●● 5日目(8月11日 土曜) 中山峠を越えて日本海・糸魚川へ

5時30分には目が覚めた。今日は“塩の道・一人行脚”のいよいよ最後の歩きの日である。多少興奮気味なのか、もう眠りに入るのは無理と思い布団から飛び起き着替えを始める。階下でも丁度女将さんが起きて台所で朝食の準備を始めている音がした。まだまだ朝食まで時間があるので、近くを散歩してみようと外に出る。蛇橋屋の直ぐ裏が神社になっていて、側に近づくと鳥居の上に「羽黒社」と書かれていた。正面の石垣を登る石段の上に幹がクネクネと曲がり絡み合っている老木が興味を引く。昨夜女将さんから聞いたお話の“大蛇”を連想してしまう。週末の朝のせいか周りの民家の戸はビシッと閉まっていてまだ眠りの中にあるようだが、夏の太陽だけはすでに山の上に出てきて強い光線を投げ下ろしている。今日も暑い一日になりそうな予感がした。

7時に昨夜の夕食と同じ客間で朝食を戴く。お膳の上にはビックリする数の料理が載っている。昨夜の夕食でもそうしたが、「こんなに食べられませんから、これとこれは箸を付けない前に除けて置きます」と言う。塩の道・一人行脚で何度となく民宿に泊まって体験したことだが、どこの民宿でも食事のおもてなしがビックリするようなサービス振りであることだ。最近の一流ホテルでのビュッフェ・スタイルでの味気ない朝食とは全く違うのだ。そんな事を考えている時に女将さんが熱い味噌汁を持ってきてくれて、またまたお話が始まった。
【羽黒社と老木】


私から「今、裏の羽黒社に行ってきましたが、あの神社のお祭りは何時ごろ有るのですか」と質問を投げると、「私が子供の頃は露店が出たりして賑やかにお祭りをしていたのですが、今では若い者がいないので、もう祭りらしい祭りはしなくなって何十年も経ちますよ。今では年に一回係りの連中がお供えを祭壇に置いて、社殿の中や周りを掃除するくらいですよ」と寂しそうな顔で話す。

そして寂しい話は続く。「この山口の村もスキー場が出来て関西からや新潟の都市から沢山のスキー客が集まってきて賑やかでした。スキーは冬だけだから春や夏も人を呼ぼうと考え蛇橋屋が中心となってモーターバイクを走らす【モトパーク山王】を始めたのですが、【神戸大地震**】の後 ピタリとお客の足は激減してしまいましたよ。賑やかだった頃はこの山口にも民宿が十数軒も有ったが、不況風が吹くと若者が村を出てしまい引継ぎ手もいないし、民宿経営も難しくなって次から次へと閉めてしまって、今じゃぁ数軒しか残っていませんよ。」

   **【神戸・淡路大震災】1995年1月17日 午前5時46分、兵庫県南部地震によって発生した大規模
       災害 で初めての震度7を記録。死者の数は6434人と日本の戦後最多となった。
被害建物 65万
       棟、被害 総 額 約10兆円に達した。

しかし女将さんの性格か、ジメジメした話はそこで止まりガラット話の内容を変えてきた。

「あなたが今朝訪ねたうちの裏の羽黒社に【むじな**】が出るのだよ」と聞かされ、私はとっさに“むじな”が何であったか思い出せず、なにか不吉な生き物のように感じて質問した。「“むじな”とは何でしたっけ?」 すると“むじな(狢)”も知らないのか、と驚いた様子で「この辺では“むじ”とか“むじな”とか呼んでいるが、あの“狸”に似ているやつだよ。私がある日、田圃に行ったときに急に私の前を横切った物がいてビックリして振り返るとそれが両足で立っているのでまたまたビックリ。それは何と“むじな”だったのよ。私も恐怖と不安で暫くはジ〜〜ットしていましたが、そうっと踵を返して家に戻ろうとすると、何とその“むじな”がのそりのそりと私に付いて来るではありませんか。それがその神社の庭に住み着いているのかもね」と楽しそうに話してくれた。

   **【むじな(狢)とたぬき(狸)】昔から伝説や民話に狸や狢が登場して色々なものに化けたり、人をた
       ぶらかしたりする 話が沢山ある。「カチカチ山の狸」や「ぶんぶく茶釜」などが有名。
ある地方で
       は同一の動物と解釈している 所もあるが、学術的には全く違う動物で、狸は“イ
ヌ科”で集団
       行動をとり一時的に失神状態をするが(タヌ キ寝入り)、狢は“イタチ科”で単
独行動をとり、
       鼻が円盤状でブタの鼻に似ていて地下に大きな穴を掘り数 世代で同居する。
共に夜行性で
       ムジナもタヌキと同類で悪事をたくらむ仲間だとして『同じ穴のムジナ』とい
う 諺もある。

7:45 蛇橋屋を後にして寂しくなってしまった山口の町並みを下ってゆく。昔民宿だった面影を残している家々、そして豆電球で覆われた色あせたドアの小さなスナック、その隣に大きな字で「貸しスキー」と書かれた大看板、何もかもが昔の思い出を語っているようだ。少し下ると古道は県道から左に外れて、昨日入りに来た【塩の道・美人の湯】の建物の脇を通過する。道は暫く行くと上り坂となりクネクネと曲がり始め木々が鬱蒼と生えた林の所に来ると太陽が当らないせいかしみ出ている清水が道路上に水溜りを作っている。そうゆう場所には“害虫ウルル”が発生していると予測して頭から手拭をダラリとたらして通過する事にする。この方法は確かに効果があるのか、殆どウルルを気にせずに通り越すことが出来た。

【「美人の湯」の右に“塩の道”街道が】
【右「雨飾山」左に「駒ケ岳」その奥「焼山」】


道はいくつかの農家の庭先を抜けて右に左にと曲がりながら山を登って行く。今朝出発前に地図でチェックした限りでは、しばらくは根知川に沿った田んぼの畦を下るはずなのだが。次第に道を間違えているのでは、という不安が襲ってくる。と、突然頭の上にスキーリフトの鉄塔が現れた。これはシーサイドバレー・スキー場のゲレンデの中間地点に出てしまったのだと判断し、完全に道を間違えたと確信した。しかし、それにしてもどこで間違えたのか思い当たらない。

まずはさっき通った農家の所まで戻って訊ねてみる事にする。庭の物干し竿に洗濯物が干してあるところをみると人が住んでいそうだ。入口から中に「こんにちは!」と大声で叫ぶと、中からお年を召した女性が出てきたので、「塩の道を歩いているのですが、道を失ってしまったようです。これは塩の道では有りませんよね。どこで間違えたかお分かりになりますか?」と聞くと、「塩の道? 知りませんねぇ。この道はこの先で行き止まりだから下に下りなされ」というので、また“ウルル”の発生地点を通過しながら下って最初の二股地点の所に来る。その角にはキュウブ状の塩の道の道標が立っていて、そこの矢印通りに行けば誰でもこの山道を登ってしまうと思うのだが。兎に角その二股を今度は右側の道に入り暫く行くと視界が開け田んぼのあぜ道の中に入り、これが古道に間違いないと確信した。


【二股を直進して間違え、左に小さな道標】
【左「雨飾山」、右にポツンと「戸倉山」】


田んぼの畦道に出たはいいが、周りに木々が無いので直射日光が無常にも我が身を照らし続ける。まだ民宿を出発して1時間も経っていないのに強烈に暑く感じる。今根知川に沿った根知盆地を歩いているのだが、後ろを振り返ると左に「雨飾山(1963m)」が、そして右側には丸く伸びた「戸倉山(975m)」が見えていて、その間の中央鞍部を昨日通過した「大網峠」が通っているのだ。汗が自然に皮膚から噴出しツルリツルリと流れ落ちている。田んぼ道のど真ん中を一人歩いていると、暑さで段々気が遠くなり真っ直ぐ歩いているつもりが、右に左にと蛇行しているようだ。田んぼに落ちそうになって、慌てて立ち止まり、顔の汗を手拭で取りながらペットボトルの水を夢中で飲む。しっかり自分を取り戻したことを確認してまたギンギンギラギラの畦道を歩き始める。 

水分の補給が必要と考え、民家が密集している「上町屋」に出て県道を横切る。その角に【根知公民館】がありお目当ての自動販売機が並んでいた。早速スポーツドリンクを買ってゴクゴクと飲むが、ビッショリと濡れたシャツやズボンがビッタリと体にくっついて気持ちが悪い。「よし、この公民館のトイレでもお借りして着替えをしよう」と思いつき玄関を入った。ラッキーにも今日は何かの集会が有るらしくポツポツと人が集まってきている様子である。玄関に出てきた方に「私は塩の道を歩いている者ですが、下着が汗でビッショリとなり着替えをしたいのでトイレをお借り出来ないでしょうか」とお願いして中に入る。丁度トイレの隣が大きな集会場となっていて空いていたのでそこの机をお借りして素っ裸になって着替えを行った。乾いた新しい下着に着替えるとサラサラと肌に触れて気持ちがいい。公民館の方にお礼を述べて、またギンギンギラギラの世界に飛び出した。(9:00)


道は根知盆地の東側の山すそに沿って走っている。古道の左手には根知の稲田が広がり正面には北アルプスの最北端の山並みが見える。一番右にチョコンととんがっているのが「明星山(1189m)」であろうか。「井口」の集落に差し掛かると前方から軽自動車が走ってきて私を通り越すなり停止して一人の男性が近づいて来る。「あのう? 先ほど公民館に立ち寄られた方でしょうか?」と聞いてくる。

「はい、お世話様になりました」と返事をすると、「確か、“塩の道”を歩いているとか仲間から聞きしましたが、実際に歩かれているのですか?」

【根知谷、正面に北アルプス北端が連なる】


そこで「はい、静岡県の相良町からテクテクと歩いて糸魚川まで突き抜ける途中です」とお答えすると、「あの〜〜、私はあの根知公民館で館長をしている者ですが、【塩の道を守る会】の活動をしておりまして、歩いて感じたことを教えてください」と言って名刺を戴く。そこで私から「塩の道のガイド標識として立てた“道標”が30〜40cmの石の立方体(キューブ型)で出来ていて背丈が低い為に、道の角々に有っても雑草などに隠されてしまって、遠くから見え辛いと思います。信濃大町付近にある“道標”のように背丈の高い“棒状”の方が遠くからよく見えて、歩いている者に取って大いに助かります」と私の意見を述べさせて頂く。すると館長から「良いお話をお聞きしました。今後検討の際に参考にさせて頂きます」とお礼を頂き、二人は挨拶を交わしてお別れする。

そういえばこの道標の形の違いは、あの「大網峠」のところで比較して見ることが出来たなと思い出してニヤットしている自分がいた。大網峠が大町側の【塩の道守る会】と糸魚川側の会とのテリトリーの丁度境目なのかも知れない。そう言えば、私はあの時糸魚川側の“キューブ型”の道標の上にリュックを載せて休ませて頂いたのだったっけ。

古道は「上野」、「山崎」、「中坪」そして「日詰」の集落を通過して行く。途中余りの暑さに自動販売機でスタミナ・ドリンクを二瓶買って飲みながら炎天下を歩く。2本も続けざまに飲むと何かモリモリと元気が出てきた気分にさせるから不思議である。道は緩やかに左のカーブを切り始め、その右の山すその杜の中に「飯森神社」があり、道は直ぐに四つ角に出て古道はそこを右折する。その右かどの崖の上に「仁王堂」があった。その階段上り口の反対側正面に“ドラエモン”の石像があった。その真後ろに「明星山」がデ〜〜ンと見えている。(10:10)

【仁王堂の入口階段】
【ドラエモン、真後ろが「明星山」】

いよいよここから「中山峠」に向かっての登りである。それにしてももう日本海が近いせいか「大網峠越え」のような切れ立った山の中の険しい峠とは違った感じがする。しばしジグザクと続く自動車道を上ってゆくと視界が開け、遠く今日出発した「山口」の集落が小さく見え、その先に雲に掛かった「雨飾山」そしてその右に「戸倉山」が見えている。暫く登ると途中に古道に入る細道があった。鬱蒼と生い茂った杉林に中に昔のままの古道がヒッソリと残っていた。傾斜地に階段などの段差を無くそうと斜面を削ったままの姿、これを“ウトウ”と言うそうだが、深いものでは5mも掘られているそうでU字になった道は牛を追う牛方には牛が道から外れなくて都合がよかったそうである。細い山道を歩いていると「中山峠」という“道標”が突然現れる。「エッ! ここが峠?」と思わせるような視界も利かないところが中山峠だったのだ。そこに一人突っ立っていると、にわかに感動が襲ってきて大声で「バンザイ! バンザイ!」と張り上げていた。多分それは、「もうこれ以上の上りは無いぞ。後はただただ日本海に向かって静かに下ってゆくのみだ!」という状況が本当に嬉しかったのかも知れない。(10:45)

【中山峠への緩やかな登り】
【根知谷、正面「雨飾山」右に「戸倉山」】

道は暫く尾根伝いに走っているが、下り斜面に入るとU字に切り削られたウトウの道を歩く。深い杉の林を抜けると少し広い道に出た。そこには「小坂の休憩小屋」が立っていて車はここまで上がってこられそうだ。小屋の脇には綺麗なトイレもあり一休みする事にする。ここから道は集落の中を進んで行くが、回りには竹林が多く涼しげで気持ちがいい。

【U字に掘られた「ウトウ」】
【ウトウを下りると「小坂」に出た】

暫く行くと「大野神社」に出て、その先から古道は「大野」の街中をくねくねと歩くようになるのだが、手元にある地図だけではどうも不安になってくる。早速最初に出た五ツ角で「はて?」となる。角に有った自動販売機で缶コーヒーを買ってベンチに座って地図とにらめっこ。すると道のコーナーに石標が立っているではありませんか。そこの表示「左 原山へ3.6Km」に従って左の道を進む。小学校を超えてすぐに大糸線の踏み切りを渡る。渡って直ぐ左に入る道を行く。すれ違う車の中から運転手が私を見て不思議そうな顔をしている。そんな様子が私をまたまた不安にさせるのだ。「これは塩の道では無いから 歩いている私を見て不思議な顔をしているのでは?」何て考えてしまうのだ。

【大野神社】
【五ツ角に有った「石標」】

住宅が密集している所を歩いていると、次第にこれは塩の道では無いのではと不安が益々募り始める。と、その時、道を一歩入った人家の庭に“道標”が立っていた。「それにしても、なぜあんな場所に“道標”が有るのだろうか?」と不思議に思う。
しかし糸魚川を目指す方角としては大きく間違ってはいないと判断して、思い切ってこのまま突き進むことに決める。道は住宅街の外れで二股になっており、ここでも「さて、どちらか?」で悩む。丁度角の民家から話声が聞こえたので、庭を抜けて玄関先に行き家の中に向って「ごめんください」と声を掛ける。まっ最初に何事が起きたのかと子供達が玄関に飛び出してくる。一歩遅れておばあさんが現れ「何でしょうか」と聞いてくる。そこで「塩の道を歩いているのですが、これから【林道下山線】に出たいのです。この前の右の道を上って行けばよいのでしょうか?」と聞く。すると次に子供のお父さんと思われる方が顔を出してきて「それならこの上の道を10分か15分行けば右に入る所に出ますよ」と教えてくれた。
【民家の庭の左隅に「道標」が、なぜ?】

お礼を述べて言われた通りの道を歩き始めたが、暫くたってこの10分か15分と言っているのが“車で”なのか、“歩いて”なのか確かめなかったのが悔やまれる。確かに10分ほど歩くと道幅が急に広くなり、その右にこんもりとした杉林に入ってゆく道があった。その角に“林道下山線”と書かれた看板が立っていた。林道に入るとすぐ左側が墓地になっており、道は急な上り坂となる。途中「権現清水」のところでは、山から染み出た清水の飲み場となっていて、その脇にコップが用意されていたので早速ご馳走になる。昼の太陽は真上から容赦なく強い光線を降り注いでいるが、この冷たい清水が神からの贈り物のように思えた。

道は峠のような高台にでると、眼前に視界が広がり遠く日本海が望めた。遂に海が見えたのだ!“太平洋の相良の海岸”からスタートして今日は歩きの総日数18日目になるが、やっと“日本海の海”を見ることが出来た。感激である!【塩の道・一人行脚】の旅もいよいよ“終着駅”が近づいてきたのだ。この感激をワイフに伝えようと携帯から電話を入れる。ここから古道は緩やかな下りになる。突然アスファルト道路に出るが、地図でチェックするとこれは【糸魚川カンツリークラブ】ゴルフ場に行くために出来た道で古道を寸断してしまっているようだ。アスファルト道に出てスイッチバックするようにチョイト下だると直ぐに右に入る道がある。
【「権現清水」の水飲み場】
ダラダラと下って行くとすぐに二股の所に出た。道ナリに急な下り坂を下りて行く。すると個人の家の敷地の中に入ってゆく感じになるが、家には誰も居ないようだ。庭のような空き地を奥に入って行くとズドンと林にぶち当たりその先に道は無い。やはりあの上の二股の所で間違えたのだろうか。噴出す汗を拭いながら今度は急な上り坂を二股の所まで戻る結果となる。(12:30)

【遠くに日本海が見えた!】
【左から下りて来て右の坂を下って間違い】

しばらく杉林が続くがそこは日が差していないので地面が湿っている。その湿った地面に“塩の道”と書かれた小さな手製の木の道標が立っていてまずはホットする。歩いている者に不安を抱かせないようにと誰かが立ててくれた物だろうか。

道は急な下りになるが、ここを「メンパ坂」と言うそうだ。“メンパ”とは弁当箱のことだそうだが、きっと糸魚川から塩を担いで出発したボッカ(歩荷)衆がこの辺で昼食を取るために弁当箱を開いたのかも知れない。メンパ坂の右奥に野球場があり何か大きな試合をやっているようだ。バッターを紹介する女性のアナンサーの声が拡声器から聞こえ、応援団の歓声も聞こえてくる。よしここで一休みしようと野球場の方に近づくと、松林の中にすでにテントを張ってキャンプ生活をエンジョイしながら野球を観戦している先客がいた。どうやらすでに「美山公園」の敷地内に入っているようだ。
【湿地の所に小さな標識、助かります】

一休憩のあとメンパ坂を下っていると左側の視界が開けて来て、眼下に大野平野が広がっておりその中央を姫川が流れている。正面には高い建物【ホテル糸魚川】が見えている。坂道が自動車道路と交差する所にくると、ボッカのブロンズ像がある公園に辿りつく。

【美山公園、遠くに野球場が】
【メンパ坂を下る途中で「大野」の町並み】

ガイドブックによれば、「美山公園では大きな配水漕「上水道高区配水池」の上にある“展望台”に是非立ち寄られたし」と書かれていたので、訪ねてみることにする。美山公園の西のはずれ、鼻先が飛び出したような高台の上にその配水池はあった。回り階段を上って屋上に出ると、それはそれは言葉で表現できないほど素晴らしい360度大パノラマが広がっていた。今歩いてきた方角を見ると「雨飾山」、そしてその左隣に一段低い「駒ヶ岳」その後ろに頭が雲に隠れた「焼山(2400m)」が、視界を右に移動して行くと、「大野平野」の中を真っ直ぐ走る国道148号線が見え、それと平行に「姫川」が流れていて、その先の方に「明星山」が薄っすらと姿を見せている。あの山の裏手に「ヒスイ峡」があり、古代土器時代からこの翡翠を求めて九州地方から安曇族が上陸して来た事が塩の道の発展に大いに関係していたと言われている。更に視界を右に移動してゆくと台形の形をした「黒姫山(1232m)」が見え、さらに右旋回すると糸魚川のコンビナートの姿が視界に入って来て、その先に日本海が広がっていた。

【左側の山が「美山公園」、正面「大野平野」】
【姫川の先に姫川渓谷、右手に「明星山」】
【日本海側、糸魚川コンビナート群】
【北東方向、つまり新潟市の方向】

展望台から下りてきて桜の木々の中を塩の道・古道に向かって戻ることにする。人影まばらな公園の中は強烈な太陽光線と耳をかっ割くような“せみ時雨”が溢れていた。汗が体全体から吹き出ているような錯覚に陥る。道はなだらかに海に向かって下ってゆくが、暫くすると【北陸自動車道】の上を跨ぐが、橋の上に来ると巨大な橋のコンクリート塊からの反射熱で暑さが倍加しているのではと感じてしまう。
「総合体育館」の建屋の脇を通過し「糸魚川中学校」の交差点を直進すると道は急に狭い路地に変わる。家が密集している路地を歩いていると確かに昔の“街道”の雰囲気が楽しめる。人の生活が身近に感じる細い路地を歩いていると、「冷えたスイカにかぶりつきたいな」という欲望が芽生え始め、「途中に八百屋がないか」なんて勝手なことを期待し始めていた。「浄福寺」を通り過ぎたあたりに雑貨屋が有ったのでガラスドアから中を覗くとなんと野菜類も扱っていそうだ。中に入って「スイカありますか?」と聞くと「そこに有りますよ」とおばあさんが返事をする。
【北陸自動車道を跨ぐ橋】


確かに指された先のダンボール箱の中に数個の丸々とした大型のスイカがあった。残念ながらこれでは冷えていないし、一人で食べるには大きすぎて諦めざるを得ない。するとおばあさんが、「さっき入荷したばかりのトマトがあるから、それで我慢しなさい」と言われ、早速大型のトマト2ケを購入し、かぶりつくことにした。するとおばあさんは奥に入り、子皿と塩を持ってきてくれて、「ほら、これで食べなさい」と差し出してくれた。「美味い!」真っ赤に熟れたトマトはカラカラになった喉に新鮮なエキスを送り込む。夢中になってかぶりついている私をおばあさんがニコニコ笑いながら眺めている。

店の中の冷房が一層私を生き返らせてくれている。私は興奮気味にこれまで歩いてきた塩の道・一人行脚の体験話を話している。するとおばあさんが「ところで今日はどこにお泊りですか」聞いてきたので、「実は1年前、私が塩の道を歩いていて長野県の【遠山郷・かぐら山荘】に泊まった時に、そこでアルバイトをしていた女性から、是非糸魚川に行かれたら私の友達の家が民宿をしているので泊まってやってください、と紹介されて今日はそこに泊まります」と説明した。その民宿は“おがわ”という名前だが、それを聞いたおばあさんは、「小川さんと言うのは確か“釣り道具屋さん”の所かもね」と言うので、ちょっとばかり不安になってくる。20分ほどの休憩を取らせて頂き、再び強烈な暑さの外に出る。

古道の細道は暫く下ると「鉄砲町」に出て広い道に変わりJRの踏切を渡る。踏切の右手直ぐ側に糸魚川駅が見え、渡りきるとそこから糸魚川市の繁華街に入ってゆく。まずは真っ直ぐ歩いて一人行脚の最終目的地“日本海側の海岸”に出なければならない。この行脚のスタートも2年前に静岡県・相良町の太平洋側海岸で二つの貝殻を記念に拾って始まったのだから、日本海側の海岸に出でこの旅は幕を下ろすのだ。

【先に見えるのが「糸魚川駅」】
【糸魚川市内、街道沿いの酒蔵】

賑やかな「白馬通り」の交差点に出て直進すると、もう海はすぐそこ。しかし海岸べりに出てガッカリ。海岸線を国道8号線が走っており砂浜など無いのだ。日本海の海水に触れてみたいと思っても、向こう側に行く道すら見つからない。何とも人間が作り上げた物質文明の負の遺産である【無味乾燥な巨大なコンクリート塊】に邪魔されて私の塩の道の終点が塞がれてしまっていたことが悲しい。きびすを返して今来た道を繁華街に向けて戻る。JRを渡る踏切の手前にある四つ角を右に折れて暫く行くと「横町」なるがそこに今日の宿【民宿おがわ】が見つかった。確かに宿の隣は【おがわ釣道具店】となっていた。(14:30)部屋に案内されリュックを下ろし身軽になると、「よし、これで一人行脚は終わった。まだ3時前だ。1時間ほど前に立ち寄った雑貨店のおばあさんに教わった【糸魚川温泉】で疲れを癒し、それから糸魚川の夜をジックリ楽しみ一人で“打ち上げ”を祝おう」と決めた。

宿の人にタクシーを呼んで頂き、まずは【糸魚川温泉・ひすいの湯】に向かう。タクシーは「大野」方面に向かい15分ほどで「姫川」のそばのホテルに横付けした。何となんとその温泉は、2時間ほど前に美山公園のメンパ坂を下りてくるときに真下に眺めた【ホテル糸魚川】と併設して有ったのである。泉質はナトリウム・カルシューム塩化物泉。のんびりと露天風呂で疲れを癒す。それにしても今回の旅はそれぞれの地で毎晩“温泉”を楽しむことが出来たのだ。何と幸せなことであろうか。帰りはホテルの近くにあるバス停からバスを利用して民宿まで戻った。
【「民宿おがわ」泊まった部屋は左ビル2階】


バスを降りて斜め前にある喫茶店に寄る。ドアを開けると女性が一人暇そうにしていた。カウンターに座ってコーヒーを注文すると、相手もあまり見慣れない顔が入って来たなと警戒しているようだ。今晩は民宿では夕飯無しなので、どこか街中に出て美味いものを食べようという計画になっていたので、私から話し掛けた。「そこの“おがわさん”に泊まっている者ですが、今晩美味しいものを食べたいとすれば、どこかご推奨のお店を教えて頂けませんか?」すると、「やはり糸魚川は海の幸でしょう。だからお鮨がいいのでは。おがわさんのご主人もよく行く寿司屋がこの先に有りますから」とアドバシスを頂く。

30〜40分お話をした後、教えて頂いた寿司屋に行くと「あっ、すみません。今日は全部予約で埋まっていますので」と門前払い。しかし寿司屋は一軒だけでは無かろうと看板を探しながら駅前方向に歩く。ちょっと行った所に【塩の道広場】と書かれた小さな公園があった。駅前に出る道のあちこちに若者のグループがたむろしているのが気になる。とその時、電信柱の上に寿司屋の宣伝が目に入った。「よし、駅前をグルリと回ったら、あの路地裏の寿司屋に入ろう」と決めて駅前広場に向かう。


【塩の道広場】
【駅前広場に舞台を作ってイベント準備】

駅前に出て驚く。何かお祭りが始まりそうなのだ。駅前の広場にステージを作りそこでDJをやろうとしているらしい。そして駅前通りには模擬店がビッシリと並び、角では日本太鼓実演場やストリートダンス会場などが出来ていて、すでに大勢の若者が集まって来ていて賑やかだ。キット若者が多いからムンムンとした熱気を感じているのかも知れない。大学生風のおにいさんに聞いた。「あそこの垂れ幕に何とか高校同窓会とか書いてあるが、これはどんなお祭りなのですか?」すると、「糸魚川から東京や大阪の学校や職場に出ている連中が夏に故郷へ帰ってきて皆で会おうと企画されて、今年がその第1回目なのさ」との事であった。その話を聞いて私は一人感激していたのである。その理由は、私の塩の道・一人行脚の“打ち上げ”の一夜、ひょっとすれば本当に一人寂しく祝っていたかもと思っていたのだが、偶然にも何とこれだけ大勢の若者たちのお祭りの中に身をおくことが出来たのだから。屋台でビールを買い、そして“焼鳥”をほおばって人垣の中を歩きながら賑やかな雰囲気を満喫していた。

【ストリートダンスをやている】
【駅前は若者で溢れた】


若者達の喧騒から離れて細い路地に入り、電信柱の看板で決めていた寿司屋に向かう。路地は古い置屋風のたたずまいや軒先をスナック風に改装しているお店と新旧が雑居していて大いに興味をそそるが、そんな路地の一角に目的の寿司屋があった。店構えからして古い歴史のありそうなお店である。店の中も広くカウンターだけでも14〜5人は座れそうですでに6割がた席は埋まっていた。奥の方の4〜5人のグループは早い時間から来ているようで楽しそうに話しに華を咲かせているようだ。

暫くすると外の祭りについての話に及んでいった。どうやら地元の人々はどんなお祭りが行われているのか知らないらしく、寿司屋のご主人も「俺も何をやっているか知らねえな」と返答している。私は冷酒をお変わりした辺りから元気付いて、遂さっき学生風男性から得た情報を得々と説明してさしあげ、それが地元の方々との会話の輪の中に入り込む切っ掛けとなったのである。すると店のご主人が、「今朝取ってきた“親不知”の【岩牡蠣】食べるかね」と薦めてくる。待ってましたとばかりカウンターの全員が注文する。暫くすると靴のサイズほどの貝殻に乗った肉厚のある生牡蠣が出てくる。甘い味が口に広がり、その美味しさは更にお酒を進め一体どのくらい飲んだであろうか。

いい気持ちで飲んでいるところに2組の夫婦カップルが入ってきて私の横に席を取る。私もいい気持ちになっているので、直ぐに打ち解けた会話になる。東京に本社があり、工場が糸魚川市にある会社の社長さん夫婦とその従兄弟夫婦が夏休みを利用して糸魚川に来ていると言う。話の中で私の住処の話しに及ぶと、社長さんの奥さんが「あら、それじゃあ、【菊坂コロッケ】のそばね」と突然言い出しビックリさせられる。奥様はよく本郷菊坂を訪ねたことがあるようで、文京区・本郷付近はご存知の様子。しかし糸魚川と言う遠く離れた地の一軒の寿司屋さんで、初対面の方が偶然にも我が家の側の商品の名前がポンと出たそんなめぐり合わせに一人興奮していた。時計を見るとすでに9時を過ぎている。

まだきっと駅前のイベントはやっているかもと会計を済ませて外に出る。またムットする暑い空気が顔の周りに張り付いて来る。駅前に来ると丁度イベントが終わったところで、今回のイベントの実行委員長がしきりに拡声器で叫んでいる。「皆さん、今夜は集まってくれてありがとう! 来年もまた楽しくやりましょう。それで路上に散らかっているゴミを皆で拾って用意されたゴミ箱に集めてください。地元の皆さんが来年もやっていいよと言って貰えるように、皆で元通りにきれいに戻して今日は解散したいと思います。皆さん協力をお願いします。」私はその拡声器からの声を背に受けながら「来年もこのイベントが無事に開催されますように」と祈りながら真っ暗な街中を宿に向かって歩き始めていた。

宿に戻ってTVを掛けると天気予報の番組をやっていた。すると予報士が「今日は各地で今年一番の暑い日となりました。豊岡で38.5℃、館林では38.3℃を記録しました」と報じている。おいおい、そんな記録的な暑い日に私は田んぼの畦道をひたすら歩いていたのだから、気を失いかけるのも当然だなと一人納得していた。

寝床の脇の万歩計が歩行数 34,246歩、 21.23km と示していた。


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