●●第5日目 (5月6日【土】 ) =駒ヶ根から伊那街道を伊那市まで=

6:35携帯電話で眼が覚める。またまたO氏からの電話だが、これで一日も切らすこと無くO氏から電話コンタクトを頂いたことになる。本当に有り難い事だ。早朝電話は“目覚まし時計”になってくれたし、歩いている最中の電話は勇気を与えてくれた。本当に“感謝・感謝”である。ホテルにてベッドから起きて朝食に向かうとき、足の調子が快調であることに気づく。温泉でのマサージ、そしてその後に対処した“トクホン貼り薬”と“エア・サロンパス”が充分に効いたのだろうか。8:30AMホテルを出てスタスタと国道153号線に沿って大田切・H氏邸を目指す。30
【朝の大田切から「木曽駒が岳」方面】
分ほどでH氏邸に到着、裏のアパート駐車場の前の石垣を見せて頂く。素人が一個一個の石を削りそれを積み重ねて行くのであるから根気の要る作業だろう。昔お城の石垣もこうして崩れないある角度を保ちながら、石の凹凸を合わせながら一個一個積み重ねられて造られたのだ。それをご自分ひとりで挑戦をされておられるのだ。本当に好奇心旺盛で実行力がある方だと感心させられる。大きな絵画作品が吊り下げられた広い土間にて奥様特製のモーニングコーヒーをご馳走になる。トイレを拝借して早速一人行脚のスタート。
H博士が造った石垣
土間に掛けられた見事な大型油絵

国道上にある道路案内板によれば駒ヶ根・伊那市間は12kmと表示されていたので、交通の激しい国道をそのまま歩いては昼過ぎに伊那市に着いてしまうので、出来るだけ伊那街道の旧道を見つけてそれに沿って歩いてみようと決めた。H氏に旧道に関する情報を頂き大田切の先の「駒が原」から国道とほぼ平行に走る県道221号線(宮田沢渡線)に入る。やはり旧道は車が少なく、ポツンポツンと昔の旧家が街道に沿って残っているので歩くのが楽しい。

「宮田」付近に差し掛かると前方からウオーキング・グループのような団体が近づいてくる。胸にゼッケンのようなものを付けているのでどこかで“ウオーキング大会”でもしているのだろうか。早速近づいて男3人女2人のグループに声を掛けてみる。するとそのグル−プの男性が「私たちは“塩の道”を歩いています。今回糸魚川をスタートして今日 駒ヶ根で終了です。そこから関西に戻ります。この会の団長は後ろのグループの中にいますよ」とのことで、更に先のほうを見ると確かに数人のグループがこちらに向かって歩いてくる。次の3人グループの内の一人に声をかける。まずは私の方から“塩の道”を一人で静岡県・相良町から歩いていることを説明してから、「今回は駒ヶ根で一旦終わると前のグル−プの方からお聞きしましたが、次は何時ごろ次のルートを歩く予定にされていますか?」と質問すると、その団長さんらしき人が、「全然決まっていません。また時期が来てインターネットで募ってみて人が集まればやるでしょうが、今はいつやるか全く決めていません」との返事だった。今回のグループは京都、大阪の人たち男女8人の集まりらしい。しかし私と同じように同じタイミングで“塩の道”を歩いている人がいると言うことに大変驚かされた。そしてこうして街道ですれ違うその偶然性とその因縁にさらに驚かされた。もし私が国道をそのまま歩いていたら会えなかったのだから。

太陽光線がギラギラ照り続ける県道を歩いて行くと飯田線を横切るところに無人の「赤木」駅があった。踏み切りの脇から電車ホームに上がって待合室に入りベンチにリックを下ろして一休み(10:10)。誰も居ないホーム、電車が来る気配の全く無い無人駅、しかしカンカン照りの中、この待合室には日影が有り、私に涼しさを提供してくれた。10分ほどの休憩を取り、またスタスタと歩き始めた。道は「東春近」を通過しダラダラと下り坂になる。まだこの辺には一部桜の花が咲き残っていて風が吹くとヒラヒラと桜の花吹雪に包まれる。しばらく進むと右手に飯田線の線路が近づいて来る。いよいよ飯田線「沢渡(さわんど)」駅が近い。沢渡駅ではトイレを拝借し、待合室でしばしの休憩(11:20)。次の目的地は「かんてんパパ・ガーデン」で、そこで昼食を取ることにしている。沢渡駅から方向を西に変えて、

まずは“伊那西校”を目指す急な登り道。徐々に高度が上がり、後ろを振り返ると天竜川の周りに広がる伊那谷が見えてくる。その遥か彼方に単身赴任先の伊那工場の側にあった白い煙突の“ゴミ焼却場”が見える。本当に懐かしい景色である。しばしクネクネと畑の畦道を歩きぬけると“広域農道”に出る。もうそこは「かんてんパパ・ガーデン」の広い敷地であり、道の角地にあるチューリップや芝桜の花園が出迎えてくれて一気に元気を取り戻す。「かんてんパパ」とはこの地域の最優良企業である(株)伊那食品の商標で扱い商品は“かんてん”である。
【ちいさな「沢渡」駅舎】
“かんてん”の原料は“てんぐさ”で殆どが輸入だそうだが海草だから原料費はタダみたいなもので、むしろ輸送費の方が掛かっているだろう。その“かんてん”を使った食品が低カロリー食品として昨今人気を高め、そしてまた化学分野では細菌培養の為の“床どこ”として利用されるなど需要に生産が追いつかないといったうれしい悲鳴だそうだ。そんな高収益企業だけに工場の周りの広大な土地を綺麗に整備して公園や美術館、レストラン、そして商品販売店がレイアウトされたそんな贅沢な空間を「かんてんパパ・ガーデン」と呼んでいる。私は伊那単身赴任時代の週末には時々ここの美術館の中にある喫茶店「桂小場」の“ところてん”と“コーヒー”を楽しみに来たものである。今回はこの桂小場のいつも座るテーブルにて“おにぎり”と“ところてん”で昼食を取った。ここはいつも静かで、大きな窓越しに見る外の景色がこれまた素晴らしく心が安らぐのだ。ボ〜〜ット外を眺めていると今回の塩の道・一人行脚の出来事が一つ一つ思い出されてくる。あの、青崩峠でのション、そして地蔵峠での排泄作業、などなどを思い出しながらニヤニヤしている自分が居た。さあ、もう一息で今回の最終目的地“伊那市”に入れるぞと思うと元気が湧いてきてヨイショと立ち上がりリックを肩に掛けた(12:30)。
遥か彼方に白い「ゴミ焼却場」のエントツ
「かんてんパパガーデン」に到着
「かんてんパパ・ガーデン」を出て広域農道を暫く歩くとアジサイ寺で有名な「深妙寺」に辿り着く。6月になるとアジサイを求めて多くの人が集まるのだが、今はまだ境内はひっそりとしていて誰も居ない。深妙寺の前からは、自動車の量が多い広域農道を避けて裏道を行く事にする。実はこの裏道は中央自動車道の東側を平行に走っているのだが、私には大変に興味高い一帯なのである。
かんてんパパの「桂小場」にてのんびり
「深妙寺」(あじさい寺)
それはこの一帯が土器時代には日本の中で一番人口密度が高かったと聞いていたからである。昭和46年にこの辺部分の“中央自動車道路”工事が始まるとその高速道路に沿って次から次に遺跡や古墳が発掘されたそうである。そのとき発掘された埋蔵文化財は「伊那市考古資料館」に収蔵展示されており、私の単身赴任時代には何度と無くそこを訪れビックリさせられていた。従ってこの裏街道はキット古い面影を残しているはずと興味津々だったのである。裏道に入って細い街道を歩くと早速デッカイ庄屋風のお屋敷に出っくわす。そして次に街道脇の巨大な“しだれ桜”の大木。そして極め付きは立派なたたずまいの「常輪禅寺」が現れ、その脇に「犬房丸ゆかりの寺」という説明看板が立っていた。この説明によれば「源頼朝の家臣工藤祐経は1193年に曽我兄弟討たれた。祐経の子“犬房丸”は曽我五郎の顔を扇で叩いてしまいその罪でこの地伊那春近領に流された。その後“犬房丸”は密教を帰依してこの寺の本堂を再建、しかし29歳にして不遇の生涯を閉じたと伝えられている。富士山のすそ野にある父“祐経”の墓所から尊霊をお迎えし工藤父子のご冥福をお祈りし、この史話を末代まで残す」と記されており このような山奥の地で歴史の重さを感じた。
裏街道に大きなお屋敷
街道沿いに歴史を語る「しだれ桜」
常輪禅寺
鐘突き堂から伊那谷を望む
この裏道も“小黒川”を跨ぐ橋の手前で広域農道と合流する。暫く広域農道を歩くと県道202号線との交差点に出る。これを右折して真っ直ぐ下れば「春日城址公園」を経て伊那市街に入る。県道を避けるために少し戻って県道と平行に走る小道を歩く事にする。ただただ真っ直ぐ下って行く小道は河岸段丘の上に広がった伊那谷の一つの特徴であろうか。
伊那谷は両サイドが南アルプスと中央アルプスに挟まれ山側から段々と下って真ん中に天竜川が横切っている雨樋のような形をしている盆地である。よく伊那谷を訪れた客人にこんな冗談を言ったものだ。「この道にドッチボールを落としますとボールはコロコロと転がり 最後は天竜川に落ちて行きます。」

14:25伊那文化会館に到着。この駐車場の脇の“しだれ桜”はまだ花を付けていてくれていた。感激してスナップ写真をパチリ。そして文化会館の脇の

【真っ直ぐ天竜川まで下る】
芝生の上で靴を脱いで大の字に寝転んだ。木々の葉っぱを通して雲ひとつ無い空が見えた。すぐ脇には鏡の様に表面がツルツルに光った鋼製のモニュメントがあり、その表面に木々の葉が写っていてその葉がやさしい風に揺れていた。「あ〜〜〜〜、やっと終わった!」と一人つぶやく。さっきまでは今回の一人行脚は長かったように思っていたが、寝転がって空を眺めていると何かアットいう間の出来事のように思えてきた。15:00予約してあった伊那市駅前の“第一ホテル島田屋“にチェックイン。
塩の道・一人行脚の第2幕、最後の夜は伊那市内の居酒屋「若光」で伊那単身赴任時代にお世話になった友人と再会のアレンジが組まれている。以前に一緒に仕事した伊那谷の美女W嬢、そして高遠のお医者さんB先生などなど、第2幕の完遂の後で懐かしい人々にお会いできたのだから感激は倍増。いつものように若光の女将さんは私の大好物を料理してくれていた。“おこぎ”、“こごみ”、“あずきは”の“若菜のおひたし”、ニシンとわらびの煮付け、旬のたけのこ、白バイガイのワイン蒸しなどなど、季節の味を用意してくれたのである。いつものように
【伊那文化会館前の「しだれ桜」】
ビールで乾杯から始まり、日本酒、そして焼酎のロック、最後は喉が渇いたと再度ビールに戻り、タップリとお酒をそして季節料理を堪能することが出来た。途中で女将さんが思い出したように「そうそう、オートバイのお兄さん二人が寄ってくれましたよ。ちょっと旅の途中で顔を合わせただけなのに、こんな美味しい、楽しいお店にめぐり会えて最高だったとあなたに感謝すると言って、大喜びして帰られましたよ」の報告を受けて本当に嬉しかった。アルプスの雄大な山々に包まれた、そしてすばらしい人々ばかりのこの伊那谷が私は大好きなのである。5日目の総歩行距離は19.8kmであった。
寝転がると自分の腹が!!
空に伸びたモニュメントに移る木の葉が揺れる

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