●●第4日目 (5月29日 日曜)      <秋葉山本宮への秋葉詣で>

6:30起床。今日も晴れ。これで全行 程が晴れだったことになる。宿前の「春野町キャンプ場」まで散歩。昨夜から来ていた人々が それぞれ河原にテントを張り、朝の食事の準備をしている煙がなんとも心に安らぎを与える。今年は気田川の水量は少なく カヌーにきた人には気の毒だ。8:00朝食。8:45 リックを宿に預け ステッキと御茶ボトルを持って”秋葉詣”のいよいよスタート。
【気田川】
下社から坂下の集落を抜けてチョイト歩 くと栃川に掛かる「九里橋」に到着。掛川からも、浜松からも丁度9里ということから名付けられたという。登りは初っ端から厳しい。海抜100mから 一挙に2時間で山頂 海抜866mの秋葉神社まで胸突き上り坂。なるほど これこそが修行だ、とよく理解できた。ふうふう言いながら一歩一歩と足を運んでいると、上からピョンピョンとはねるように降りてくる若者に出会う。体力練習をしているのであろうが、ゴロゴロした石が多い山道で よくも捻挫しないものだと関心させられた。同じように走って降りてくる若者に4人ほどとすれ違ったが、ここはきっとハードなトレーニング場として最適なのであろう。
【九里橋】
急な登りだけに江戸時代には曲がり角 のちょっと平らな所には要所要所に休息をとる茶店が有ったようだ。そしてある間隔で石灯篭(常夜灯)が建っているが、昔の夜道、この灯火で本当に勇気付けられた事だろう。頂上が50丁目となっており 途中に路程を示す”丁石”が置かれており 30丁目の「子安地蔵」、37丁目「武田信玄ゆかりの岩」を通過し、10;20「秋葉寺」着、この急激な上り、友人から勧められて用意した登山用ステッキが充分効果を発揮してくれた。
【子安地蔵】

秋葉寺の裏には山中にしてはビックリするほどきれいなトイレがある。よし帰り道でここを利用させてもらう事にしてまずは頂上を目指す。樹齢400年の大木群の中に突然大きな山門が現れる。これが「神門」で1943年の山火事で焼けずにすみ、江戸時代の建造物として唯一残っているものだそうだ。

【秋葉寺・神門と正面奥に本殿】

10;50山頂に到達。社殿は予想を絶する立派な造りである。本殿への階段を上るとそこには金色に輝く「幸福の鳥居」そして本殿正面にぶら下がっている大きな注連縄(しめなわ)は見事である。本殿前から後ろを振り返ると山頂からの雄大な眺めが眼前に迫ってくる。薄っすらとかかった靄の向こうに遠く遠州方面が見下ろせた。この雄大ですばらしい景観と、みごとな社(やしろ)は苦労して登ってきたご褒美なのであろう。授与所にて おみやげの「火災よけ御守り」を買って11:00には下山開始。下ってきて秋葉寺付近を通過するとき ジョージさんからケイタイ。

【幸福の鳥居と奥に本殿】

「ハイ! ハワーユー、アイム ベリー ハッピー ナウ ! バット、マイニーズ(knees) アー ラーフィング(laughing) ソーマッチ」。

12:15「門前屋」にもどり シャワーをお借りして サッパリしてから昼食。またまた「ざるソバ」。

さあ これで【歩く旅の第1章】は終わった。13:34発の 西鹿島行きバスに揺られて40分。西鹿島から「遠州鉄道」の赤電に乗って新浜松へ。そこから 14:24発のこだま538号で 東京駅着16:23. 我が家には 17:00 「は〜〜〜〜い。 ただいま」 でした。


●● 感想

大変に勉強になった行脚でございました。前調査がよく出来ていたのか、大きく街道を外れるミスもなく、一応目的が達成できたと思います。やはり自分の足で歩くことは、道端の小さな生きもの、山間の村落の生活、昔の街道の香り、などなど沢山の発見が有りました。

この日記を読み返してみますと、なんとトイレの話が多いことか!!実はウオーキングの場合 間違いなく「トイレ問題」は最重要問題であることを再認識致しました。今回はコンディショニング タイツを穿いておりましたので いちいちズボンを下ろし、大事なものを引っ張り出しての作業ですから普通の男子トイレではなく大用の施設を使わねばなりません。いつもとはコンディションが違っていたのですから 日記にトイレが沢山登場したのも やむをえないのでしょう。


<続く>                             2005年7月16日記

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