●●第2日目 (5月3日【水】=憲法記念日=) 西渡から青崩峠を経て遠山郷へ

2日目の朝はすばらしい快晴であった。あまりの天気の良さに朝食を済ませると早めに植山食堂を後にして絶壁の斜面に昔そのままの姿で家々が立ち並ぶ西渡の狭い坂道を歩いた。強烈な朝日と鳥のさえずり、そしてチョットひんやりした新鮮な味がする空気、すべてが最高であるが、立ち並ぶひと気の無い家々が何とも寂しく感じさせる。そういえば昨夜 民宿の女将さんが言っていた。

「若者は皆 都会に出てしまい残ったのは老夫婦のみで、この町並みにも空き家ばかりで寂しくなっちゃいましたよ」と。静まり返った細い路地を下って行くと、富士写真フィルムの青い看板が見え、もしかして「使い捨てカメラ」が買えるかも知れないなどと早朝だからあり得ないのに自分の都合のいいように考えていた。実は昨夜デジカメの充電テストをしてみたのだがウンともスンとも動かず、結局本体が故障してしまったようだ。その店に近づくと時計店であることが分かったが、その店先には次のような掲示板が貼ってある。「都合により時計店を弊店致しました。この家を譲りますのでご興味お有りの方は下記に電話をください」と書かれていた。こじんまりした2階建ての家であり、ボロボロの家には程遠く、なぜか私は自分の手帳にその電話番号をメモしていた。

バス停のある「大井橋」の広場に出てきたが全く廻りにひと気は無い。バス待合室の脇に石碑が建っていて山頭火の詩が書かれていた。

【うなぎの植山食堂】

『水あふるる 山のをとめの うつくしさ』

そのそばに【秋葉道・塩の道】の小さな道しるべが立っており、その隣の観光案内板には昔この辺が如何に賑やかだったかが解説されていた。

『ここは天竜川の港町、船で塩が届くと“背負子(しょいこ)”に塩を入れて背負い、T字型の杖

 “荷棒(にんぼう)“を片手に「八丁坂」を明光寺峠の荷継場までホッホッホッと掛け声をかけながら1日に3回も”浜背負(はましょい)達“が賑やかに行き来していた。』

朝一番バスは時間通りに来て私ひとりを乗せて出発、ここから水窪まではおよそ15km程だろうか。国道152号線は大井橋からは今度は水窪川の渓谷に沿って北上する。

【朝の大井橋】
【秋葉道の小さな道しるべ】
バスは秘境の中をクネクネと走っていたが、突然山の中腹のトンネル(「峰トンネル」)から鉄道線路がニョッキと現れ水窪川の上の真っ赤な鉄橋を跨ぐ光景が目に飛び込んでくる。その突然の文明くさい鋼の出現に「ギョッ!」とする。バスはすぐにJR飯田線の「相月」駅を通過し、乗車後40分もしただろうか、急に視界が開け人家が増えてくる。いよいよ水窪の町に入ったようだが、結局西渡から水窪駅前までの間に私以外に誰一人としてバスの乗客はいなかったことになる。バスを下車して目の前にあるスーパーに入り「使い捨てカメラ」を購入。「よし、これで気兼ねなくスポット写真が撮れるぞ」と一安心。 8:30 スタスタと快晴の国道を一人歩き始めた。水窪川に沿って緩やかな上りである。暫く歩くと進行方向右に平行して走っていた
飯田線が国道の下を横切って左の山斜面に開いたトンネル(「大原トンネル」)の中に吸い込まれてゆく。実は今朝スタートした西渡からは「秋葉道・塩の道」は天竜川ではなく水窪川に沿って走っているのだ。つまり飯田線は天竜川に沿って走っているのだが、さっきバスで通過した「相月」のところから何故か水窪川側に顔を出し、そして水窪の町を抜けると慌しくトンネルに入って天竜川の方に去って行くのだ。なんでわざわざ長いトンネルを経て相月と水窪のたった2つの村落を遠回りするように迂回するのであろうか、と疑問が募るのである。そういえば植山食堂の女将さんが「佐久間町も水窪も電車が走っているから いいよね〜〜ぇ」と羨んでいたのが思い出された。ダラダラと続く緩やかな上りは、あまりに天気のよいせいか朝にもかかわらずもうすでに顔が薄っすらと汗ばんできた。次第に水窪の町が後ろに小さくなってゆく。しばらく歩くと突然 道脇に【秋葉道・塩の道】の小さな道しるべが現れ、左の小道に入れと書かれている。「おかしい??」左に入っては先ほどの飯田線と同じように天竜川の方に行ってしまうではないか。丁度そばの民家の方が立ち止まっている私の姿を見て近づいてきた。
【水窪川の渓流】
「すみません。塩の道を歩いているのですが、これから青崩峠を目指すのですが、この看板通りにこちらの小道を上がって行くのでしょうか?」と訊ねると、「塩の道?こちからは青崩には行けないよ」と言う。何と彼は「塩の道」を知らないようだ。いや、それは関心が無ければ知らないのが当たり前なのかも知れない。暫く歩いてあの“道しるべ”が間違いでないことが分かったのだ。つまり暫く先に行くと今度は国道の左側から細い道が合流する所にまた小さな道しるべが立っていた。その案内矢印から分かったのだが、さっきの案内板は国道に平行して走っている旧道「塩の道」への案内だったのである。
水窪からのダラダラ登り
“左に入れ”の小さな秋葉道の道しるべ
「竜戸」付近のドライブインに2台のバイクが停まって休憩を取っていた。ドライブインに到着すると友人O氏から私の携帯に電話が入る。「今どこを歩いているかね? 自分もワイフと伊豆の伊東に来ているが一人で散歩に出て近い山を登っている。残念ながら富士山が見えない」と言った内容だが、一人で歩く私には口さみしくなっている時の電話であり、大いに励みになったのである。休憩所のバイクの二人はおいしそうにタバコを吸っているが、きっと緊張して走ってきた後のいっぷくだけにホットするひと時のタバコは美味いのだろう。二人の内の一人が話し掛けてくる。「一人で歩いているのですか。すごいなぁ。だけどこうして見知らぬ人と話せるのが楽しいですね。だからツーリングは止められませんよ。彼とも途中で一緒になったのですよ」なんて言う。なんだ、バイクの二人は途中で知り合った仲だったのだ。

「松尾」を過ぎ「途中嶋」付近まで来るともう民家も少なくなり少し道の斜度も強くなったように感じる。谷間にある公民館の上には谷の両サイドから縄を張ってそれに沢山くくりつけられた大きな“鯉のぼり”が悠々と風の中を泳いでいる。そうだ、明後日が「子供の日」なのだ。沢の奥に入って来ると時々にしかお目にかかれない民家の側を通過する時、“生活”の一面を感じてホットする。

谷間を鯉のぼりが悠々と
ひっそりと生活を守る民家

段々になっている小さな水田に水が張られ、農家の方が手作業で田植えをしている。「おはようございます」と声を掛ける。相手も驚いたように丸まった背を伸ばして私の方にまぶしそうに顔を向けて驚いた様子をする。私の歩いている姿に驚いているのだろう。見渡すと母屋の裏は竹薮で、前には水田があり、その周りの畑には野菜と花々が植えられている。そしてその先のこんもりとした林の中では黒いビニールを被せて“しいたけ”を栽培している。どんな危機が襲ってきても彼らは食生活には困らないのだ。羨ましい! 10:30ころ、前方に派手な旗が風でなびいている休憩所のような建屋が見えてきた。

そばに行くと旗には「田楽の里」と書かれていたが、そこは「地のもの」を販売する茶店であり、地元で取れたお茶をサービスしていた。私もここを午前中の休憩地点と決めて暫くの間地元の方とおしゃべりを楽しむ。「なんとも自然豊かないい所にお住まいですね!」と言うと、「そうだな。ここはいいところだよ。農産物も豊かだし、お茶も美味いしな」と。 私から「しかし急病人がでたら医者がいないので大変でしょうね」と聞くと、「な〜〜に、ヘリコプターが飛んできて運んで行くから 全く問題ないよ」と言う。「え〜〜! 本当かよ!」と驚いた私。
【田楽の里】

緊急事態のときはヘリコプターが近くの小学校の校庭に降りてきて急病人を運ぶそうである。むしろ山奥ほど救急体制がしっかりしていると感心させられた。「あなたは歩いてどこまで行くかね」と訊ねてきたので、「塩の道を歩いています。静岡の相良から歩いて、最終地は日本海の糸魚川です」というと目を丸くして「塩の道とは そんなに長いのかね? それを歩くとは偉いねえ!昔はこの秋葉街道だって皆歩いていたのだからねぇ。この裏にその旧道が残っているよ」と言う。

早速、旧道の入り口を教えて貰って歩くことにする。大きな杉木立の中を渓流に沿って道が伸びている。暫く歩くと【秋葉道・塩の道】の小さい道しるべが現れ、その横に「ヒルが大量発生しているので湿地部分には要注意」と書かれた看板が立っていた。暫く山道を行くと大きな木々に囲まれた道は日が当たらずにジメジメしていてヒルが大量発生しているのだろうが気味が悪くなってくる。そして雷にでも打たれたのか大木が倒れて道を遮断している。つまりそれほどこの旧道には人の行き来がないのだろう。何となく心細くなり早くこの旧道から脱出したい気持ちになる。そう30分も歩いただろうか、やっと国道に出た。丁度そこが車で通れる「兵越峠(1300m)」との分かれ道となっており、その脇に「津島神社」があった。国道152号線は車で貫通できない日本で唯一の国道であり、ここから車は「ヒョー越え」ルートを通って向う側の「八重河内」に抜けねばならないのである。それほど「青崩峠」付近は山崩れが激しく自動車道路が造れないのであろう。

旧道の入り口に小さな道しるべ
木々が倒れ道なき道(ヒル発生地帯)

もうこの辺に来ると水窪川の支流「翁川」になっており、かわいらしい渓谷に姿を変えている。よし誰もいないこの清流の岩場で昼食を取ろうと自動車ガードレールを跨いで沢の中に入っていった。座りごこちの良さそうな岩を見つけてそこでリックを下ろした。早速靴を脱いで足をマッサージしてやる。足元の岩と岩の間には勢いよく清流が流れ落ちている。今朝民宿のおばさんが作ってくれた“おにぎり”をほおばる。「うまい!」(11:30)


昼食休みの後、さあスタートと元の道に戻ってダラダラ坂を登り始める。何台もの車やバイクが私を抜いてゆく。きっと私の姿を見て「何でこんな時代に好き好んで歩くのか」と笑っていることだろう。そうしている内に青崩峠駐車場の広場に出た。数台の乗用車とバイクが停まっている。そばに「足神神社」がありそこは霊験新たかな“足”の神様という。すぐその脇で何人もの人が水を汲んでいる光景に出会った。看板には「名水 足神の水」と書かれており日本三大名水に入るそうだ。早速試飲させてもらったが、確かに冷たくマイルドな味がした。浜松からこの水を汲みに来た夫婦は発電機でポンプを動かし10リットル入り大型ボトルに10本入れて帰るそうである。本当にそんなにご利益が有るのだろうか。

日本三大名水「足神の水」
足神神社
山道に入ると何となく歩くスピードが落ちてきたように感じるが、歩き始めて4時間にもなるのでそろそろ足に疲労感が来ているのだろうか。今「足神神社」でお参りしたばかりだから大丈夫だろうなんて考えながら一歩一歩足を運んでいると目の前に「霊犬早太郎の墓」が突然に現れた。私の伊那単身赴任時代に駒ヶ根の先“早太郎温泉郷”の側にある「光前寺」に何度も訪ねたことがあり、そこで早太郎物語を聞いていたのでまさかその犬が最後に命を落とした地に遭遇したことが驚きであった。この物語は昔遠州見附(今の磐田市)の天神が妖怪で若い女性を生贄に強要して村人を困らせていたが、この妖怪征伐に借り出されたのが光前寺に飼われていた霊犬“早太郎”であった。激斗の末退治したが早太郎も大怪我をして光前寺に戻る途中、この地で命を落としたという話である。墓の前で手を合わせまた歩き始める。暫くすると道は広くなり車とバイクが数台止まっている。つまりここまでが文明の力で来られる限界点でここからは歩くしか道は無いのだ。登山道入り口のところに「青崩峠 徒歩20分 秋葉街道・塩の道、水窪町観光」と書かれた大きな木柱が立っている。
青崩峠登山道入口の木柱
霊犬「早太郎」の墓
登山道はさらに傾斜が厳しくなり、しばらく上ると道は薄暗い杉林の中に入り、今度は「武田信玄公お腰掛け岩」が忽然と現れた。戦国時代、信玄は2500の兵、6000頭の馬を引き連れ青崩峠を越えて秋葉大社の先、武田の重臣天野氏が守る“犬居城”にはせ参じたという。この途中で信玄はこの石に座って一服したのであろうか。そんなことを考えながら登山道を登っていると、上から降りてくる私と同年代と思われる男性とすれ違う。相手の方から「もうすぐ峠ですよ。そこの先に橋がありますから、そのすぐ先が青崩峠です」と親切に説明してくれる。今日の目的地がもうすぐそこと言われるとファイトが出てくる。山の斜面にチラチラと時々見せるピンク色の「ミヤマツツジ」が何とも美しい。
武田信玄腰掛岩
青崩峠手前の橋
人の話し声が聞こえる。その声が大きくなった途端に「青崩峠」に到着。そこには一組の中年過ぎのカップルが居た。「おはようございます。あ〜〜ぁ、やっと着いた」と汗を拭きながら感激していると、カップルの女性の方が、「私たちは途中で歩いている貴方を抜きましたよ。そして最初に出た広場で車を降りようとしたら、上から車が降りてくるので、おや、まだ行けるのだと思ってまた恐る恐る山道を上がってきて、何度か車を停めようかと思いながら遂にその下まで車で来てしまい、今そこから上ってきたのですよ。貴方は歩いているのですから偉いですね!」と言う。すると男性の方が「やっぱり、若いっていいよな〜〜ぁ!」と言うので、「私は定年退職して、こんな馬鹿なことが出来るのです。今年61歳になりました」というとその男性はバツ悪そうな顔に変わり、その女性が男性に向かって、「ねぇ、あんたも頑張らなくちゃ」と言って二人は笑いながら山を下りていった。私はこのように一人行脚をすることで、人様に“頑張る力”を与えているのかも知れないと幸せな気持になっていた。
青崩峠(手前から登って来た)
熊伏山登山道を登る

そんな話を交わしている時にもう一組のカップルが「熊伏山(1653m)」の登山道から降りてきた。このカップルは「この登山道を少し上がるとミヤマツツジがとてもきれいなところが有りますよ。そしてそのチョット先に最高の見晴らしが利くところに出ますよ」と教えてくれた。早速そこに行ってみようと登山道を上る。熊笹の生い茂る狭い道、そして一歩踏み外せば滑落しそうな崩れた急斜面と迫力満点だが、その危険との挑戦の後は私を別世界に引きずり込んだ。10数分掛けて急斜面を登ると急に視界が360度全開放の半畳ほどの平らなところに出たのだ。ここがあのカップルが教えてくれた見晴らしの利く地点だと判断した。ここは別天地でただただ風の音しか聞こえない。急いでリックを肩からおろして、靴を脱ぎ足先を休ませる。生暖かくなったペットボトルのお茶飲む。これがまた美味い。誰ぁれも居ないたった一人の空間。目の前にはこれから行く長野県・南信濃村・遠山郷方面がクッキリ見え、その先に白い雪を被った南アルプス・聖岳(3019m)、赤石岳(3013m)、荒川岳(3141m)の連峰が頭をチョコンと覗かせている。後ろを振り返るとこれまで歩いてきた塩の道の遠州方面がうっすらと霞がかって遠く見えている。「何と! あの山間をぬって歩いて来たのか」と思うと感無量である。

ゴクゴクと喉を潤したお茶と、薄っすらと汗ばんだポロシャツを吹き抜ける涼しい峠の風のせいか尿意を催す。すると「よし誰も居ないこの最高の舞台から広大なる空間に向かって思い切って放水してみたい」という誘惑が襲い掛かる。山の神様にお祈りして、許可を頂き無限の空間に向かって放尿した。水滴は太陽の光をキラキラと反射させながら、峠の風に煽られてスーッと上に飛散して行った。この最高の地点で最高のこと(排泄欲の処理)が出来て、なんと私は幸せ者であろうか。

そこから暫く登山道を下り、もう一度青崩峠に出て今度は長野県側に向かって山を下る事になる。(12:30)その下山する側のところに石像がありその側に倒れた看板が立てかけてあった。そこには静岡・引佐町の三和せつ子さんが詠った詩が書かれていた。

 『塩の道 登り来て望み見る  
     信濃の国の青き 山並み
  垂直に深き伊那谷点のごとき 
     木の間に赤き屋根の光れる 』

【青崩峠 見晴らしの場よりの放水現場】
下りの急斜面は文字通りの“青色に地層が崩れている”ところを通過するのだ。危険を避けるために階段、手すりなどキチット整備がなされており、道に迷う心配は全くない。下りに入るとすぐに「青崩神社」に出っくわす。急斜面に張り付くように建っており、社の手前にある腐りかけた鳥居には大木が倒れ掛かって今にも鳥居が押し潰されそうだ。ただただひたすらに山道を下りて来ると、下のほうから人の声が聞こえてくる。女性の声も混じっているようだ。10人ほどの登山グループでこれから「熊伏山」山頂を目指し今夜は頂上で1泊の予定と言っていた。お互いに「頑張りましょう」と言い合いながらすれ違う。しばらくすると山道はアスファルトの張られた林道に出る。そこには「秋葉街道降り口」の標識が杉の木に打ち込まれていた。その杉林を下ってゆくと民家らしい建屋が見えてホットしたのだが、しかしその家は住まなくなってから相当の月日が経っているようで今にも崩れそうな廃墟だった。
青崩峠石仏(今度は左に下りる)
青崩神社(鳥居に大木が寄りかかる)
秋葉街道降り口の看板
久々に民家が出てきたが廃墟
暫く歩くと急に杉林から抜けてだだっ広く蛇行している太い自動車道に出る。ここが自動車の場合に迂回している「兵越峠」からの道との合流点である。そこには「遠山郷 かぐらの湯 6km」の看板が立っていた。これは私が今夜世話になる宿である。目標地点への距離がハッキリしてくると「よし、あと6kmか!」と疲れきった足にもチョットばかり元気が甦ってくる。左の林の下に沢が現れ それが八重河内川となり暫く先に“せせらぎの里「やまめ荘」が見えてくる。その側のバス停にバイクを停めて一休みしている若者二人と出会う(15:30)。二人は一生懸命地図上で何かを捜している様子。「どうされましたか?これからどこまで行くのですか」と訊ねると、何と「今晩は伊那市のビジネスホテルを予約してあります。今伊那市までの道を二人で確認しているところです」と言う。私はここでまた凄い因縁を感じざるを得なかった。彼らのホテル名を聞くと、そのホテルは私が伊那単身赴任時代に行きつけていた居酒屋「若光」のすぐ側ではないか。早速、伊那に到着してからの過ごし方をアドバイスする。「伊那市に入ったらホテルにチェックインする前に、できれば日暮れ前に羽広の“晴らしファーム”に直行して是非“見晴らしの湯”に入ってみてください。それからホテルにチェックインして近くの“若光”に行って地酒と料理を楽しんでみてください。“若光”の女将さんには今晩電話入れてサービスするようにお願いしておきますから」と完璧なコースをお教えした。二人は大喜びしていたが、私はこれから更に三日も掛けて到達する最終目的地を彼ら二人は今夕に着いてしまうのだ。何ともバカらしいという感じが襲ってきたが、気分を切り変えようとばかり「すみません。それでは私は歩きですので一足先に出発します。是非伊那での夜を満喫してください」と言ってバス停を後にした。
兵越峠からの合流点
八重河内川と「やまめ荘」
そこから30分も歩くとひっそりと夕闇に包まれた遠山郷に入った。遠山川に沿って古い町並みが続く秋葉街道の宿場町「和田宿」である。最近完成した“遠山郷 道の駅 かぐらの湯”の脇にある「かぐら山荘」に到着したのは16:30。案内されたロッジ風の部屋にはまだコタツが用意されていた。早速疲れを癒そうと“かぐらの湯”にはせ参じるが、連休中とあって風呂は家族連れで賑わっていた。しかし源泉温度43度の高濃度塩化物温泉は筋肉痛には最高の効能とのことで、きっと私の体には最高の妙薬になったかも知れない。体の芯から温まったようで何か疲労感もすっ飛んだ感じで気分はルンルン、夕食のビールがこれまた一段と美味かった。寝る前に万歩計を見ると今日の歩行距離合計は24.6kmと出ていたが、これは私の一日歩行距離の最長記録である。布団に入るとアット言う間に深い眠りに落ちていた。
遠山川の先に「がぐらの湯」の赤い屋根
かぐら山荘の部屋にはコタツが


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