●●第3日目 (5月28日 土曜)       <森町から 秋葉神社「下社」へ>

6:30起床。今日も快晴。ラッキーだ。 早速 朝の散歩で隣の「天宮神社」に参拝。大木に囲まれた社殿とひんやりした空気。「くちなしの池」を訪ねる。涌き水の池で出口がないので ”口無し”の池と名ずけられたという。神秘的な池だった。宿の前の「太田川」のチョイト北に「城下(しろした)」という城下町がある。城は太田川を挟んで反対側の山の頂上にあったそうだ(新天方城址)。この城下町は街道に沿って斜めに家々が建っており興味深い配置である。今は軒先の三角形の空き地がそれぞれの家の駐車場に使われている。
【天宮神社】
城下の家並み 城下の常夜灯まで斜めに

8:45 新屋を出発。しまった! 新屋を出るときトイレ(小)を済ますこと忘れた。戻るのもシャクなので 太田川の土手に出て 駐車してある車の影でション(sorry)。 スッキリした気分で歩きがスタート。国道58号線をただひたすら北に、北に。「大鳥居」に突き当たって左折、「黒石」のバス停留場で一休み。前の泉陽中学校の校庭で野球部、テニス部の練習風景が 私を元気づける。

「三倉川」に沿ってうねうねとくねった山 道をただひたすら歩く、歩く。ここは江戸時代「四十八瀬越え」と言われ、雨が降ると橋はしばしば流されて、川中を歩いてゆく不便さが有ったという。歌川広重画「五十三次名所図会」でも掛川・秋葉道として旅人の難儀な姿が描かれている。
【黒石の常夜灯】
10:40「上島橋」のたもとに秋葉街道 の常夜灯があった。ここで一休み。「三倉」に出ると県道56号線と63号線との分岐点。「三倉トンネル」に入る前のドライブイン「よってけ」にて昼食休憩。ここで浜松からドライブしてソバを食べにきた70歳代の方と「ざるソバ」を食いながらの歓談。ここでも立派なハンディキャップ用トイレを使わせてもらって感謝。13:30 2つ目のトンネル「周知トンネル」の前に立つ。中で道が曲がっているせいか出口が見えず真っ暗で不気味だ。スピード上げて時々通過する車に引っ掛けられてはたまらないと、よいしょとリックを降ろして懐中電灯を探す。
【三倉・秋葉社】
懐中電灯を片手に一人トンネルを歩く体験、なんともいや〜〜な気分だったが、ラッキーにもトンネル内では全く車は来なかった。トンネルを抜けると「ここから春野町」の看板が目に入る。途中「花梨(かりん)の里」を通過し14:20「新不動橋」のバス停の小屋の中で休憩。

こんな田舎のこんな小屋にいる自分が不思議だった。しかし何故か心は充実していた気がする。少し歩くとドライブイン「明野いきいき天狗村」に到着、先ほど歩く私を抜いていった乗用車が停まって休憩を取っている。道沿いに見えたトイレが新しくきれいそうなので よし、ここでション・タイムと決めた。レストランに入りリックを置かせてもらい「抹茶入りソフトクリーム」を買ってペロリ。ここでもハンディキャプ用大型トイレを使わせて頂いた(感謝)。

【バス停留所・小屋】

さあもう一息と歩きを開始、道は下りでそんなに苦ではない。民家が多くなり始めたなと思っていると急に視界が開け大きな河原にぶつかった。気田川が緩やかに大きく蛇行しているここが「若身橋」。そこを左折しばらく広いアスファルトの道を行くと、春野高等学校の前を通過、 そして「春のふれあい公園」の交差点を右折、原方面への分かれ道のところに小さな「塩の道・道標」を見つける。16:00領家の「下社」に到着、 鳥居の脇のお土産屋が3日目の宿「門前屋」であった。

【若身橋・電信柱に門前屋の看板】
旅館の人の説明によると、ここ秋葉神社 の「上社」、「下社」は諏訪大社のとは違って1943(昭和18)年の山火事で本殿(上社)が全焼してしまい、1986(昭和61)年に現在の本殿が再建されるまでの間の仮の奉還所として、例大祭などすべての神事が下社で営まれていたという。
【秋葉神社下社・門前屋】

6時過ぎ 嘉太郎さんからtel入る。ここ山間部はケイタイの電波弱く 旅館の外に出てケイタイに対応する。泊り客は私以外に 男女の一組のようだ。だだ広い和座敷にて一人夕食。座敷の突き当たりに大型のフラットTVが鎮座ましており その脇にカラオケセットが置かれていた。きっと祭り時などに村落の連中が集まって大カラオケ大会を催すのであろう。窓の外に目をやると 次第に陽が暮れて行く情景がすばらしい。旅館前の広場に車で駆けつけた連中が車中で軽装に着替えている。彼らは気田川の河原でキャンプをする連中だそうだ。陽が静かに暮れてゆく中、そんな状景を見ながらチビリチビリの日本酒はこれまた格別の味がする。とっくり2本がすぐに空になった。

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