<ふざける菜漬け・目次> (章の部分をクリックすますと、その章にリンクします。)
ふざける菜漬け1: はびこる『ウソ』 ふざける菜漬け2: 腐った『メディア』 ふざける菜漬け3: 物を捨てる民族 ふざける菜漬け4: 近代文明からのしっぺ返し ふざける菜漬け5: なぜ『ていたらく国家』になってしまったのか? ふざける菜漬け6: 20XX年には皆が地方に向かって! ふざける菜漬け7: あとがきに代えて |
2008年のただ今、高度成長によってもたらされた「便利さ、楽さ」に爆走する我々に対して地球が、自然が、そして他の生き物たちが我々人間に対して“しっぺ返し”をしているのだと思っている。地球温暖化問題、世界を襲う大型台風、大干ばつ、大型地震、津波、竜巻、山火事、そして大崩落などの大惨事、更にはそれらが複合的に関連して生み出している生態系異変による諸問題と多岐にわたる“しっぺ返し”を受けているのだ。これからもこの人類への“しっぺ返し”は引き続き繰り返されるのだが、このままではまずいと気づいた人類たちも「便利さ、楽さ」を求めて一辺倒な生活からの切り替えに挑戦し始めている。 日本人がこれから本来の生活や教育のあり方を真剣に修正を加えながら21世紀中期にはあるべき“こころの時代”を迎えようと20XX年頃にはこんな事が起きているかもしれない現象・出来事をここで空想展開してみよう。 ■201X年10月X日 日日新聞記事より:『趣味が登山だったので助かったが』 この度○○市を襲った大型地震で未だ電力供給が70%しか普及していないが、この市中の50階建て高層マンション40階に住むAさんは通勤時には、買い物用のリックを背負って毎日軽登山を体験している。このマンションは建設設計時の集中管理配電装置に異常が有ったとして問題点が解明されるまで通電を開始できないという理由で地震後10日経ってもまだ電気が来ていない。そこで毎朝、出勤時にリックを背負ってエレベータ脇にある非常階段を地上まで下りている。途中25階にいる老人夫婦Bさんの部屋に立ち寄り、買って来てほしい物のリストをもらって通勤帰りにスーパーに寄り自家用の買出しと同時に人助けとしてBさん夫婦の買い物も一緒に行っている。朝8時台の非常階段下りは学童や学生、通勤などの人で列が出来あがり、下に降りるに従って次第に人数が増えて地上に到達する頃には人いきれでビッショリと汗をかいている。 仕事を終えて夜7時ころ Aさんはスーパーで買い物を済ませて自宅マンションの前に立つ。空に向かって真っ直ぐに聳え立つマンション、ふっと学生時代に仲間と登った北アルプス鹿島槍を思い出していた。これからこのビルの40階まで およそ230mの高さまでの上りである。リックにはくだもの類、野菜、飲み物類などズッシリと入っていて肩に食い込む。5階付近までは快調なペースだったが、10階を過ぎる頃から休み休み上る。上から大急ぎで降りてくる靴音が響く。22階付近ですれ違う。50階に住むCさんで、これからベビー用の粉ミルクを買いに行くのだとニコット笑っていたが、“行きはヨイヨイ 帰りが辛い”ですねと言って二人で大笑いをする。 Aさんは考える。何でこんな事態が突然襲ってきて、こんな辛い目に合わねばならないのだろうかと。小金を貯めて家族が喜ぶ高層マンションに引っ越してベランダから見る東京の夜景は天国のように感じていたのに。人口対比で平地面積が狭すぎる都市部では住処が高層に伸びて行くこの姿は近代文明が造りだした異常なのか。子供の頃の土にまみれた田舎の生活がうらやましく思えてきた。 自分はそれでも若い頃登山をしていたので、何とかビルの上り下りが出来るが、他の住人はどうしてこの事態を乗り切っているのだろうか。25階まで登って、Bさん宅に頼まれ物を届け、エレベータ前の踊り場のところに戻って額にあふれている汗を拭いた。自分にもBさん老夫婦と同世代の両親が田舎で生活しているが、つい数週間前に父親から電話で田舎での二人での生活も不自由を感じるようになったので都心のマンションにでも引っ越そうかと相談をして来ていたのである。その提案に対して自分の近くに来てくれれば後々の介護にも都合いいし、孫の相手もしてくれるので大賛成と返事していたのである。今、自分はその返事の間違えに気が付いた。「よし、我々家族が故郷の両親の元に引っ越そう」という考えを今夜ワイフに話してみようと思いながら残された階段を上り始める。外を眺めると十五夜のまん丸なお月様が何事も無いように煌々と摩天楼群に光を落としていた。 ■ 201X年4月X日 日夕新聞記事より:『遂に始まった学童集団疎開』 5年前に閣議決定された「都心小学校児童 集団疎開」がいよいよ実施される。10年ほど前から文部科学省が「子供の教育」に関して近代文明の進化によって学校教育が本来あるべき姿から大きく離脱してしまったのではないかと問題視され、小学校の教科に「道徳」などを増やしてはみたが好転の兆しが無く、また7年前に○○市で起きた【乾電池による水道水汚染事件】で発覚した「子供たちのトイレ問題」が切っ掛けとなってこの「児童集団疎開」が実施の運びとなった。 【乾電池 水道水汚染事件】とは○○市郊外にある○○川に大量の魚の死骸が浮き上がっている事件が発生し、調査の結果40~50年ほど前から○○川の上流に産業廃棄物処理場があったが、その廃棄物の一部が処理されずに地中に埋められていたことが分かった。産廃業者の話によれば、特に20~30年前にスーパー、量販店、ディスカウント・ショップなどで10個、20個入り乾電池パックが安価大量に売られていたが、単1、単3、単4、単5やボタンサイズの小型乾電池類の期限切れ在庫や非売在庫などが大量に産廃として運ばれていてそのまま地中に埋めていたと言う。この○○川は◇◇湖に流れ込んでいて、この辺一帯の水甕となっていることから急遽水質調査に入ったが、やはり不純度は致命的レベルでは無いが汚染されている事実が判明し、この地区の水道配水は一時ストップして配水車による定時配水が行われた。 この定時配水期間中に別の問題が発生したのだ。小学生や中学生の登校拒否が集団的に起きたのである。その理由が何と学校のトイレに行ってもオシュレットの水が出ないので用がたせないという子供達の悩みだったのだ。家にいれば母親に助けてもらって何とか事後処理が出来るので家に閉じこもる子供が増えたのである。子供たちは、トイレとは事後は自動的に水が出て局部を荒い落し且つ蒸気乾燥をしてくれるものと理解しており、水無しで自分の手で紙を使って拭き取る行為を全く知らずに育っていたのである。子供を襲うトイレ恐怖症は、遂には食事を取らなければトイレに行かずに済むと思い込み十分な食事を取らずにサプリメント錠剤を飲んで済ましている子供が急増したのである。 そんな事件は国会でも話題となり、ある人物の投書が切っ掛けとなり子供たちに生れ落ちたときから最も大事な事を教えるには、近代文明の作り出した便利さの世界から一旦離れて田舎の自然の中で本当の生きる知恵を身に付けるべきとの意見が大勢をしめ、教育関係各部署にて検討が重ねられて遂に「田舎への集団疎開案」の骨子が出来上がり5年前に正式閣議決定された。第一ステップとして都23区内の小学生の1~2学年が対象となり残された小学生期間を指定された疎開地に出向いて勉強する計画である。 今日は集団疎開の第一弾として都内12区の小学校1~2年組みが電車やバスにてそれぞれ決められた疎開地に移動する日。親との長い別れに泣き出す子供がいたが、これは現代が失ってきた「人間らしさ」を取り戻し「あしたの日本」を背負ってゆく子供達への修行の機会と親たちも十分に納得して子を送り出していた。10年後、20年後 これら子供たちが生き生きとした目で社会に出て働いている姿に期待したい。この疎開の計画はまず都内23区に在住家族の小学生を対象に実施されるが、その後は全国大型都市に広げてゆく計画である。 ところで集団疎開の対象となった小学校では徐々に低学年層がいなくなり校舎を使用する生徒数も漸減してゆくわけだが、その対応としては先生方の人事もこの政策に合わせて徐々に疎開地への転勤が増え、また校舎の空きスペースは各地の役所や大学と連携して、その地域の高齢者を対象にした生涯学習や町会などの地域活動の場として幅広く利用出来るようになっている。また建築年数が長いため耐震問題がある校舎は最終6年生を送り出した後は、校舎を壊してそこを公園などに造り替え更なる地域の緑化を図ってゆく計画となっている。 ■202X年6月XX日 夕夕新聞記事より: 『中学・高校生の集団就職で地方へ』 今朝9:00発の東北新幹線にて都内の中卒1500人、高卒700人が初の東北の各地に集団就職のため第一弾が出発した。最も多いのが秋田県・八郎潟干拓地の農業組合への就職で次に多いのが青森県・八戸市の漁業組合への就職となっているが、その他に炭焼き職人として、あるいは岩手県・小久慈焼や栃木県・益子焼の陶芸家を志望した人、村や町起こしが目的で各地の観光協会への就職組などなど多種の分野に亘っている。出発前に文部科学省大臣からの激励の挨拶が有ったが、地方に向けて出発する青年たちの顔は希望に燃えているようで満面笑みを浮かべていた。 1960年代 日本の高度経済成長期に農家の次男坊以降の子供たちが中学・高校を卒業後都市の工場に集団で就職が行われた。当時はこのような若い労働力は将来性が高いこと、そして安い賃金で雇えることから“金の卵”ともてはやされた。特に東京への就職が多く、当時のニュースで上野駅に集団就職列車が到着すると駅のホームは、若い熱気でムンムンしていたあのシーンが思い出される。しかしこの結果として都市部の人口増加、および就職者の待遇の悪さや学歴の低さから、その子弟の教育水準の低下が起きて学校関係に影響を及ぼしたとも言われている。 しかし今回の都市から地方への逆流の集団就職は1960年代のものとは全く異にしている。 大きな違いは、日本の衰退する第一次産業(農業、漁業や鉱業)の復活と、それによる地方産業の活性化を図る目的で、この就職に関しては国が支援しているので給料は一般平均水準、一部の分野では平均以上という点である。201X年から始まった「小学生集団疎開」政策により子供たちに地方に対する違和感が薄れ積極的に地方に出向く傾向が出ており、その結果、都市集中型の人口分布も地方に分散化されバランスが取れ始めて来ており、地方の活性化に大きく貢献している。この集団就職により更に地方が元気付いて行くことに期待したい。 ■ 202X年9月X日 日日経済新聞記事より: 『変わり行く世界の勢力図』 今から○○年前の2008年、米国は中央アジアで展開してきた政策で失敗し、更には低所得者に低金利で金を融通するサブプライムローンの焦げ付き問題が更に大型化して自由資本主義の最も優等生国として世界に君臨してきていた米国だったが、ドルへの不信は世界の国々の米国離れを加速化させ、普通の国への坂道を下り始めていた。ここに来ての米国の急激な弱体化はある経済学者によれば、実は1989年ソ連の崩壊により米国が唯一の超大国に上り詰めた辺りから始まり、2001年9月のニューヨーク貿易センタービルの崩落事件を境に、米国は世界のリーダーとして誤った道を暴走し続け、世界全体を政治的にも、経済的にも悪化の方向へ舵を取ってしまった為に、その総決算としてその“しっぺ返し”を蒙っていると解説している。 インターネット社会の普及による「ボーダレス革命」は、これまでの過去の歴史にあったような17世紀の強国による植民地政策や、20世紀の米国のような一極独裁による非人道的手段が世界の国々から非難され易い環境に切り替わり、例えば中国は201X年に国の存続策として取った連邦制のごとく、一極独裁の時代は終わりそれぞれの国が寄り添ってゆく時代が到来し、世界の勢力図も大きく変わってきている。 つまりどこが大国という国は存在せず、EU経済圏、アジア経済圏、アメリカ大陸経済圏、アフリカ経済圏、オセアニア経済圏がそれぞれバランスよく交易をする形で今後も発展してゆくとみている。 連邦制を取り入れた中国に対して日本は「中国連邦」の海岸線の州、シャントン(山東)州、チャンスー(江蘇)州、チョーチャン(折江)州、プーチェン(福建)州、そしてコワントン(広東)州などの各州政府とそれぞれ和親条約が取り交わされバランスの取れた交易が行われ始めた。日本の第一次産業の復活は、食物自給率でも51%に回復してきており、更に日本のロボット技術、太陽エネルギー変換技術、バイオテクノロジー、低炭素化技術では世界のリーダーとなり世界の国々への貢献度が高く評価されて、その結果日本円に対する信用が高まりアジア経済圏の中心的存在に成長しつつある。これからの「アジア経済圏」の発展が楽しみである。 急いで201X年から202X年までをBack to the futureしてきたが、このような日本に変わっていれば、きっと世界も変わっていて、地球から、自然から、そして他の生き物からの“しっぺ返し”は極端に少なくなり、人類が求めている「こころの21世紀」になるに違いない。そしてその頃の私の会話からも「ふざける菜漬け」が消えて「うれしい菜」に遺伝子組み換えが完成していると思うのだが。 いつの間にか6月13日の不吉な日は14日(土曜)に変わっていた。私はメール仲間の「東京勉強会メンバー」に次のような文面のメールを発信していた。 ■ 2008年9月6日(土) 13:00〜 ■ 両国【江戸東京博物館】と九段下【昭和館】を訪ねる集い ■ 目的:このままでは日本はどうなるの?? 物価高による経済不況、政治そして ■ 集合場所:九段下・昭和館 1階ロビー 13:00 ■ 打ち上げ場:両国 「ちゃんこ鍋」にて乾杯! 20:00 散会予定 一人でも多くの参加者があれば「うれしい菜」と思いながらPC電源を切ってベッドに入った。 <完> ○9月6日の勉強会は無事終わりました。参加されたのは6名で(2名都合で欠席)ベン ○9月20日東京大学公開講座『成熟(落ち着きが生む力)』を受講して参りました。 ○別の講演『福祉国家の変容と成熟』の中で、“経済ナショナリズムの時代”は一国 ○私の結論:社会も人間(いや万物)も『誕生ー成長ー成熟ー衰退ー死』のサイクルを <草々>
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