●● 2日目(8月8日 水曜)  仁科三湖を抜けて白馬町まで

6:00起床。窓を開けて外の空気を入れる。今朝は雲が多いように感じるがTVのスイッチを入れると丁度天気予報をやっていて、今日も次第に晴れて昼ごろには33℃までになると言っており天気は問題無いようだ。窓の外に2羽のつばめが忙しく囀りながらジャレ合うように飛び回っていたが突然目の前の電線に止まった。見ると2羽とも一回り小振りなサイズの様だが、きっとこの春に生まれ育だった子供のつばめなのだろう。このツバメたちの元気な姿を見ていると暫くすると雲が切れて青い空が現れるような予感をさせた。
今日は「白馬八方口」まで歩くことにしたので朝食を早めに取り7:30に民宿を後にした。昨日すでに訪ねている「仁科城址(森城址)」の脇を素通りして木崎湖の西岸に沿って走る千国街道を北に向かう。早朝の街道には全く人気はないが、湖面にはポツンポツンと釣り船が見える。道の左手山側はブナ林が広がっていて、朝の太陽光がキラキラと差し込んでいる状景は何ともスバラシイ! しばらく湖畔に沿って進むと「海ノ口キャンプ場」の所に出る。湖岸に沢山の貸しロッジが建っているが利用客がいないようで閑散としている。湖の北端に近づくと、道の両サイドには多くの別荘が建っているが夏の真っ最中にもかかわらず殆どの家が窓を閉め切っていて人が住んでいる様子でないのだ。本当に寂しい光景である。

【ブナ林】
【木崎湖畔 北へ】

街道沿いの「上諏訪社」にたどり着くとポツポツと農家の建屋が見えてくる。街道は緩やかな上り道となり左右には水田が広がっている。後ろを振り返ると、木崎湖の全容が水田越しに見渡せて、今朝スタートした木崎温泉郷の家並みが正面対岸に小さく見えている。

【上諏訪社】
【振り返れば遠く木崎湖を望む】

湖の右手に見える山裾を湖に沿って30分ほどで歩いて来たことになる。湖の左手からは大糸線の線路が迫って来ていて、これからしばらく千国街道は鉄路と平行して次の2番目の「中網湖」まで続いている。湖畔に沿って歩いている時は鬱蒼と生えた木々が太陽光線を適当に避けてくれていたのだが、田んぼのあぜ道に出てからはもう日陰が全く無い。ギンギンギラギラの光線がアスファルトのあぜ道を焼き焦がすように照り付けている。日影が有ったら一休みしようと思いながら周りを見渡すが、どこにも日影らしき場所が見当たらない。そんな時にアスファルト路上の足元で驚きの悲劇が起きていた。
1匹のカエルが天を恨めしそうに仰いでいる姿に出くわしたのだ。微動もせず体も日干し状態になっている。きっとこのカエル君は道路を突っ切ろうと水田の脇の草むらからアスファルト上に飛び出したのだ。1歩目、2歩目は何とかなったのだろうが、しかし3歩目の左足がぴったりと焼けている地面に張り付いてしまって動けなくなったのだ。ジリジリと照りつける太陽光線は無情にもカエルの体から水分を強烈な速さで奪い取る。上空にはカラスなどの野鳥が飛び交っており、まだこのエサに気づいていないところから見ると、成仏されて真時下なのであろう。静かに手を合わせてその場を去った。
【おお、カエル君 南無阿弥陀仏】

道はしばらくすると大糸線の踏切を渡り国道148号線に出る。踏切を渡った瞬間に“チンチンチン”とシグナルが鳴ってビックリさせる。1時間に1本位しか走っていないローカル線だが、私が渡ったその時に電車が通過するとは何とタイミングがいいのだろう。その余りの偶然さに感激して慌ててデジカメを取り出し大糸線車両をカメラに納める。

【大糸線の踏み切りを渡る】
【大糸線が通過】

国道を暫く歩くと「簗場」の集落を避けるように作られた「やなばバイパス」との分かれ道の所に到着する。(8:50)この付近は左右の山斜面を利用して沢山のスキー場が有り冬場はきっと賑やかな場所なのだろうが、夏のこの時期は何とも物寂しい感じがする。分かれ道を旧道に沿って左に下りてゆくと大糸線「簗場」駅前を通り過ぎる。駅の正面には「中網湖」が見え、その対岸の左手斜面に「鹿島槍スキー場」のゲレンデが広がっている。
無人駅のホームには、若者数人が地面にしゃがみこんで話し込んでいるが、そろそろ電車が来る時間なのだろうか。駅前のお土産やの脇にドリンク自動販売機があったので冷たい飲み物を買おうと近づく。店の前で朝の掃除しているお土産やのおばさんに「おはようございます」と声を掛けると私の歩いている姿にビックリされた。「こんな朝早くから歩いているとは感心なことだね。どこから歩いて来なした?」と聞かれ得意になって“塩の道・一人行脚”の行程を説明した後で、私の方から「ここは冬になると目の前の“鹿島槍スキー場”で賑わうのでしょうね」と聞くと、「いやいや、もうスキー客は年々減っていて、それにこの上にバイパスが出来てしまったもんだからお客の流れが変わってしまい、この土産やもやって行けずに閉めてしまって、今では内の人はサラリーマンに転職していますよ。昔の賑やかな時代が懐かしいです」と力無く話されていた。ちょっと寂しい気持ちになる。

【鹿島槍スキー場】
【中網湖】

かわいらしいサイズの中網湖を左に見ながら北に歩を進める。まだ朝も早いのに道の脇にポツポツと駐車している車が気に掛かる。葦で茂っている湖畔をジ〜〜ット見ると確かに人らしき影が見えるではないか。それは静かに一人楽しんでいる釣り人だった。きっと中網湖は釣り人には有名な漁場なのかもしれない。公民館の所に来ると道が二手に分かれ千国街道側の左に入るとすぐに道は上りになり「堂崎観音」の石造物群のところに出る。ここから仁科三湖で最も大きい「青木湖」が見下ろせた。
【堂崎観音】
【青木湖】

道は青木湖の西岸に沿ってブナ林の中を走っている。湖に半島のように突き出た「秋葉崎」のところにはお釈迦様のような記念塔が建っていた。その脇から真下を見ると湖面がすばらしいエメラルドグリ−ンに輝いている。三湖のうちで青木湖が最も水深がある(最大水深63m)ためこの神秘的な色合いを生み出しているのかも知れない。「エビスマ高原」に入ると杉林に変わりおよそ10m間隔で杉の木の根元に石像が次から次にと現れ興味を引く。

【秋葉崎の観音様】
【エメラルド色の青木湖】

この辺を「西国三十三番観音」と呼ぶそうで、これらの石像は江戸時代後期(1829)高遠町の石工によって彫られたそうだ。この観音様の街道には先にも後ろにも誰も旅人はおらず一人静寂の中を歩いていると何か江戸時代にタイムスリップしているような錯覚に陥る。(9:50)そろそろ休憩を取ろうかと思っている矢先に左前方にブナ林が広がりその中にロッジ風の喫茶店が現れる。ここで“10時のお茶”休憩を取ることにする。

【西国三十三番観音】
【あそこの木の脇にも観音様が】

喫茶店のドアを開けて中に向かって「おはようございます。コーヒー戴けますでしょうか?」と声を掛けると、中から男性の声で「どうそ。外のテーブルをご利用ください」との返事。外のパラソルの下のテーブルに座っていると、注文を取りに私とほぼ同世代と思われるお店のマスターが裏口から現れる。ホットコーヒーをオーダーしている時に、私の携帯が鳴る。東松山にお住まいのHさんからの電話だった。丁度休憩を取っている最中の電話でタイミングがよく、長いおしゃべりとなり今私を包んでいるすばらしい自然の姿を興奮気味に伝えていた。頭の上を覆っている木々の葉の間から透きぬけて太陽光線がシャワーのように私に降り注いでいるのだ。そうしている内にマスターがコーヒーを運んできたので早速話し掛けた。「すみません。一人で歩いているものですから、私の休憩をとっている姿をちょっと写真に撮ってもらえますか」とお願いしてデジカメを渡し、この会話を切っ掛けに何か地元のお話でもお聞きしたいな〜〜と思っていたのだが、写真を撮った後マスターはそのままそそくさと家の中に入ってしまった。残念!!

【10時のお茶休憩】
【ず〜〜っと続く観音様】

喫茶店を後にしてしばらく進むと大きな四字路の所に出る。「佐野坂」へは左手の土の道か、それとも右手のアスファルトの道をそのまま行けばよいのか、ここではたと困った。一応アスファルト道から外れて左手の土道を選ぶ。しばらく進んでゆくと道は左にカーブを取りドンドン山の奥へと入って行くようだが途中で個人の別荘の入口のような小道に出っくわす。
段々と弱気になり「これは結局、別荘地の中に出来ている道ではないか。だからさっきのアスファルト道の方が街道なのだろう」という考えが浮かび、不安に思いながら先に進んでゆくと、次に「このまま先に行ったっていずれ誰かの別荘の入口にぶち当たって行き止まり。そんな場合はあそこの十字路まで戻らねばならないぞ」という考えが頭を駆け巡り、結局「よし、止めて十字路まで戻ろう」という結論に至った。 アスファルト道は車も充分走れる幅で何となく気分的には安心させる。しかし道は下ってゆくバカリ。こんな先に佐野坂はあるのだろうか。それともこの下りが佐野坂なのか?しばらく行くと右手に青木湖の湖面が見えてきた。「しまった! やはり間違えていた!」しかしもうここからあの山の上の十字路まで戻る気持ちは失せていた。道は旧国道に出てその左手に「佐野坂トンネル」が不気味に姿を現していた。
【佐野坂手前の十字路】

「おや!そのトンネルの脇に小道が有るではないか。」不安ながらもその小道を歩いて行くことにする。小道には清水が湧いているのかビジャビジャにぬかるんでいて気持ちが悪い。しばらく行くと先に小さなトンネルが現れる。小道には山から湧き出した清水が溜まっていて、その水面が真っ黒く見える。よく目を凝らして見るとそれは黒アゲハ蝶の大群が水辺に張り付いていたのだ。私が近づくと蝶はいっせいに飛び立ちその勢いにゾットする。根性のある蝶だけが数匹まだ水面に張り付いているがこの姿をデジカメに納める。

【佐野坂トンネルとわき道】
【わき道と黒アゲハ蝶】

小さなトンネルを小走りに抜けると道は完全に山道になった。時々地図を出して今いる場所を確認してみるが山の中の小道なので正確な位置は確認できない。しばらく進むと左手の木々の間から鉄道の電線らしき物が目に入った。「しめた! あれが大糸線とすれば、この辺か」と開いた地図上で大体の位置確認が出来て一安心。この山道はしばらくすると「青木湖バイパス」という道幅の広い自動車道路に出たが、このバイパス道路は3時間ほど前に出っくわした簗場集落を避けるように出来た「やなばバイパス」と繋がっている。この自動車道の急な下り坂を下りきったところに【姫川源流自然探勝園】があり、その入口正面の【白馬さのさかドライブイン】に入って休息を取る。

【不安になりながら山道を】
【正面山中の佐野坂を通るはずだったが】

どうやらこのドライブインは冬場になると裏山にある【サンアルビナ白馬さのさかスキー場】用の大型駐車場となるようで賑やかなのだろうが、夏場は自然探勝園に立ち寄るマイカー位で人気は寂しいものがある。それでもレストランがオープンしていたのでホットして中に入る。またこの一角は携帯電話電波事情が悪いせいか繋がりにくいので、この館の隣に【白馬さのさか観光協会】の事務所があるのでそこから明日の来馬温泉での宿を予約するには好都合と判断し立ち寄ることにする。実は立ち寄るもう一つ大きな目的が有ったのだ。レストランにはお客は誰もいない。レストランの奥様風の方が私の姿をジ〜〜ット眺めながら不思議そうな顔をしている。そこで私のここまでの経緯をお話しすると「ヘェ〜〜〜!!」と感心するように再度私を眺める。ソフトクリームをオーダーした後でコーヒーもオーダーしてしまう。そこでもう一つの目的を実行に移すことになる。「実は信濃大町の塩の道博物館で買った本に塩の道・古道の詳細地図が載っていまして、このコピーを取ってそれを持ちながらこれから歩いてゆきたいのですが、隣の観光協会でコピーを撮って貰えますでしょうか」と質問を投げた。コピーはこれから糸魚川までの道程すべての地図でありA4で10枚にもなる。そして明日の宿泊地の予約も一緒に観光協会で済ませたいと説明すると、彼女から「ここにコピー機が有りますから撮ってあげますよ。それから宿の予約はこの電話をお使いください」と親切に言って下さったのだ。一挙に二つの問題が解決できたので、ここで昼食も取ってしまおうと決断した。昼食後ここにリュックを預けて、目の前の姫川源流自然探勝園を訪ねることにする。
昼食の“山菜ソバ”を食べ上げると早速自然探勝園に向かう。リュックが無いので何か身軽になって足取りも軽快である。グルリ回って30分のコースを選ぶ。「荒神社」の祠の脇をとおり木製のチップを敷いた山道を下ってゆくと、姫川の源流のところに出た。水草が生い茂ったところにこんこんと湧き出る水源が見える。「そうか、ここから湧き出た水が旅を続け最後に糸魚川市のところで日本海に流れ出るのか」と思うと感無量になる。それにしても私の場合はこれから山あり谷ありでこの水のようになだらかに海に向かうわけには行かぬのだが。

【荒神社】
【姫川源流】

レストランに戻ってリュックを担ぎ、塩の道を北に進むことにする。先ほど取ってもらった地図のコピーを見ながら出来る限り“古道”を選んで通るようにする。早速国道から左に折れてしばらく行くと道は古道に突き当たる。左手山の斜面にスキーゲレンデのリフトが何本か見える。「そうか、もし佐野坂を間違いなく通って来ていれば、あのゲレンデを横切ってここに出て来たのだ」と独り言を言っていた。「相当遠回りしたことになるのだが、しかし道を間違えたお陰で地図のコピーは取れたし、姫川の源流を見ることが出来たのだ」と自分を慰めながら突き当たりの古道を右に折れて北に向かう。
これから塩の道・千国街道の古道は左手に大糸線、右手に国道を見ながら北に上って行くのだが、要所要所に“塩の道・千国街道”の道標が立っていて歩いている者には助かる。「東徳寺」、「南原庚申塚」そして「北原庚申塚」のところに来て古道は小学校敷地に突き当たりそれをよける様にコの字型に迂回している。

【東徳寺】
【南原庚申塚の分かれ道】

しばらく大糸線の線路伝いに進むと今度は工事現場にぶち当たる。しかしその脇に「塩の道はこちらです」という親切な看板が立っていて大いに助かる。感謝である。丁度そろそろ休憩をと考え始めた矢先に「飯田犬川端石造物群」のある道角に到着した。石造の脇の木陰にリュックを下ろし暫し休憩を取る。(13:30)後ろを振り返るとそこには何かを連想させるような石造がデ〜〜〜ンと空に向かって突き出ており、その形が滑稽に思い一人でニヤニヤしていた。しかしよくよく目を凝らしてみると突端の出っ張りの両サイドに何と何と蝉の抜け殻がチョコンと張り付いているではありあませんか! こんな珍景は二度と見られないとカメラを構えた。

【親切な看板】
【ズンと伸びた珍形に蝉がら】

10分休憩の後、歩き始めるがこれからは暫く国道を北進する。手元のコピーを撮った“古道・案内地図”に従って途中から斜め左の旧道に入ると間もなく「飯森同祖神」を通過して「十王堂」の付近に来る。その辺から民家が増え始めそろそろトイレにも行きたい気がし始めたので「大糸線の飯森駅に行けばトイレとか駅前スーパー位は有るに違いない」と勝手に判断して遠回りする事にはなるが一旦古道を右に折れて飯森駅を目指す。しかし期待は裏切られた。全く人気のない所に無人駅がポツンとありトイレも店らしきものも全くない。ただただ炎天下ジリジリと太陽の光が頭の上を照り付けている。「我慢!我慢!」と自分に言い聞かせて田んぼの畦道を旧道に向かって歩き始める。目の前には雲で頭を隠している「白馬五龍岳(2814m)」そしてその先に「白馬連山」の山々が雄大に広がっている。

【飯森・十王堂】
【大糸線・飯森駅】


旧道に出て暫く行くと先方にこんもりとした森が見える。あれが「飯森神社」であろう。森に近づくと「飯森神社石仏群」が現れる。強烈な太陽光線を少しでも早く避けようと急ぎ日陰に入ったつもりだが、そこにあった石仏群の“解説看板”を読み始めると自然と引きずり込まれたのだ。その理由はこれまで塩の道を歩いて来て沢山の“石仏群”や“庚申塚”を見てきたが、「なぜ石仏があの様に一ヶ所に集まっているのか? あちこちにあった石仏をあるとき誰かが村の角地に集めて保管したのだろうか?」などと疑問に感じていたからである。その説明看板によれば、

       『江戸時代末期からの“庚申塔”の多くは【庚申塔】と3文字を刻んでいるが、文

        化文政期以前には“像”を刻んであるものが多い。中央に【青面金剛神】上部

        に【日月】、下部に【二鶏三猿】を配したものが普通で、60年毎に巡る“庚申の

        年”に建てられて来た。昭和55年(1980)は庚申に当たり白馬村でも名所に

        庚申塔を建てた。庚申塔は大体部落の入口出口に有って部落に入ろうとす

        る悪魔や疫病を退散させたり五穀豊穣や鳥虫駆除までしてくれるなど何でも

        願い事を聞き届けてくれるのであるが、元々は人間の体内にいて庚申の夜に

        這い出てきてその人の罪業などを帝釈天に告げ口する“三屍”という虫を押さ

        える為に夜を徹して番をしなくてはならない事から始まった信仰と言われ、中

        国からの伝来思想である。

        ここには庚申塔が5基の他に【二十三夜塔】、【馬頭観音】などがあり、明治

        初期までは“牛馬”や“ボッカ(歩荷)”の往来の多かった千国街道沿いにあっ

        て、村人は勿論、旅人の信仰を集めた所である.』


【飯森神社石仏群】
【飯森神社 正面】

しっかりした解説に石仏群の謎が解けたようで気分爽快、立ち上がって飯森神社の脇を通過している時、突然森の中に興味を引く像が現れた。近くに寄ると【母と子の自然教室記念像】**と書かれている。それにしてもこの像をジ〜〜ット見ていると、何か今世の中で失われ掛けている“親と子供との結びつき”を取り戻す切っ掛けを教えてくれているように見える。しかし「何で畑のど真ん中にある神社の森の片隅にこのような像が建っているのか」と大いに疑問を抱く。石仏群の疑問が解決したらすぐにもう次の疑問が生まれていた。
**【母と子の自然教室記念像】=1974年 都内に住むひ
    
り親家庭を招待して春と夏の2回自然を勉強
    する教室がスタートした。三菱商事が中心となり
    社会奉仕活動の一環として始めたの
だが、夏は
    飯森村で自然教室が開催されその記念に碑
    が建立された。


【母と子の自然教室記念像】

飯森神社の杜を後に再び炎天下に出て北に歩き始める。古道が県道322号線に出るところに感じのいい喫茶店があった。よしここで“3時のお茶”休憩を取ろうと決めた。ドアを開けて中に入ると何とすばらしい別天地。お店の名前が【絵はがき】と言うのだが、窓を通して正面には「五龍岳」が見えていて本当に絵はがきのようだ。カウンターに腰を下ろしてブレンドを注文する。ママさんが私の姿を見て「山から下りてきたのですか?」と興味深く訊ねて来る。早速、塩の道・一人行脚のお話をするとビックリしておられた。店の入口を入った脇に7〜8人が座れるテーブルが置かれた落ち着いた個室空間が目に入った。私から「どんな時にあのスバラシイ空間が利用されるのですか?」とママさんにお聞きすると、「この近所の奥様連中がPTAの集まりの後にお茶を飲みに寄るとか、同窓会をするとか、結構頻繁に使われていますよ」とのご説明にビックリ! 都会のご婦人連中よりこの辺の奥様の方がずうっとオシャレな雰囲気の中でお茶を楽しんでいるようで驚きであった。

【喫茶店「絵はがき」にて】
【「絵はがき」内の個室空間】

美味しいコーヒーをご馳走になり、いよいよ本日の最終行程に入った。県道を暫く行くと平川を跨ぐ「白馬オリンピック大橋」を渡り、道は県道から再び“塩の道・古道”に入る。古道に入るや、早速ほのぼのとしたシーンにぶつかったのだ。藁葺き屋根の家の前に赤い胸当てを掛けた石像がポツンと座っていて、道行く旅人の安全を祈っているように思えたのだ。無意識の内にカメラのシャッターを押していた。しばらく行くと「薬師堂」とその石造仏群の所に到着、2日目の宿はその先の信号機のある交差点に出て右折して大糸線「はくば」駅に向かうその途中にあり、もうすぐそこである。

【「白馬オリンピック大橋」から】
【旅の安全を見守る石像】

15:30民宿【大志茂】に到着、お茶代わりに出してくれたスイカが美味しかった。早速浴槽に温泉を入れて頂き一番風呂を一人満喫する。泉質は“アルカリ性単純温泉”で肌が少しすべすべになった。この宿の客は私以外に男性1、夫婦1組の合計4人で、私以外は北アルプスからの下山客であった。夕食時それぞれの体験談に花が咲いていたが、お話では山の上は登山客で溢れかえっており、昨夜の山小屋では畳一畳に二人寝る狭さだったそうだ。私の塩の道には私以外にすれ違う人は一人もいなかったのに。

2日目は43900歩、 27.23Kmと万歩計は表示していた。

【白馬八方口の民宿「大志茂」、正面が入口】

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