●●3日目(5月4日 金曜) 松本から豊科まで松本平を行く

6:30起床。今日もすこぶる快晴。ビジネスホテルの部屋の窓から真下に松本駅が見える。早朝なのでまだ人気がほとんど無い。ジョギングをしている人が駅前ロータリーを走って横切っている。遥か彼方に北アルプスの「焼岳(2466m)」と「穂高岳(3190m)」の稜線がくっきりと見える。7時に朝食を取りに食堂に下りたが、そこはすでに家族づれやカップルで賑わっていた。7:45 チェックアウトを済ませホテルの外に出たが、朝の強い太陽光線が白いアスファルト道に反射してやけにまぶしい。昨日の行程が余りにも厳しい歩行距離であったので、今日3日目は楽な距離に設定してある。予定されている最終目的地は「豊科」でおよそ16がKmである。駅前ロータリーを通過して「平田新橋線」を北に向かう。松本市内を突っ切る「女鳥羽(めとば)川」を渡る手前の道端で「道祖神」の石仏に出会う。その隣には大黒天が二人で米俵に足を乗せている変わった石仏が並んでいた。大黒天は“福徳の神”と言われ、これは朝のスタートから縁起がいいわい。

【ホテル窓より松本駅、焼岳、穂高岳】
【松本市内の道祖神】

左「北松本駅」の標識が出ている交差点に来た。JR篠ノ井線を横切って国道19号線に出ようと左折する。しかし北松本駅の側に来てビックリ! 道は駅の所で行き止まりとなり駅構内を通らねば向こう側には行けないようだ。やむを得ず一旦交差点まで戻って、次の道「常念通り」を左折する。これで少なくとも20分のロスを食ってしまった事になり、決して朝から縁起が良い訳ではないことが証明された。常念通りに入って驚いた。なんと通りの名前通りに正面にクッキリと「常念岳(2857m)」が見えているのである。暫く行くと右手に真新しい石碑が立っていて、その脇に古くなった道祖神が祭ってあり、街中のこの小さな空間が大いに気になった。石碑にはこの辺を「駒町**」と称したいわれが書かれていた。

   **【駒町と百姓一揆】1686年(貞享3年)、松本で百姓一揆(貞享義民騒動)が起こる。10数年、松本平
       の冷害
が続くなか、年貢の取立てが一層激しくなり、安曇野の元庄屋・多田加助を中心に農民が
       参加し大規模な一揆となる。加助が奉行所に直訴するが、その行為は御法度で当然磔となるが、
       丁度その時松本藩主の水野忠邦は江戸に参勤中。急遽江戸から磔を止めるよう“助命の特使”を
       早馬で
送るが、この地で精尽きて駒の足が折れ、処刑の時刻に間に合わなかった。この駒を祀って
       この
辺を「駒町」といっていた。


【常念通り・駒町の碑】
【新橋の分かれ道】
常念通りは暫く行くと篠ノ井線に突き当たり右への緩やかな上りとなる。右手の高台の上は「城山公園」になっていて、その城山の下を抜けるこの道は狭くなっていて歩道が殆ど無く、引っ切り無しに側をすり抜ける自動車で身の危険を感じる。道が篠ノ井線を跨ぐと急な下りとなり国道19号線に出るが、この付近を「新橋」という。そこは長野に向かう国道19号線(松本街道)と穂高方面に行く国道147号線(千国街道または糸魚川街道)との分岐になっている。私は国道147号線に沿って左に折れて、すぐに「奈良井川」を渡る。とすぐの右手に地酒「笹井酒造」の“笹の誉”の大きな看板が目に入る。中に入れば試飲できるかも知れないが、朝の9時半ではこれから歩きが続く私にとって“お酒”は余りにも時間が早すぎる。全く残念な話である。

【奈良井川より北アルプスを望む】
【笹井酒造入口】
「島内」を過ぎると「長野自動車道」が見えてくる。ここをくぐった先で右手のわき道に入り田んぼの畦に出て休憩をとる。目の前が大きく視界が広がって、正面に北アルプスの連峰が雄姿を見せ付けている。この辺は国道と並行して走るJR大糸線の「島高松」駅に近い。ゆっくりとチョコボールとペットボトル水の単調な動作を繰り返した。それにしてものんびりとした、のどかな時間である。後ろの家の軒先に巣を作っている“ツバメ”が私の頭の上を飛び回わっているが、そのスピードまでもが何となく緩やかに感じられる。(9:50)

【街道より入った田んぼ畦での休憩】
【梓橋を渡る】

また国道に出て暫く行くと「梓川」に掛かった「梓橋」を渡る。橋の丁度真ん中辺で立ち止まりゆっくりとグルリ360度の景色を楽しむ。この動作は車で通過する人々には体験できず、歩いて橋を渡っている者だけに与えられた感激なのである。進行方向の後ろを振り返ると、今日スタートした松本市中心部のビル街が遠くに見えている。そしてJR大糸線の鉄橋が川上に見える。橋を渡ると街道の道幅が広くなりしっかりした歩道があるので歩きやすい。暫し歩くと郵便局の後ろにチョコンと喫茶店がある。そろそろトイレ休憩を取ろうと考えていた矢先だったので喫茶店のドアを開ける(10:30)。勿論 この時間お客は誰もいない。喫茶店のママさんに話し掛けた。「何故、郵便局の後ろに店があるのでしょうか。これではドライバーの目にも止まりにくくお客さんが通り過ぎてしまうのではありませんか」と聞くと、「この喫茶店を建てた時には郵便局は無かったのですよ。その後で郵便局が出来ちゃったのですが、郵便局のオーナーはここの地主さんなので文句の言いようが無いのです」と。しかし普段の日はこの近所の農家のお百姓さんが田んぼ作業の後で昼食やお茶を飲みに立ち寄ってくれるので何とかやって行けると説明しておられた。ママさん夫婦は名古屋での都会生活に嫌気が差して20年ほど前に田舎に引っ越して来たそうだ。しかし現在ご主人は病で入院中だそうで一人でこの喫茶店を守っているという。美味しいコーヒーを飲みながら、いつもの質問をママさんに投げかけた。「自動車を避けて豊科まで行きたいのですが、この国道以外の道ありますか」と聞くと、「そこの“真々部”の交差点を真っ直ぐ行かないで右の道を行けば 眺めのいいところを通って豊科に入れますよ。道も広いし、車は少ないし、歩くには最高でしょう」と教えてくれた。この右の道とは「梓橋田沢停車場線」といい県道316号線のことである。またまたラッキーにも最も適切な場所で地元の人からアドバイスを得ることが出来た。11:00喫茶店を出発する。

この道はバイパスのように最近整備された道のように思われ、確かに幅広い2車線で道の両サイドは田んぼを整地して新興住宅地に変身しようとしている姿が散見される。平らに整地された広大な平地の遥かな彼方に平屋があり、その屋根に【とりしん】と書かれた看板がポツンと目立っているが、居酒屋なのだろう。きっと将来この辺に住宅が密集するのを当て込んで店を開いたのかも知れない。ついつい興味を引いてデジカメのシャッターを押していた。それにはもう一つの理由が有った。実は私が30年ほど前シカゴに駐在していた時、我が住まいの近くに日本料理屋があり、しょっちゅう家族で行っていたのだが、その店の名前が何と【とりしん(鳥新)】だったのだ。店のオーナーだった“こんちゃん”は元気にしているだろうか、何て考えながら広大な無味乾燥化した砂地の一角を通り越した。

30分も歩くと右手に「南部総合公園」が現れる。公園の入り口にはピンクの“芝桜”が一面に咲き誇り無意識の内に公園の中に吸い込まれていた。広大な芝生のグラウンドには家族連れや草野球をしているグループがポツポツいるだけで、とっても静かな空間だった。風になびいている柳の木の下でリックを下ろし、靴を脱ぎ芝生の上に大の字になって寝た。空の白い雲が少しずつ動いている。ほほに爽やかな風が当たって気持ちがいい。目を瞑っていると何か眠りに誘い込まれそう。地図で見る限りでは今日の目的地、豊科の町はもう近い。まだ昼前だが今日は無理せずこのまま豊科のホテルを目指して、チェックイン後は豊科の町をブラブラ歩こうと決めた。

【遠く「とりしん」の看板が見える】
【南部総合公園の広大な芝グランド】
20分ほどの休憩を取った後、再び県道を北進、「南部」から「南中」に入ったところで、右側にお伽の国のお城が突然現れたかと思った。近づくとそれは「長野県立こども病院**」であった。建物が橙色と白できれいにデザインされていて、ほぼ中央にある三角帽子の時計台は何か欧州の教会を連想させる。こんな安曇野のすばらしい台地に、そして巨大なる設備を誇る、それも子供だけの病院とは、一体どうゆう事なのだと思う好奇心は、いつの間にか正面玄関の方に足が向いていた。しかし正面玄関の方には人気が無い。ちょっと離れた右奥の“救急入口”の方にポツポツと人気がある。そうだ、今日は祭日なので面会人などはあちらの口を利用しているのだと推察できた。入口のガードマンのところで「すみません。一人で歩いている者ですが、おトイレお借りしてよいでしょうか」とお願いして、堂々とこの巨大な施設の中に入ることが出来た。休日の病院だけあって中はガランとしていて静寂の空間だった。きっとず〜〜っと奥の方にある入院病棟だけが賑やかなのだろう。私が入った病棟の隣には、そこで働く医師や看護婦用の立派なアパートが併設されていて通勤時間はそれこそ数分であろう。それにしても安曇野の台地で、お伽の国に迷い込んだような錯覚に浸っていた。

【柳の下で一休み】
【お伽の国のこども病院】

    **【長野県立こども病院】“こどもは社会に潤いを 未来に希望を与える宝物”を理念として小児の専門医
        療を全人的な総合医療として提供し、未来あるこども達の健やかな育成を目指し、平成5年5月診
        療を開始、年々病棟を拡張し現在150棟。外来患者1日平均 196人、入院患者1日平均
        128人、職員数352人(医師54人、看護婦298人)で運営している。私が立ち寄った日から1ヵ月
        後の平成19年6月3日 皇太子ご夫妻が第18回【みどりの愛護の集い】出席のために安曇野市を
        訪れ、その式典の後同病院を訪問された。

再び県道に出て、真っ直ぐ伸びた道を北に向かう。左手には頂上に雪帽子を被った北アルプスの連峰が長い屏風のように見えているが、その手前の一番近くに情念岳がデ〜〜ンと控えている。道は「吉野」に入り「寺所南」の交差点を左折。しばらく西に向かって歩くと交差点の左角に大きな「ニチコン」の工場が目に入る。その先の二股の分かれ道の角に「八坂神社」の杜があり、炎天下を歩き続けてきた私にはオアシスのように感じた。神社の敷地の中に入り木陰で休憩を取る。そこに「道祖神」の石仏が立っていた。二股の右の道をJR豊科駅方向に歩くと、「安曇野市庁舎前」の所に出る。そのまん前に「一乗寺」と言う名の立派な寺がある。
【北アルプス連峰】
余りの暑さにその敷地の中に入れさせてもらって木陰のベンチに腰を下ろして足先のマッサージを施す。(12:50)友人O氏から携帯が突然入る。彼はワイフと犬を連れて「今、伊豆山に来ているが、交通渋滞でひどい目に会っている」との連絡。私からは「今日はもう最終目的地の豊科の町に入ってしまったよ。今、寺の境内に入って足を揉んでいるところ」なんてちょっとばかりドライブよりウオーキングが優位に立っている状況を察知して、得意になって説明している。

【八坂神社の杜】
【八坂神社の道祖神】
マッサージをしていると腹がグ〜〜と鳴って空腹のシグナルを送ってきた。よし、この豊科の町で昼食を取ろうと立ち上がる。暫く行くと夜だったらきっと賑やかだろうと思わせるバーの看板だらけの一角に入った。その一つの店のドアが開いていて、入口のカーテンが風に揺れ、中の方から音楽と賑やかな声が聞こえる。近所の連中が集まって休日の昼の“カラオケ・パーティ”でもしているのであろうか。そこを通り過ぎると道は国道147号線(千国街道)に突き当たる。その左角に“蒲焼の店”があり、「よし、栄養を取ってしまえ!」と暖簾をくぐった。勿論この時間もう客は誰もいない。奥の突き当たりはガラス過ごしに中庭が見えており何とも風情があって心和む。その右にガラスで囲まれた部屋があり、その中にはグランド・ピアノが鎮座ましていた。蒲焼とピアノ。何かしっくりと来ない。確かに蒲焼の方は看板の表示通り美味かった。会計をするときにレジの女性に聞いてみた。「夕方に来るとピアノ演奏が楽しめるのでしょうか」と質問すると、「いえ、あれは飾りです」とのご返事でした。

蒲焼屋を出て国道を10分ほど歩くと「豊科駅入口」の交差点にでるので、そこを左折。駅舎の前に来ると左手、線路と反対側に今日の宿泊ホテル「ルートイン安曇野豊科」の建物が目に入った。まだ3時前なので仮チェックインを済ませ、リックを預けて、身軽になって豊科の町を歩いてみようと外に出る。(14:00)まずは「豊科近代美術館」へ。

丁度「中村征夫写真展」を開催していたが、足に疲れが来ていた為、入場料を払って観るのを諦めて、美術館正面広場の大きな縁台の上に寝そべった。少しずつ陽が翳り始めたようで広場にも人はまばらだが、遠く槍ヶ岳の霊峰だけはクッキリと見えていた。

【蒲焼のお店・奥にピアノが】

蒲焼屋を出て国道を10分ほど歩くと「豊科駅入口」の交差点にでるので、そこを左折。駅舎の前に来ると左手、線路と反対側に今日の宿泊ホテル「ルートイン安曇野豊科」の建物が目に入った。まだ3時前なので仮チェックインを済ませ、リックを預けて、身軽になって豊科の町を歩いてみようと外に出る。(14:00)まずは「豊科近代美術館」へ。

丁度「中村征夫写真展」を開催していたが、足に疲れが来ていた為、入場料を払って観るのを諦めて、美術館正面広場の大きな縁台の上に寝そべった。少しずつ陽が翳り始めたようで広場にも人はまばらだが、遠く槍ヶ岳の霊峰だけはクッキリと見えていた。

15分ほどうつらうつらしていたが、さあ次の目的地「豊科郷土博物館」に行こうと気持ちを引き締めベンチから立ち上がった。町の路地を突っ切りながら近道をして博物館を目指す。道には人がまばらなのに、ショッピングセンター「サティ」の所にくると人で賑わっていた。博物館はそのサティのすぐ裏側にあったが、 博物館の入口の脇で「道祖神」が私を静かに出迎えてくれていた。受付で記帳して中に入ったが、薄暗い展示会場には私以外に見物人は誰もいない。静か過ぎて不気味である。2階では“山野草”の特設展示を開催していたが、ひとりでゆっくりと小さな可憐な花々を一つ一つ見ていると何故か心が温まる。


【豊科近代美術館前の広場】
【豊科郷土博物館・山野草特設展示】

4時を過ぎたのでホテルに戻ることにする。地図を開いてホテルへの道を確認すると、なんとこの博物館は今日の昼、豊科の町に入ったとき休憩を取った「一乗寺」のすぐ裏手に位置していることが判明した。ホテルへの帰路、路地から路地へと歩いていると家々の生活が身近に感じられ、なにか豊科の住人になったかのような感じさえして来る。帰る途中でホテルの近場で今夜夕食を取る適当な店はないかと物色しながら歩くのも、これまた楽しいのである。候補の2〜3箇所の目処を立ててホテルに戻ると昼に携帯電話があったO氏より、再び電話が鳴る。「いや〜〜ぁ、今やっと伊豆山の予約していたホテルにチェックインした所だよ。犬君のチェックインも今済んだ」との連絡。何ともご苦労な話である。五月連休の時は有名行楽地では、自動車渋滞で“歩くスピード”と殆ど変わらないのではないか、なんて考えていた。

風呂に入って汗を流し、いよいよ楽しい地元での夕食場所探しである。すぐに気に入った店が見つかった。候補を立てておいた3つの内の一つで居酒屋風の店だが、入口に掲げている文句【人々が飲んで食べて集う家】が気に入ったので、その家に入ったのである。その家の名は「つどいや」。間口は狭いが奥行きがあり、入るとカウンター席があり6〜7人が座れ、その奥に4人テーブルが四つほどある。奥の正面壁に大型液晶テレビがデ〜〜ンと装着されていた。カウンターの中に若い青年風の二人が居て「いらしゃい!」と元気に対応して来たので、「よし、これはいい雰囲気だ!」と感じ早速一番手前のカウンターの席に腰を下ろす。他に客は一番奥のテーブルにカップル一組が座っている。生ビールと焼鳥を注文して、早速話題を投げかける。話している内に二人の内の一人がこの店のオーナーであることが分かり、店をオープンしてまだ数ヶ月だそうで、もう一人はオーナーの学友で飲みに来ていて“手伝え”という事になり遂数日前に雇われたばかりとの事。私の“塩の道談義”など話は佳境に入ったが、時間が経っても客の入りはサッパリ。そこでオーナーが雇い人に「ちょっと、周りを見てきてくれ」と頼み、雇われ人は外に出て行った。暫くして彼が帰ってきて「駅前の方にも人気は全くないですよ。そこのタイ・レストランの前に数人いましたが、あれは客じゃないね」との報告。やはり連休の中日、客足は町から激減しているのだろう。と思っている矢先に5人の家族連れが入って来た。これぞ引き上げるチャンスとばかり会計をお願いした。

ホテルに戻りカウンターで部屋のキーを貰うときに、カウンター脇のポスターに目が行った。【活性石人工温泉大浴場 24時間利用可能 宿泊者無料】と書かれており、その下に温泉効能として疲労回復、神経痛、肩こりと表記されており、これは“神様のお恵み”かと、早速地下にある大浴場に馳せ参じた。大浴場とは言うものの3人ほどで一杯になる湯船だが、誰もおらず一人その“人口温泉”とやらを満喫させて頂いた。やはり部屋のユニット・バスで湯に浸かるのとは全く違い、充分に疲れを癒すことが出来た。今日は昨日の強行軍とは違いほぼ半日の行程ではあったが、万歩計によれば 本日の歩数は  25,709歩で歩行距離 16kmと表示されていた。ベッドに横になると、心地よい疲れが睡魔を誘い、本の数ペ−ジも行かないところでスタンド・ライトを消した。


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