時期のようです。それでも快晴の朝の太陽光線、鳥のさえずり、木々の枝にふっくらと太った芽がいっぱいの姿を眺めると何となく春まじかを感じるものです。先日真っ青な空で清々しい朝、春を探しに近くの小石川植物園を訪ねました。すでにポツポツと梅が蕾を開き甘い香りを回りに振りましておりました。その側で子供たちが大喜びで飛び回っておりました。私も孫が出来れば陽だまりを求めて三輪車を引っ張ってここに来ているのだろうか。


     梅一輪陽だまり求めて三輪車


私が雪景色で思い出すのが伊那谷での単身赴任していた時代のアルプスの山々です。伊那谷は積雪が多いわけではありませんが、その分寒さが厳しく両サイドに聳えるアルプスの稜線が真っ白な雪に覆われ大変に美しいのです。地元の人は昔から山の斜面に雪が作り出す形が何かに似ていればその雪形に名前を付けたそうです。例えば馬に似ていれば「駒形」、島田髪を結った女性に見えれば「島田娘」と言った具合に。そしてその雪形の形状で季節の変化を読んでいたようです。例えば木曽駒ケ岳の斜面上の駒形が消え始めるころになると田植を始める時が来たと判断していたように。


     駒形を崩して雪代井筋行く


この句は「春分」のころになると雪解けの水(雪代)が田んぼのあぜの井筋をハイスピードで流れ下ってゆく姿を詠っているのですが、この頃になれば春はもうすぐそこです。この句にそんな雰囲気が出ているでしょうか。

二月十一日から二泊三日の『蔵王樹氷鑑賞とみちのく感動体験』という旅に夫婦で参加しました。みちのくでの感動には「平泉・中尊寺」そして山形の「山寺」がコースに入っておりまして、これぞ芭蕉の「奥の細道」での立ち寄り地点です。そこで上の句「雪代」を使って芭蕉の句にヒントを頂いてもう一句。


     雪代を集めてはやし井筋かな


最近では地球温暖化とかで桜の開花も年々早まって来ているようで、今年も三月半ばには桜前線がやってくるのではと予測されているようです。そこでこの「地球温暖化」を題材に二句創ってみました。

     温暖化農夫悩ます苗代時

     温暖化春めく境いずこにぞ

しかし何とも面白くない句で、社会問題の言葉には何か歌心が薄く俳句には不向きなようで、社会風刺的な「川柳」向きなのかも知れませんね。

二月の後半になって、友人から勧められて「インターネット句会」に入会しました。そして三月に入るとある友人の集まりで「句会」を作ろうという話になり私が句会進行係になりメールを介してニュートラルな立場で投句・選句・結果発表などをさせて頂いています。何ともこの短期間に二つの句会に関係するようになり、そのタイミングの重なりに因縁を感じざるを得ません。

二月二十五日あまりの天気の良さに十時過ぎに自転車で飛び出しました。皇居の側に自転車を置き北桔(きたはね)橋から皇居内に入って東御苑、二の丸庭園をグルリと周り梅林坂を下って平川門から外に出ました。梅林坂には白や薄桃色の梅の花が咲き誇りバックの大きな石垣とすばらしいコントラストでした。坂の途中にあった説明板によれば、梅林坂の名の由来は江戸城の創始者である太田道灌が菅原道真の天神を祭って数百本の梅の木を植えたことによると書かれていました。道灌に茶の世界を教えた伏見屋銭泡(ぜんぽう)は道灌の勧めでこの場所に草庵を開き、その庵に「梅花無尽蔵」と名付けたという。(参考:伏見屋銭泡著『銭泡記』) 

梅ノ木に沢山の花を付けている姿と、いくら取っても無くならないという意の「無尽蔵」という言葉が重なって、私は次のような句を創っておりました。

     平川門無尽蔵なる梅の花

三月に入りますと随分と春らしい日差しが感じられます。私は自転車で荒川の土手を目指しました。きっと「つくしんぼ」がもう顔を出しているかも知れないと期待して。その時に創った句で「仲間句会」に投句して一点貰った句に;

     荒川の土手の雲雀の高上がり


土手の上に真っ青に晴れ上がった空。高い所でヒバリが夢中になって囀っておりました。荒川の土手から今度は隅田川に沿って南下し、言問通りを西に向かうと根岸二丁目付近を通過しますが、その側に「子規庵」があります。細い路地を曲がった所の隅っこに福寿草が咲いておりました。

     路地裏に子規偲ばれる福寿草

四月なって「インターネット句会」に五句を投句しましたが、上の句はその内の一つです。

この月は投句が全部で九百二十二句有ったそうですが、どなたかがこの句に一点加点してくれておりました。九百以上の句の中から引っかかるのですから、きっと何かを感じていただいたのでしょう。

四月と言えば「桜・花見」ですが、今年は気温が低めで曇り空が多く、桜花は日持ちしたようですが、いつの間にかお花見シーズンが終わってしまったと言う感じがします。

     うらめしやござを濡らせる花の雨

この句は今にも雨が来そうな空模様の夕方、不忍池の周りの桜はどんな状態かと自転車で出たのですが、ポツポツと雨が降り出し場所取りをしているブルーのマットの上が濡れ始めている姿を見て詠いました。この句を「仲間句会」に投句しましたところ、仲間の一人の方にこの句を選句して頂き、次のような大変に勉強になるコメントを添えて頂きました。

  『折角楽しみにしていた花見。風景が良く目に浮かびます。「ござを濡らせる花の雨」より「ござを
   濡らせし花の雨」の方が説明調が薄らぎ、いいのではと思います。』

五月に入りますと季語が夏に変ります。「歳時記」でも「夏編」の本が一番厚い様ですが、これは“夏の季語”が最も多いということでしょうか。そして年間で五月〜七月が最も気候が良く、行事が多く、そして吟行も最も盛んに行われるシーズンなのかも知れません。

五月連休明けの十日〜十三日、三泊四日で『鯖街道』を一人で歩いて参りました。この一人旅が自分の【吟行】になればと「歳時記」と「メモ帳」を持参して臨んだのですが、残念にも毎日が雨降りでなかなか俳句を作るという気にはならなかったのです。それでも旅の2日目の夜、山奥のテレビも無い民宿に泊まった夜に次のような句を創りました。

     風薫る鯖街道はへしこ味

     五月雨の打つ音だけや隠れ宿

五月十七日〜十八日、大学時代の同朋と那須・塩原温泉の旅に行って参りました。そしてその時次のような句を創っていました。

     夏めくや日陰恋しい那須の山

     夏の朝屋根がゆらゆら露天風呂

二番目の「露天風呂」の句が生まれた情景をご説明致しましょう。

朝五時前に目が覚めて一人朝風呂に入ろうと露天風呂に向いました。今日もすばらしい天気のようです。風呂場にはまだ誰も居りませんでした。室内風呂の窓ガラスを通して外の露天風呂を見ますと、白い湯気が水面上に薄い層を作って張っています。外は風も無いようです。露天風呂への出口のドアを開けると、薄く張っていた湯気が急に水面上で騒ぎ始めます。ちょっと冷たく感じる朝の空気がとっても気持ちいい。静かな一人だけの朝。

水面上には正面にある家の屋根と真っ青な空が写っています。そ〜っと体を露天風呂の中に沈めますと、屋根がゆらゆらと揺れていたのでした。

五月に「インターネット句会」にこの句を投句したところ、千句弱の多い俳句の中からこの句を選句された方がお一人居られました。きっと私と同じような体験をされた方なのでしょう。

五月二十六日早朝無事に孫が誕生。早速六月に入ってジジババになってお嫁さんの実家がある新潟に会いに参りました。

     蓮の香や孫と対面ハウデユデュー

六月は梅雨の時期に入りますが、今年は関東地方では雨が少ないようで、九州、山陰、四国、東北の各地方には集中的に豪雨が襲っているようです。「インターネット句会」に投句しようと思い、五月の「鯖街道」一人旅を思い出して次のような句を創りました。

     山里の廃家の庭にシャガの群

     新緑の谷に廃車のダイビング

     鞍馬路の濡れ葉の上に雨蛙

この頃、週末になると息子夫婦が孫を連れて我が家に参ります。ある日孫を我々ジジババに預けて、二人で買い物に出て行きました。ワイフと二人で孫をあやします。

私は始めて孫を抱きました。そして泣きそうな顔になると、音楽を掛けてダンスのステップを踏んだり、まだ首がしかりしていない孫を抱いてオロオロしています。暫くすると外は夕立のように強い雨が降り始めて、遠くで雷が鳴り始めたようです。雷で安らかに寝ている孫が目を覚まさぬかと、またオロオロし始めます。

     遠雷や初孫あやしてオロオロと

七月十日は参議院議員選挙の投票日。うんざりするような夏の暑い日、日本の将来を占う大事な選挙にもかかわらず、これまたうんざりするような人材不足でシラケの選挙。

そんな暑いさなかにこんな句が生まれておりました。

     夏の日の浅草路地からスカイツリー

     夏の昼畳の上の腕まくら         

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