『アノネ、にんげんはねえ 自分の意思で この世に生まれて きたわけじゃねんだなだからね、自分の意思で勝手に死んでは いけねんだよ 』
そして住職の文章が続く。「相田さんの指摘するように、自分の意思で生まれてきた者はいません。それに今、規則正しく脈拍を打っている心臓は、起きている時も眠っている時も、自分の意思とは関係なく働き続けています。生かそう、生かそうと働き続けているこの精巧な生命の設計図を私たち一人ひとりは天与の宝物として授かっています。」そして次に村上和雄博士(生化学者)の話を交えて「今、生命あるはありがたし」を説法しています。「生き物が生まれてくる確率は、1億円の宝くじに百万回連続して当たるくらいのことです。因みに年末ジャンボ宝くじの当選確率は1千万分の1と言われるのですから生命誕生は天文学的な確率です。私たちの遺伝子の中のDNAには46の染色体があり、父23と母23の染色体の組み合わせは実に70兆あると言われます。つまり70兆分の一があなたの命であり、私の命なのです。私の命は実は自分固有の命ではなく、親の命、先祖の命を生きているのです。これを“妙高の糸”と言います。どれだけ科学が進歩しても、どんなにお金を積んでも私たちの生命を買うことができません。」
自分が常日頃興味を抱いていたことが書かれているように感じてついつい読みふけっている時に突然電話が鳴り朝食が出来た旨の連絡が入り、慌てて床から飛び起きた。朝食を取りながら「よし、龍渕寺に途中で寄ってみよう」と決めた。2泊目のここ「かぐら山荘」は出来たてほやほやの感じで施設は何もかもが真新しく、働いている人々がまだ不慣れで一つ一つに一生懸命なのがこれまた新鮮な感じで心温まる。美人の女将さんは「ふるさと南信濃 親善大使」とのことで、このロッジ経営は名古屋から自分の生まれ故郷に戻って夢を実現させましたと話されていた。女将さんに昼食のおにぎりをお願いして、8時いよいよ3日目の一人行脚がスタート。おや? 足の動きが軽快である。昨晩の「かぐらの湯」の効果であろうか。
連休中の早朝だからか遠山郷・和田の町には人はまだ少ない。時々庭を掃いている人、商店の扉を開き始めた人に会うと「おはようございます」と挨拶を交わす。「魚釣りかね?」と聞いてくる人がいるが、これはきっと私のリックの脇から折りたたんだ登山用杖が飛び出しているので、これが釣竿にでも見えるのだろうか。龍渕寺は町の中心部、“和田城”の隣にあった。目の前に急な石段が現れ上の山門にまで伸びている。鬱蒼と生い茂る杉木立の中を100段以上は有ると思われる急な石段だが、初っ端からのハードな登りに直面してため息がでたが、気を取り直して一段、一段登り始めた。山門をくぐり本殿前に来ると掃除をしているお坊さんに出会う。「おはようございます」と挨拶を交わすと、お坊さんから「どうそ、そこのお釈迦様に甘茶を掛けてお祝いしてください」と言われ、あっ!そうだ、今丁度「花まつり」なのだと気づく。本殿の前に置かれたかわいらしいお釈迦様の像に小さな柄杓で甘茶を掛けて、早速話し掛けた。「あの〜〜ぉ、私は“かぐら山荘”に一泊したのですが、そこにあった【龍渕寺だより】という新聞を読ませて頂き、その内容に感激して是非お寺に寄ってみたいと思いやってまいりました」と言うと、「あ、あれは私が書いているものです。月に一回発行し遠山郷の人々への情報発信源となっています」とのことで、なんとお会いできたのは龍渕寺の住職さんであったのだ。それから新聞で感激した内容を話し合っていると、「この寺には“相田みつを”さんが創ってくれた詩があります」といってその石碑がある場所に案内してくれた。そこには『かんのん賛歌』という表題の詩が書かれていた。
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