エッセイ 『翁のひとりごと』

      はじめに :    

       第1章: 「生きるということ」

      第2章: 「愛するって なんぞや?」

       第3章: 「歴史って 真実なの?」

      第4章: 「日本の驚きごと」

  New! 第5章: 「地球が暖かくなっているの?」

       あとがき :    

<はじめに>

これを書き始めたときは、 2009年8月30日の衆議院議員総選挙の結果が出て、政権交代劇が終わり、いよいよ【新生日本】がスタートする事になったのだが、日本の歴史に有りがちな【一瞬の茶番劇】に終わらぬよう、我々国民も新政府に対して、短期間で結果を求めるような安直な判断をしないよう心掛けたいものである。

私も還暦を通過して5年が過ぎた爺さんになったのだが、生きている最中に、こんな歴史的大事件に直面出来たことはラッキーである。日本の政治は世界で「超ド三流」と言われているが、1945年「大日本帝国」が崩壊し、連合国軍最高司令官「マッカーサー」によって戦後の日本の民主化が進められ、鳩山一郎が【日本民主党】(現自由民主党の前身)を立ち上げて以来、政党政治で第一党を続けてきて(細川・羽田内閣の時代に少数連立政権が1年弱続いたが)、ここで遂に【自民党】が野党に下野したのだ。65年目に起きた歴史上の「ドッテン返し」であり、皮肉にも鳩山一郎の孫にあたる鳩山由紀夫の率いる【民主党】がここで第一党にのし上がったのだ。これは江戸時代の後期1841年 12代将軍 徳川家慶の老中「水野忠邦」が行った【天保の改革】に似ているという。しかしこの改革は2年余りで終わりを告げてしまうのだが、そこまでは似て欲しくは無い。

そんな浮世の出来事を離れた庵で一人眺めながら、次から次へと出てくる「ひとりごと」をここに書き残しておくことにしよう。


1章: 「生きるということ」

「生きる」をGoogleで検索すると、谷川俊太郎の詩が出てくる。この詩は、普通の人が生きているとき「起きている」、「感じている」、「思っている」ことを羅列しているだけだが、実はそれが生きていることの証なのだろう。今、一瞬、1秒、1時間、1日、1年と時間が経過して行く中にいて、それが認識出来ている状態を「生きている」と表現するのだろう。とすれば今病院で意思が無くチューブを通して栄養剤が口から送り込まれながら呼吸をしている体を「生きている」と表現できるのだろうか。しかしこの方向に話を進めると「人間の死」に関しての議論となってしまうのでここではその方向は避ける事にしたい。

仏教での「四苦八苦」の四苦の内の一つが「生きる苦しみ」である。他の三つは「老苦」、「病苦」そして「死苦」であるが、この三つは「生きているからこそ生まれてくる苦しみ」である。そして地球上で自分の意思で生まれてきたものは無い。人間もそうだ。そして今ドキドキドキと規則正しく、一時も休むことなく脈を打っている心臓は、天が与えてくれた【超精巧デバイス】としか言いようが無い。人間の意志でこの超精巧デバイスを自由にコントロールは出来ず、出来ることと言えば、ただただ壊す(停止させる)事だけである。

しかし、現代文明の下では医学が発達してペースメーカーやカテーテル治療法などで、脳は死んでも心臓や肺が動いている現象を作り出し、この超精巧デバイスをコントロールできるようにしてしまった。その結果として医学の世界で「死の判定」を難しくしているのだが。
おっと、またこのまずい方向に話が来てしまった。方向を変えよう。

虫も、鳥も、草も、花も、皆、生きている。なぜ人間だけが「生きるのが苦しい」のか。

それは「人間が考える動物」だからだろう。生き物が「本能的に持つ欲望」にただただ順ずればいいのに、人間はそこに「考え」が入ってしまい「貪欲」になってしまった。するとその結果「悩み」が生まれる。貪欲と悩みは正比例する。貪欲がますます大きくなると、悩みも拡大化してゆく。拡大して行った結果が「格差社会」の顕在化に至る。欲望の塊のわれら凡人は、それだけ悩みを抱えながら生きてゆかねばならない宿命を負っていると言うことだ。これが「生きる苦しみ」なのだろう。

2年前の正月に観たTV映画【佐賀の“がばい”ばあちゃん】が思い出された。佐賀に住む凄く(がばく)ケチなおばあちゃんのセリフ、『金がたくさん有ると、おいしい物が食べたい、今度どこどこに旅がしたい、あれを買おうか、これを買おうか、と悩みが多いのだ。貧乏ならそんな悩みは無いのだよ』と子供に諭す。

また、映画【ライムライト】の中でのチャップリンが『人生に必要なものは、“勇気”と“想像力”と“ほんの少しのお金”だ』と言った言葉が胸に刺さって来る。私たちは、豊かな想像力を停止させ、勇気を持ってリスクに挑戦することを避け、そこそこのお金だけが貯まってしまった為に悩み始める。つくづく“がばいばあさん”が言う通りだと思ってしまう。

それなら、「生きる苦しみ」を軽減するにはどうしたらいいか。

このように考えたらどうだろう。自分と同じ出自を持っている者はこの世にいない。従って絶対に自分を他人と比較しないこと。そしてこの世に生れ落ちた以上、一人では生きてゆけないので、人様の為になる自分に見合った“仕事”を探し出し、その仕事を通して毎日の【やり概感】、【満足感】を体で感じ取ることであろう。この為にはチャップリンのセリフではないが、自分の想像力(あるいは創造力)を発揮し、自分なりに勇気を持ってリスクに挑戦してゆく必要がある。しかし多くの金は必要ない。人の目を気にせず、表面的に自分を誤魔化すことをせず、金だけを最優先に考えるような“娑婆の濁流”の中に自分の身を任せてしまうことを避けて行動すれば、“生きる苦しみ”を軽微にする事が出来よう。

この欲望の大海“娑婆”を去って“お浄土”に上る時、誰も一人なのだ。そしてお浄土には差別がないので悩みが生まれない。従ってあちらでは生きづらい事は無い。娑婆を去るとき、沢山の花輪に囲まれ壮大な葬儀が組まれ大勢の人々に送られようが、たった一人さびしく去って行こうが、この世を去る時は自分はその事象を全く識別出来ないのだから、なにも“娑婆での格差”に悩む必要は無いのだ。つまり娑婆では自分に真っ正直に生きてゆけばいいのだ。気にしない、気にしない!

  『起きて半畳 寝て一畳、 天下取っても二合半』

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第2章: 「愛するって なんぞや?」

これはすごいテーマだ。年を取るとこんな哲学じみたテーマを語りたくなるのだろうか。

もう残された時間が、これまで生きてきた年数より間違いなく少なくなった事を実感し始めたころからか、「愛とは?」と気になり始めたのだ。

武者小路実篤が「愛について」こう書いている。

 『人間が死なないものなら、愛は不必要なのかもしれない。しかし人間が死ぬものにつくられている以上、人間に愛が与えられていなかったら、人間ほどみじめなものは無く、人生ほど無意味なものはないであろう。

  人生に救いは無く、人は殺される為に生まされたようなものである。遅かれ早かれ人間は死ぬもので、死刑の宣告を受けている者にすぎない。どんなに得意の絶頂にいるものも、自分の死は避けることは出来ない。

  しかし愛を本当に内に感じることが出来る者のみ、自分の死で自分の生が終わらないことを心の底から感じ得、人生は無意味なものとは思わず、人の為に働くことで満足する。』

私が学生時代の最後を迎えているころ読んだ【愛の探求】(大和書房 1967年 390円)を書棚から引っ張り出して再読を始めたのだが、その中に上述の一節があった。これを読んでいて、「人間は生れ落ちた瞬間から死刑の宣告を受けているのだ」の一言にはドッキーンとさせられ、そして何か胸がス〜ットさせられたのだ。さらに実篤の文章は続く。

 『実際に自分の死を考えても、死ぬことを恐ろしいとも思わず、あとの者が仕合せでいてくれることをひたすら望むことが出来るのは、愛の力が死以上だからである。

  年取って死に近づくことを、少しも悪いこととは思わず、ますます本気になって仕事がしたくなるのは人間に出来るだけ多くのものを残して死にたいと思うからで、人間がこの世に生きている目的を果たしたいからである。それは人々に喜びと愛を送りたいからである。

  目のない花が、この地上に最も美しい花を咲かせる為に、全力を出すことを命ぜられているように、我らは死後も、人間が幸福で有るように命ぜられて、仕事をしているのだ。』

9月16日午後、鳩山内閣が発足した。就任の記者会見で『とことん国民の皆さんの為の政治を作る。その為には脱官僚依存の政治を実践せねばならない』と決意を語っていた。すぐに「八ツ場ダム問題」が頭に浮かぶ。「マニフェストに書いたからダム建設を中止する」と突っ走っては、実篤の言う「愛の力」を無視してしまう結果となってしまう。この問題は性急に進めるのでは無く、ジックリ現地住民と話し合い、「なぜダムは必要無いのか」、「だから地域開発をこのように転換を図りたい」、「そのために住民一人ひとりとそれぞれ満足の行く対策案を提示して行きたい」、と国側からは住民一人ひとりと“愛”を持って対応して行けば、この問題も自ずと人間としての正しい方向に道が開けて行くものと信じたい。

米国のアフガニスタン問題での失敗のように泥沼化にだけはならぬよう祈りたい。

それでは本題に戻って、「愛するとは なんぞや?」を考えてみたい。以下に述べることは私の考えであって、他の人から見れば“こじつけ”と言われてしまうかも知れない。

私たちは五感を刺激するものを「好き」と「嫌い」に大雑把に仕分けする。

「お化けって、気持ち悪くて大嫌い!」と視覚で仕分けし、

「ガラスの上を釘でひっかく音が嫌いです」と聴覚でも仕分けし、

「“くさや”はあの匂いが嫌だが、味はたまらなく好きだ」と嗅覚と味覚で仕分ける。

そして、

「女性のもち肌のあのシットリ感が何とも好きなんだ!」と触覚で判断している。

そして「好き」なものの中で、特に自分が感情を深く注入して(あるいは心が引きつけられて)好きになり、何とかしようと思うものを「愛している」と表現するのではないだろうか。

「富士山を愛しているので、もう4回も登ったがその都度味が違うのだよ」とか、
「そもそも俺は女性が“好き”なんだが、○子はちょっと違うんだな。きっと“愛して”しまったかも知れない」なんて言うヤツがいる。この段階では○子はそれほどヤツに対して意識が無いのだが、○子もヤツに向って“愛”を感じたとき、愛は「恋」に変化して行くのではなかろうか。恋は相手を求めようとする“戦い”であるので、一心不乱で盲目とさせるが、それだけにそんなに長く続きはしない「麻疹(はしか)」みたいな熱病なのであろう。男女の関係が人の道に外れる行為を「不倫」と言うそうだが、そして誰もがその世界にチョット興味を抱くのだが、「不倫の愛」ではピンと来ず、やはり「不倫の恋」がピッタリ表現とすれば、それは長続きしないチョットした“病”なのだ。

つまり「愛する」とは、自分が自分の周りにバラマキ与えるものであるから、沢山の愛を身の回りに与えることを一生の仕事とすればいいのだろう。それが「仕合せ」なのかも知れない。自然愛、人類愛、隣人愛、兄弟愛、そして恋愛、つまり自分が皆を愛し、皆に愛される世界の中に自分をおけば、それが幸福の世界、つまり“仕合せな生涯”となるのだろう。「愛する」ってそう言うことなのであろうか。

 『 愛は与えるもの、 恋は取るもの 』

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第3章: 「歴史って、真実なの?」

私たちが学校で習う「歴史」は事実の繋がりなのだろうか。学生時代には受験勉強で覚え込んだ頃は「日本史」、「世界史」を疑うことは無かったのだが、年を取ってくると疑い深くなっていけない。歴史とはその時代、時代の権力者に取って都合がいい事象ばかりを並べ繋げたストリーでは無いのか。その時代、時代の権力者に取って都合の悪い出来事はもみ消されたり、都合のいい様に内容を書き換えられて文献として残されているのでは無かろうか。

9月30日の新聞記事『国内最古の石器か』(島根県出雲市・砂原遺跡)という記事を見て2000年11月に起きた世にも信じられない『旧石器捏造事件』(宮城県・高森遺跡、北海道・総進不動坂遺跡)が思い出されたのだ。この話をここに出すのは、歴史とは、当時の権力者の都合によって作られた以外に、考古学者や学会、協会あるいはマニアの連中によって捏造されていたケースも過去には有ったかもしれないという事にある。旧石器捏造事件はアマチュア考古学研究家が遺物を自分で埋めておいて、それを後日自分で掘り出したという一人芝居だったのだが、毎日新聞社の記者が疑いをかけてジ〜〜ットその人物を追いかけ、ある朝その埋めている現場写真を撮ったとして朝刊トップスクープ記事として報ぜられたのが始まりである。その後の調査でこのアマチュア研究家は、「1970年代から捏造を始めた。皆の注目を集めたかったからやってしまった」と白状していた。

この事件の陰にある要因として、考古学上、日本では1万〜3万年前頃の旧石器時代、人類の存在は広く認められていたが、3万年以前に人類が存在していたかどうかで学説理論が二つに割れていた。1969年頃、東北地方には前期旧石器時代の遺物が有ったと言う新しい研究論文が発表されてにわかにこの議論が白熱化して来た。そんな時期にこのマニアによって高森遺跡から前期・中期石器時代の遺物が見つかったとのニュースが全国、世界を走ったのだ。その後「ここ掘れワンワン」的にこのマニアが仕掛けた場所から前期・中期石器時代の遺物がゴロゴロと発掘され、このマニアは世間から『神の手』と呼ばれるまでになったのだ。その結果、歴史の教科書上で「日本の旧石器時代の始まりはアジアでも最も古い部類に入る70万年前に遡る」と記載され始めたのだった。

さてこの事件を考えてみよう。もし毎日新聞社の記者がしつこくこのマニアを追いかけていなかったら、日本の旧石器時代は嘘のままで歴史として(真実として)教科書に記載され続けるのである。ところで、このマニアが本当に有名になりたいが為だけに一人芝居をやっていたのか? むしろ、このマニアのお陰で“自分の新説”が優位になると影で動いた人物がいたのではなかろうか?この事件後、我々はもうこの問題を忘れ去り、そしてまた学会、協会の方からもその後、正式なる見解が出ていないままと思うのだが、歴史とはそれほど軽いものなのだろうか。「すみません。あれは間違いでした」といってサラット教科書の内容を元に戻せばそれで済むのか。

“教科書”といえば、1999年11月に発刊された分厚い書籍『国民の歴史』(西尾幹二著)が思い起こされる。なぜならこの本の“編者”が「新しい歴史教科書をつくる会」となっていたからだ。先日この分厚い本を引っ張り出して再読してみた。

私はこの本の内容のように反体制的な書き下ろしが面白くて好きなのだが、この様な内容の本は司馬遼太郎や池波正太郎のように歴史小説風に出版すべきで、少なくとも「新しい教科書をつくる会編」なんていう表現を使って大衆を迷わせてはいけない。この本の内容がすべて真実の歴史だと思い込んでしまうではないか。再読して驚いたのだが、なんと第3節には『世界最古の縄文土器文明』の題目で、次の文章から始まっていた。

  『東北新幹線が仙台を出て北に向うと、一関市の手前に古川市がある。古川市から二

  十キロほど北に築館(つきだて)という町がある。平成5年(1993年)、この町

  のなだらかな丘陵頂部から、約50万年前と判定された石器が45点発見された。

  この衝撃的な数字によって、築館町の高森遺跡の名はいっぺんに有名になった。』

しかし第6節『神話と歴史』のなかでは、次のようにも書かれていた。

  『古代史に関しては目に見える事実だけを追い求めて、いかにもわかったようなこと

   を言う歴史家はみな嘘を言っていると思った方がいい。まして目に見える証拠だけ

   で、目に見えない薄明の世界を安易に裁き、自らの知的立場の優越を誇示する物の

   言い方をする歴史家がいまだに多いのだが、これはどうにも愚痴に等しい人々だと

   私には思えてならない。』

この書籍の発刊の翌年に旧石器捏造事件が起きた事になるのだが、この文章から「おや、この著者は高森遺跡が嘘だとすでに見越していたのか」と思ってしまうのだが、実はそんな先見性が有った訳では無く、自分の理念に都合のいい出来事だったので題材に取り入れただけなのではなかろうか。つまりこれまで日本考古学界の「日本での人類の存在は1〜3万年以降」という固定観念が屈害されたところに共鳴して、自分の主張「すべての神話は歴史である」を同じように世間の固定観念を捨て去って認めさせる為の材料として使ったのではないのか。この著者は「歴史は物語に過ぎない」と言っておきながら、なぜこの本の編者に【教科書をつくる会】という言葉をあえて使って、あたかも“正しい歴史はかくのごとき”と主張したのか理解に苦しむ。案の定この書籍に対する“徹底批判本”が翌年の2000年に出版され「何が真実か?」で議論が繰り返されている。“歴史の真実”とはいつまで経ってもグレーなのであろう。

毎年12月末になるとテレビの各チャンネルで放映する「忠臣蔵」。もう私は何十回とこの作品を見たことだろう。元禄15(1701)年12月14日深夜に浅野内匠頭の仇である吉良上野介を赤穂藩・大石内蔵助を筆頭に赤穂浪士四十七士が屋敷に討ち入りして仇討ちをした事件だが、何度も映画を見ているうちに、私には浅野の殿様が正しくて吉良の殿様が悪者という概念が出来上がっていたが、しかし本当にそうだったのだろうか。

この「元禄赤穂事件」から遡ること約100年前、天正10(1582)年6月2日の「本能寺の変」。高校の歴史教科書ではこの大事件をたった2行でこう解説している。

  『信長は政策を性急に実施しようとしたこともあって、家臣の明智光秀に背かれて殺

   された。』

この後光秀は豊臣秀吉に即滅ぼされ「三日天下」として記録に残るが、「なぜ尊崇の念を抱いていた光秀が反転して謀反に走ったのか?」が理解できずに、多くの関連書物を読み、映画などを見た記憶がある。しかし小生は今だにこの理由に関して納得できる原因がつかめずにおり、この部分も私なりの歴史ではグレーのままである。

つまり歴史とは一つの流れを理路整然と、その時代時代の権力者(首長、豪族、天皇、上皇、僧、幕府、政府、学会、歴史学者など)に都合のいいように書き並べられた長大なる“物語”なのだろうか。

しかし一般の大衆物語とはちょっとだけ違って、多くの人が“事実ッポイ”と認めそうな信憑性において充分に【ハイ(HI)な物語(STORY)】を【歴史(HISTORY)】と言うのかも知れない。

従って「日本史」も「世界史」も年号だけは誰にもほぼ共通だろうが、その中身は百人百様でいいと思うのだが。

各自が自分なりの「日本史」、「世界史」を持つことは楽しいではないか。

前掲の『国民の歴史』の著者も自分なりの歴史観を持ったように。
とすれば、この本の題名も「国民の」ではなく『私の日本史観』位にしておけば、反撃を受けなかったのかも知れない。しかし、その題名では本は大量に売れなかっただろうがね。

  『歴史とは 各自各様に編纂する 長編小説である 』

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第4章: 「日本の驚きごと」

私の友人に、「一生の中で100カ国を訪ねる」の目標を立てている人が二人いる。一人はあと十数カ国で100になるが、もう一人は数ヶ月前に100を突破したそうだ。目標の100が近づいて来ると世界地図と睨めっこして未だ行ってない国を探す作業が大変らしい。大体ターゲットとなるのが、中米諸国、西インド諸島、そしてアフリカ大陸中部だそうで小国が密集しているので、一回の旅行で数カ国が回れてしまうからだそうだ。それにしても100カ国をすでに超過した御仁は100番目の国に「インド」を残しておいたと言うのだから更に凄い。

私も現役時代は商社マンだったので、それなりの数の国々に行っているのではと、世界地図を引っ張り出して来て、行ったことある国に赤印をつけ始めた。私の商社時代の仕事が「電子機器の輸出」であったので、当然海外市場は当時の先進諸国が主であり、小国が密集している地域への出張の機会は皆無であった。地図上の赤印を見て、殆どが北半球にあり、南半球には「南アフリカ連邦」と「インドネシア」、「オーストラリア」の3国しかなかった。赤印の総数は34カ国で、その内訳はアフリカ 3、中近東 7、東南アジア 6、東アジア 3、ヨーロッパ 13、北米 2 となっていた。

世界の先進諸国を訪ねてみて、日本との大きな違いを発見することが出来る。2005年に発刊した拙本『伊那谷と私』のなかで私の駐在地、アメリカ・シカゴそしてシンガポールの文化と日本文化との違いを【外から観た日本】という題で書いているが、今回は世界の先進諸国と比較して“日本の驚くべき現象”を書いてみたい。

世界一の都市鉄道網

これは凄い! 特に巨大都市東京で見れば、ターミナル駅から郊外ベットタウンに向って放射状に伸びている私鉄と山手線内側を張り巡らす地下鉄とが繋がった時点から更に一層便利さが増して世界一の鉄道網となったと言えよう。そして凄いのは、数分間隔で電車が走っていることだ。だから「時刻表」などは始発と最終だけ知ればあとは必要ない。「ただ今○○駅にて人身事故があり、15分ほど遅れて運行されています」との車内アナウンスも殆ど無関心で済む。

しかしこのような洗練されたサービスにも行過ぎれば不慮の事故に繋がる。それが2005年4月25日午前9時18分の107名の死者をだす【JR福知山線脱線事故】である。

その原因は「私鉄との所要時間レース」、「早朝の過密ダイヤ」、「無理な急カーブ」、「運転手へのダイヤ厳守のノルマ」などなどいくつかの要因が不幸にして一瞬に重なって引き起こされた悲劇であろう。

しかしこの事件が今年9月に「事故報告書漏洩問題」となって再浮上してきて世間を騒がせている。どうやらこの漏洩問題も、つい最近遂に国の資金が投入された「JAL経営問題」も同様の原因である【親方日の丸】思考がそうさせたのかも知れない。これも“日の丸”というのだから“日本の驚きごと”の一つと言えよう。

清涼飲料自動販売機症候群の蔓延

道の角々、コンビニの脇、駅の構内、高速道路のサービスエリア、タバコ屋の脇、ビジネスホテルの中、共同浴場の脱衣場、病院のロビー、葬儀場の待合室、どこにでもある清涼飲料自動販売機(以下“自販機君”と呼ぼう)。更には田舎のバス停の脇、田んぼの脇、そして登山道にある山小屋の中など自然豊かな地にポツンと鎮座ましている自販機君。このように自販機君が異常に繁殖した国はきっと日本以外には無いだろう。

自動販売機と言っても、自販機君以外に、タバコ販売機、乗車券販売機、食券・入場券販売機、コーヒー・ココアのカップ式販売機など多種に亘るが、1台あたりの自販金額で最も高いのは駅にある乗車券販売機であるらしい。(1台当たりの自販金額は 年間7100万円というのも驚きだが。)この訳は誰でも予想できると思うが、乗車切符は必要にせがまれて買っているのであり、また一人当たりの支払金額も一カンの料金とは比較にならぬほど高額である。日本自動販売機工業会のデータによれば、日本には550万台ほどの自動販売機が全国にちらばっているらしい。その内半分近い220万台が自販機君だそうだ。そしてその自販機君の1台あたりの自販金額が年間102万円という。この辺の美味しい情報と設置の仕組みが自販機君症候群を引き起こすウイルスと見た。

単純に人口で割れば50人に1台の割で自販機君がアチコチに突っ立っているのだ。そもそもこの悪の根源は「飲料メーカー」にあるのだが。飲料全体の売り上げ(2兆円)の約半分が自販機君によるもので飲料メーカーに取っては自販機君が大事な「小売店舗」のようなもの。従って飲料メーカーは設置場所(ロケ先)の取り合い競争に走らざるを得ず、自販機管理運営会社(オペレーター)のケツを叩いて地所取り戦争が繰り広げられている。日本にしか無い恥ずかしい“内陸戦争”である。オペレーターが農家を訪ねお年寄りに「どうですか。お宅のあそこの田んぼの脇に自動販売機を置かせて頂くと、年間○○万円のお小遣いが入りますよ」と誘われて、オペレーターがすべて任されて設置してゆくのだ。自然豊かな美しい景色の中に、それをぶち壊すようにポツンと立たされた気の毒な自販機君。

ある地方の水田地帯。田んぼからのあぜ道が車道に出る角に自販機君がポツンと鎮座ましている。そばに電燈が付いた細い柱が立っていて、ロケ先の提供者から引っ張ってきている電線が結わいつけられ、自販機君に電気を供給している。真っ昼間、自販機君には強烈な直射日光が燦々と降り注いでいる。そばに近づくとブ〜〜〜ン、ブ〜〜〜ンと冷却用のコンプレッサーの音がする。きっと夜には一晩中あの裸電球がつきっ放しなのだろう。こんな自販機君が日本中に蔓延しているのだ。

この自販機君のマーケットでは、飲料メーカーも、オペレーターも、ロケ先を提供してマージンを得ている人々も、誰も儲けておらず、儲けているのは“電力会社”だけという全く『ふざける菜!』的な市場であり、そしてただただ地域の景観を損なわす“魔機”となっているのだ。これから日本がエコ社会を目指すなら、一層のこと私たちが多少不便になるのを覚悟して、このような自然にマッチしない自販機君に引退してもらったらどうだろう。

文化遺産を自爆破壊する日本人

ヨーロッパの国々を訪ねて感じることだが、昔ながらの街並みがしっかりと保存維持されながら残っている。それは、それらの遺産が簡単に短期間に造られたものものではないことをよく知っているからであろう。しかし日本はどうだろう。意外とあっさりと文化遺産・景観を捨て去っているケースがある。このような思考はどこに起因するのだろうか。「欧米文明へのあこがれ」か、「舶来主義」か。

商社マン時代に外国からのお客様を京都観光に案内した時の体験。新幹線が京都駅に入った時に私は恥ずかしい気持ちにさせられたのだ。「さあ、これからお客様に日本の伝統的な世界をご案内しよう」と生き込んでいた矢先に、何か“横浜岸壁の倉庫裏”に入り込んだ錯覚に陥った。駅ビルの上を見上げれば、なにか“デパートの裏側”を見ている感じ。明らかに日本の美を無視した駅ビルのデザインである。

東海道新幹線・新横浜駅が出来たとき、線路を跨ぐ様な駅ビルが出来て、これが便利でコスト・パーフォーマンスが高い設計なのかと思ったが、新横浜駅のように全くの荒れ野原に駅を造る場合はこんな設計でもやむを得ない。しかし門前町として全国的に有名な長野市・善光寺への乗降駅「長野駅」も長野新幹線が走るのを機に、新横浜駅的な無味乾燥の駅ビルに造り変えてしまったのだ。その後、個性を全く失った長野駅前の広場も何となくさびしい感じがする。

日本人は長年に培ってきた文化を意外と簡単に捨て去る曲芸を持つ一方で、簡単に“舶来品”に飛びつき受け入れる貧乏人根性をも持ち合わせている。そこで11月のフレッシュな話題で“日本の驚くべき現象”を述べてみよう。

今年は「ボージョレヌーボー」の当たり年だそうで、フランス・ボージョレ地方での天候がブドウの生育に最適だったようで、2009ワインの品質は最高と言われている。日本の驚きとは、このボージョレヌーボーが海外に輸出される量のおよそ半分が日本に向けてである事にある。それなら日本人はよほどのワイン通かと言えば、ボージョレヌーボーの消費者の殆どが、ワインを買うのがボージョレヌーボーの時だけと言うのだから摩訶不思議である。ボージョレの解禁日(11月第三木曜)がフランスより早く来るので地元フランス人より一足先に飲めるから、と言うのもその理由には弱すぎるし、やはり私には「なぜ多くの日本人が一斉にこのような行動に走るのか」理解に苦しむ驚き現象なのである。

バレンタインデーにチョコレート屋に殺到するレディー様には、この辺の心理がお分かりなのかも知れない。

  『隣も芝生庭 我が家へは家庭教師』

    (注:金子兜太的だが、意は我家の庭に芝生を植えると、すぐに隣家の庭にも芝生が入った。 隣家の息子
        
に家庭教師が付いたと聞いて我家の息子にも家庭教師を付けたという平和な日本の“日常”である。)

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5章: 「地球が暖かくなっているの?」

私は子供のころ昆虫が好きで、特に「セミ(蝉)」に対しては異常に興味を持っていた。その理由は子供の頃、祖母から「セミはね、土の中に7年も居て外に出てきて7日で死んじゃうのだよ。だからあのように一生懸命で鳴いているのだよ」と教えてもらったことに起因しているのかも知れない。何故なら7年土の中で外に出てたったの7日間が非常に奇異に感じていたからだろう。小学生のころ、何人かの仲間と昆虫採集に出かけたとき、私は木の下に来て、鳴き声を聞いただけで、いち早く「セミ」を見つけて採ってしまうので仲間から『蝉吉』(“セミ気違い”の略)と言うアダナが付いていた。

我が家の近くでは、毎年、梅雨が明けてまもなくすると「ニイニイセミ」が鳴き始め、それから「アブラゼミ」が鳴き、次に「ミンミンゼミ」が一緒に鳴き始め、“蝉時雨”が襲って来て夏の真っ盛りとなる。そして夏のピークを過ぎたころ、「ツクツクぼうし」が鳴き、晩夏の夕焼けが美しいころ「ひぐらしゼミ」が物寂しく鳴き始めていたのだが。ところが、近年は何か変なのだ。今年もそうだったが、家の近所で「ニイニイゼミ」の鳴き声が聞こえない。そして突然ミンミンとアブラゼミがほぼ同時に鳴き始めた。そして驚いたことに関西方面でしか聞けなかった「クマゼミ」の鳴き声が近所で時々聞こえるではありませんか。これは気候温暖化が原因なのであろうか。

今年の10月7〜8日に伊那谷の高遠に松茸を食べに行く機会に恵まれた。しかし期待を裏切り今年は松茸の大不作の年であった。実は今年の8月 “松茸三昧コース”で知られる高遠の旅館を訪ねた時、そこの女将が、「今年は例年より早く、ポツポツと松茸が採れ始めているので今年は豊作だと思うよ」と言っていたので、10月7日二夫婦で松茸三昧を楽しもうと訪ねたところ、旅館の女将が言うには「今年は9月に雨が多くて、全く松茸が採れないよ。あなた達までは何とか大丈夫だが、来週からの予約のお客様には、期待を裏切ってはいけないのですべてお断りしようと思うよ」と元気なく説明してくれた。
しかし私はこの松茸不作には気象異常の他に別の要因が有るのではと考えていた。

それは年々北上してきている【松くい虫の被害】がいよいよ高遠付近にも出始めたのではと。“松枯れ”は昆虫の「マダラカミキリ」が運ぶ寄生虫が松の木の中で急増殖してアットいう間に枯らせてしまう現象だが、このマダラカミキリの生息範囲が年々北に伸びてきて、遂に高遠付近でも広範囲に松を枯らし始めている為に松茸の生育にも悪影響しているのでは、という推測である。もしそうならこれも地球温暖化の影響と言う事になるのだが。

さて「地球温暖化問題」と言えば、9月22日“国連気候変動サミット”での鳩山首相による『温室効果ガス25%削減』宣言が思い出される。国連の場で世界へのメッセージを英語で語り、「日本は2020年までに1990年比で25%削減を約束する」と言い切ったとき会場から拍手が起きたあのシーンには興奮させられた。これまで日本の政治家で世界のヒノキ舞台に立って、喋ったことに世界から拍手をもらったシーンなど全く見たことが無かったからだ。やっと世界で喋れるネゴシエーター(交渉人)が日本の政界に現れたのかと嬉しく感じた。

ところで“地球が暖かくなっているのか”に関しては、私は地球の地表面を覆っている大気圏内に存在する「温室効果ガス」(例えば水蒸気や炭酸ガスなど)が間違いなく人為的な影響によってバランスが崩されて大気温度が上昇してしまっていると確信しているのだが。つい先日、東京大学での公開講座『実感!地球温暖化』に参加して講演を聴いてきたが、この時に配布されていた資料の中に『地球温暖化 懐疑論批判』という小冊子があり、その内容を読んでビックリした。

何と大学の教授の中に、「温暖化への人為的な影響に関する世界的な合意は無い」、「そもそも温暖化が起きているかは分からない」、「衛星による観測データでは温度上昇が見られない」、「2001年以降は、気温上昇が止まっている」、「最近の温暖化は主に太陽活動の影響である」、「過去約2000年間の気温変動を見れば、過去100年間の温暖化は異常なものでない」、「最近の温暖化は自然変動に過ぎない」、「二酸化炭素の温室効果による地球温暖化はなく、気温上昇が二酸化炭素濃度上昇の原因である」、「生物にとっては今の地球は冷たく、もう少し暖かくなった方がよいという全体的な傾向がある」、「京都議定書はとてつもない不平等条約である」などなどと主張して、真面目に“懐疑論”をぶつけていると言う。何という事であろうか。専門分野の学者同士でこのような議論を取り交わしている事が、お目出度いというか、「ぬるま湯の中のカエル」と言おうか、私には驚きなのだ。

人為的原因がいくつも重なり、とんでも無い事態が起きている現状を覗いてみたい。

隣の国、中国では丁度日本の昭和40年代と同じで、産業復興に沸いている。工場から出る廃水が近くの小川に垂れ流しされ、黄河に掛かる世界最大規模の「三峡ダム」が川の流れのリズムを壊し、遂に渤海、紅海を汚染し海水温度を上昇させ、ここで生息する「エチゼンクラゲ」に取っては最高の生息環境となり大量発生を引き起こす。ここで育ったクラゲちゃんは初夏に外海に向ってプカプカ。東シナ海に出ると流れの強い黒潮(対馬海流)に乗って対馬海峡を抜けて日本海へ。真夏になるとそのクラゲちゃん達は北陸沿岸付近で傘径が30〜50cmに成長し、さらに10月には津軽海峡を抜けてグルリと太平洋側へ出てくる頃には体重100kgの巨体に。今では紀伊半島付近まで南下して来ていると言う。このエチゼンクラゲに触れた魚は毒が回って死んでしまうというからたちが悪い。漁師に取っては死活問題である。

もっと恐ろしい話が11月20日の日本経済新聞に載っていた。工場やビル、自動車から排出される炭酸ガスが地球温暖化によって海に解ける量が多くなり海が酸性化する。すると海中の炭酸イオンが減少し、プランクトンの成長に悪影響。プランクトンが減れば魚が減るという生態系に深刻な問題が起こる恐れ大と報道している。このままでは地球上から刻々と人間の食うものが減ってゆくという警告なのだ。

前述の東大・公開講座にて知ったことだが、世界銀行が2007年に1994年から2004年までの10年間における炭酸ガス排出量上位70カ国(日本は排出量世界第4位)の「政府政策パーフォーマンス」を順位付けしたそうだが、何と日本はその70カ国中61番目という恥ずかしい位置に居るらしい。その最大原因が日本とイランが化石燃料の“石炭”の割合を極端に伸ばし、つまり石炭火力発電が急激に増えた為という。

そして更に日本が化石燃料(ガソリン、軽油、重油、石炭、天然ガス)に課している税金が、イギリス、ドイツ、デンマークに比較して半額以下という小ささで何とも日本の政治は当該問題への政策面では、はなはだ貧弱と言えそうだ。今回大勝を治めた民主党のマニフェスト上の「ガソリン暫定税率の廃止」や「高速道路の無料化」などの政策は、益々二酸化炭素を撒き散らす結果となり、世界が向わねばならない方向と大きな矛盾が有りはしないか。

「いずれ地球には“氷河期”が襲ってくるのだから〜〜」、といった議論は今はいらない。「人類が人類の手ですでに壊してしまった地球を我ら人類の手で今から少しでも元に戻して参りましょう」という話なのだ。日本がその話を一歩一歩実践して行きながら、地球上のリーダーになろうという「鳩山イニシアティブ」によって少しでも世界の中で「政府政策パーフォーマンス」を高めて行きたいものである。

12月にはコペンハーゲンで【COP15】が開催されるが、そこで鳩山総理大臣が世界を一つに纏め上げて地球温暖化問題に真剣に取り組んでゆくコンセンサスを打ち出すことが出来れば、「京都議定書」から更に一歩も二歩も日本がリーダーとして世界を引っ張って行けるのだが。

地球人がすべて「ぬるま湯の中のカエル」になりませぬように祈るばかりである。

   『シーオーツーの丹前脱いで 涼風通る浴衣に換えて』 (地球の叫び)

あとがき>

2009年も終わろうとしている。昨夜のクリスマスイブには鳩山首相が悲壮な顔をして「偽装献金事件」に関して国民に対して釈明記者会見を行っていた。「自分は私腹を肥やしていないので、この点を国民に理解頂き、今後首相として相応しくないか、国民の審判を受けたい」ということで辞任せず、始めてまだわずか100日目である新政権の政策を押し進めてゆくという姿勢を国民の前に示した。

国民の審判は、首相が日本の将来像を描き出して、それに向って如何に具体的施策に打って出るかに掛かっており、「友愛」の言葉だけで“のらりくらりの八方美人”では早晩国民から「ダメ」の審判を受けるでありましょう。敵方「自民党」も未だ過去の呪縛から抜けられずに、古典的長老を温存し右往左往しているのだから、鳩山首相にとってもラッキーなタイミングなのである。一応身辺問題はケリを付けたのだから、今後はそれこそ自分のもってゆきたい方向を明確に国民に示し、思い切ってその方向に日本の舵を取ればいいのだ。一旦船長に決まった以上は、しっかりと船の方向を決めて進まねば、船はぐるぐると回りまわって国民は目を回してしまう。これまでで懲りた国民はそんな船長は望んでいない。

2010年に入ると「通常国会」が始まるが、その際に自民党さんよ、是非「鳩山首相、引き降ろし」に躍起となるのではなく、「日本をどうするのか」で真剣に民主党と議論を取り交わし、あるべき二大政党の姿を目指せば、いずれは“自民党の返り咲き”のチャンスも有るのだから。国民はそのような内容のある国会の議論を期待しているのだ。

それにしてもこのエッセイを書き始めたのが8月30日の鳩山新政権が誕生した日からだが、その後12月末までの4ヶ月間は「八ツ場ダム建設中止問題」、「沖縄普天間基地移設問題」、「鳩山イニシアティブ」、「ガソリン暫定税率の廃止問題」と次から次へと大問題が吹き荒れる一方で「鳩山一族偽装献金問題」で本人の足元をぐらつかせ、このエッセイの中で書いてきた政治がらみの「ひとりごと」も一瞬にすっ飛んでしまうかとハラハラ物だった。

何とか「来年度予算の編成」も92兆円という巨大数字で纏まったようだが、遂に国債発行額が歳入を上回るという借金経営での前途多難な新政権の2010年スタートとなる。

自民党政治の60年間で歪にひずんだ社会を変えてゆく作業はそう簡単なものではない。そしてこれまで「平和ボケ」のまま来てしまった我ら国民もある程度の痛みを負担して、孫の世代にこれ以上の負の遺産を持ち込まないように一人ひとりが努力してゆかねばならない。

寅年の過去を見てみると、1962年の不景気(景気の底)、1974年の空前のゼネスト、1986年の円高不況、そして1998年の日本版ビッグバンの開始、世界的に見ても1962年ニューヨーク株価大暴落、韓国でデノミ、1986年英国ビックバン、イタリーでデノミ、1998年ロシアでデノミという具合で、来年2010年寅年も決して明るい一年ではないでありましょう。しかしじっと我慢して日本の新しい門出に向って皆で苦しみを乗り越えてまいりましょう。

そろそろ庵の煤払いも終わり掛けています。それでは皆様、良いお年をお迎えください。

<完> (2009年12月26日)

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