<ふざける菜漬け・目次> (章の部分をクリックすますと、その章にリンクします。)

はじめに

ふざける菜漬け1: はびこる『ウソ』

ふざける菜漬け2: 腐った『メディア』

ふざける菜漬け3: 物を捨てる民族

ふざける菜漬け4: 近代文明からのしっぺ返し

ふざける菜漬け5: なぜ『ていたらく国家』になってしまったのか?

ふざける菜漬け6: 20XX年には皆が地方に向かって!

ふざける菜漬け7: あとがきに代えて

【追加報告】


はじめに>

ただ今、平成20年の6月13日の金曜日 午後10時過ぎ。今日の朝、目を覚ますと「13日の金曜」はなんとは無しに不吉な日ではないかと疑いをかけてみるのだが、しかしその日の生活が始まれば「13日の金曜」のことはすっかり忘れて行動している。もう今日も午後10時になっていて、あと2時間ほどで不吉な日は過ぎ去って14日の土曜日がやってくる。

「不吉な日」のことで夕食時でのワイフの話が思い出された。

「あのねぇ。きのう小唄の先生が来て、9月は何か大きな地震が関東地方を襲うそうなので、お稽古はお休みとしませんか、というのよ。そんな話を聞いていると9月はどこにも出られませんね」と言った話だった。丁度そのときTVのニュースでは、中国・四川省で5月12日に襲った大地震の死者7万人に迫る災害報道をしていて、なにか小唄の先生がいう話を「ふざける菜! そんなデタラメ信じないほうがいい」と強く否定できない自分がいたのだ。そういえば最近つとに「ふざける菜!!」と叫んで鬱憤を晴らす機会が少なくなったように感じる。それは今までバリバリ(?)と社会で働いていたのが解けて、のんびりと老後の生活に浸かってしまった為に菜っ葉が腐り始めたのであろうか。

そういえば「ふざける菜 鬱憤話」については、今から4年半前の2003年末に【ふざける菜選集】というエッセイを書いていた。今あの頃を思い起こすと確かに会話の中にスパンスパンと「ふざける菜!」が飛び出してきて闊達に鬱憤を晴らしていたように思う。しかし今はチョット気分が違っているようで会話に何か迫力も無いのだ。そして最近は「ふざける菜!」と叫ぶのではなく、「それじゃぁ、ふざける菜漬けになっちゃうよね」とやさしい表現が多くなっている。それにはいくつかの理由が挙げられそうだ。まず一つに、最近の世の中の出来事が益々人間らしからぬものが多くて「慢性ふざける菜漬け」になってしまい人との会話の中で感覚麻痺が襲っている為かもしれない。更には、ここに来てワイフと家での一緒の時間が増えた為に、食事やお茶の団欒時にTVを見ながら私の鬱憤晴らしの「ふざける菜」をしょっちゅう聞かされる結果となり苦痛で逃げ出すワイフを見て、このような鬱憤晴らしは人に迷惑を掛けているのだと自己反省をしていたからかもしれない。

実はもう一つ立派な理由が存在していたのだ。ある日、自分の書棚を整理していたときに【菜根譚(さいこんたん)】(藤井宗哲・釈意 ばる出版)と言う古い本に目が留まった。中国・明の時代の「洪自誠(こうじせい)」によって書かれた哲理を分かりやすく解説した本であるが、「菜根譚」とは“人間は菜根をよく噛みしめるように、一日一日を生きてゆけば、道は開けて行き成就することができる”という意だそうである。勿論この本に私の目が釘づけになったのは「菜」という字であったのは間違いない。なぜなら4年半前にエッセイ【ふざける菜選集】を書いたときにある友人から読後感想として「“菜”をあまりバカにした扱いはよしてほしい」というご指摘があって、チョットばかり「菜」の扱いが気になっていたからである。この本を再読して、「なるほど、今までのように“ふざける菜!”と吐き出すのではなく、それをモグモグと噛み味わって飲み込んでしまえばよい」と理解出来たのだ。更にはこの本の中に「口は禍のもと」いう箇所がありギクリとさせられたのだ。やさしく解説された文章をここに書き出してみたい。

  『口はすなわち心の門なり。口を守ること密らざれば、真機を洩らし尽くす。意は

   すなわち心の足なり。意を防ぐこと厳ならざれば、邪渓を走り尽くす。』

この意は;

  『口は心の門である。この門をしっかり守って言葉を慎まないと、うっかり心中を吐露
   してしまう。心こそ足である。この足の手綱をしっかり握っておかないと、ちょっとした
   ことで脇道にそれる』

日蓮上人も『禍は口より出でて身を破る。福は心より出でて我をかざる』と説かれているとある。つまり私は“脇道にそれっぱなしで、禍を浴びっぱなし”であったのかと猛省して、最近は「ふざける菜!」を出来る限り噛み砕いて飲み込んでしまうように努力していたのである。

ふざける菜漬け1: はびこる『うそ』

『食倒毒末 金戦帰虎 災愛命偽』とは何だ。お経の一節ではない。これは日本漢字能
力検定協会が全国公募で決定した“今年の漢字”の1996年から昨年2007年までの
12年間の漢字をただ並べたものである。どの漢字一つ一つを見ても暗いイメージであ
る。それでも1996年「食」、2005年「愛」、2006年「命」くらいは楽しいイメージを
連想したいところだが、実は「食」は「食中毒事件や狂牛病の発生」からイメージ、「愛」
は「残忍な少年犯罪は愛不足」をイメージし、そして「命」は「いじめによる子供の自殺、
虐待の多発」をイメージしたなど、すべてが暗いイメージから選ばれた漢字なのである。
そして昨年(2007年)は「産地偽装」、「原材料偽装」「賞味期限の改ざん」など身
近な食品に次々と「うそ」がバレタ年で「偽」と付けられたが、今年2008年も全くその
反省なく、むしろ昨年よりもっと悪質な「偽」が連続して発覚しているのである。記憶に
留めておくためにここで2007年の“大型うそ”を列挙しておこう。

・ ミートホープの牛肉偽装、 ・石屋製菓「白い恋人」賞味期限改ざん 

・ 名物菓子「赤福」の賞味期限不正表示 ・船場吉兆の菓子偽装表示 食品以外にも、

・ 耐震偽装問題  ・人材派遣会社の偽装請負事件 ・中国での偽遊園地 など。

何ゆえにこんなはずかしい事件が連続多発しているのであろうか。もう開いた口がふさがらないが、「ふざける菜」を爆発させて発散する前にモグモグとかみ締めながら考えてみると、私が子供の頃に祖母がボソボソと口にしていた言葉が思い出されて来るのである。「あのなぁ、カズや、人を見たら“ドロボウ”と思えや。だから自転車をどんな場所に止めるときにでも、鍵を掛けないとダメだよ。」またある時、「“うそ”言うと、お閻魔様に舌引っこ抜かれるぞ! 公園で拾ったというシャベル、○○ちゃんに返しておいで」と言われ、近所に「こんにゃく閻魔様」があったので、子供ながらに怖かった話の一つとして記憶に残っている。

祖母から社会生活をして行くための智恵を教えてもらった話の中には「ドロボウ」や「ウソ」がちゃんと入っていた。つまり祖母の時代でもすでに人間社会の本質が分かっていて“人間社会は欺瞞だらけなので注意しろ、だからこそ隠し事なく正々堂々と生きよ”という一見相反するような話を子供にしていたのだろう。ある時から“教育のていたらく”で「世の中はウソだらけなのだから、自分もごまかされないように上手に生きよ」という教えに変わってしまって、皆が自己中心の生き方に志向してしまい、遂には日本は一大「欺瞞国家」となってしまったのであろうか。

もう一つ連続多発の理由が挙げられよう。それはインターネット時代の到来である。インターネットの世界には無記名で告発できる万人共用の掲示板があるので内部暴露がし易くなり、インターネット機能の一つとして組織の内部から膿を搾り出す自浄効果の役割を果たしていると思われる。私は「インターネット」は【百害有って一利無し】と思っていたのだが、そんな点からみると“一利あり”と言えようか。

ふざける菜漬け2: 腐った『メディア』

昨今のTV、ラジオ、新聞、雑誌とあらゆるメディア系が全く腐りきって手の打ちようが無い。TVも朝から夜まで内容の無いバカげた番組で飽和状態。気象庁から発せられる単一情報を、あたかも特ダネのように報道している毎日・毎時の「天気予報」だが、我々現代人は引っ切り無しに天候情報が必要なのか。今や気象環境そのものの変質化が原因なのか「気象衛星で捉えた気象図面からの天気予報もなかなか当たらない」と不評だが、一層のこと「天気予報」番組側が漁師や農家の人々で正確度の高い天気予測をする方と組んで独自の予測を出し、番組同士が正確さを競う合うようにし、視聴者それぞれ各自が正確性の高いと判断した予報番組を自己責任に於いて選択するようにすればもっと「天気予報番組」自体も魅力有るものに変わって来ると思うのだが。

TV放送では五感の一つ“におい”が表現できないのに、制作費が安いからと言って「料理番組」や「安くて美味しい店紹介番組」を乱造している。そしてどのチャンネルでもちょいと出てきたTVタレントといわれる種族達による幼稚園の学芸会レベルより低い「バッカ騒ぎ番組」ではしゃいでいる。更にはまじめに大学で教えているはずの教授がコメンテータとして出ている真昼間の「ニュース報道番組」、視聴率が高ければ何をしても良い風潮で、得体の知れない女占い師に勝手気ままに言わせる番組や、チンピラ風プロボクシング選手の選手権試合の特番を組んでいる局などなど、完全にモラルを喪失してしまっている。新聞なんぞは、各新聞社が半年や1年先からの購読者を5千円商品券や洗濯粉石けんなど沢山の景品を付けて募っているバカさ加減である。こんな時代、半年毎に新聞契約を切り替える事をお薦めしたい。今では新聞全国購読数の高い順位から、内容の面白くない新聞の順番になってしまったような時代なのだから。

現代の拝金主義的傾向は、例えばTV放送会社がスポンサー重点主義で大企業との癒着してしまうとか、記者クラブ内にてお互いのリスクを避けるために談合し合ってニュースをつくるなど、日本のマスコミ業界は世界でも稀なほど偏狭的で低次元な報道をしているのである。これからはくだらない番組があったら、その番組を見ないことも当然だが、さらにそのような番組のスポンサーになっている企業の商品やサービスの非買運動を起こすことである。

ある記事で読んだのだが、モンゴル人民共和国で砂漠の真ん中にパラボラアンテナを掲げて世界のTV放送をキャッチして内容を比べたところ、日本の番組が質において最低だったとの報告がある。はずかしい話である。日本でTVが普及期に入る頃、新聞紙上で「テレビの普及により日本国民 総白痴化」と警告記事を打っていたのを思い出すが、その頃はまだ日本メディア業界はまともだったが、いつの間にかTV業界が総白痴化のリーダーシップを取っているように思える。しかしこの問題の所在は、そんな番組をよしとして受け入れている私たち国民一人ひとりが“おバカさん”であるということなのだが。

ふざける菜漬け3: 物を捨てる民族

地球が先進国の民によってぶっ壊されている。先進諸国が後進国に乗り込んで金が儲かればいいだけを理由に自然をぶち壊している。毎日ゴルフ場200箇所分の森林が伐採されていて、あと500年で地球上から森林が無くなるという。ロシアのアラル海という湖は姿を消しつつあっていずれ砂漠に変わるという。先進諸国の炭酸ガスの大量発生は地球温暖化を加速させ北極の氷河が減っていて、クジラ漁もままならずアラスカのイヌイットの生活も脅かされている。

地球を壊している先進国の仲間である“日本”も物捨て民族の代表格であろうか。

日本自給率39%とほとんどの食べ物を外国に頼っているにも拘らず、年間2000万トンの食料を捨てているらしい。何と世界で飢餓状態にある人類は8億人ほどで、彼らに現在届けられている援助物資はわずかに年間800万トンでまだまだ足りない状態であると言うのに。日本の私たちは本当に手を打つ道を考えずにこのまま捨て放題でいいのか。

我々が毎日捨てているゴミの中身を40年もの間研究していた教授が石川県立大学におられ、2007年秋の調査結果によれば、生ゴミの42%が「食べ残し」で本来お腹の中に入るべき食物が半分近く捨てられていることになる。しかも、全く手が付けられていない食品が28%もあった。しかも6割近くが賞味期限前に捨てられていたものだ。2002年の調査では「手付かずの食品」は11%余りだったのでこの5年間で2.5倍になったわけだ。こんなことを平気でしている親に育てられる子供たち、これはもはや日本人の食意識の危機と言えよう。(日経ビジネス記事より)

更に日本のパーティーでは15%の食べ物が残され捨てられているらしい。結婚式ともなると驚きで23%の食物が捨てられているという。おめでたい席でおめでたくない現実が繰り広げられているのだ。本当におめでたい幸せな一日にするために早速結婚式で出された料理を残した者はパックにしてもらって各自が自宅に持ち帰るようにしようではないか。

その為には、そのように簡単に持ち帰られるように料理をつくる側も料理内容を考え、時代に即応した本当のシェフがどんどんと現れて欲しいのだが。

24時間煌々とライトを照らしっ放しにしたコンビニエンス・ストアで賞味期限切れ商品が、一部は回収され飼料・肥料として再利用されてはいるがその量は知れたもので、ほとんどが捨てられているのが現実だ。かつては「お百姓さんが作ったお米だ、ご飯粒一つまで残すな」と教育されて来た日本人だったのだが、今や我が日本国民の一人ひとりが“こころ”までを捨て去ってしまっているのかも知れない。本当に悲しい現実だが、やはり私たち一人ひとりが“おバカさん”になってしまったという事なのか。

ふざける菜漬け4: 近代文明からのしっぺ返し

米国、英国、フランス、ドイツ そしてアジアの日本などいわゆる先進諸国が18世紀以降、産業革命を重ねながら20世紀後半から高度成長時代を驀進して来た結果として、ただ今、衣・食・住のすべての分野において高度成長の結果から生まれる“しっぺ返し”を喰わされているのだ。「衣・食」の世界ではオイル高によるガソリンや石油製品の高騰による物価高で、生活苦が世界中を襲っており、世界各国で「暴動」や「テロ」が引き起こされている。そしてそのオイル高の原因が普通考えられる需要・供給のアンバランスからの値上がりではなく、先進国の人類が汗水たらして作り上げた商品ではなく、頭の中だけで考えだした“金融商品”、その市場で流れている“だぶついたマネー”がオイル投機に走っている為という何とも自分で自分の首を絞める結果というしっぺ返しを受けているのだ。

高度成長時代が作った「金融商品」の世界では“ふざける菜”的仕組みで出来上がっているようで何とも怪しい匂いがプンプンする。そもそも不動産を対象に生まれた「証券化」が、金融機関が持つ「住宅ローン」、「貸付債権」やリース会社が持つ「割賦債権」、「リース債権」、更には一般企業の「売掛債権」などが証券化の対象となって来ている。そして証券化することにより小口化を図り、一般投資家にも簡単に買える仕組みにしたのだ。また単独では売れもしない債権を証券化して他の優良債権と組み合わせて(つまりゴチャマゼにして)販売しているのだ。すべて最終リスクを負うのは投資家サイドなのである。ぬくぬくとリスクを最小限に逃れているのが原保有者であり中間に介在する銀行、証券会社であり、いつも損するのは投資家なのだ。機関投資家はその辺のプロだから仕方がなかろうが、それほど専門知識も無く少しでも利息の高い商品へと走る一般投資家が損を被っているのが実情なのだ。

身近で恐ろしい例を紹介しよう。石原慎太郎都知事が“新銀行東京問題”で崖っぷちを乗り切ったが、次の崖が2009年4月に襲って来ようとしている。それはCBOオール・ジャパン(社債担保証券)の予定償還日が来るのだが、さて一括弁済が出来るかどうか? この証券は2006年に1200社の中小企業の社債を束ねて証券化したもので、単独では社債を発行できない中小企業でも無担保、無保証で資本市場から資金調達を出来るようにした石原銀行の得意技だったが、束ねた1200社の半分近くが現時点で業績不振というから2009年4月は米国サブプライムローンの日本版の襲来かと恐ろしくなる。

まさしく20年ほど前、バブルが日本を襲っていた時に、「いっくらでも小金を貸しますよ」といって駅前に堂々とデカイ看板を掲げてアットいう間に進出して来た平成の高利貸し『消費者金融業』もそうだったが、結局は借り手が人の弱みにつけ込まされて大損をこく仕組みなのだ。米国で昨年末に勃発し今や全世界を襲っている“サブプライム問題”や、どうしてまだ引っかかるのかと不思議な“オレオレ・振り込め詐欺事件”を見るに、またまた祖母のお説教が頭に浮かぶ。「人・組織をみたらドロボウと思え!!」

ふざける菜漬け5: なぜ「ていたらく国家」になってしまったのか?

いつから日本はこんな“ていたらく国家”に成り下がってしまったのであろうか。私は、それは文明開化に突っ走った“明治維新”以降、徐々に精神的に「堕落国家」の道が始まったのだと思っているのだが。有史以来、日本が世界で誇れる歴史上の時代が有ったのか考えてみると、私は265年もの長い間他国との戦争も無く平民にとっては平和なのんびりとした『江戸時代』が世界に誇れる時代ではなかったかと思っている。

これまで私は講演の機会が有ると【21世紀はこころの時代】をテーマにしてお話しをして来た。その話の中で江戸時代の末期にヨーロッパから日本に来て、当時の外国人の目から見て日本はスバラシイ国だと褒めている【シュリーマン旅行記】や【ツュンベリーの江戸参府随行記】を事例に挙げながら、江戸時代の良いところを良く見直して、21世紀は日本人が失いかけている“人間としてのこころ”を取り戻そうと私の思いを述べてきた。

そこで、この2冊の本の中で私に強烈な印象を与えた文章の一部をここに抜き出して、江戸時代のどこが外国人の目から優れていると見えたのかを検証してみよう。

■ 【シュリーマン旅行記】

     (ハインリッヒ シュリーマン著  石井和子訳 講談社学術文庫)より

『日本に来て私は、ヨーロッパで必要不可欠だとみなされていたものの大部分は、もともとあったものではなく、文明がつくりだしたものであることに気が付いた。寝室をみたしている豪華な家具調度など、ちっとも必要でないし、それらが便利だと思うのは慣れ親しんでいるからに過ぎないこと、それらぬきでも十分やってゆけるのだと分かったのである。もし正座に慣れたら、つまり椅子やテーブル、長椅子、あるいはベットとして、この美しい“ござ”を用いることに慣れることが出来たら、今と同じくらい快適に生活できるだろう。』

なんと、日本の江戸時代のシンプルな生活が当時のヨーロッパの生活より快適だと言っているのだ。

■ 【江戸参府随行記】

     (C.P.ツュンベリー著 高橋文 訳 平凡社東洋文庫)より

『この国の道路は1年中良好な状態にあり、広く、かつ排水用の溝を備えている。〈中略)そして埃に悩まされる暑い時期には、水を撒き散らす。さらにきちんとし た秩序や旅人の便宜の為に、上りの旅をする者は左側を、下りの旅をする者は右側を歩く。つまり旅人がすれ違う際に、一方がもう一方を不安がらせたり、また害を与えたりすることが無いよう、配慮するまでに及んでいるのである。このような状況は、本来は文明が開化されているヨーロッパで、より必要なものであろう。この規則は、ヨーロッパ諸国のように身勝手な国々にとって大いに注目するに値する。なにせそれらの国では、地方のみならず都会の公道においても、毎年年齢性別を問わず、特に老人や子供は軽率なる平和破壊者の乗り物に轢かれたり、ぶっつけられてひっくり返り、体に障害を負うのが珍しいことでは無いのだから。啓蒙された民族にとって、その品位を落とすような嘆かわしい経験をしているのである。』 

なんとなんと、欧米文化をそのまま取り入れてしまった日本は、老人や子供を襲う狂人の蔓延、毎日どこかで線路に飛び込む“人身事故”といわれる自殺者、そして無作為に人を殺す事件などなど、このツュンベリー氏の指摘を裏切り、嘆かわしい啓蒙された民族に成り下がってしまっているのだ。

つまり、日本人は「森の民」なのだから、江戸時代まで森の民として行動して来たように「人間」と「大地」と上手に係わり合いながら進化してくればよいのに、明治維新後は欧米の思想“人間が地球を支配して生きて行けるとする人間中心による利益優先主義”をそのままお手本に突っ走って来てしまった所に問題があったのでは無かろうか。

明治維新後現在までにまだ140年足らずだがその間に産業革命を経て進化を遂げている西洋に追いつけと、鎖国を解き軍事力を高めて富国強兵の国を指向し、日清・日露の両戦争で勝利してしまい帝国主義の勢いは止まらず、遂には米国相手に太平洋戦争に引きずり込まされてゆく。その結果大敗北を帰し、20世紀の半ば負け犬となった日本は、勝ち組の米国により日本の憲法から教育の面までアングロサクソン系の精神を叩き込まされるが、しかし真面目で努力家である日本人はガムシャラに働き、遂には世界での超経済大国にのし上がった。

しかし日本の本質、そして日本人気質からは離れたこの急進な発展は所詮底が浅いものですぐにバブル現象を来たしその崩壊を迎え、その後経済は停滞し続けている。結局は決して国民一人ひとりの心が豊かになったとは思えず【衰退国家】への道をひたすら歩んで来たとすれば、この140年間はいったい何だったのか。そしてこの衰退をこのままにしておいていいのか。この衰退を一瞬にして止めることは出来ないにしても、そのスピードを出来るだけ緩め、いずれは止める方法が有るのではなかろうか。


ふざける菜漬け6: 20XX年には皆が地方に向かって!

2008年のただ今、高度成長によってもたらされた「便利さ、楽さ」に爆走する我々に対して地球が、自然が、そして他の生き物たちが我々人間に対して“しっぺ返し”をしているのだと思っている。地球温暖化問題、世界を襲う大型台風、大干ばつ、大型地震、津波、竜巻、山火事、そして大崩落などの大惨事、更にはそれらが複合的に関連して生み出している生態系異変による諸問題と多岐にわたる“しっぺ返し”を受けているのだ。これからもこの人類への“しっぺ返し”は引き続き繰り返されるのだが、このままではまずいと気づいた人類たちも「便利さ、楽さ」を求めて一辺倒な生活からの切り替えに挑戦し始めている。

日本人がこれから本来の生活や教育のあり方を真剣に修正を加えながら21世紀中期にはあるべき“こころの時代”を迎えようと20XX年頃にはこんな事が起きているかもしれない現象・出来事をここで空想展開してみよう。

■201X年10月X日 日日新聞記事より:『趣味が登山だったので助かったが』

この度○○市を襲った大型地震で未だ電力供給が70%しか普及していないが、この市中の50階建て高層マンション40階に住むAさんは通勤時には、買い物用のリックを背負って毎日軽登山を体験している。このマンションは建設設計時の集中管理配電装置に異常が有ったとして問題点が解明されるまで通電を開始できないという理由で地震後10日経ってもまだ電気が来ていない。そこで毎朝、出勤時にリックを背負ってエレベータ脇にある非常階段を地上まで下りている。途中25階にいる老人夫婦Bさんの部屋に立ち寄り、買って来てほしい物のリストをもらって通勤帰りにスーパーに寄り自家用の買出しと同時に人助けとしてBさん夫婦の買い物も一緒に行っている。朝8時台の非常階段下りは学童や学生、通勤などの人で列が出来あがり、下に降りるに従って次第に人数が増えて地上に到達する頃には人いきれでビッショリと汗をかいている。

仕事を終えて夜7時ころ Aさんはスーパーで買い物を済ませて自宅マンションの前に立つ。空に向かって真っ直ぐに聳え立つマンション、ふっと学生時代に仲間と登った北アルプス鹿島槍を思い出していた。これからこのビルの40階まで およそ230mの高さまでの上りである。リックにはくだもの類、野菜、飲み物類などズッシリと入っていて肩に食い込む。5階付近までは快調なペースだったが、10階を過ぎる頃から休み休み上る。上から大急ぎで降りてくる靴音が響く。22階付近ですれ違う。50階に住むCさんで、これからベビー用の粉ミルクを買いに行くのだとニコット笑っていたが、“行きはヨイヨイ 帰りが辛い”ですねと言って二人で大笑いをする。

Aさんは考える。何でこんな事態が突然襲ってきて、こんな辛い目に合わねばならないのだろうかと。小金を貯めて家族が喜ぶ高層マンションに引っ越してベランダから見る東京の夜景は天国のように感じていたのに。人口対比で平地面積が狭すぎる都市部では住処が高層に伸びて行くこの姿は近代文明が造りだした異常なのか。子供の頃の土にまみれた田舎の生活がうらやましく思えてきた。

自分はそれでも若い頃登山をしていたので、何とかビルの上り下りが出来るが、他の住人はどうしてこの事態を乗り切っているのだろうか。25階まで登って、Bさん宅に頼まれ物を届け、エレベータ前の踊り場のところに戻って額にあふれている汗を拭いた。自分にもBさん老夫婦と同世代の両親が田舎で生活しているが、つい数週間前に父親から電話で田舎での二人での生活も不自由を感じるようになったので都心のマンションにでも引っ越そうかと相談をして来ていたのである。その提案に対して自分の近くに来てくれれば後々の介護にも都合いいし、孫の相手もしてくれるので大賛成と返事していたのである。今、自分はその返事の間違えに気が付いた。「よし、我々家族が故郷の両親の元に引っ越そう」という考えを今夜ワイフに話してみようと思いながら残された階段を上り始める。外を眺めると十五夜のまん丸なお月様が何事も無いように煌々と摩天楼群に光を落としていた。

■ 201X年4月X日 日夕新聞記事より:『遂に始まった学童集団疎開』

5年前に閣議決定された「都心小学校児童 集団疎開」がいよいよ実施される。10年ほど前から文部科学省が「子供の教育」に関して近代文明の進化によって学校教育が本来あるべき姿から大きく離脱してしまったのではないかと問題視され、小学校の教科に「道徳」などを増やしてはみたが好転の兆しが無く、また7年前に○○市で起きた【乾電池による水道水汚染事件】で発覚した「子供たちのトイレ問題」が切っ掛けとなってこの「児童集団疎開」が実施の運びとなった。

【乾電池 水道水汚染事件】とは○○市郊外にある○○川に大量の魚の死骸が浮き上がっている事件が発生し、調査の結果40~50年ほど前から○○川の上流に産業廃棄物処理場があったが、その廃棄物の一部が処理されずに地中に埋められていたことが分かった。産廃業者の話によれば、特に20~30年前にスーパー、量販店、ディスカウント・ショップなどで10個、20個入り乾電池パックが安価大量に売られていたが、単1、単3、単4、単5やボタンサイズの小型乾電池類の期限切れ在庫や非売在庫などが大量に産廃として運ばれていてそのまま地中に埋めていたと言う。この○○川は◇◇湖に流れ込んでいて、この辺一帯の水甕となっていることから急遽水質調査に入ったが、やはり不純度は致命的レベルでは無いが汚染されている事実が判明し、この地区の水道配水は一時ストップして配水車による定時配水が行われた。

この定時配水期間中に別の問題が発生したのだ。小学生や中学生の登校拒否が集団的に起きたのである。その理由が何と学校のトイレに行ってもオシュレットの水が出ないので用がたせないという子供達の悩みだったのだ。家にいれば母親に助けてもらって何とか事後処理が出来るので家に閉じこもる子供が増えたのである。子供たちは、トイレとは事後は自動的に水が出て局部を荒い落し且つ蒸気乾燥をしてくれるものと理解しており、水無しで自分の手で紙を使って拭き取る行為を全く知らずに育っていたのである。子供を襲うトイレ恐怖症は、遂には食事を取らなければトイレに行かずに済むと思い込み十分な食事を取らずにサプリメント錠剤を飲んで済ましている子供が急増したのである。

そんな事件は国会でも話題となり、ある人物の投書が切っ掛けとなり子供たちに生れ落ちたときから最も大事な事を教えるには、近代文明の作り出した便利さの世界から一旦離れて田舎の自然の中で本当の生きる知恵を身に付けるべきとの意見が大勢をしめ、教育関係各部署にて検討が重ねられて遂に「田舎への集団疎開案」の骨子が出来上がり5年前に正式閣議決定された。第一ステップとして都23区内の小学生の1~2学年が対象となり残された小学生期間を指定された疎開地に出向いて勉強する計画である。

今日は集団疎開の第一弾として都内12区の小学校1~2年組みが電車やバスにてそれぞれ決められた疎開地に移動する日。親との長い別れに泣き出す子供がいたが、これは現代が失ってきた「人間らしさ」を取り戻し「あしたの日本」を背負ってゆく子供達への修行の機会と親たちも十分に納得して子を送り出していた。10年後、20年後 これら子供たちが生き生きとした目で社会に出て働いている姿に期待したい。この疎開の計画はまず都内23区に在住家族の小学生を対象に実施されるが、その後は全国大型都市に広げてゆく計画である。

ところで集団疎開の対象となった小学校では徐々に低学年層がいなくなり校舎を使用する生徒数も漸減してゆくわけだが、その対応としては先生方の人事もこの政策に合わせて徐々に疎開地への転勤が増え、また校舎の空きスペースは各地の役所や大学と連携して、その地域の高齢者を対象にした生涯学習や町会などの地域活動の場として幅広く利用出来るようになっている。また建築年数が長いため耐震問題がある校舎は最終6年生を送り出した後は、校舎を壊してそこを公園などに造り替え更なる地域の緑化を図ってゆく計画となっている。

■202X年6月XX日 夕夕新聞記事より: 『中学・高校生の集団就職で地方へ』

今朝9:00発の東北新幹線にて都内の中卒1500人、高卒700人が初の東北の各地に集団就職のため第一弾が出発した。最も多いのが秋田県・八郎潟干拓地の農業組合への就職で次に多いのが青森県・八戸市の漁業組合への就職となっているが、その他に炭焼き職人として、あるいは岩手県・小久慈焼や栃木県・益子焼の陶芸家を志望した人、村や町起こしが目的で各地の観光協会への就職組などなど多種の分野に亘っている。出発前に文部科学省大臣からの激励の挨拶が有ったが、地方に向けて出発する青年たちの顔は希望に燃えているようで満面笑みを浮かべていた。

1960年代 日本の高度経済成長期に農家の次男坊以降の子供たちが中学・高校を卒業後都市の工場に集団で就職が行われた。当時はこのような若い労働力は将来性が高いこと、そして安い賃金で雇えることから“金の卵”ともてはやされた。特に東京への就職が多く、当時のニュースで上野駅に集団就職列車が到着すると駅のホームは、若い熱気でムンムンしていたあのシーンが思い出される。しかしこの結果として都市部の人口増加、および就職者の待遇の悪さや学歴の低さから、その子弟の教育水準の低下が起きて学校関係に影響を及ぼしたとも言われている。

しかし今回の都市から地方への逆流の集団就職は1960年代のものとは全く異にしている。

大きな違いは、日本の衰退する第一次産業(農業、漁業や鉱業)の復活と、それによる地方産業の活性化を図る目的で、この就職に関しては国が支援しているので給料は一般平均水準、一部の分野では平均以上という点である。201X年から始まった「小学生集団疎開」政策により子供たちに地方に対する違和感が薄れ積極的に地方に出向く傾向が出ており、その結果、都市集中型の人口分布も地方に分散化されバランスが取れ始めて来ており、地方の活性化に大きく貢献している。この集団就職により更に地方が元気付いて行くことに期待したい。

■ 202X年9月X日 日日経済新聞記事より: 『変わり行く世界の勢力図』

今から○○年前の2008年、米国は中央アジアで展開してきた政策で失敗し、更には低所得者に低金利で金を融通するサブプライムローンの焦げ付き問題が更に大型化して自由資本主義の最も優等生国として世界に君臨してきていた米国だったが、ドルへの不信は世界の国々の米国離れを加速化させ、普通の国への坂道を下り始めていた。ここに来ての米国の急激な弱体化はある経済学者によれば、実は1989年ソ連の崩壊により米国が唯一の超大国に上り詰めた辺りから始まり、2001年9月のニューヨーク貿易センタービルの崩落事件を境に、米国は世界のリーダーとして誤った道を暴走し続け、世界全体を政治的にも、経済的にも悪化の方向へ舵を取ってしまった為に、その総決算としてその“しっぺ返し”を蒙っていると解説している。

インターネット社会の普及による「ボーダレス革命」は、これまでの過去の歴史にあったような17世紀の強国による植民地政策や、20世紀の米国のような一極独裁による非人道的手段が世界の国々から非難され易い環境に切り替わり、例えば中国は201X年に国の存続策として取った連邦制のごとく、一極独裁の時代は終わりそれぞれの国が寄り添ってゆく時代が到来し、世界の勢力図も大きく変わってきている。

つまりどこが大国という国は存在せず、EU経済圏、アジア経済圏、アメリカ大陸経済圏、アフリカ経済圏、オセアニア経済圏がそれぞれバランスよく交易をする形で今後も発展してゆくとみている。

連邦制を取り入れた中国に対して日本は「中国連邦」の海岸線の州、シャントン(山東)州、チャンスー(江蘇)州、チョーチャン(折江)州、プーチェン(福建)州、そしてコワントン(広東)州などの各州政府とそれぞれ和親条約が取り交わされバランスの取れた交易が行われ始めた。日本の第一次産業の復活は、食物自給率でも51%に回復してきており、更に日本のロボット技術、太陽エネルギー変換技術、バイオテクノロジー、低炭素化技術では世界のリーダーとなり世界の国々への貢献度が高く評価されて、その結果日本円に対する信用が高まりアジア経済圏の中心的存在に成長しつつある。これからの「アジア経済圏」の発展が楽しみである。

ふざける菜漬け7: あとがきに代えて

急いで201X年から202X年までをBack to the futureしてきたが、このような日本に変わっていれば、きっと世界も変わっていて、地球から、自然から、そして他の生き物からの“しっぺ返し”は極端に少なくなり、人類が求めている「こころの21世紀」になるに違いない。そしてその頃の私の会話からも「ふざける菜漬け」が消えて「うれしい菜」に遺伝子組み換えが完成していると思うのだが。

いつの間にか6月13日の不吉な日は14日(土曜)に変わっていた。私はメール仲間の「東京勉強会メンバー」に次のような文面のメールを発信していた。

■ 2008年9月6日(土) 13:00〜

■ 両国【江戸東京博物館】と九段下【昭和館】を訪ねる集い

■ 目的:このままでは日本はどうなるの?? 物価高による経済不況、政治そして
      教育の貧困、少子化問題、老後問題、そして地球保護対策などなど問題
       は滞積している。しかし対策はある!! そのヒントを与えてくれるのが
       「江戸時代の生活」と「戦中・戦後のくらし」ではないかと思うのだが。

■ 集合場所:九段下・昭和館 1階ロビー 13:00

■ 打ち上げ場:両国 「ちゃんこ鍋」にて乾杯! 20:00 散会予定

一人でも多くの参加者があれば「うれしい菜」と思いながらPC電源を切ってベッドに入った。

<完>

追加報告】

○9月6日の勉強会は無事終わりました。参加されたのは6名で(2名都合で欠席)ベン
  チャー企業の社長さん3名、中堅企業の重役さんが2名、ご隠居1名でしたが、
  2次会の打ち上げの席での会話に熱が入っておりました。昭和館、東京江戸博物
  館それぞれとも内容が濃いために2時間では全部見られずもう一度訪ねたいと言う
  意見が多く出ました。数多くの意見の中で最も集中したのが、近年の教育の問題、
  そして先生の質の問題でした。

○9月20日東京大学公開講座『成熟(落ち着きが生む力)』を受講して参りました。
 公開の挨拶で小宮山東大総長が日本ではこれまでに平安時代、そして江戸時代と
 「成熟」の時代はあって文化は栄えたと。しかし明治維新後西洋文明に追いつけと突
  っ走ってきたが,2050年には安定期を迎えると言う。それは その頃は鉄鋼だろう
  がアルミニュームだろが、量の面で文明が作った製品(例えば自動車)から資源だけ
  を選出してほぼ100%再利用出来る時代が到来するからだと。

○別の講演『福祉国家の変容と成熟』の中で、“経済ナショナリズムの時代”は一国
  の経済成長が国民の豊かさ(幸福)の拡大をもたらしたから良かったのだが、成熟の
  時代は『個人化』が礼賛される社会となった。教育では“人生は選び取るもの”
  (自己実現)を助ける指導をしてきたが、これが適切だったかどうか?なぜなら成熟
  期の現在、子供の70%以上が高等教育まで受けて、つまり20歳以上になるまで
  学生状態で社会に出てすぐに自己実現を図れるはずがないと。つまり「成熟時
  代」は“大人になることが大変に難しい”時代なのかも知れない、と説明していた。

○私の結論:社会も人間(いや万物)も『誕生ー成長ー成熟ー衰退ー死』のサイクルを
  繰り返しているのだ。だから今が成熟期なら、衰退を続け、一旦一つの流れの死を
  迎え(この時は世界恐慌,飢饉とか世界戦争とか地獄絵のような厳しい時代なの
  だろうが)その後に全く新しい流れが生まれるというプロセスを辿るのだ。平安時代か
  ら戦国時代へ、江戸時代から明治維新を経て、そして今が有るのだから。

<草々>


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