ショートストーリー『カブトムシ君と一緒に』

令和4年の夏、7月も終わろうとしているある日、私は牛乳と野菜ジュースを買いに近所のコンビニに出かけた帰り道、大通りから路地に入った所で近所の奥さんがしゃがみ込んでいた。「どうされましたか?」と問いかけると、「見て!この植木鉢の所に大きな虫がいるの。私気持ちが悪くて掴めないの」と言う。よく見るとそれは大きな甲虫だった。私が「捕って私が貰っていいですか?」と問い掛けると、「もちろん、どうぞ、どうぞ!」と喜び顔で応えてくれた。私はその甲虫を牛乳と野菜ジュースの入ったビニール袋の中に入れいそいそと我が家に急いだ。

<「カブトムシ君」の住まいレイアウト

家に帰ると偶然にも息子が来ていて甲虫を見せると、すぐに倉庫に行って大型の甲虫を入れる籠(幅40X高さ25X奥行き20cmの透明プラスチック製)を持って来てくれた。息子一家では孫が毎年夏になると甲虫を飼っていたので飼育用のセット(丸太の木、餌入れなど)は持っていたので要領を弁えており、早速近所のスーパーに出向き籠の中に敷く木くずや餌となるゼリーを買って来てくれた。これで「カブトムシ君」の住まいも定まり私達との生活が始まった。ところでこの共生は彼に取って幸せなのだろうか、それとも私に捕まらずに自由に飛べる生活のままの方が幸せだったのだろうか。

深夜、異様な音で目が覚める。どこからかコソコソ、時々ガリガリと言ったような小さな音が聞こえるのだ。小さな音なのでどちらから聞こえて来ているのか分からない。ベットから起きてそぉっと耳を立てながら暗闇を少しずつ這う姿勢で音の方に体を進めてゆくと、何とカブトムシ君の籠からその音が出ている事が判明した。きっとエネルギーがみなぎってここ狭しと動き回っているのだろう。小さな懐中電灯を持って来て籠の中を興味深く覗き込んだ。どうやら中に入れてある丸太に齧り付いて樹皮を削り取っているようだ。黒い樹皮の小片がアチコチに散らかっている。

甲虫は夜行性で昼間はじっとしているが夜になると活動を開始するのだが、私は夜トイレに起きた時にちょいとカブトムシ君の行動を見るのが楽しくなった。ある日の夜中寝ている時、ブ〜〜ン、バタバタという音で目が覚めた。一体何事が起きたのかとカブトムシ君を見に行ったが、彼はヒックリ返ってバタバタと羽ばたいているではないか。かわいそうに思って手を突っ込んで丸太に抱きつかせてやったが、すぐに丸太をソロソロと登り始め、登りきった所でまた羽ばたいて飛び出したが、すぐ籠の壁にぶつかってひっくり返った。私に何かを訴えているのだろうか。やっぱり狭い籠の中で生活することは辛い事なのだろうか。外で自由に飛び回っていたってカラスなどの鳥類に見つかって食べられてしまうかも知れないのに。

水を吸った丸太にかじりつく

8歳の孫娘が時々我が家にカブトムシ君を見にやってくる。彼女は昆虫が大好きで何の抵抗もなく素手で昆虫を掴めるのだ。彼女が来るとカブトムシ君を手のひらに乗せて歩かせるのだが、カブトムシ君に取っては退屈していた時に構ってくれていい刺激となっているのだろうか。全く逃げようとはしないのだ。そして彼女は餌のゼリーの量をチェックし殆ど無くなっている状態なら新しいものに交換し、そして籠の中の丸太を中心に噴霧器を使って水を吹き付ける。甲虫を飼うには原則水分はいらないと言われるが、自然界で生きている場合でも雨が降る日は有るわけで、生き物には水分は必要だと思い2〜3日に1回噴霧器で丸太や床の木くずに湿り気を与えている。

丸太の下に潜る「カブトムシ君」

今年の夏は記録的暑さが続いていた。原因はラニーニャ現象によるらしいが、8月で35℃以上の日が16日も有ったのは過去最多だったそうだ。そんな中、9月に入ってもカブトムシ君は夜になると元気に狭い籠の中を歩き回っている。そして丸太の下の木くずの中に潜り込もうと角を上手に動かしている。その作業を繰り返している内に斜めに立てておいた丸太が横に倒れてしまう。カブトムシ君はその脇の木くずの中に顔の部分を埋めて朝を迎える。あたかも自分は力持ちであることを私達に知らしめているような行動に見える。私は何度横なってしまった丸太を籠の壁に立て掛けたことだろう。そしてカブトムシ君を掴んで丸太の上に乗せてやるのだが、その時に彼の持つ6本の足から力の強さが伝ってくる感じがする。

元気そうにするが足の向きが不自然

これまで2日毎に餌のゼリーを入れてやっていたのだが、9月半ば過ぎになるとどうも餌の減り具合がスローになったように感じる。「おい! おい!」と籠の中に手を突っ込んでカブトムシ君の背中を押すと、「まだ、元気だよ」と6本の足を動かす。ある日、丸太の付近に噴霧器で水をかけた後で、丸太の上に載せようとカブトムシ君を掴んで驚いた。カブトムシ君が何か軽くなった様に感じたのだ。そして足の動きがスローになったようにも感じる。それでも私が夜トイレに起きた時に懐中電灯でかごの中を伺うと餌のゼリーの上に齧り付いているようなので安心する。しかしゼリーは殆ど減っていない。

10月に入ったある日、夜は元気にバタバタ動いていたのにその翌朝カブトムシ君がひっくり返ったままでいた。驚いた私が慌てて彼を正しい姿勢に戻してやろうと掴むと、更にカブトムシ君の体重が軽くなっているように感じた。あたかも体の中が“がらんどう”になってしまったように軽いのだ。そして僅かに足を動かし、「まだ、生きているよ!」と私にシグナルを送っているようだ。「これはもう先が短いぞ」と感じた私は孫娘を呼んだ。彼女が飛んで来てカブトムシ君を取り上げると「本当だ、随分と軽いね!」と言った。孫娘は、僅かに足を動かすカブトムシ君を静かに丸太に乗せてやると自分の力で丸太に抱きついている。カブトムシ君は体の中の内臓を燃やしてエネルギーに変えているのだろうか。

「カブトムシ君」大往生

10月16日の朝、カブトムシ君は大の字にひっくり返っていた。びっくりした私は籠の中に手を突っ込んでカブトムシ君を「おい!」と触ってみたが、全く足を動かさなかった。ご臨終である。

私が朝刊を取りに玄関ポストに降りて行った時に丁度学校に行く孫娘に会ったので「カブトムシ君が遂に死んじゃったよ。今日学校から帰ってきたら、甲虫のお墓に埋めてあげよう」と言うと「ウン」と返事して登校して行った。

我が家には1階ガレージの後ろの小さな庭の片隅に、これまで我が家で夏を一緒に過ごしたカブトムシ君たちのお墓が有るのだ。孫娘が学校から帰ってきたので、孫娘がカブトムシ君を持ち、私はお線香とライターを持って1階に降りた。土を掘りカブトムシ君を静かに穴の中にいれて土を被せ、その上にお線香を立てた。お線香から出る煙がス〜ット上に向かって流れて行く。私と孫娘は静かに手を合わせて「なむ、なむ」と口ずさんだ。

カブトムシ君は我が家で2ヶ月半ほど一緒に居てくれたことになる。さっきお線香の煙が上の方に流れて行くのを見た時にフット思った事がある。我が家にはカブトムシ君と一緒に過ごした夏に関して沢山の思い出があるのだ。あれは今から10年程前になるが、我が家で購読している新聞配達所が夏になると「カブト虫プレゼント」を企画していたが、その頃3歳になった孫がいたのでジジババのアイデアで応募したのが始まりである。2015年の夏には、「孫がもう一人増えたのでオス/メスを2組貰えないでしょうか」とお願いし、それ以来4匹を飼う期間も有った。孫たちも大きくなったので、昨年からカブト虫のプレゼント募集には参加しなかったが、今年は私の前にカブトムシ君の方からが飛んで来てくれた。

そう、これまでに夏を一緒に生活したカブトムシ君たちはみんなこの墓に眠っているのだ。更に線香の匂いが私をシンミリとさせて、「そうだ、8月には旧盆があり、そして9月末にはこの地に楽しい祭りがある。その間、カブトムシ君は私たちと一緒に過ごす。きっとカブトムシ君は線香の煙に乗って【彼らの国】に帰って行ったのだ。だからきっと来年の夏にも、また【彼らの国】から飛んできてくれるかも知れない」なんて考えながら、日が落ちかけて薄暗くなったガレージを孫娘と一緒に離れた。

(完)

ブログ【カブト虫騒動】(2015年7月18日)はここをクリック。

コメントを残す