●●5日目(5月6日 日曜)  帰京と第3章の総括

朝から土砂降りである。今日は朝9:34発の電車で松本に出て11:10発の“スーパーあずさ14号”で新宿に戻るだけのスケジュールなので雨だろうが、嵐だろうがいっこうに構わなかった。それにしても昨日までは快晴で何とラッキーなことであろうか。1年前の第二章の場合も全く同じように最後の伊那市からの帰京日だけ雨だったことが思い出される。それにしても外の雨は音を出して降っている。宿から駅までは歩いても3分と掛からない距離なのだが、この塩の道行脚を始める3年前に買った「ウオーキング用雨具」を初めて着用することになる。自宅着は午後2時過ぎ、本当にご苦労様。

今回の第三章の旅程は私に“安曇野”の本当の美しさを教えてくれた。それは自分の足でこの広大な台地をゆっくりと歩いたからこそ体得出来た“喜び”で、車輪での旅では決して味わえないものだと思う。だから紀元前400年代、中国から渡って来た“安曇族”が住み着いてしまった台地である理由がよく分かる。そして更に江戸時代の“風林火山ストリート”に沿って歩き、一方でその時代に庶民が生んだ“道祖神信仰ビレッジ”を通過し、歴史のひとコマひとコマを味わうことが出来て本当に退屈しない旅であった。

この塩の道一人行脚に関してお話すると、よく質問されるのが、“一日の平均歩行距離”に関してと“費用”に就いてである。そこで今回の4泊5日の旅での費用についてご報告しておこう。交通費:10,370円、宿泊代:29,300円、宿での飲み代:3,100円、夕食代(今回夕食なしが2晩):6,300円、昼食代:2,700円、その他雑費:1、500円、それにお土産を1,935円、締めて 55,205円 つまり1日平均コスト 11,000円というところか。

返って来て数日後、約束通りに第1日目お世話になった「夕母屋旅館」に私の駄本【伊那谷と私】をお送りすると、暫くして礼状が届きそこにはこう書かれていた。

『5月13日高遠城址での「井上井月俳句大会」に妻と一緒に行ってきました。

      葉桜に 集う高遠 井月忌      (蛍 けんじ)

本【伊那谷と私】ありがとうございました。本に載っていた貴殿の次の俳句を銅版に彫り上げて6月8日に句碑が完成しました。

      あぜ踏めば 水面を揺らす 蛙の子 (宮原 一敏)

道のあぜに素浪人碑を並べてありますが、そこに並んだ貴殿の碑を同封の写真でみてください。6月16〜24日は“辰野ほたる祭り”で夜店が沢山出て楽しいですから、奥さんといかがですか。』

大変に有難いお話である。今回は“ほたる祭り”には行けなかったが、いずれ伊那谷方面に行く機会が持てたら、是非辰野に寄って私の句碑を訪ねてみたいものである。


<完>

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