日本の各地には 古代から海岸と内陸の山地を結ぶ道が開かれてきました。この道は、色々な物資や文化を運ぶ道でしたが、特に人間が生きて行くのに欠かせない塩を中心に運んだことから【塩の道】と呼ばれています。
【塩の道】の中でも最も古くて長い道とされているのが、新潟県の糸魚川から長野県の松本をとって塩尻に至る「北塩ルート」と、静岡県の相良から掛川・青崩峠・地蔵峠を通って諏訪湖をとおり塩尻に至る「南塩ルート」で、全長が350Kmになります。「南塩ルート」の途中は、伊那街道を通るルートと南アルプスを縫うように走る秋葉街道を通るルートに分かれています。
「北塩ルート」のうち、糸魚川と松本を結ぶ千国街道は、戦国時代に上杉謙信が、敵である武田信玄に塩を送った道と伝えられています。江戸時代には、加賀藩〈石川県)から輸入された塩が、6頭ほどの牛をつかって荷物を運ぶ“牛方”や、荷物を背負って運ぶ人たち(ボッカ)によって運ばれました。姫川の谷をさかのぼり、大網峠を越える道は、狭くて険しい危険な道で、冬は雪が深く、牛が進めないので、もっぱらボッカによる輸送に頼りました。
また諏訪湖畔から佐久に抜ける西街道(国道142号線)上にある“和田峠”はわが国における数少ない「黒曜石」の産地で、海の民が使う漁具や農民の鍬に使われた黒曜石は古代人にとって貴重品であり、この【塩の道】を内陸から海岸へ運ばれた重要な物資であったようです。
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