『伊那美すず日記』 

 

長野県の南に『伊那市』という小さく静かな街があり そこから車で20分ほど郊外にでた美すず工業団地に私の住処がある。会社の宿泊施設(ドミトリー)を我が住まいにして早1年半が経とうとしている。凡そ1週間おきにここで一人週末を過ごす貴重な時間、名づけて『週末隠遁生活』、その生活の中での“小さな体験”を書き綴ってみよう。題して『伊那美すず日記』。

徒然なるままにして ひぐらしパソコンに向かいて 

                    心に移り行くよしなし事を

そこはかとなくキーを叩けば あやしうこそ 楽しからずや

 

○ 激寒の章: 伊那谷 温泉天国

○ 初夏の章: 車の墓場

○ 猛暑の章: ホールインワン物語

○ 霜月の章: 朝4時起きでした!

 ○ あとがき; 内部告発

 

激寒の章 ◆◆◆伊那谷 温泉天国◆◆◆

 

伊那の2月は非常に寒い。大雪が降らない分 アルプスからの北風が地面を凍らせる。

しかしその寒い分「温泉」が値打ちを増すのである。この伊那谷にも温泉は四方八方にあるので真冬でも実は退屈しないのである。特に都会育ちの私には その温泉の雰囲気がたまらなく好きで、この時期 東京に戻れば 誰彼と無く「伊那は温泉天国でっせ! 是非地酒と温泉につかりに いらっしゃい!」と誘うのである。それは寂しいから人を呼ぶのでは無く「こんなスバラシイ世界を自分一人占めにしないで是非 都会の皆にも知ってもらいたい」という気持ちが そう言わせると思っているのだが。

2月14日 バレンタインデーのこの日は私たち夫婦の結婚記念日でもある。いつもこの記念日には贅沢な(?)夕食と そして二次会にはいつもの銀座のクラブへ行く事にしている。今年も不況風の吹く中、お陰様でこのコースを実行することが出来た。帝国ホテルにてステーキとワインのコース。何となく雰囲気に金を払っているようで落ち着かず 四角く切られたサイコロ型ステーキを口に運びながら 本当に上等なのか味では判断できないワインを二人で飲み やっぱり貧乏人根性がしみ込んでいるのかな〜〜なんて考えていた。ボトルが空になる時が私たちの席を立つタイミングである。

「お〜〜寒い!!」と言いながら オーバーコートの襟を立て 二次会場へ。

「あ〜〜ら! いらっしゃい!」とクラブ・ママが雰囲気を高め様とオクターブの高い声が室内に響く。この不景気下で案の定 店には客はいなかった。

すこし盛り上がった頃、出てしまったのだ。あのセリフが。

「やれ銀行がどうの。株の暴落。リストラに会っているお父さん達。ピッタリと客足の減った銀座界隈。――――どうですか。気の滅入る話ばかりのご時世、ここは一つ気分転換に 伊那にでも来てさ。のんびり温泉にでも入ってさ。じっくり地酒でも飲めば気も晴れるよ。」

するとクラブ・ママが 「そうしましょう!!」女二人の話は 一旦方向性が出るとその後が早い。 次にワイフが「え〜〜と 来週はいかにも早過ぎるから再来週にしましよう。お父さん 温泉の予約をお願いしますよ。」とトントン拍子に決まるのである。お見事!!

2月23〜25日 二人して2泊3日の旅「伊那」にやって来たのだ。勿論迎い入れる私としては 自分のお気に入り温泉のトップランキングの中からセッティングした。1日目が『ながたの湯』そして2日目が『高遠桜ホテル』である。きっとお二人には満足頂けたものと思っているのだが。

さて「私のお気に入り伊那谷・温泉 ランキング」を紹介する前に「温泉」とは どんな内容を備えていれば温泉と言うのかの定義を再確認しておこう。詳細なる定義は省くとして 次の内のどちらかを満たせば温泉と言うのだそうだ。

@     湧き出たもの(湯水、鉱水、水蒸気、ガス)が 25℃以上。 または、

A     湧き水 1kg中に 指定された19種類の物質のうちどれか一つが基準値以上含まれていること。

という条件だから 温泉とはどこでも出るのであろう。真水でも25℃以上なら「温泉」である。こんなお湯にご利益が有るはずが無いと思うのだが。地中2000〜3000m掘ればお湯が出るのだから そして地中深ければ鉱物成分がわずかでも含まれていそうで、だとすれば東京のど真ん中でも温泉は湧き出ても不思議でない。最近リノベーション中の東京本郷の「後楽園遊園地」でも温泉が出たと騒いでいる。

さて次に『私の選んだ伊那谷・温泉のトップ5』をご紹介しよう。これは地理的にも遠くなく、環境が自分の好みにピッタリで、温泉らしい水質が決め手となるのだが、独断と偏見のランキングであることには間違い無い。

 

  1位:高遠桜ホテルの湯

目の前、高遠湖の対岸に高遠城址の山が一望できる露天風呂。桜のシーズンよりも真冬の誰もいない静かなひと時を露天風呂で体を浸けるのは最高である。庭の「いろはモミジ」そして「ラシャ」の木が葉を落とし露天の視界をパノラマに広げてくれている。左の視覚に入って来た雲がゆっくりと視界を横に流れて行き右の視覚の中から消えて行く。そして新に次の雲が視界に入ってくる。動いているのは真っ青な空に雲だけか。本当に静かだ。聞こえるのは岩間から温泉が絶えることなく流れ込む音。水質はアルカリ性単純泉。ここのお薦めはレストランでのフランス料理。きっと腕の立つシェフがいるのだろう。温泉で体を癒した後でワインを飲みながらのディナーもこれまた格別。 

入浴料 700円。

  2位:早太郎温泉 こまくさの湯

中央アルプス”木曽駒が岳”から流れる「大田切川」の脇の早太郎(はやたろう)温泉卿の中にある『こまくさの湯』。その露天風呂から真っ白に雪化粧をした木曾駒の山並みを見ながらのひと浴びは格別。急に曇ってきたかとおもうと、白い雪が花びらのようにチラチラと湯船の上を舞う姿は何とも冬の桃源郷か。アルカリ性単純泉。湯上りにそばの食堂で地ビールをグイットやるのも最高!! この温泉郷は平成7年にオープンと言うから以外に若い旅館群が建ち並ぶ。 

入浴料 500円。

  3位:箕輪温泉 ながたの湯

山間の中の温泉。ナトリウム炭酸水素塩温泉は肌をつやつやさせて「美人美肌の湯」として親しまれている。 確かに温泉の水質としては 成分が濃いせいか湯船に入るとすぐに体がツルツルになり温泉効果満点であり、私のお気に入り。そばに旅館『ながた荘』があり、すっぽり山に囲まれて愛する人とのんびり湯に漬かるのには理想的な温泉では?

入浴料 500円。

  4位:上伊那 望岳荘の湯

駒ヶ根の早太郎温泉とは天竜川を挟んで反対側の伊那山脈のふもと 高台に建つ『望岳荘』、その最上階に“展望風呂”がる。ガラス窓越しに中央アルプス連峰が一望に見渡せるのである。こじんまりした湯船ではあるが、湯気で曇ったガラス窓にお湯を掛けながら 西に位置する中央アルプスに夕日が沈む姿をのぞき見るのも最高で雲上のパラダイスと言えよう。ここには大変にスケールが大きく一見の価値がある『蜂の博物館』が併設されている。

入浴料 350円。

  5位:伊那谷道中 満願成就の湯

飯田市の郊外伊那谷の古い文化を再現したパーク“伊那谷道中”内にある大型の温泉。露天風呂の敷地も大きく施設も豪華絢爛といった感じで露天風呂、洞窟風呂などスケールの大きさはNO.1であろうか。大浴場は“薬湯風呂”になっていて 木の香りがする「癒しの温泉」と言える。ちょっとばかりスケールの大きさが逆に一人で楽しむ風情には難点かも知れないが 私には“満願成就”の名前のごとく桁違いに贅沢に作りこんだ空間が気に入っており 時々ふらっと行ってみたくなる温泉である。
水質はアルカリ性単純泉。日が暮れて周りが暗くなった頃、かがり火を灯した庭園レストラン“石舞台”での焼肉料理はロマンチックである。入浴料 600円。

これ以外にすでに私が訪ねた伊那谷の温泉は 10以上を数えるが、脚を伸ばせばまだまだ相当数の温泉が伊那谷には有るのだ。冬を退屈に過ごしている訳にはゆかない。

初夏の章 ◆◆◆ 車のお墓 ◆◆◆

 

5月の半ば過ぎの日曜日、今年は梅雨の入りが早いのか すでに沖縄では梅雨に入ったとテレビのニュースで伝えていた。ここ伊那谷でも5月に入って雨が降ったり止んだりして すっきりしない天気が続いていたが、久々に晴れ上がった日曜の朝 新しく開拓した『六道原の運動場』に向かう。実は今年に入ってから私の朝の体操場所は以前の『畑の運動場』には行かずこの新しいコースを選ぶようになっていたのである。

        註:「畑の運動場」に就いては エッセイ「伊那谷と私」の初編を参照。

それには大きな理由が有ったのだ。3月に入り畦にも小さな若草が出始めた頃 「畑の運動場」を訪ねた。道路からこの畑の運動場に入る入り口の角地は昨年まで荒地で雑草が生い茂っていたところだが、土が盛られてきれいな平地になっていた。この角地は傾斜した運動場の一番高いところの一角に位置しており、これからどんな目的でこの平地が利用されるのかと大いに興味が沸いていた。

4月に入って快晴の日曜日、朝の運動にと「畑の運動場」を目指す。しかし運動場の入り口が近づくに従い その角地の平地に乗用車が数台見え始めた。「おや? 今日は近くで運動会でもあるのかな?」それにしても時間が早すぎるし、運動会のシーズンでもないし、疑問は募るばかりである。

各種の乗用車が横一列に10台ほどがきれいに整列している。そばに近づき驚いた。それぞれの車には、ナンバープレートが外されている。どの車の窓ガラスも太陽光線をキラキラと反射させているし タイヤにもしっかり空気が入っているし、今すぐにでも走り出しそうな気配であったのだが 近づいてそれらが“死車”である事を知った。 この平地の広さから まだ70〜80台は楽に入るスペースが残されている。ここはいずれ巨大なる「車のお墓」になろうとしているのだろうか。

許せない!! 誰がこのような行為を取るのか。この伊那谷のすばらしい自然を なぜ簡単に廃墟にしてしまうのか。20〜30年後、雨水はこれらのさび付いた鋼の塊から何を搾り出し田畑の生き物にどんな水を与えるのだろうか。稲や麦やソバや大豆や そしてその回りを這う小動物はそんな水を得て どんな形に変わってしまっているのだろうか。憤りを感じると同時に強烈な寂しさが体全体に襲ってきた。「畑の運動場」から見る中央アルプスの山々の絶景はぶち壊されてしまうのだろうか。

こんな悲しい出来事は私を「畑の運動場」から遠ざけ それ以降は我が住まいから東側に位置する一段高い田園地帯(六道原)を新しい運動場にしていたのである。このほぼ中心部に立つと360度の視界が拡がり 正面に南アルプスの「仙丈ケ岳」を望みながら 時計回りに向きを変えると、その横に伊那富士と言われる「戸倉山」が現れ、そして真後ろが中央アルプスの「西駒ケ岳」(木曽駒が岳)が雄大なる姿で控え さらに右に旋回すると「権兵衛峠」を挟んで「経ヶ岳」がすぐそこに見えてくる。そして更に視界を右に移動すると諏訪方向を通過して「手良村落」の家並みを見ながら仙丈ケ岳の向きに戻るのである。この真っ只中で顔の向きを四方に変えながらの「ラジオ体操」はこれまた格別である。

私はこうして条件が悪くなれば簡単に「畑の運動場」に変わる場所に移ることが出来るが、他の生き物たちはどのようにしてこの鬱憤を晴らせるのだろうか。人類はどうしてそのように身勝手に“鋼の大きな塊”を美しい野辺に放置できるのだろうか。

ところで「死車」がこのように行列を作って墓場に眠る原因を調べてみたくなった。我が国の自動車保有台数は7、000万台強に達し過去30年余りで約10倍に増加したそうだ。年間新車登録が 600万台、また年間の登録抹消台数が500万台程度、その内 不法投棄車が約2万台という。 90年代に入ると車の最終処分費用の高騰や、スクラップ価格の下落といった事業環境の変化を受けて使用済み自動車の資源性は薄れ、廃車処理の有償化が進展して行き これに伴って不法投棄や不適切処理が急増したという。
     UFJ総合研究所:乗用車マーケット調査より)

このような情勢下では正規のコストより安く墓場に送ってくれる便利屋稼業が暗躍するのであろう。我ら人類は高度な文明を起こし便利で豊かな自由主義社会を作っているとは言うが本当に“豊かな社会”なのだろうか。

この広大で自然豊かな伊那谷も人類の作った文明により侵されて行く姿を悲しみ心痛めている矢先に 開いた口が塞がらないTV報道番組が飛び込んできた。

米国カルフォルニア州 モハーベ砂漠には『旅客機のお墓』が有ると言う。広大なる砂漠にあたかも大型のエアポートが有るように そこには搭乗口が封印された“廃飛行機”がキチット並んで鎮座ましている姿は脅威と言うより不気味である。2年前までは60機だったのが現在は275機に増えたと言う。航空産業の不況による航空会社の倒産がその最大の理由だが 過当競争に生き残ろうと航空各社が そもそも需要に対して航空機保有台数を増やし過ぎたのが原因と言えよう。本来なら誇るべき人類文明が間違った方向に向かってしまった一例ではなかろうか。

この報道番組を見ていて“人類は何とお目出度いのか”と思わせる「続き」があるのだ。

これら飛行機がいずれまた使われる時代が来るかも知れないという理由で 1機およそ$700/月の維持費を掛けてメンテナンスをしていると言う。砂漠を利用している理由は、 雨が少なく湿度も低いので錆が出るのに時間が掛かるので最も経費を少なく保管出来る為だ、と解説していた。米国にはこのような飛行機のお墓が いくつかの砂漠に存在しているのだそうだ。一体 砂漠とは人類が独占できる持ち物なのか!! 怒りが心頭に達した!!

7月に入ったある日、真っ青に晴れ上がった朝、どういう訳か「車のお墓」が気になった。きっとビッシリと死車が並んで最悪の状態になっているだろうと覚悟しながら 久々に「畑の運動場」に向かった。 

「おや?」 

おかしい。何事が起きたのか?? 死車が一台も無いのだ! 信じられない。

綺麗に整地された平地の隅に1枚の看板が立っていた。

警告!! 不法投棄禁止。違反者は廃棄物の処理及び清掃に関する法律により処罰されます。伊那警察署 

ほっとしながら通いなれた脇の畦道に入ると 昨年の今頃 私を待ち構えたように咲いていた「キクイモ」が今年も咲いているではないか。急いでキクイモに駆け寄り 静かにささやいた。 「今年も会えたね。汚いものが君の目の前から姿をけしてよかったね。まだ一部鋼鉄のコンテナが残されているけれど すぐにこれも取り去られ 君にもいつものように中央アルプスの連峰が見えるようになるさ。毎年“君の生きる息吹”をありがとう。」とささやき そっとまたキクイモに息を吹きかけた。       

註:「キクイモ」は「伊那谷と私」初編に登場

久々に訪ねた「畑の運動場」が綺麗に元に戻っていた満足感に浸りながら 「さーあ ドミトリーへ帰ろうか」と今来た道を戻りかけ 後ろを振り返るとキクイモが左右に風でやさしく揺れていた。「それでは またね!」と私に手を振っているかのように。

 

猛暑の章 ◆◆◆ ホールインワン物語 ◆◆◆

 

2002年8月16日 場所は長野県伊那市 『信州伊那国際ゴルフコース』白樺コース17番ショート・ホール(145ヤード)にて午後2時45分頃その事件は起きた。

この出来事はゴルフプレイヤーでも一生のうちで体験出来ない人が殆どなのだから こんな記念的な そして嬉しい出来事をしてしまった私として あの瞬間がいつでも思い出せるように ここに書き留めておきたい。

今年の夏はバカに暑い。30℃を過ぎる日が何日も続き、この不景気の中、エアコンだけは快調に売れたというのだから 家電メーカーもお天道さまさまであろう。我パソコン業界は ITバブルの崩壊で パソコン需要も飽和状態を続け ずうっと不況が続いているというのに 羨ましい限りだ。 

しかし毎年 お盆休みが近づくと {さてどのように その休暇を過ごそうか}というテーマでチョイト頭を悩ませる。どのように過ごすかといっても 子供はすでに大人になってしまったので「夏休み どこかへ連れていって」とせがまれることもなく 今やワイフと二人だけの問題ではあるが 子供がいた頃からの習慣なのか 学校が夏休みに入る頃を迎えると落ち着かなくなるのだ。こんな不況下であるから 本来はじっとして「倹約道」を選択すべきなのだろうが、どうしても家でゴロゴロしているのも我慢が出来ないだろうなどと勝手に思い込み 結局はワイフと一緒にその休暇の過ごしかたを相談し始めるのである。 

ワイフは 旅行をする場合「名所旧跡を訪ねる」、「ハイキング」「温泉旅行」とかにはさほど興味は無く、「ゴルフの旅」と言えば 文句無く一発で決まるのである。

今年の春先は 夏休みを利用して3年ぶりに前の駐在地「シンガポール」へ旧友S氏を訪ねながらのゴルフの旅でもと 新宿あたりの旅行代理店で旅行パックの情報集めを始めていた。S氏は 私のシンガポール駐在時代 日本料理屋「ちとせ」のオーナーで当時札幌から「毛がに」を直輸入、私の大好物がシンガポールで食べられる店という事から しょっちゅう通いつめ、メニューには無い「納豆ごはん」「生卵ぶっかけ・ごはん」「のりと味噌汁だけ」など勝手な献立の夕食をお願いし 大変にお世話になった方である。ゴルフはシングル・プレーヤーであり私のアドバイザーでもある。3年前にも45日でシンガポール・ゴルフの旅を敢行しS氏には大変にお世話になっている。

それでは最も経済的にシンガポールにてゴルフツアーを楽しむ我々の秘訣を紹介しよう。

旅行代理店にてシンガポール・パックの情報を集め 安くて現地で自由行動の多いパックを探し出す。兎に角昨今の海外旅行は 準備されたパックにて出かけるのが最も経済的かつ安全に済ますベストな方法である。すなわち 往復のフライトと宿泊ホテルは そのパックを利用し 目的地に着いてから帰るまでは100%自由行動を取らせてもらうのである。しかしこの行動を取る為の重要な裏手続きが必要なのだ。

シンガポールのケースで説明しよう。チャンギ・エアポートに到着 税関を通過して指定された集合場所で待っていると現地添乗員が小型バスに乗って現れる。バスに乗こむと、片言の日本語でスケジュールなど確認事項、注意事項の説明を始める。そして予約されたホテルを巡回して行く。同じパック・グループとは言え ホテルのクラスによりパック料金も違う訳で ここで一緒に来たパック仲間連中はそれぞれのクラス別ホテルに別れるのである。ゴルフだけが目的の旅ではホテルは寝るだけの施設と割り切り一番安いクラスで十分である。この添乗員にS$30(凡そ2500円)を渡して「すまぬが我々は帰る日まで 完全に別行動させて貰います。最後の帰る日のホテル集合時間には戻って来ています。宜しく」と行動を説明し了解を取る。これは勿論グループで参加した以上、自分達の事情を旅行会社側に説明しておく必要がある訳だが、さて このS$30を渡す意味合いを解説しょう。

このような団体旅行では パック・スケジュールに組みこまれているコースの途中での「おみやげ屋」「免税店」では「案内した人数」に対して添乗員には「コミッション」が払われるそうだ。団体コースから我々は意図的に外れるのだから 抜ける人が添乗員にコミッションを払う必要が有るわけだ。これがS$30の理由である。 

所で今年は「シンガポール近隣の島でのゴルフ」でもと『シンガポール・ビンタン島パック旅行』のパンフレットを抽出し、具体的に予算をはじき始めたが、しかしワイフが今ひとつ乗ってこない。その最大の理由は 長期に続く日本の経済不況は「今 そんなことをしている時期だろうか?」と自己反省をいだく様になり 遂には「私たちも今年は謹慎しましょうか」なんて殊勝なことを二人で言い出し始めていた。

7月に入り「今回はシンガポール行き中止」の結論を出し早速シンガポールのゴルフ仲間のS氏にその旨の連絡を入れる。すると早速S氏より次のような連絡が入る。

『そろそろ連絡があるかなと思っていた所でしたがそれは残念です。月に来られ時に渡そうと用意していたホールインワン記念品を送ります。実は61日にセントーサ・サラポンコース 11番(138メートル)でホールインワンをやってしまいました。その記念に“ステンレス・マグカップ”と“魔法瓶”を送ります。』

さてビンタン島行きを中止したはよいが、それではお盆休みはどう過ごすか で再び悩み始めていたころ、名古屋の友人H氏から「そろそろ ゴルフでもしませんか」とお誘いの電話が入る。H氏は私の商社マン時代の同期であり 今では年に2〜3回お相手頂くゴルフ友である。H氏がメンバーである伊那と名古屋の中間点 恵那山の南、瑞浪市にある『瑞陵ゴルフクラブ』で何度か一緒にプレーをしているが、「そうだ! 夏休みは ここにワイフを帯同しよう。そして私の弟も名古屋在なので一緒に誘おう。」と一方的な計画を思い立ちお盆休みの予約をH氏に依頼する。

ゴルフで名古屋までとなると、もう一つ近くでと欲が出てくる。ワイフには「一層のことそのまま伊那に上がって そこでもプレイすると言うアイデアはど〜お?」と提案。それに対しては「それではお父さんの部屋の掃除や衣服・寝具のチェックを兼ねてそうしますか。」と一発で決定。8月14日「瑞陵ゴルフクラブ」、1日空けて16日「信州伊那国際ゴルフクラブ」となった。このお盆の時期に伊那のゴルフコースが1週間前でも予約が取れるという本当にゴルフファンにとって恵まれた場所と言えよう。ワイフもお盆時期の新幹線での名古屋入りは超混雑と予測し 13日に伊那入りして翌日私と一緒に中央高速道路を使ってゴルフコースに向かうことにした。

このお盆休みに その事件は起きたのだ。どんなお盆休暇だったのか 私の日記帳から思い出してみたい。

8月13日(火曜)

   明日から会社は5日間のお盆休み。社員もそれとはなく落ち着かない様子。単身赴任者の中には 月曜・火曜を休みにして週末を繋げて9日間の休みにしてすでに実家に戻っている者もいるようだ。ワイフ 6時にバスで伊那市に到着 迎えに出る。その夜は市内の小料理屋にて乾杯。熱燗「杉の森」に二人 明日のゴルフがあることも忘れのりのりで飲みすぎか? 深夜のご帰還。初日からスケジュールは荒れ模様だが 大丈夫だろうか??

8月14日(水曜)

   朝4時 起床。岐阜県・瑞浪の「瑞陵ゴルフクラブ」へ向け出発。途中「恵那峡サービスエリア」に寄り”恵那ラーメン”にて朝食。寝不足と空腹が このラーメンで少し落ち着かせたか。6時45分 ゴルフ場に到着、すでにH氏と弟は来ていた。7時25分スタート。猛暑の中でのプレイ。山間コースでのショットの乱れは、昨晩の無謀を反省してもどうにもならない。全くゴルフにならないゴルフ。

   3時過ぎに帰路へ。途中で私の行きつけのスーパーにて 二人して980円の上寿司セットと枝豆、トーモロコシにきゅうりとトマト、寮に戻って冷たいビールで乾杯。

8月15日(木曜)

   早朝散歩で私のゆく散歩コースをワイフと。田んぼの「すずめ脅し」のパンパンと鳴る破裂音にビクビクしながら畦道を1時間の散歩。仙丈ケ岳、木曾駒ケ岳は雲の笠をかぶっていたが 二人ですがすがしい朝を満喫できた。今日は部屋の掃除と整理。100円ショップで購入した整理箱は大正解であり ワイフのお陰ですっきりと整理ができた。

   夕方 雨が降る。今夜は”諏訪湖・花火大会”だが気になる。部屋での夕食時外で「ポン」「ポン」と諏訪花火の音が聞こえていた。10時30分就寝。

8月16日(金曜)

   朝5時半起床。いよいよ伊那での盆休み最後の日だが 空はどんより曇り空。昨晩の夕食の残りをほおばり うまい!満腹! シンガポールのS氏から贈られた「魔法瓶」に冷水を入れて、7時伊那国際GCへ向かう。7時48分白樺コースのスタート。同伴者は東京から旦那の実家に来ていた奥様のYさん、そして横浜で材木商の社長をされているN氏。Yさんは毎日ゴルフの練習かコースに出ているうらやましい生活(?)の子供なしの年金生活者。今日は旦那が実家で草刈をしているそうな。ハンディは11の由。N氏は父親が購入した長谷村の外れの山小屋に家族で夏休み中でゴルフが好きなので一人でコースに来たそうな。体格がよくドライバーの飛ばしや。ハンディは15の由。

   兎に角お上手なお二人に引っ張られながら 何とかOutは49。それも9番パー4(459ヤード ハンディキャップ3)で見事なパーを取っての結果なので喜びは大きい。そのさわかな満足感と緊張感が 「よし後半も何とか40台で」といきり立たせ昼食時にアルコールを一切飲まぬことに決めた。多分これは日本でのゴルフで初めての体験ではと思う。これまでは必ず「暑いから」とか「帰りは運転だから」とかの理由をつけて昼食時に「ビール」あるいは「水割り」「ワイン」そして冬は「熱燗」と必ずアルコール類を摂取していたように思う。

   所がInに入っても相変わらずのゴルフでボギーペース。あと残すは2ホールとなった17番145ヤードのショートホール。少し打ち下ろしになるグリーンでティーグランドから横長のグリーンが見える。グリーン周りは右下がりでちょいと右に外すとコロコロ転がり落ちそうに見える。オーナーのYさんは綺麗なフォームで打つもわずかながらグリーンをオーバーしてエッジに。次が私の番。距離は135ヤード位とみて7番アイアン。いつものようにクラブを振りぬく。

   気持ちよく、力も抜けてス〜〜〜とボールがグリーン方向に飛び出た。しかしどうしたことか。ス〜〜〜と上がって行くボールがゆっくりスローモーションで見るように見えるではないか。確かにピンに向かって真っ直ぐに それも理想的な放物線を描きながら。小ちゃくなったボールはグリーン上に落ち2〜3回バウンドをして ピンの方向へ。暫くの静寂の後、ボールがピンに当たる音がしたかと同時にカップの中に落ちるあの「カラン」という乾燥した音が聞こえたのだ!!

    N氏が「あっ!! 入った!!」と言うと 大声でYさんが「ホールインワンよ!、ホールインワン!」と自分ごとのように飛び上がっていた。それからレディースティーに移動し 打とうとしていたワイフにYさん曰く、「ダンナさん ホールインワンやっちゃったわよ!」 しかしワイフは キョトン。

   やってしまった当のご本人私も「何が起きたのか。普通と何も変わっていないではないか。」と思いながらグリーンに向かって歩く。しかし グリーンに上がり 真っ直ぐカップに向かい 恐る恐るカップの中を覗き込み白いボールがあると にわかに興奮が襲ってきた。そしてそのボールを拾い上げる時 初めて「あ〜〜〜やってしまった!!!!」と実感した。

   私は何と幸せなのだろう。普段は年に4〜5回のゴルフしかしない私が(それでも今年は珍しく平均月一回ゴルフになるか)、技術もなく100前後ゴルフの私になぜ神様はご褒美をくれたのか。

    +「お盆」でご先祖さまからのプレセントか? そうだとしたら何ゆえか?

    + シンガポールからの「魔法瓶」が本当の魔法を掛けたのか??

   この日 午後6:25発の中央高速バスにて帰京。案の定 お盆休暇ラッシュにぶつかり5時間の旅となり、我が家に到着したのは深夜零時チョイト前でした。

 

それから間も無くして その17番ホールのスポンサー『麒麟ビール』から120本の缶ビールが送られてきた。そして私は 限られたゴルフ仲間にほんの記念品として「高遠焼き」を送らせて頂いた。次のような簡単なメモを添えて。

『めっきり秋らしくなった今日この頃 如何お過ごしでしょうか。 

今年の夏休みは如何でしたか? 小生は 10,000ラウンドに1回の確率、あるいは4,000人に一人と言われている偉業“ホ〜〜ル・イン・ワン“を達成することが出来ました。

これは一重に一緒にゴルフのお相手を頂く友人に恵まれ 楽しい機会を重ねてこられた賜物でございまして その過程で『幸せな贈り物』を頂きました事をここにご報告させて頂き、ゴルフの友に深く感謝の意を表し 小生より ささやかではございますが、伊那谷より御礼の気持ちを贈らせて頂きます。

   <ホール・イン・ワン>

平成14年8月16日

           信州伊那国際ゴルフクラブ

            白樺コース 17番  145ヤード

            使用クラブ 7番アイアン

 

これからも 一層ゴルフに精進し 皆様のご迷惑にならぬように努力して参りますので 引き続きお相手を切にお願い申し上げます。

 

ご健勝をお祈り致します。

                              敬具』

 

ところで この時のスコアは 49・48の普通の成績だったのです。 ハイ!!

霜月の章 ◆◆◆ 朝4時起きでした!◆◆◆

皆さんが グーグーと寝ている真っ最中 1119日 日の出前の朝 4:30頃寝床から起きあがり 防寒衣服に身を包み 小型懐中電灯と古新聞紙を持って外に出たのであります。西の空に それはそれは大きなお月様が出ており 廻りを明るく照らしておりました。

ドミトリーの裏口から裏庭に出て真っ暗な松林を抜けると 会社の社員用出入口玄関の所に辿りつきます。この玄関は東向きですから 昼間なら正面に南アルプス「仙丈ケ岳」が聳え立っています。持ってきた新聞紙を地面に引いて「ヨイショ」と座ったのですが、暫くすると深々と寒さが体の芯に伝わって来るようで思わず立ち上がり腕を振り、屈伸運動を繰り返し 真っ暗闇の中で発熱作業に注力したのです。
誰も居ない 真っ暗な中で厳しい寒さに耐えながら それでも ジーーーット東の空の方を見つめているのです。振り落ちてくるように沢山の星がキラキラとまたたいております。
多分 この私の姿を見たら 人は「遂に気でも狂ったのでは?」と 心配することでしょう。

時々 風が出て 枯れた葉を残す木々をざわつかせるのですが、この音が何ともゾ〜〜ットさせるような嫌な音なのです。もしかすると側に野生の動物が潜んでいるのでは と考えてしまうのです。時計を見ると すでに15分ほどが経っていました。

ジーーット東の空を見つめていると 空は時に明るくなったり 暗くなったりと生き物のように変化します。そして寒さが目頭に涙を溜め その涙ごしに見る星星が急に大きくなって光り輝くように見えます。空の明暗は 反対側つまり西にあるお月様の上を通過する雲が影響しているでは? と推測しながら 私の目は ジーーット東を見つめています。建物の影が月明かりを避けてくれていて東の空の星がハッキリと見えます。そういう場所を わざわざ選んで立たずんでいるのですが。

遠くで自動車の音が聞こえます。段々近づいて来るようにも聞こえます。アッ!! ヘッドライトが段々 こちらに向って大きくなるでは有りませんか。途中で止まったようです。開くドアの音がした後 暫くして車はまたこちらに向って走り始めました。しかし 私の顔は東を向いたまま。

その車は 我が会社の裏口の側でピタリと止まりした。不安です。怖いです。まさか まさか。ドアが開いたようです。しかし私の顔は東の空に向いたまま。ヘッドライトの光はその廻りを闇に落としこみ 何も見えないようです。ドアが開く音は確かに聞こえ 人の歩く音が段々と私に向ってきます。

 

まさか。誰が? なぜこんな時間に私の所へ? 恐怖!!
それでも私の顔は東の空を向いたまま。

黒装束の人間が間違い無く私に向って歩いてくる。その足音は段々と大きくなる。間違い無い。私に何か問合せる目的なのか?? しまった! 襲われた時に使う「棒切れ」とか「傘」とか「石ころ」とか何かを手に持っておくべきだったか。時計は4時50分ころ。

「ウッ!」

私の所に来て立ち止まったではないか。そして私の向いている空の方を見ながら「星ですか?」と言った。これで男と断定できた。とス〜〜ット私の前を通過して会社裏玄関の
ポストの方に向う。    

な〜〜〜〜んだ!! 新聞配達の人だったのだ。

そして また私の側に戻ってきて 一緒に東の空を眺めているではないか! そこで私のセリフ。

「今朝は地球が『しし座流星雲』の中に入り『流れ星』が明け方の東の空に見えるのです。今回の数日のチャンスが最後です。この次は何時かは不明です。勿論 今生きている人は もう見ることは出来ません。 お仕事しながら東の空に注目してください。」

新聞配達の人は「有難う。この方向ですね。」 と指をさしながら自分の車の方に戻って行った。

5時チョイト前から 「あ!!!!」見えた。しょっぱなの1発目は 大きな流れ星が上から下に スーーット。 暫くして 小さいのが スーーット。そしてまた暫くして その左手の方向に 三列に並んで スーーーット。感激!! またまた暫くして (もうそろそろ帰ろうかなんて考え始めていたが)山の上にポツンと光るものが。そして それが ゆっくりと上昇しているようだ。これが「明けの明星」金星の姿か。 あっ!! 真東の空に スーーット大型の流れ星!

「よし! もう一つ見てから帰ろう」なんていざ見え始めると引け際が難しい。
そこへ 天に声が届いたかのように 左斜め下から 右上に向って大きな流れ星が そして一旦消えかかったかと思うや もう一回輝き そして尾を引くようにスーット消えたのだ。 すごい!! 最高だ!! 


5時30分、もう満足感イッパイで 体が冷え切っているのも忘れ 手袋で覆われた手でほほを擦りながら 真っ暗な松林の中に入っていった。後ろの満天の空を振り帰りながらーーーーー。

あとがき ◆◆◆ 内部告発 ◆◆◆

 

2002年は “田中さん“で始まり”田中くん“で終わった『田中の年』であった。

田中真紀子さん”の「外務省=伏魔殿」騒動で年が明け、5月頃勢い余って「ケニアODA問題」で鈴木宗男親分と一騎打ち、最後はツマンナイ「公設秘書給与問題」で外務大臣の席をチョン。そんな話題で賑わっていた影に、この年末のビッグニュースとなる「北朝鮮・拉致者帰国」と関係が深い“田中均・外務省アジア大洋州局長”の省内部権力抗争が繰り広げられていた。

さてここ長野県では 田中知事クビの話題が県議会で一挙に爆発、10月の再選挙で県民は再度“田中康夫”を選ぶ。そうしている内に12月普通のサラリーマン技師“田中耕一”氏のノーベル化学賞受賞のニュースでホットする。マスコミは田中・田中で“時の人”を追いかけているがその影にもう一人 小柴昌俊・ノーベル物理学賞受賞者がいたことを忘れてはならない。同時2部門で二人受賞が大きなニュースなのだから!!

そんな“田中の年”は雪印に続き、雑巾屋のダスキンが手を出したミスタードーナツでの無許可添加物の“にくまん問題”、東電原発損傷隠蔽問題、日本ハムそして再登場 雪印食品の牛肉偽装問題などなど『内部告発』によって『腐敗』が炙り出された年である。

日本だけかと思いきや、ちゃんと米国でも人間社会浄化作用は起きていた。米誌タイムは『Persons of the Year(今年の人)』に“米国同時多発テロの事前情報が充分捜査されなかったと告発した女性”、“経営破たんしたエンロンの不正簿外取引を指摘した女性”そして“ワールドコムで監査を担当し 会計不正を内部告発した女性”の3人を選んだと発表している。

 

ウオール街の鐘の音 諸行無常の 響きあり

  高遠小彼岸の花の色 官僚必衰の理をあらわす

    奢りたかる(集る)者 久しからず。ただ春の世の花のごとし

    カリスマも遂に滅びぬ。ひとえに風の前の塵におなじ

<完>

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