●●第4日目 (5月5日【金】=こどもの日=) 伊那街道を天竜川に沿って

4日目の朝、窓のカーテンに朝日の強い光が当たっているようで、カーテンの隙間から漏れている光線が畳の上に一本の直線を作っていた。5:00起床。カーテンを開けるとまぶしいほどの太陽光が部屋全体に広がり、窓を開けるとちょっとヒヤッとする風が吹き抜けて清々しい気持ちになる。窓の前は学校の校庭が広がりその先に小渋川の堤防が見え、その向こうに中央構造線博物館の屋根が見える。この博物館の下を中央構造線が通過しておりその延長線上に位置する「大西山」が目の前に見えるが、構造線上の地表は崩れやすく今でも崩れている赤裸々な姿が眼前に迫ってくる。この大西山の大崩壊は昭和36年の集中豪雨(“サブロク災害”と言われる)の時に発生し、その時に土砂が堆積して出来た台地に地元民がボランティアで桜を植え始め、今では桜3000本となり「大西公園」として整地されて“桜の名所”として広く知られるようになったと言う。
宿の窓から「大西山」の崩れ〈右斜面)
朝の新小渋川橋から明石岳方面
外の強い太陽光に誘われて、早速玄関に下りて下駄を履いて散歩に出る。新小渋川橋の真ん中辺に来ると南アルプス側から吹き降ろしてくる風が冷たく感じてブルブルっと身震いがした。予想以上に寒く川っぺりに長居は無用と慌てて部屋に戻ると、テープルの上の携帯電話がブルブルと振動して受信を知らせて来たが、やはりO氏からの“朝の挨拶”だった。足の指先に靴擦れ防止の薬をしっかり塗り込み、それから体にピッタリと張り付く「コンディショニングタイツ」を穿き一人行脚に備える。ここ数日昼間は歩きっぱなしで、早寝・早起きを繰り返しているせいか、朝食での食欲がビックリするほど旺盛である。旅館での食事が美味しく、そして綺麗な部屋でゆっくり休ませて頂いたので旅館のご主人に御礼を述べ、旅館の前のバス停で7:45発の「伊那大島」行きのバスを待つ。今日からは国道152号線(秋葉街道)からオサラバしてもう一本の塩の道(伊那街道)を北上することになっている。バスは“小渋峡”を一挙に下って天竜川に並行して走る飯田線の「伊那大島」駅前に到着(8:35)、駅の脇の花壇にはツツジ、芝桜そしてチューリップなどが色とりどりに咲き誇っていた。さあ、これから一人行脚4日目がスタートするのだが国道153号線の伊那街道(三州街道ともいう)は車がビュンビュン走っている道なので、そこを歩くのはちっとも面白くないと判断して思い切って天竜川の土手を行ける処まで歩いてみる事にする。その為にはさっきバスで天竜川を渡った「天竜橋」まで戻らねばならない。国道153号線を少し北上し、立派な神殿を構えた「大洲七福神社」を突っ切って最短距離で天竜橋の袂に出た。
「伊那大島」駅前の花壇
大洲七福神社
土手のジャリ道はズ〜〜ット真っ直ぐ伸びていて、その真正面には雪の帽子を被った中央アルブス・木曾駒ケ岳の雄姿がデ〜〜ンと控えている。人は誰も居ない。ひばりが空高く囀っている。何と素晴らしい眺めであろうか。暫く土手を歩いてゆくと畑仕事をしている女性に出っくわす。その女性が私に気づいて手作業を止めて私の方を見つめている。そこで私から「ナスを植えているのですか?」と聞くと、「そう、もう随分乾燥が続いてしまっているので もうこれ以上延ばせないと今日植え始めたのですよ」と腰に手を当てて背を伸ばしながら状況を説明してくれた。畑の土が白味をおびているのを見るとやはりこの地域には相当雨が降っていない様子だ。天竜川に沿って土手を歩いていると中部電力のパトカーとすれ違う。そのスピーカーからは「川上のダムから放流をすると川の水が増量するので
「天竜橋」より木曾駒ケ岳
木曽駒に向かって真っ直ぐ伸びた土手道
注意してください」と注意予報を流していたが、きっと川釣りの人々への警告なのだろう。暫く土手を進むと前方から1台の車が一旦止まってはまた走りを繰り返しながらこちらに向けて走ってくる。側に来たので運転手に声を掛けた。「この先はず〜〜っと川伝いに歩いて行けますか?」すると、「その先で行き止まりですよ。もう少し行くと右手に小川が流れ込んでいますが、それに沿って右に上がって行けば、そこの県道18号線に出ますよ」と教えてくれた。その車の後座席には釣竿らしきものが見えたので、きっと土手から良い釣り場を探しながら移動していたのだろう。
ナスを植えているおばあさんとお話
遥か彼方に中部電力のパトカーが
しばらく県道18号線を歩いていると天竜川の西側を走っている伊那街道からは益々離れてしまって、天竜川の東側の台地の上を北に向かって歩いていることになる。左手の正面には雪を被った木曽駒ケ岳の連峰が堂々と見え、眼下には伊那谷が広がっており、そのパノラマ情景は「すばらしい!」の一言。この辺一体は「中川村」で天竜川が作った河岸段丘の上にあるのどかで眺めがいい村落であり地の利を生かしてリンゴ、梨や梅の果実栽培が盛んである。私が伊那市に単身赴任していた時によくここ中川村の山間にある「望岳荘」の温泉につかりに来たのだが(私の“伊那谷お気に入り温泉ランキングNO.5”の第4位)、その時に「こんな眺めのいい村に住めたら幸せだろうな」なんて思ったものである。そんな気持ちが私を自然とこちら方面に足を向かせていたのかも知れない。県道脇の“リンゴ畑”は真っ白なリンゴの花が満開でその向こうに雄大な木曾駒が見えている。丁度“リンゴの花摘み”をしているご夫婦が畑の中に居られたので、「こんにちは、あの〜〜ぉ、木曽駒を背景にリンゴの花の写真を撮りたいので、畑に入って宜しいでしょうか」と声を掛けると、「どうそ」と言いながら私の姿に興味を持ったのかご夫婦が私に近寄って来られた。私の塩の道・一人行脚の過程を説明し、今は伊那街道から外れて天竜川に沿って思い出の地を歩いているが駒ヶ根付近で伊那街道に戻りそこから北上しますと状況を説明すると、「そうかね それはすごいね。ここよりも更にすばらしい眺めのスポットがあるよ。この上の“大草城址公園”という所でここから歩いて10分ほど。都会からは絵画クラブの一行がよく絵を描きに来ているよ」と案内頂いたのだが、今歩いてきた方向に少し戻らねばならないこと、そして登り道であることが私をそこに行かせる気持ちにさせない。そこで「今回は先を急ぐので その公園は次回来た時にします」と返事してリンゴ園を後にした。
「中川村」から木曽駒を望む
リンゴ畑から木曽駒を望む
実はチョト不安が襲っていたのだ。朝から足に疲労感があるようで、歩いていてもなにかいつもとは違った感じがする。それが先ほど大草城址公園に行かせなかった遠因となっているような気がした。歩くスピードも少し落ちてきているような気がする。「よし、次の自動販売機が有った所で一休みしよう」と決めて炎天下を北へ、北へ。自動販売機は道の角々にあったと思っていたのだが、いざそのように目標を立てると今度はなかなか自動販売機が現れて来ないのだ。一方右足の方が痛み出して来て攣りそうな感じ。“水分が欠乏すると足が攣りやすくなる”という話が思い出されて急にあせり始めた。三叉路に差し掛かった所でやっと自動販売機にめぐり会えた。
早速冷たいCCレモンを購入し、道の反対側の路地を少し入った田んぼの脇でリックを下ろして一休憩。靴を脱いで足をマッサージする。今日で歩き始めて4日目になるが、やはり疲労が蓄積して遂に足に来てしまったのだろうか。10分ほどの休憩の後、また歩き始めたがすぐに右足に微かに痛みが走り、特に道が下り坂に入ると痛みが強くなる感じがする(11:15)。ごまかし、ごまかし歩くがスピードがぐっと落ちてしまった。よし、出来るだけ早く飯田線側に近づき、万が一の場合には電車に頼ろうと考え地図を広げるが、都合よくすぐ側に天竜川をまたぐ橋は無く、結局予定していた「坂戸橋」を渡るこ
【足がおかしい。三叉路で休憩】
とになる。この橋の架かっている場所は「坂戸峡」といわれ両岸の山が迫り出た深い渓谷の姿をしているが、橋の側に古くからあったと思われる「坂戸旅館」が建っていた。こんなところになぜ旅館が?と疑問を抱くのだが、天竜川に川釣りに来た釣り人には格好の旅館だそうである。橋を渡って国道153号線(伊那街道)に出るとさすがに車の量が多くなる。足を引きずるようにして歩いている側をビュンビュンと走ってゆく車が羨ましい。近代的ビルの消防署にてトイレを拝借、丁度昼休みを取っていた消防署員に近所に食堂が有るか訊ねると、ここから国道を30分ほど歩くと“道の駅”があるとの情報を得た。まずは消防署の大きな駐車場で一休み。ガラガラの駐車場にポツンと一人座って足を摩っている姿は何とも侘しい姿に見えていることだろうと恥ずかしい気がしてくる。
『坂戸旅館』前の水神
坂戸峡を跨ぐ「坂戸橋」

一休みの後、歩き始めるが、どうも芳しくない。明日も歩きが有るのだから無理は禁物と思いながら、ごまかし、ごまかし歩を進めていた。暫く行くとコンビニがあった。「しめた」とばかりコンビニのドアを開ける。早速レジの女性に「この高台の上が飯田線の“伊那本郷”駅だと思いますが、すみませんが電車の時刻表分かりますか?」と聞くと、どうやらコンビニには時刻表が置いてないようで、自宅に電話して子供に時刻表の時間を読ませているようだ。その結果、どうやら駒ヶ根方面の電車は20分前に出てしまったばかりで次の電車はおよそ2時間後と言う。ガックリしながら「それでは タクシーを呼んで頂けますか」というと、買い物をしていた一人の女性客がレジの所まで来て、「丁度私の家は飯島駅の側ですから、そこまでお送りしましょう」と言って頂いた。お言葉に甘えて飯島駅まで車に乗せて頂き、その車中で“塩の道・一人行脚”の経緯をお話し、そして丁度昼めし時間であったので地元の美味しい蕎麦屋「天七」を教えて頂く。天七の前に来ると“準備中”の札が垂れ下がっており、店の中からは人の声が聞こえる。そ〜〜っと戸を開けて「もう終了なのでしょうか?」と訊ねると、「今お客が一杯ですから、オーダーしても時間が相当掛かりますよ。それでも宜しければどうぞ」との返事。今の私は次の電車まで十分過ぎるほどの時間が有るのだ。店の中に入って“大もり”をオーダーする。店の中は地元のグループやら家族連れで大繁盛しており、どうやら店の名前のごとく“天ぷら料理”が有名なようで、その都度天ぷらを揚げて出しているようでこれでは確かに相当時間が掛かりそうと覚悟して待つことにする。いや、むしろ今の私には時間を費やしてくれるので、次の電車の時間待ちには好都合なのだ。それにしても右足の状態がちょっとだけ気になっている。駒ヶ根の駅に着いたら早速薬局に飛び込んで特効薬を購入しようと考えた。更には「こんな状態には温泉だ!そうだ駒ヶ根ならちょっと北に上がれば早太郎温泉郷に“こまくさの湯”(私の“伊那谷お気に入り温泉NO.5“の第2位)があるではないか! よしホテルにチェックインしたら温泉に行こう」という案も浮かんできた。実は今日の夜は駒ヶ根の隣の大田切にお住まいの友人H氏ご夫妻と駒ヶ根市内で一緒に夕食を取ろうという手はずになっている。そうこうしている内に注文の“大もり”が出てきて無心に口に運び込んだ。「うまい!」

飯島駅から電車で駅にして4つ目駒ヶ根駅にて下車、予約してあったビジネスホテル“オオハシ駒ヶ根”に行く途中で薬局に寄り“トクホン貼り薬”と“エアサロンパス”そしてひどい日焼けを保護する“ザーネ・スキンローション”を購入した。薬局を出て商店街を歩いているとおばあさんらしき人が大声をあげて隣の玄関に飛び込んでいく。何事か起きたのかと上を見上げると鯉のぼりがポールから外れて大空を泳いでいた。

強風に煽られて綱の押さえが外れてしまったのだろうか。隣の家の男性が急いで屋根に飛び出し自由になって喜んでいる鯉のぼりを引っ張り戻そうとするのだが風が強くて思うように行かない。思いがけないシーンに直面出来た今日は5月5日「こどもの日」だった。ホテルにチックインする時に駅前から出る早太郎温泉郷行きの定期循環バスの時刻表を確認した上で友人H氏とホテルでの待合時間を6:00PMと決める電話を入れた。ホテルで風呂行きの軽装に着替えて16:00駒ヶ根駅前発のバスに乗り、ゆっくり温泉につかり“こまくさの湯”停留所17:38発のバスにて戻ってくると丁度友人とホテル
【駒ヶ根市内 自由になった鯉のぼり】
で待ち合わせとなり、今日は何と贅沢なスケジュールであろうか。“こまくさの湯”は以外にも空いていた。露天風呂にのんびり浸かっていると別のお客が「昨日はこの時間帯は家族連れで超満員だったのですが、やはり5月連休の帰京渋滞を避けるために最近では随分と移動が早まったようです」と話しているのが耳に入った。バスでホテルに戻ってくるころには、足の痛みもすっかり忘れ去っていた。

6:00PM時間通りにH氏がホテルに迎えに来てくれたが、これから大田切の彼の家に行くと言う。奥様がすでに自宅で料理をして待っていてくれているとの事で早速彼の車に乗せていただき大田切のお屋敷に急いだ。私の伊那単身赴任時代に何度か訪ねているH氏の母屋は古い日本建築「寄棟造り」そのままを残しており、煤で黒光りの太い柱、高い天井、沢山の和座敷を区切る襖戸、迷路のように走る廊下、そして家の玄関前は100坪ほどの広い庭が控えている。このH氏は大変な変わり者である。工学博士号の持ち主で定年退職後、自分の故郷に戻り地元企業の営業本部長をする傍ら、敷地内にあるアパートの経営、そして趣味的商売(?)には、烏骨鶏の飼育とそのたまごの卸し、ゴルフ場用芝の生育と卸し(広い土地が有ると言う事だが)、そしてペットとして飼っているのが犬2匹、ねこ、うさぎ、熱帯魚、裏の池には鯉、夏の廊下には“きりぎりす”と全く退屈できないほどの生き物がいる。そして本格趣味として“壊れた発電機、モータ類を拾ってきては再生”そして“冬場の狩猟”と何から何までやってのける偉大なる博士である。

庭の先には畑がありその脇には「南洋植物用の温室」がある。畑仕事も温室内の管理もすべて自分でやり、ブルトーザーや小型農機も自分で運転をされている。前回H氏邸に招待されたのは一昨年の冬、猪が獲れたので「いのしし鍋」料理に誘われ腹いっぱいに新鮮な肉を満喫し、その時に使用した猟銃を見せて頂いたのだ。今夜は奥様の手料理「キムチ鍋」に舌ずつみしながら、博士の近況をお聞きする。現在は裏のアパート駐車場のところに自分で石垣を作っているという話、そして土間に飾ってある友人が描いた畳2畳ほどのバカデカイ絵画の
【H博士ご夫妻 (母屋玄関前にて)】
話などなど話は尽きず大いに飲み、大いに食べあっという間に時間は過ぎて真夜中タクシーを呼んでもらって駒ヶ根のホテルに戻る始末となる。明日はこのH氏邸の側を通っている国道153号線を伊那市に向かって歩くので、石垣と絵画の両作品を明るいところで見たいので、朝もう一度立ち寄らせて頂く約束してお別れする。今日は色々と変化に富んだ長い一日のように感じたが、足の痛みから始まった1日歩行距離は たったの13.3kmであった。

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