セールス・フォース・マネージメント研究会

第7回研究会 平成21年7月13日(月) 18:00〜19:30

            早稲田大学 国際会議場 4階 共同研究室 #7

このスピーチは次の3つのテーマで構成されておりました。

Part−1: 【塩の道・一人行脚】のDVD放映 (30分)

Part−2: 【塩の道・一人行脚】で学んだこと

        「感謝の気持ち」から 「報恩の実践」へ

Part−3: 【近代文明からのしっぺ返し】

Part−1のDVDは<私の書籍>欄に掲載されていますのでご覧ください。

Part−2に就きましても駄本の「総括」の部分で述べられておりますので、ここでの説明を省きせせて頂きます。

ここではPart−3【近代文明からのしっぺ返し】のスピーチ内容に絞って報告したいと思います。

テーマ:【近代文明からのしっぺ返し】

(1) 21世紀はこころの時代

【塩の道・一人行脚】を通して確信できたのは、地球上で万物のサイクルを勝手に壊しているのは人間だけだということ。更に私がこうして生きているのは沢山の人々に支えられて存在していることを知らされ、だからこそいつも“人への感謝”の気持ちを持ち、そして、これからの残された人生は【感謝から報恩への実践】これが私に与えられた使命だと気づきました。

私はこれまでスピーチの機会を頂きますと、【21世紀はこころの時代である】と言い続けて参りました。

SFM研究会でも

@ 平成16年9月16日 題目「企業不祥事と継続会社の条件」のとき、

そして;

A 平成17年6月13日 題目 エッセイ『伊那谷と私』発刊に際して

この2回のスピーチの折にも、『こころの時代』を学びとるのは「江戸時代にそのヒントがあり」とお話してきました。そしてそれが理解しやすいように、ドイツ人、ハインリッヒ・シュリーマンの著書【シューリマン旅行記】や、スエーデン医師のC,P、ツュンベリーの【江戸参府随行記】の中で江戸時代の社会がいかに優れると書かれていたかを説明して来ました。

その辺の話をまたまた繰り返すのは避けるとして、昨年8月に私が書きましたエッセイ作品『悲憤慷慨(2)ふざける菜漬け』の中でも書かれていますので、今日はこの小冊子を皆さんにお配りしますので、詳しくは家に帰ってお読み頂ければと思います。
(『ふざける菜漬け』に就いては<私の随筆>欄の「生活エッセイ」に掲載されています。)

ここでは、江戸時代が如何に【エコ社会】で有ったかを「江戸時代の着物の一生」を眺めて「如何に地球に優しかったか」を皆さんと考えてみたいと思います。

(2) このままでは、まずい事に気づいた欧米社会

欧米社会も「文明の進化が地球を壊している」ことに気づきはじめます。
そもそもは1972年に、世界の学識研究者100名からなるローマクラブが第一回目の報告書【成長の限界】を発表していますが、これが“気づき”の始まりです。
その警告とは
『現在のままで人口増加や環境破壊が続けば、資源の枯渇や環境の悪化によって100年以内に人類の成長は限界に達する』という内容。

驚くべきは、1992年の報告書【限界を超えて 生きるための選択】では、
『資源採取や環境汚染の行き過ぎによって21世紀前半に破局が訪れる』という最悪のシナリオです。

そしてここに来て慌てたように「地球温暖化対策」、「CO2削減」、「低炭素社会の実現」などなどの言葉が行き交っています。
さらには人間中心主義の海の向こうの国から「サステナビリティ」や「ロハス」の言葉が入ってきて騒いでいます。

   サステナビリティ=環境に悪い影響を与えない持続可能な経済活動を。

   ロハス=健康と持続可能な社会に配慮したライフスタイルを目指す。
          (LOHAS) = Lifestyle of Health and Sustainability

(3)「しっぺ返し」と「日本文化」

しかし日本人はそもそも『森の民』だったのです。文明とは「大地」と「人間」の係わり合いの中で誕生・発展してきたものと言われています。ところが近代文明は「大地」を忘れ去り、大地が醸し出す風土性を忘却して暴走を続けているようです。これは欧米の考え、「人間」と「大地」を別物に捕らえ、人間が自然を支配して生きていけるという判断、つまり人間中心主義に走ってしまった結果として、いま人類はその「しっぺ返し」を受けているのです。
欧米文明をフォローしてきた日本も同様にしっぺ返しを受けているのです。

日本人はコメを主食としてタンパク質を魚に求めるのです。稲作は弥生時代に大陸から日本に入って普及したそうですが、その時ヤギやヒツジなど家畜は入れなかったそうです。それは家畜が森を食いつぶすと考えていたからです。
つまり「森の文化」を発展させたのが『日本文化』といえましょう。
                (参考:SFM研究会スピーチ 平成17年6月13日内容)

そして欧米文化を追い求めてしまった日本では、今や森林が崩壊の危機にあるそうで、「森の文化」の崩壊です。          (参考:『森林の崩壊』白井裕子著 新潮社)

つまり我々日本人は、もうこれ以上に欧米の真似をするのでは無く、本来の『日本人気質』を取り戻せばいいように思うのです。

日本人がこれからどんなプロセスを辿って「こころの時代」を迎えてゆくかを、小冊子『ふざける菜漬け』の中で【20XX年の出来事】を空想物語として掲載しておりますのでお読みてください。
そして、21世紀前半に地球の破局が来ないようにするにはどうすればいいのか、是非皆さん一人ひとりになって考えてみてください。

(4) これからは『寄り合い型社会』(ヒトデ型社会)の到来か

大きな通信革命「インターネット時代」の到来によって、何もかもが大きく変わろうとしている最中です。まだ現在壮年層以上の人々の中にはコンピュータ扱いに不慣れな人が多いため、生活システムのすべてをガラリと切り替えてしまう訳にはゆかず、従来型社会と未来型社会の混在型が現在なのでしょう。

どちらの型がいいとか悪いとかという問題ではなく、欲望を満たしてゆく本能をもつ人類は更に進化を遂げて行かざるを得ないので(【便利】から【不便】に逆戻りは出来ない)、いずれは完全未来型社会となってしまうのです。今小学、中学の生徒たちが大人になったとき、誰もがコンピュータを生活の必需品(単なる道具)として扱うので、今とは生活パターンが全く変わっている事でしょう。勿論、そんな時代になれば“未来型”などとの表現すら無くなっていますが。

私たちのこれまでの時代は、制度があってリーダーを中心に統制されていた「中央集権型社会」の中で育ってきたと思うのです。経営手法でも「カリスマ経営」が羽振を効かし、その結果として大きく成長した大企業の周りに衛星中小企業群が覆い包むような社会形態でした。「とにかく良くて安いものを民に与えればそれでよし」を大前提に突っ走って来たように思います。
私はこのような形態を「親分子分型社会」と呼んでいます。

しかしインタネット時代到来で個人からの情報発信が容易になりました。これはすごい革命です。この結果、個人で簡単に物が売れるようになり(ネットショップ)、そして自分と主義や趣味が同じような仲間でインターネットを介して簡単にグループが作れる時代が来たのです。つまり権限が分散化された時代の到来です。昨今、政治の世界でもこれまでの国会中心主義(国政)から、地方政治重心への分権化が議論されているではありませんか。
私はこのような形態を「寄り合い型社会」と呼んでいます。

アメリカ人が『ヒトデはクモよりなぜ強い』というお面白い本を書いています。

この本の内容の解説はここでは省くとして、どうやら「親分子分型」が「クモ型」で「寄り合い型」が「ヒトデ型」に丁度合致しているように思います。

これを右に表示してみたので比較してご覧ください。

この本では、今は「クモ型」ではなく「ヒトデ型」時代が到来しているのだと言いたいのでしょう。
もっと最近の卑近な例を紹介しましょう。これは今年3月第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本チームが連覇を果たし世界一になりましたが、その時イチローがこう言ったそうです。

「向上心です。これが集まったチームは強い。チームにリーダーが必要という発想があるが、必要無かった。それぞれに向上心があれば、むしろリーダーがいない方がいい。」 大会の前には誰でも、松坂(レッドソックス)、イチローの両大リーガーを注目しましたが、実際には二人は突出するよりもチームに溶け込む姿勢だった。 (毎日新聞 2009年3月26日記事より)

この時のチームのスローガン名が【侍ジャパン】であったのが印象的でした。どうしても昨年夏のオリンピックで大リーガーは全く参加させず、星野監督をリーダーとして乗り込みメダルすら取れなかった結果と比較してしまうのは私だけでしょうか。

きっとこれからはNPO、つまり「この指止まれ型共同体」がどんどん増えて、それら組織がきれいな分業体制を作って行くのではと考えます。自分と主義・主張が同じ連中が一致団結して行動を取るとか、得意技や趣味を持った人々がグループを組んで人様のために役立てて行くとか、一人ひとりがお金では無く、自分のやりがい感・満足感に重心を置くような生き方を選んでゆく時代が来るのでしょう。

これが本当の「こころの時代」と言えましょう。

そしてこのような時代は「お互いの信用」がベースになるということです。

東大公開講座(2009年春)の中で東大経済学研究科・松島教授の講演【金融危機という名の特異】で「信用のメカニズム」に就いて次のように述べています。

『一人では対処できない困難やチャレンジには、誰か別の人の支えが必要です。このような支えを相互に依存しあって繋ぎ合わせるのが信用のメカニズムです。優れた信用のメカニズムでは、個別的に破たんした場合にその被害を誰かが吸収してくれます。これこそが信用のメカニズムの一番の役割です。』

(5) そして21世紀、日本は『平穏な時代』を迎えるかも!?

日本の歴史上で、これまでに平安時代(400年間)、そして江戸時代(265年間)が【成熟】の時代であって大変に文化が栄えた時代と言われます。明治維新になって西洋文明に追いつけ追い越せと突っ走って来て現在に至っているわけですが、今はその「しっぺ返し」を受けている最悪の局面なのかも知れません。

社会も人間も、いや地球上の万物はみな、「誕生」−「成長」−「成熟」−「衰退」−「死」のサイクルを繰り返していると思っているのですが、「超エコ社会」として優れた時代と言われる江戸時代が「成熟な時代」であったなら、それ以来「衰退」が始まり、きっと今頃が「死」の真っ最中「暗黒の時代」なのかも知れません。ということは見方を変えれば、その暗黒の中で着々と新しい「誕生」に向けて少しずつ変革が起き始めているとも言えましょう。

そう、今は何もかもがハチャメチャで生き辛さを感じる日々ですが、これが新しい「誕生」つまり「こころの国」を生む苦しみなのだと考えられるかも知れません。

それでは、日本が本当の「こころの時代」を迎える基礎体力をご紹介致しましょう。

(6) やはりジパングは黄金の国?

皆さんが少なくとも1台はもっている「携帯電話機」は鉱物資源の宝庫なのであります。「金」の例で説明しましょう。携帯電話機1台には金が400ppm(1t当たり400g)ほど入っています。山を穿り返して取り出した鉱石からは20ppm(1t当たり20g)しか採れないそうです。何と通常の採掘法より20倍の金が採れるのです。携帯電話に限らず使用済みパソコンやマイクロ・コンピュータを内蔵した電子オーブン、自動洗濯機、エアコンなどからも金、銀、錫、白金や、インジューム、ニッケル、マンガン、パナジュウムなどのレアメタルが採取出来るのです。

これら携帯電話機やパソコン、家電製品は都市部に集中して有るので、これらの使用済み廃棄物の山を『都市鉱山』(アーバン・マイン)と呼びます。

NPO団体・材料研究機構の調査によれば、わが国の都市鉱山と天然資源国の埋蔵量とで比較すると、金16%(1位)、銀22%(1位)、インジューム61%(1位)、錫11%(5位)、タンタル10%(3位)、白金4%(3位)と日本は超資源大国であることが分かります。

もう一つ日本の強みがあります。大海に囲まれた日本だからこその強みです。南鳥島(東京都)の周りの海底火山帯には「マンガンの塊」があり、その中には「白金」が1ppm(1t当たり1g)が含まれているそうです。これを『海底鉱山』(オーシャンベッド・マイン)とでも呼びましょう。

この白金は低排出ガス自動車や燃料電池式自動車のマフラーの中で「触媒」として使用されるそうで、白金はこれからの自動車市場で大いに注目されましょう。

こんな背景を見ますと、中世の時代ベニスの商人で旅行家であったマルコポーロが『東方見聞録』の中で、日本を『黄金の国』と紹介していますが、21世紀は正しくジパングが黄金の国になりそうです。

(7) 自然美を誇る日本は「観光立国」へ

日本はキチット1年を4つに分けて春夏秋冬という四季を持っている美しい島国です。そして自然豊かな照葉樹林文化の下で育まれた「森の民」なのです。こんな風光明媚な日本を、そしてとっても優しいこころの持ち主である日本人を世界の人々に広く知ってもらい訪ねてもらおうでは有りませんか。日本には「世界遺産」が12件もあり、決して他国にくらべ引けを取りません。(世界17位)

現在日本から海外に旅に出る客数は年間1600〜1800万人で、日本に海外からの旅行客は年間750万人位と言われています。ここで主要国の海外からの年間旅行客数を見てみますと;

フランス 8000万人、 スペイン 5000万人、 米国 4000万人

イタリア 4000万人  中国   4000万人  英国 2500万人

と比較しますと、日本の1000万人以下は余りにも少な過ぎます。日本から旅に出て行く数と入ってくる数を逆転させようでは有りませんか。

もうこれからの日本は「輸出」に頼って海外からお金を稼ぐのは止めにして、海外からお客様をお呼びして日本で外貨を落として頂く仕組みにする事でしょう。日本国政府も小泉内閣の時代、「観光立国」を政策にあげて 2010年までに1000万人、2020年で2000万人を呼び込もうと目標を立てています。

さあ皆さん、我々日本人一人ひとりが自然体で外国の方々に日本を楽しんでもらえるように何かでお役に立てればきっと「平穏な日本」となって行くのでしょう。

今まで私は2016年の「東京オリンピック」に対して積極的に「開催賛成!!」と言えなかったのですが、21世紀の日本の生き方を改めて考えてみますと、「東京オリンピックを機会に益々日本を世界に知らしめる絶好の機会かもしれない」と考えるようになりました。

2016年はこれから7年後、今年信州長野善光寺の御開帳の年でしたから次の御開帳の年に当たります。こう考えると近く感じますか、それとも遠く感じますか。皆さんは「東京オリンピック」をどのようにお考えでしょうか。

以上で私のお話を終わらせて頂きます。

長いお時間、ご清聴ありがとうございました。                      <完>

  <TOPヘージへ>