●● 6日目 (8月12日 日曜) 帰京と塩の道・一人行脚の総括
6:30起床。とは言っても実は4時過ぎから目を覚ましウツラウツラしていたのである。 4時過ぎに外から聞こえる人の声で目を覚まし、部屋がムシムシしていたので壁掛けクーラーをONにする。耳を澄ますと家の階下からも人声と何やらゴゾゴゾと作業をしているような音が聞こえてくる。もう一寝入りしようと目を閉じるが、外を走る車のヘッドライトの明かりが天井を明るくさせて、車が通過すると同時にス〜〜ット天井が暗くなる動作がどうも気になって眠れそうもな い。そうか、今日は日曜だから外の人の声、階下の物事、それらはきっとこれから仲間が集まって早朝の海釣りに行こうとしているのかも知れない。暫くすると、外の路上の車2台のドアがバンバンと閉まる音がして動き出し、少し間を置いてこの店の車が2台を追うように出て行った。もう一寝入りしようとクーラーを止めると再び静寂が戻ってきてウツラウツラ状態に入ってゆく。 |
7:30、1階の食堂で朝食を戴く。食事の準備をしてくれたのが民宿の娘さんで、私が【遠山郷・かぐら山荘】に泊まった時にそこで働いていた女性の友人その本人だった。彼女の話では、かぐら山荘で働いていた友人は、すでにそこを辞めて自分の故郷に戻っているとのお話だった。食事を済ませて外に出ると今日も日本晴れのようだ。これで今回の旅は全日程が快晴の天気だったことになる。今日はただひたすら電車に揺られて帰るのみ。8:37発の特急【はくたか3号】で越後湯沢に出てそこから上越新幹線で11:14にはもう上野に着いているのだ。本当に便利な時代になったものだと驚く。まだ特急に乗るには時間があるので、早朝の糸魚川市内を散策する。昨夜の喧騒が嘘のように糸魚川駅前の広場の仮設ステージはきれいに取り去られ普段の姿に戻っていた。「よし、これならキット来年も同様に若者達による故郷企画が地元の方々の了解が得られて開催できるだろう」なんて思っていた。人気の少ない寂しい駅前広場の片隅に【奴奈川(ぬながわ)姫】の銅像が立っている。その脇の説明版によれば; 『奴奈川姫は越の国・奴奈川族の首長であった。すぐれた才知と美麗の持主で、 その名は出雲の国まで伝わった。出雲の大国主命ははるばる奴奈川 姫と結婚 する為に越の国に来て姫と歌を詠み交わした。そして二人は翌日結婚をしたと 【古事記】にしるされている』 |
【綺麗に元に戻った駅前広場】
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【駅前の「奴奈川姫」の像】
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実は今回塩の道・最終章の行程を作った時には、糸魚川から東京に戻るのに越後湯沢に出られる路線があることを知らなかったのである。糸魚川から北陸本線を“直江津”に向かいそこから信越線に入って二つ目の駅「犀潟」から【ほくほく線】(北越急行)に入り斜めに下って「十日町」を通り上越線の「六日町」に出て、その次の駅が「越後湯沢」である。ほくほく線は北陸・金沢への距離を縮める目的で出来た線だそうで、いくつかの丘陵と盆地を抜けて行く為3〜5分の長いトンネルが5つもあるので、そこでトンネルに入ると車両の天井に季節によって違う映像を映して子供たちに楽しんでもらう【ゆめぞら号】を週末に走らせているらしい。そして狭軌では日本で最高の時速160kmを出しているローカル線というから鉄道マニアにはたまらない。しかし もし2014年に金沢まで北陸新幹線が走るようになると、ほくほく線はホクホクとしていられない情勢に直面することになるのだが。 |
特急【はくたか3号】が静かにホームに入ってきた。夏休みの真っ最中だけあって乗車客はほぼ満員だった。糸魚川駅で買った新聞を開く。「北アルプス 登山事故相次ぎ2名死亡」の記事が目に飛び込む。その記事によれば事故に遭遇している人々はみんな60歳代で私と全く同世代。キット定年退職して趣味で夏山を楽しんでいたのだろう。私はその1日前に北アルプスの下、天神道で遭難し掛けていたあの恐ろしい体験を思い出していた。もしあの時、もう少し先に行ってみようと挑戦していたらどうなっていたか、と思うとゾ〜ットする。
車窓の外には頚城(くびき)丘陵が広がり、それを見下ろすよう に電車は高架をハイスピードで走っている。暫くすると電車は山間に入り長いトンネルを出たり入ったり。窓からの光が明るくなったり暗くなったりしている情景をボ〜ット眺めていると、塩の道を一人で歩いて一日一日積み重ねてやっとの事で日本海・糸魚川にたどり着き、今はその頂点からハイスピードで現実点に引き戻されていくように感じる。この350kmの一人歩きは一体何で有ったのだろうか。 |
そう、あれは2年前、2005(平成17)年の6月のことだった。早稲田大学での異業種勉強会で【21世紀はこころの時代】というテーマで講演をさせて頂いた時に「塩の道を一人で歩いてみる」と宣言していたのだ。その時に歩く理由をこんな風に説明していた。 『20世紀は人類が“便利さ、楽さ”を求めて文明を発展させて来ましたが、この 欧米型文明が遂に行き詰まり、地球の自然は急速に壊され、そして人間本 来の“こころ”をも失ってしまいました。つまり 人間が自然を支配出来るという 【人間中心主義】の驕りが地球とそして私たちの“こころ”までを破壊してしま ったのです。21世紀が仏教の言葉【少欲知足】(欲望を抑えて足るを知る) の精神を皆一人ひとりが持つような時代になればキット神様は人間のこれま での非道を許してくれるかも知れない、と思いまずは私自身でその精神を肌 で感じたいと考えました。その為にはまず偉大なる自然の中に一人落とし込 むことから始めようと、殆ど人が歩いていないと思われる【塩の道】を選びまし た。【四国八十八箇所巡礼】では道中で沢山の巡礼者と会ってしまい中々 “自然の中に一人”の環境が生まれないのではと判断して静岡県・相良町 から新潟県・糸魚川までの塩の道 350kmを選んだのです。』 |
しかし正直なところ、一人で350kmを歩くことに「本当に大丈夫か?」と一抹の不安が有ったのは事実だ。2004年12月に定年退職し自由時間が充分取れるので当初は20日間で一挙に350kmを歩いてしまおうと行程計画を作ったのだが、ワイフと母に猛反対され自分の年齢の事も考えて4回に分けて完歩する計画に切り替えた。それでも1日平均20kmを歩く事になるので、事前に神田・須田町から京葉道路を京成船橋まで歩く予行演習ま で企画していた。しかしタイミングよく友人から秩父の野辺山を歩きましょうと誘われ【桜の鐘つき堂山から円良田(つぶらた)湖のカタクリの花探索】のハイキングに切り替えて“事前トレーニング”を実施。そして当時は週に最低1回【スポ−ツジム】に通いながら足のトレーニングを重ねていた。今思い起こせばそれなりに準備をしていたからこそ、体調や足に異常を起こさず350kmを完歩出来たのかも知れない。 |
ほくほく線が越後湯沢のホームに滑り込むと、ホームの上にはこの折り返し特急を待っている人々で溢れかえっていた。殆どの人々が大型のリュックを背負っているので山登りなのだろうか。一段高い所にある新幹線のホームに行くと、そこは驚くほど人が少なく、一体皆どこに散ってしまったのだろうなんて考えていた。時間通りに入ってきた新幹線に乗り込む。車内は6割方の乗車率で、まだ昼近い時間帯なのでこんなに空いているのかも知れない。あっという間に新幹線は山を下り関東平野の北を東京に向かって疾走している。ふっとこんな考えが浮かんでくる。 「今、近代文明が創った“超便利なもの”を利用させてもらっているのだが、これは私の挑 戦、塩の道を歩いて【少欲知足】を体で学び取ることに矛盾してはいなか?」 すると、すぐにもう一人の自分が頭の中でこう言い訳をしている。 「早稲田大学での講演の時も言っていたではないか。この近代物質文明は止めること は出来ないと。“便利さ”を知ってしまった人類が今から“不便”な生活に逆戻りは 出来ない。人類が作り出す進歩はこれからも地球に取 っては“負の資産”となって 継続して積み重ねて行ってしまうだろうが、21世紀は人類の智恵でこの進歩を補 填する物や施策をどんどん作り出して行けばいい。つまり“2歩進んでも1歩戻る” 考えでその“戻る1歩”を創り出してゆくのだ。」 |
新幹線はすでに大宮の町を過ぎて世界一の巨大都市“TOKYO”に突入して行く。自分の生まれ育ったTOKYO、しかし“こころ”を失いかけて大きく壊れ始めているTOKYO、だけど私の大好きなTOKYO、今新幹線は私の故郷TOKYOに私をハイスピードで戻そうとしている。家がだんだん近づくに従って塩の道・一人行脚の総括が頭をよぎる。 「よかった! 本当に歩き切れて良かった。塩の道・一人行脚は私に沢山の事を教 えてくれた。まずは自然の偉大さを体で再認識できた。自分なんか小さい、小さ い。そして自然は優しいがとっても恐ろしい。小さな自分が生きて行けるのはこ のスッポリ包んでくれる大自然のお陰なのだ。あの山道で飲んだ“清水”は天の 恵みであったではないか!地球上の万物はすべて無駄なく自分の役割分担を 担ってきちっとサイクルを守っている。守らねばならないサイクルを勝手に壊してい るのは地球上でキット人間だけだ。そして私は一人で生きているのでは無く沢山 の人々のお陰で今の自分が存在している事を実感した。だからいつも他に対する 【感謝の気持ち】が大事なことをこの旅から教わった。掛川城の茶室で貰った“旅 のお守り”、そして恐怖の地蔵峠で釣人から貰った縁起物の“ 鹿の角”、そして歩 いている最中に心配して電話をしてくれた心温かい友人達、来馬の部落に入った とき熟れたトマトを差し出してくれたおばあさん、そして毎晩泊めさせていただいた 民宿の方々の心温まる持て成しと、思えば350kmの完歩はその地その地での 人様の優しさ、親切さに助けられながら出来たのだと感謝の気持ちで一杯である。」 |
新幹線が上野に到着、私は巨大都市TOKYOの雑踏の中に入っていた。自分の思っていたことを遣り上げたという満足感が何か自分に充実感を与えて家に向かう足取りを軽くしていた。「何と言ったって一番感謝しなければならないのは、こうして自由に私を旅に出してくれたワイフに対してだな」と心の中で思いながら玄関のドアを開け大声で叫んだ。 「ただいま〜〜〜〜〜ぁ!」 「おかえりなさ〜〜ぃ!」 |
<完>