塩の道 最終章 【速報版】

●8月7日(火) 快晴

新宿7:30発の「あずさ3号」にて前回第3章の打ち上げ地・信濃大町へ。

11:01着、その足でまずは市内のほぼ中央にある【塩の道博物館】へ。塩商人の庄屋をそのまま博物館にしたもので、大変に重みのある博物館。そこの管理のおばさんからおいしい「おやき」をご馳走になり、しばし談義。そこの売店で【歩く人の為の塩の道・千国街道】のガイド本を買う。

博物館を出て、ギンギンギラギラの太陽の中、「竃(かまど)神社」−「若一王子神社」−「信濃木崎」−「仁科城址」を経て第1日目の【木崎湖温泉・やまく館】に14:50には到着。

今日は歩く初日であり行程を楽目に設定したのだが、余りに早い到着で宿の人が驚いていた。早速近くの日帰り温泉【ゆ〜ぶる木崎湖】に行きゆっくり疲れを取る。泉質は“単純泉”。

夜は博物館で買った塩の道ガイド本を基に事前に作った行程表の見直しをした。どう考えても明日の行程が短すぎ、明後日の行程が実現不可能なほど長すぎる様なのだ。そしてこのガイド本によれば 南小谷〜北小谷間は姫川に沿って山道を行けば自動車の走るトンネルを避けて行けることが判明した。

そこでこの先2日間の行程を全面変更し、それに従って予約済み宿のキャンセルと新たに宿の予約を急ぎせねばならない。明日は「神城」泊ではなく、もっと足を伸ばして「白馬駅八方口」まで歩くことにして「八方口」の民宿を探すために宿からイエローページの本を拝借する。

それにしても こうゆうケースでは携帯電話の便利さに改めて感心させられた。

明日は歩いている途中のどこかで明後日の宿泊地をすでに予約済みの「平岩」から少し手前の「北小谷」にある「来馬(くるま)温泉」の宿を予約せねばならい。

しかし、この変更が後々命に関わるような事件に遭遇させるのである。

●8月8日(水) 快晴

今日は仁科三湖(木崎湖、中網湖、そして青木湖)に沿って千国街道を歩く。

早朝の静かな湖に太陽光線がギラギラと反射して、とても美しい。

道を歩いている人は誰もいないが、湖面には釣り人がポツンポツン。

湖畔には沢山のキャンプ場が有るのだが、どこも閑散としているようだ。

中には全くお客を取っていない閉鎖しているキャンプ場すらある。寂しい光景だ。

中網湖の脇のJR「簗場」駅前に到着(8:50)。駅前のお土産屋の自動販売機の所で店のおばさんが朝の掃除をしていた。

「おやようございます」と声をかけると、おばさんは私の歩いている姿にビックリ。

「ここは冬になると目の前の“鹿島槍スキー場”で賑わうのでしょうね」と話しかけると、「いやいや、もうスキー客も減り、商売もやって行けずお土産屋も閉めて今では内の人はサラリーマンになってますよ」と話されていた。チョト寂しい気持ちになる。

青木湖の湖畔沿いの杉林の道はすばらしい。道の脇に10m位の間隔で石像が置かれており、この辺を【西国三十三番観音】と呼んでいる。何か江戸時代に戻って街道を歩いているような錯覚を起こさせる。しかしすれ違う人は誰もいない。

右手にロッジ風の喫茶店が現れて、そこでホットのコーヒーを楽しみながらホットする。

(10:00)早速携帯で明日の宿のキャンセルと新たに来馬温泉・風吹荘の予約をする。

小休息の後、すぐに一つ目のミスを犯す。二股分かれ道の所で、直進がジャリ道になっているので、アスファルト道路に沿って右に下り始めると何と大糸線の線路際の青木トンネル手前に出てしまう。地図上からみれば直進して「佐野坂」を通過していればいいものを、相当に遠回りした事になり30分以上はロスしたであろう。

しかしこの間違えで【姫川源流自然探勝園】の前を通過することが出来た。その前にあるドライブインで休憩を取り、早めの昼食(山菜そば)を取ってから探勝園を30分かけてグルリと回る。

15:30民宿【大志茂】に到着、お茶代わりに出してくれたスイカが大変美味かった。

早速浴槽に温泉を入れてもらう。泉質はアルカリ性単純温泉で肌が少しすべすべした。

この宿の客は私以外に男性1、夫婦1組の計4人で 私以外は北アルプスからの下山客。

山の上では登山客で超満員だったそうで 夜の山小屋では畳一畳に二人寝るほどだったそうだ。

私の塩の道ではすれ違う人は一人もいなかったのに。


●8月9日(木) 快晴

7:20出発。千国街道を北に。ここからは北アルプスの白馬三山(白馬鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳)がくっきり見えている。

「信濃森上」を通過して「新田」の部落に入って山道の上りになる。「観音原」を通過し、「切久保諏訪神社」付近にくると子供たちが夏の合宿なのか先生に引率されて山道を元気に歩いて来る。きっと近くの運動場を目指しているのだろう。「瀬戸の橋」からは完全な山道。昔のままの道で、背丈もある藪が茂っており一人でこの山道に入り込むのが怖くなる。上りの途中で何度か分かれ道に遭遇するがチャント抜け出られるのかと不安になってくる。

何とか草をより分け一挙に登りきって自動車道路に出ると、そこに「風きり地蔵」があった。地蔵さんの脇で休憩をとるが、顔からは汗が滝のように落ちている。

それから栂池スキー場の側を通り、「松沢口」からまた山道へ突入。10:30「沓掛」の【牛方宿】に出る。今度は一挙に「千国」の部落に向けて急激な下りで、そこは「親坂」と呼ばれ、沢に沿った濡れた急斜面はズッズッと滑りそうでハラハラしながら下る。噴出す汗を拭きながら【千国番所跡】(千国の庄資料館)に到着、ここで昼食を取る。(11:00)

「別当」―「小土山」―「小谷郷土館」―「中尾阿弥陀堂」と通過して「下里瀬」の村に入るがそこは全く人気がなく一軒の雑貨屋に飛び込んで冷たい炭酸飲料を買い、道を再確認する。

今度は「車坂」から強い上り。15:00 恐ろしい崩落現場を突っ切る。大きな電信柱が大きく傾いて今にも下に倒れそうな姿にゾットする。もし今、足を滑らしたらどうなるのか?と右足下の崖下をのぞきたいのだが、見るとそちらに吸い込まれそうで怖くて見られない。

なぜか呼吸まで止めて一挙にその斜めになった道を突っ切ったように記憶している。

つぎに「稗田山の大崩落」の現場を突っ切る。現在も大掛かりな砂防工事を行っているが、山の中腹のだだっ広い台地に十字路がありその角に【幸田文 崩落記念碑公園】なるものが現れて私を驚かす。そこで休憩を取ろうとしても全く日影が無い。その説明版によれば、幸田文は 日本の巨大崩落に関してルポルタージュ文学【崩れ】を書いた時の題材の一つとなった浦川沿いの崩落現場と書かれていた。

浦川が姫川に合流する「松が峰」を通過、遥か遠くに今日の宿「来馬温泉」の建物が見える。暫くすると「来馬諏訪社」に出てやっと来馬村落に入ったことを確認。

遠くに背が丸くなった小さなおばあさんが前かがみに坂道を私の方に向かって登ってくる。

すれ違いざまに挨拶をすると、「ほらこれ食べなさい」と今畑から取ってきたもぎたてのトマトをくれる。 私の汗まみれな顔を見て気の毒に思ったのか「ほら、もう一つあげますよ」と大きな真っ赤に熟れたトマトを二つ差し出した。私は命のお布施のように感じ素直に戴き、歩きながら夢中になってほおばる。うまい! あまい! この果汁がたまらない! ゴックン、ゴックンと音がする。

17:00【来馬温泉・風吹荘】に到着。早速 温泉に入って汗を流す。気持ちがいい。

泉質はナトリウム・カルシューム・炭酸水素塩、塩化物温泉と書かれていた。

何か沢山の温泉エキスが入っているようで、お湯はタイルを鉄さび色に変えており十分体にご利益がありそう。

●8月10日(金) 快晴

これまで大きなトラブルも無く順調に行程をこなしていることに感謝しながら8:00旅館を出る。今日も朝から太陽の日差しが強い。

旅館から姫川に沿って少し下ると小谷橋を渡って来た国道148号線とぶつかる。道の駅【おたり】の側の「島温泉」宿の裏からきつい登りに入る。本当の山登りだ。今日はこんな上りを4回繰り返して宿泊地「根知・山口」に向かうのである。間違いなく“健脚コース”と言えようか。

最大のトラブルはこの直後に起こるのである。

8;55 「城の越」に到着。ホットして最初の休憩を取る。10分の休憩後にそのまま林道を歩き始める。しばらく行くと右手に視界が広がり「雨飾山(1963m)」がクッキリと姿を見せている。更に暫く行くと次第に背の高い草が覆い始める。しかし車の轍の跡の二本線の部分には草は無く何とか先に進むことが出来た。どれだけ草を分け分け歩いただろうか。突然目の前の道が無くなっている。しかし草が誰かに踏まれた跡が残っていたので、その間を滑るようにして抜けると、今度は杉林の中に入り、地面にはシダ植物類が一面を覆っておりどこが道だか分からない。それでも道らしい線を探しては、先に進んでゆく。時々後ろを振り返り 今来た道を覚えておこうとする。その内にある木に紅いテープが巻いてある所に出た。一瞬 あの「地蔵峠」の時(塩の道・第2章)の経験から、「道に逸れない様に誰かがテープを巻いてくれているので、これで道は正しいのだ」と思い込む。それから次の道をと、周りを見渡して紅いテープを探すがどの方向にも無い。さて全くどちらに行ったらよいのか次の手が打てない。

よわった! よわった! これは所謂“遭難”ではないか!

万が一のことも有るだろうとポケットの携帯電話を掴む。手に取って見ると、何と「圏外」。

こんなところで 本当に一人ボッチになってしまったではないか! これからどうする?

慌てず自分の“感”で一歩一歩 来た道を戻ることにする。もし感が狂っていたらどうしようと不安が募る。しかし来たときの風景と、いざ逆に戻るときの風景が全然違うのに気がつく。

確かにこの枯れ木の倒れ方に記憶あり とか、このくぼ地にはさっき足を掛けた記憶ありとか、ただひたすら“記憶と感”に頼りながら戻っているのだが。  神様 助けてください!

すると木々の間に背丈ほどもある長く伸びた植物の間に誰かが踏んで出来たと思われるあの割れ目が明るく光っているのが目に入ったのだ。  助かった!!

ドキドキはらはらの一瞬だったが、「城の越」に戻ってきたのが9:30。およそ30分の出来事だったのだが、私には何時間も費やしたように感じた。戻ってきて標識を確認するとなんと「塩の道」は林道の脇から下に降りろと表示されていたのだ。自分勝手に思い込んで歩くと命を落とす危険がある というよい例だ。

しかしその直後、一難去ってまた一難、またまた道を失ってしまうのだ。更にはハエのようなアブのような害虫“ウルル”に襲われ、そして山中で柴犬が突如現れ登山ステッキで挑戦、と言った危機が連続して起こるのだが、それに就いては次の機会にお話しよう。

何とか大網峠を越えて16:00 山口の民宿【蛇橋屋(じゃばしや)】に到着。すぐ近くにある【塩の道温泉・美人の湯】に出かける。誰もいない大きな湯船でたった一人、大きなガラス窓の外、稲棚の青々とした姿を見ながら疲れを癒す。泉質はナトリウム・炭酸水素塩。

●8月11日(土) 快晴

いよいよ最後の歩きの日だ。今日は「中山峠」を越えて「糸魚川」に下りてゆく行程だ。7:45出発。根知川に沿ってなだらかな田んぼ畦を歩いてゆくが、木々が無い分、直射日光は無常にわが身を照らし続ける。汗は自然に皮膚から噴出しツルリツルリと流れ落ちる。田んぼ道のど真ん中を歩いていると、暑さでだんだん気が遠くなり真っ直ぐ歩いているつもりが右に左にと蛇行する。遂にびっしょり濡れたティシャツに我慢が出来なくなり根知村役場のトイレを借りて着替えをする。新しい下着に着替えると気持ちがスッキリして、また歩く気力が生まれてきた。(9:00)

「仁王堂」から「中山峠」に向かって登りになる。誰もいないカンカン照りの山道を一人歩いている。 何故こんなことしているのだろうと、一人自問自答している。

10:45 中山峠に到着。視界も利かない何の変哲も無い峠ではあったが、ひとり「バンザイ! バンザイ!」と大声をあげていた。多分その理由は もうこれ以上の上りは無く、あとはただただ海に向かって下がる道のみが本当に嬉しかったのだろう。

ダラダラと降りて行くと急に見晴の効く道に出た。見える!遥か彼方に日本海が薄っすらと靄掛かった中に見えている。

遂に太平洋側の静岡県・相良町の海岸から歩き出して やっとの事で日本海側に出てきたのだ。興奮してワイフに携帯電話を入れる。

予約されていた糸魚川市内の民宿【おがわ】に到着。14:30 まだ早いので日帰り温泉

「大野」の姫川沿いにある【フォッサマグナ糸魚川温泉・ひすいの湯】に出かける。泉質はナトリウム・カルシュウム・塩化物泉。

しかし打ち上げの最後の夜、またまた色々なハプニングに遭遇する。その辺についても次の機会にお話しよう。

今回の行脚(最終章)の特徴は辛い山道の旅だったが 塩の道・千国街道の全行程で誰一人として歩いている仲間とは会わなかったこと、そして毎晩、温泉に浸って疲れを癒すことができた事であろう。

お陰さまで無事【塩の道】350Kmを自分の足で完歩できたが、見守ってくれた家族に、そして道々でお世話になった人々に 心より感謝したい。           

<おわり>

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