【第5回 文京を歩くかい】無事に終了!

4月18日(土)薄晴れの中、参加15名という大勢で隅田川沿いの江東地区、深川・築地を足で堪能して参りました。

左の写真はお昼前、両国・国技館付近を爽快に歩いている皆さんです。

第5回 【文京を歩くかい】(深川と築地を訪ねて)

2009年4月18日(土)天候:晴れ、予定通りに実施されました。文京区にあるJR御茶ノ水駅前に午前10:00集合。実は今回のコースは歩いてすぐに文京区域を出てしまうので、「なぜ【文京を歩くかい】なのですか?」と質問が出ます。そこで「実は過去4回も重ねると、もう文京区内で歩くところが少なくなり、歩く1日コースを設定するのが難しいのです」と返事をしております。そんな訳で今回は【文京区から飛び出して歩くかい】ということで、『芭蕉の深川を訪ね深川七福神をめぐり、小津安二郎の築地界隈に足を延ばし新橋で打ち上げ』というコースが組まれたのでございます。今回の参加人数は何と何と総勢15名でございました。

土曜の朝9時過ぎというのに、御茶ノ水駅、聖橋出口付近も結構人の行き来が盛んでございました。一番到着がHA氏のようでしたが、どうやらその時に道の向こう側にYO氏が腰掛けておられたご様子。OT氏、HO氏、TU氏、IM氏、OS夫妻、MA氏、SI氏、YA氏、そして最後にSA夫妻が到着、占めて14名が集合できました。MI氏は途中から参加ですので、予定通り10:00にスタート。すぐ先の【湯島聖堂】の敷地内に入って、今回の資料(3種類)をお渡し致しました。

 資料1 無料雑誌【中央公論Adagio】

      特集記事:「小津安二郎と築地市場を行く」

 資料2 無料雑誌【東京時間旅行 ミニ荷風】

      特集記事:「荷風が愛した深川」

 資料3 今回のコースの【雑学集】

この資料は折角今回歩いて頂くコースの途中で関連してくる名所、旧跡や関係する人物を、日を改めて各自で復習して頂く為に用意したものでございます。

さてさて、湯島聖堂から国道17号線を突っ切って【神田明神】へ。ここで最初のお賽銭を投げてお祈りしましたが、今回は相当の回数でお賽銭が必要となりそうでございます。ここから蔵前通りに出てしばらく東に向かって歩きます。今回初参加で自称“大阪・吉本興業の出”と言うYO氏は電信柱が消えた蔵前通りのスッキリ感に感心されておられました。山手線のガードをくぐり、昭和通りを横断し、次の清洲橋通り交差点をチョット左に折れてすぐ先にある「おかず横丁」(鳥越本通り)に入ります。特段変わっている商店街とは思えないのですが、この辺は町工場が多くて近所の忙しい共稼ぎの家庭ではこの横丁で“おかず”を買い、家ではご飯を炊くだけですませていたそうで、そんな背景から名づけられた商店街だそうです。この商店街を通り過ぎると【鳥越神社】にぶち当たります。名前の有名さからさぞかし立派な本殿かと思っていたところ、余りにも小じんまりしている神社に皆さん驚いているご様子でした。ここで2回目のお賽銭です。

蔵前一丁目の交差点を突っ切り、緩やかな上りになり左に「蔵前水処理センター」を見ながら、【浅草御蔵跡】に出ます。もうすぐその先が「隅田川」でして「蔵前橋」を渡ることになります。ここは江戸時代に旗本や御家人に支給された幕府米を貯蔵するためのお蔵があった所だそうです。蔵前橋の上に出ると、春のさわやかな風が潮の香りを運んできて最高の気分にさせてくれます。大型の遊覧船が橋の下を通過して行きました。この橋を渡りきりますと、すぐに【横網町公園】に入ります。ここは大正時代、公園造成を進めている最中にあの関東大震災(大正12年9月1日)が襲ってきたそうです。このとき界隈の人々がこの地に非難して来たのですが、持ち込んだ家財道具などに火が伝わり多数の焼死者を出したそうです。これら遭難者の霊を供養し、さらに東京を復興させた大事業を記念するために【震災記念堂】が建てられたとの事です。この記念堂のスケールの大きさには驚きました。“妻に捨てられぬ会:M&M会”の創設者であられるHO氏はこの建造物にビックリされて体を反らしてデジカメで撮っておられました。丁度このとき広場には私たちより(多分)お年を召した方々の団体が居られ、大勢で次の【旧安田庭園】に移動されましたので、私たちはその一団と少し間を置こう考えて20分の休憩を取ることにしました。

さあ休憩となりますと、皆さんさっとベンチに座られるのですが、やはり親しいもの同士が固まるようでございます。今回の我がグループには、長崎楽会組、同一会社組、そして単独参加組とおられたのですが、大体その組ごとに座っておられたようです。“豪華客船による世界一周の旅”をある理由で突然キャンセルされたSA夫妻はここでもピッタリと寄り添っておられました。一方最もお若いと思われるOS氏の奥様は皆さんに “甘納豆”を配っておられましたが、とても美味しかったですね。ご馳走様でした。

次はそこから歩いて数分のところにある旧安田庭園に入ります。ここは小規模な庭園ですが入場料無料の割にはキチット整備された美しい庭園です。そもそもは江戸時代、常陸笠間藩・本庄氏の下屋敷だったものを、明治に入り安田財閥が所有し、大正に入って東京市に寄贈されたものだそうです。隅田川の水を池に取り入れ、潮の干満を利用して、眺めの変化を楽しむように設計された庭園だったそうで、いまでも地下貯水槽からポンプで水をくみ上げ人工的に潮入りが再現されているそうです。皆さんグルリと池を周回しておられました。庭園のすぐ脇には相撲の「国技館」の屋根が迫ってきておりました。

ここから両国駅前を通過して、いよいよ昼食の時間です。【回向院】の脇にあるセルフサービスのレストランにて昼食を頂きました。早速ビールで勢いをつけている方もおられましたが、私目も当然ビールでのどを潤わさせて頂きました。12時45分にレストランを出て、次は【吉良邸跡】へ向かいますが、「時津風部屋」の建屋のすぐ脇を抜けるとすぐに到着です。ここ両国界隈は“東海自然歩道”(東京・高尾山から大阪・箕面までの1,100km)を1月に完歩したTU氏、“秩父の野辺山ハイキング”のHPを立ち上げているHA氏、そしてHO氏と、その3氏の会社があった場所なので懐かしそうにしておられました。

この後は清澄通りに出てそこを南下し、森下駅のある新大橋通りの交差点を突っ切り暫くして右手路地を入って【深川神明宮】に到着します。ここが深川七福神の一つ目で「寿老神」。その隣に鎮座ましていた「和合稲荷」の名前にほれ込んで集合写真を撮りました。カメラの前で、現在古典落語を修行中であられる“花伝亭長太桜師匠”のOT氏が豪快に笑い、そして“銀座で広告会社の社長”をなされている現役のIM氏の微笑みもこれまた何かご幼少の頃を連想させるようで、本当に“和合”気分でございます。

この後は西に歩を進め突き当たったところが【芭蕉記念館】です。15分で中を閲覧してから(入園料100円)、庭を突っ切って隅田川の土手に出ます。ここから堤防の上を歩き【芭蕉庵史跡・展望公園】に向かいます。この展望台からは目の前にドイツのケルンにある橋を真似た「清洲橋」がデーンと控えています。そこから今度は隅田川に流れ込んでいる「小名木川」に架かっている「万年橋」を渡ります。何と小名木川は1590年ごろに徳川家康が小名木四郎兵衛に命令し、開削させた“運河”だそうで行徳で作られた塩や野菜類、東北地方の米などを江戸に運ぶために掘られたものだそうです。と言うことは日本で最も古い運河なのかも知れませんね。

橋を渡ると今度は東に歩を進め、次は【深川稲荷】(布袋尊)に辿り着きます。民家が密集した角地にチョコンとあるお稲荷さんでした。そこから真直ぐ南下して「清洲橋通り」を渡った先に【清澄庭園】があります。ここは大きな庭園なので自由行動30分を取ることにして、園内を散策して頂きました(入園料150円 65歳以上 70円)。皆さんそれぞれに楽しまれたことと思います。この後は「大橋通り」に出て霊厳寺の角の路地を入ります。この通りが【深川江戸資料館】のある商店街です。この資料館では十分に中を見る時間が無いので、皆さんに無料印刷物「資料館ノート」を館内で入手頂く事をお勧めしました。ここでの休憩15分で次の地【龍光寺】(毘沙門天)に向かいます。ここでSI氏が語学の勉強に行くと言うことで一旦お別れです。しかし打ち上げパーティには参加されるとのことで、そのすさまじいエネルギーには脱帽です。語学と言えば今日初参加のYA氏も語学勉強中で、何と私の友人である美女がレッスンの先生なのです。その美女先生はジャズ・シンガーでもあり、彼女のライブで私とYA氏は知り合った間柄なのです。

この後、また西に歩を進め、もう一度清澄通りに出て南下、その先においしそうな塩大福の店があり3時の“おやつ”を購入しました。3時の休憩は富岡八幡宮を予定しております。しばらく清澄通りの南下を続けると【心行寺】(福禄寿)に到着します。この隣に「法乗院・えんま堂」がありました。巨大なる閻魔様がおられ、お賽銭を投入すると仏様の説教がきける仕組みになっておりました。“浮気避け”、“ボケ防止”などの説教をそれぞれ1回毎に10円玉を投げていくつかの説教をお聞きしたのですが、何か物足りないような気分になったのは私だけでしたでしょうか。この先の深川一丁目の交差点を左折して、葛西橋通りを今度は東に歩を進めます。この通り沿いに【冬木弁天堂】(弁財天)があります。このお堂もビックリするような小さな規模で全員が一度にお堂の前に立てずに、一列に並んで一人一人お参りしておりました。ひょっとするとこのお堂は、我がグループから一番お賽銭が投げられたかも知れません。この辺に来ますと皆さん多少足に不安が来ているのか、何か口数が少なくなったように感じられます。これからが大変なのに!

すこし戻って信号のある交差点を渡って真直ぐ南下します。和倉橋交差点を突っ切り首都高速道路の下を潜り抜けて、すぐに右に入るとそこが【成田山・深川不動尊】です。オートバイのライダー達が音を立てて集まってきて御祓いを受けるのでしょうか、結構賑わっておりました。この隣に【富岡八幡宮】があります。ここで皆さん3時の休憩です。疲れが出ているのか皆さん静かにベンチに腰掛けておられます。早速疲労回復剤としてさっき購入した塩大福をお配りしました。OS夫妻は“ご朱印”を貰う為に目を丸くして走り回っておられました。ご朱印は1回300円掛かるそうです。

3時の休憩後、富岡八幡宮の日本一の巨大な「黄金大神輿」を皆さんがビックリしながら見上げております。あまりに重たくて担げない神輿だそうですが、IM氏より「あの佐川急便の社長がポンと寄付した黄金の神輿だよ!」と解説を頂き、ダブルでビックリ! この後、永代通りに出て西に歩を取り【永代橋】に向かいます。さあこれからは築地を目指して結構距離のある歩きが続くのです。永代橋の上からの隅田川下流方面の眺めは最高でございました。丁度正面に「月島」が見えて隅田川が右と左に分かれるところがくっきりと見えているのです。人工埋立地である月島には高層マンションが乱立しておりまして、この眺めはむしろ不気味と言えましょう。“サラリーマン現役でバリバリ”のMA氏はデジカメでスナップ写真をチョクチョク撮っていたようですが、ここでも早速シャッターを押しながら、「もう100枚以上撮っちゃったよ!」と興奮気味に話されておられました。

永代橋を渡った角で、YA氏が「あれが私の会社が入っているビルです」と指をさしておられました。オフイスの階にはライトが付いていたようで、なにか後ろめたい気持ちになっておられたのかも知れませんね。すぐのY字路を左に折れて真直ぐに進み「高橋」を渡り、すぐに左折し「亀島川」という名の運河に沿って南下します。すると【鉄砲洲児童公園】が見えてきます。佃大橋西の交差点を突っ切って「聖路加ガーデン」エリアに入ります。近代的高層ビルと緑の街路樹がきれいにレイアウトされた新開地を思わせます。明石町の交差点を右に折れると、前方に【築地カトリック教会】が見えてきます。ここを通過し昔運河だった上に作られた公園に出て左に折れしばらく行きますと【築地本願寺】の裏手に出ます。予定通りの17:15、築地本願寺に到着。荘厳な本殿の中に入ってお参り。これで何回目のお賽銭を投げたでしょうか。

ここでMI氏とご対面。MI氏は日本画伯であられ、彼女が尊敬する日本画の先生のお墓がこの築地本願寺にあるそうで参拝を済まされて来たとのことでした。いよいよこれから本日の最終コーナー、築地四丁目の交差点を渡って【築地市場】に突入します。この交差点で“和太鼓(壱岐坂太鼓)の奏者”で地元の子供たちにも教えているOS氏が「築地市場は良く知っているから、そこで休んで待っているよ」と宣言されました。この時間帯では市場は眠っているようなもので閑散としておりました。予定の【波除神社】を訪ねてオス、メスの大型獅子を拝見、来る6月14日(日)には「築地復活江戸の祭り」が行われるそうで、そのときにはこの巨大な二つの獅子が担ぎ出されるそうです(つきじ獅子祭)。波除神社を出て「中央卸市場」の敷地内に入り今回の最終目的地【水神社】をお参り致しました。この小さな神社ではお賽銭は不要でございました。ここから“打ち上げの場”銀座7丁目までは皆さん足を引きずるように歩いておられました。

打ち上げの場【とく奈が】に到着出来たのはほぼ予定通りの18:00でございました。お勉強を終えたSI氏も戻ってこられて、総勢15名で一斉に「乾杯!!!」と声を張り上げ、さあ、さあ、楽しい有意義な懇親会の始まりです。

本日の歩行距離は17Kmで、散会はおよそ20:30でした。 

長い、長い一日、皆様大変ご苦労さまでした。また次回を楽しみに!!

<完>


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