文京区高齢者クラブ連合が昨年6月から「歴史探訪まち歩き」を企画し、今回で4回目になりますが、その都度ガイド役をお引受けして相当勉強を重ねることが出来ました。今年2022年は「森鴎外」の生誕160年・没後100年の節目の年ということで森鴎外の関係した場所を訪ね歩こうという企画でした。
5月31日(火)10:00鴎外が卒業した東京大学農学部の正門横がスタート地点となりました。今回の私のガイドも「よもやま話」的な解説をさせて頂いたのですが、皆さんから面白かったと好評でしたのでその一部分を紹介致しましょう。
東大農学部を出て「青年の散歩道」と言われる路地に入り【西教寺】から【願行寺】に到着した所で;
『願行寺には鴎外がお参りに来ていたお墓が有るのでご案内しましょう。こちらの寂れたお墓が「細木香以(ほそきこうい)」の墓です。この方は元禄の紀伊国屋文左衛門と比較されるほどに豪遊の限りを尽くした人物なのです。祖父(伊兵衛)は新橋で酒屋「摂津国屋(つのくにや)」を経営し財を成し、その後父の流池(りゅうち)が酒屋を閉めて加賀藩や米沢藩、広島藩など大名の御用達商人となり更に財を増やしました。俳諧を嗜み、劇場や遊郭に出入りし役者や舞妓のスポンサーとなり派手な世界に入り浸っていましたが、その子にあたる香以は父の派手な行動をしっかりと引き継いでしまったのです。ところで香以と鴎外との接点はどこに有ったのかに就いては「観潮楼」の所に行った際にお話しましょう。そんな香以は金を使い尽くし49歳で病死してしまいます。鴎外の時代以降は誰もこの墓を訪ねる人も無く、このように寂しいお墓となっています。』
願行寺の前の通り「青年の散歩道」は鴎外の小説『青年』の中に出てきますが、小説に書かれたようにそこを少し歩くと右手に【東京聖テモテ教会】が現れます。礼拝堂の中を見させて頂いた後、教会の前の道を暫く進むと急なS坂となり、そこを下ると【根津神社】に出ます。ここでは、根津神社の由緒を簡単に説明し、鴎外が日露戦争の戦利砲弾を奉納した際にその砲台で作った【水飲み場】や、鴎外や漱石が境内を散歩した際に腰掛けたと言われる【文豪の石】をガイドした後で「乙女稲荷」に繋がる「千本鳥居」を潜り中間点の所でこんなお話を始めました;
『皆さん、この石塚を御覧ください。これは徳川六代将軍「家宣」の「胞衣塚(えなつか)」です。ところで「胞衣」をご存じですか?昔の習慣ですが、お母さんが子を生むとその後に出てくる胎盤や赤ちゃんを包んでいた膜などを捨てずに庭などに埋める習慣が有ったそうです。しかし土に埋めるだけでは、後で犬などに掘り返されてしまうので、土の上に石を積んで「石塚」にしたり、それほど裕福でない家では玄関の敷石の下に埋めたそうです。この根津神社を創建した徳川五代将軍「綱吉」は自分の跡継ぎが出来たことを大いに喜び、末永く健康に生きることを願って【家宣の胞衣塚】を造ったのがこれです。』
この後【夏目漱石の猫の家】を訪ねた後に斜め前の坂を下って「薮下通り」に出ました。この道は本郷台地の東端を南北に走る脇道で左側には家が立ち並び右側は急な崖になっています。この細道が団子坂上に出る手前に見晴らしの利く【観潮楼】が在ったのですが、現在はこの地に【森鴎外記念館】が建っています。この地に来ると参加者の中から「ガイドさん、さっきの細木香以と森鴎外との接点に就いて話して下さいよ」と督促されて自分としては大変に嬉しく感じました。そこで小説家であり翻訳家、戯曲家、評論家そして陸軍軍医というお硬い世界の森鴎外と遊び人の細木香以との繋がりに就いて話し始めました。その要点のみをここに纏めて今回の「よもやま話」の締めと致します。
『何と鴎外が香以の墓を初めて訪ねたのは54歳(大正5年)で軍を辞任した年でした。鴎外は退職した後5年間に探墓した小説(掃苔小説)を沢山書いていますが、その中に小品『細木香以』があります。それによれば鴎外が香以の名を意識するようになったのはこの観潮楼が関係していたのです。鴎外の父(静男)が千住での医者を辞めて息子と一緒に住もうと千駄木近辺の家を探して居たところ、団子坂上の崖っぷちの所に見晴らしの良さそうな小家があり、その家の隣には美しい尼さんが居ると分かるとこの物件を買うことに決めたのです。家の持ち主を調べてゆくと何とその尼さんであることが分かります。そしてその家は俳人・細木香以の取り巻きをしていたことが分かるのです。香以は明治3年9月に他界しますが、翌年に一周忌法要がこの崖の上の小家で行われていたのですが、およそ20年後に鴎外の父がこの小家を購入した事になります。そしてその15年後に鴎外は思い出したように香以の墓を訪ね、そして掃苔小説『細木香以』を書き上げたのです。』
いやあ、よく調べられていますねえ。初めて知ることばかり、凄い。
TO:うめ太さま
ありがとうございます。文京区からガイド役を仰せ付かり、「よもやま話」的な事ばかりに興味がはしってしまうのです。しかし鴎外も文人や有名人の墓を調べ、その墓の謂れ(掃苔録)を調べて本にしていたそうでどこに興味があるかは人さまざまですね。
いえいえ、その「よもやま話」こそ、面白いんです。昔、観光バスが止まって、ガイドさんが
説明しているのを発見したら、その団体に混ざって耳を傾けたものでした。懐かしい。