●●第2日目 (5月27日 金曜)     <小笠町から遠州森町へ>

朝7時に目を覚ます。外は快晴。窓の 外は村営のグランドで消防団が朝の訓練をしていた。7:45朝食。他の泊り客は男性が二人で私いれて3人。この小菊荘の玄関前の山が「獅子ヶ鼻砦跡」と書いてあり気になる。8:20 朝の散歩にとこの砦に登ってみる。頂上は子供用のアスレチック広場になっており ヒヤットする朝の空気が美味しかった。立て看板によれば 徳川家康が武田方と交戦のために家臣団に築かせた砦という。
【小菊荘】

9:00 2日目行脚のスタート。昨日通過した代官屋敷まで戻り そこから牛淵川の土手を北に向けて歩く。前方から電動イスに乗ったおばあさんが近づいてくる。「おはようございます」と挨拶を交わす。すれ違ってから「おばあさんは幸せだなぁ。こんなにスバラシイ散歩道があるのだから!!」と独り言をつぶやいた。

【獅子ヶ鼻砦・登り口】
牛淵川・おばあさんの散歩道 春日神社

10:00二平川の「春日神社」に到着。全く誰もいない神社の階段に腰を降ろして休憩(15分)。この時母に無事進行中を伝えるケイタイを入れる。さわやかな風に乗って 近所の家から「氷川きよしのズンドコ節」が聞こえてくる。のどかだ!! 10:45街道を歩いていると 右前方にこんもりとした杜が見えてくる。県道から思い切って小道に入りその杜を目指す。

そこは「古川神社」だった。間違い無く 塩の道を歩いていることが確認できた。その神社の脇を流れる上小笠川の土手に出てまたひたすら歩く、歩く。水田が一面に広がる田んぼ道に出てひたすら北に向かっているが、遥か前方の山の中腹に大きな社殿が見えてくる。あれが次の目的地「応声教院」だろうか。空にはヒバリが気持ちよさそうに囀っているが、太陽光線が無性に暑い。11:20 浄土宗「応声教院」に到着。
【古川神社】
炎天下の田んぼ道 応声教院

11:45 原さんからケイタイが入る。11:50出発、12:05 小川さんからケイタイ。12:10 のぞみさんからのケイタイ。何と一度有ることは ちゃんと三度あった。12:20上内田の「のどの寺・印宗坊(カラオケ寺)」に到着。そのとき、「あ!カメラを落とした!!」びっくり仰天! これまでの全ての記録がパ〜〜〜〜か?一瞬にして疲れがドドドッと出た感じ。さあどうする!? 歩きながらケイタイで話していたあの時にポトンと落としてしまったのか? 今きた道を戻るのか?どこまで? よし 20分だけ戻ってみよう と決めた。歩いてきた道には殆ど通行人はいなかったのだから 誰かに拾われている可能性は薄いはずだが。やはり昨日 正林寺の上でションベンをした”たたり”なのか!? しかし今来た道を数分戻ると 「塩の道・道標」の所に出た。「あ! そうだ。ここで写真を撮ったのだ」と気づき腰のポシェットをもう一度チェックすると何と別のポッケにちゃんとカメラは入っていた。 よかったぁ〜〜〜!

「龍登院」が次の休憩地。「およそ1時間歩いて5分の休憩」を守りながらの歩く旅。側に有る自動販売機で冷たく冷えた缶コーヒーをひと飲み。12:50出発。今日は掛川の町で昼食と考え 昼飯は持っていない。茶の産地「五百済(いおすみ)」を通過、しばらく行くと「つま恋」の裏側に突き当たる。左折して「杉谷(すぎや)」を抜けて東名高速を潜り掛川市のはずれに到着。はるか彼方に「掛川城」が聳え立つ。

【龍登院(日影に私のリック)】

掛川の町並みに入るとすぐに「そばや」を探し掛けこむ。13:40 「おろしソバ」を食べそばやのおばさんと談義。「相良から歩いて来ました」というと目を丸くしていた。14:30掛川城に到着。何かお城の雰囲気に惹きつけられ、よしここでジックリ時間を費やそうと決めて 天守閣、二の丸御殿、美術館の見学。この城主だった山内一豊は来年のNHK大河ドラマ化が決まっているそうだ。「二の丸茶屋」にて茶立てを楽しむ。きれいな茶室できれいな庭園を眺めてのお抹茶は最高! 裏千家のきれいどこと塩の道談義。和服をきれいに着こなした美女(裏千家の師匠たち)から御土産を頂いて茶屋を後にする。

【遠く左に掛川城を臨む】
掛川城 天守閣

(15:30)予定以上に長居をしてしまったなと反省しながら 歩数もすでに16000歩を過ぎていた。掛川の西にひたすら歩く。

陽が随分と西に傾き正面からさし込む光線がまぶしい。倉真川の大池橋に出ると この付近が 「秋葉路」という地名で ここが秋葉街道のスタート地点とも言われる。「一の鳥居」に寄り、バッチリ記念写真。ここから森町まで歩いては宿着が夜に入ってしまう。止むを得ずここから電車 「天竜浜名湖線」を利用 西掛川から遠州森駅までは鉄路と化けた。

茶室にて 一の鳥居
17:00森駅に到着、金森神社経由、 北のはずれ「天の宮」まで歩く。足はボンボンに張った感じ。17:30 二日目の宿「新屋」に到着。古い古い昔ながらの宿。清水次郎長が密会を持った部屋に泊めさせてもらった。柱にはその当時の刀の傷跡が生々しく残っていた。新屋の女将さんが ここは「森の石松」が14歳まで預けられた家ですよと、当時を示す文献を持ち出してきて私に説明してくれた。2階に上がる狭い急な階段の天井に畳サイズの凧が飾ってあった。
【金森神社】

宿のおばあちゃんの話では、森町には昔から初孫が出来ると5月5日の端午の節句に川原に出て凧を揚げるのが慣わしだったそうだ。 「ほらほら こちらに来なさい」と私を玄関先に誘って飾ってある初孫を囲んでの記念写真を得意げに見せるのである。古ぼけた、薄くらい部屋で 一人布団にくるまり歴史の重さをじっくり味わえた夜だった。

【新屋】

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