【第1章】私のホームページ物語
このエッセイは自分のホームページ(以下HP)の変遷を纏めてみようと書いたものである。私のHP歴も20年を越えたが、その間にその時代の汎用無料ソフトと取り組み自分なりに時代にマッチした物に作り変えながら来たのだ。そんな自分のHP史をここに書き残しておこう。
私が自分のHPの製作に取り組んだのは1999年(平成11年)の暮でした。その頃会社もHPが必要と話題に乗り始めた頃で、それならまずは自分で作ってみようと独自に取り組んだのが事の起こりでした。当時の無料ソフトのマイクロソフト製「FrontPageExpress」の解説書を片手にポツポツと製作を始め、丁度そのころ私は「油絵」を書き始めておりましたので「油絵紹介」のHPとしてキャッチフレースを「油絵仲間を探しています」としました。(第1世代)
2001年の夏にはひょんな事から「エッセイ」を書き始めていたので、そのコーナーも加え2003年7月に正式に「検索エンジン」への掲載を始めたのです。
2004年に入ると、私の講演記録を掲載する「スピーチ」コーナー、更に私が主催していた「文京を歩くかい」も回を重ねていたので、その記録を掲載する「ウォーキング」コーナーも設け、一応HPとしての体裁を整え始めました。この頃はそれぞれのコーナーで新しい記事が発生した毎に<更新のご挨拶>を添えてHPを皆さんに公開しておりました。今になってこの<更新のご挨拶>を読み返してみますと、その時代の世相や出来事が懐かしく思い出されます。もしご興味がございましたら下記のURLをクリックの上ご覧ください。
- 2004年1月~2007年12月
http://www.kazum.net/legacy_site/kousin04_06.html
- 2008年1月~2010年4月
http://www.kazum.net/legacy_site/kousinran.htm
2009年に入って私の机上パソコンをWindows系からMac系に変えたことからHPも斬新なデザインにしようと考え、当時の無料ソフト「Adobe Golive 6.0」を使ってTopページの構成から検討を開始しました。まづはTopページの最上段に「Adobe Flash Player」のソフトを使って5枚の写真が自動的に変わる様にして「動き」が観えるようにしてみました。また当時流行りだした”Web日記”スタイルの「Blog機能」を取り入れようと無料ソフト「Blogger」を貼り付けました。また「油絵」コーナーはソフト「Picasa」を使って編集し直しております。
従ってTopページの内容は、新たに設けた「更新情報」欄、そしてSubページに飛ぶリンク先を示す【ブログ】を読む為のボタン「Kaz’s Opinion」、【油絵】を見るボタン「Kaz’s Oil Painting」、そして私のYou Tubeページに飛んで【動画】が見られるボタン「Kaz’s Video」から構成されていてHPの題名を【Kaz’s Collection Museum】としました。(第2世代)
ところが2016年頃になると、Topページからリンクを張って各Subページに飛ぶ方式は何となく野暮ったく感じられる時代となりつつ有りました。野暮ったい理由は、HPを観る側に取っては、HPを開き「更新情報」欄を読んで、Subページに飛ばねばならず、大変に面倒な作業となります。この頃の新しいHPでは「スクロール機能」を使ってTOPページには絶えず新情報が掲載されていて、必要に応じてSubページに飛べばいいといった構成が斬新だったようです。
2016年5月に入って息子から斬新なHPに切り替えるならと無料ソフト「Wordpress」を推奨してくれました。このソフトは世界中のコミニティーによって開発が進められたオープンソースのブログシステムであり、専門の知識やプログラミングのスキルが無くても、独自のHPやブログを自力で立ち上げ、運営できる特徴があります。特記すべきは当時急速に「スマートフォン」が普及してきたのですが、何とこの「Wordpress」はモバイルデバイス用にも自動的に対応出来るので、スマートフォンのようなあの小さな画面でも私のHPが観られるようになるのです。そこで早速解説書【初めての簡単WordPress入門決定版】(秀和システム)の中古本を購入し勉強を始めました。 しかし私を焦らせるもう一つの理由が有りました。実はAdobeの方から「近いうちにFlash Playerのサービスを停止します」とのアナウンスがあったのです。私のHPのTopページにこのソフト使っているので早急に新たにHP製作が必要だった訳です。解説書を読みながら試行錯誤を繰り返し、時には息子のアドバイスを受けながら2019年(令和元年)5月8日にやっとのことで私のHP【New Kaz’s Collection】が完成したのです。本当に嬉しかったです。それが現在のHPで(3世代目)となります。
私がHPの「黎明期」から現在に至るまで、時代の変化に即応して取り組むことが出来たのは、我が息子がコンピュータ関連やインターネット関連の分野で高いリテラシーの持ち主である事が影の力になってくれました。本当に感謝です。
【第2章】悲憤慷慨編(2010年~2019年)
【第1章】で述べたHPの第2世代、つまり2010年(平成22年)から2019年3月(平成31年)の間に書かれたブログの中で「悲憤慷慨」的な内容のブログをここで何件かを抜き出し、その当時を回想したいと思います。
(1)「鯖街道」と2つの手紙(2010/8/6)
◆私は『鯖街道』を歩き、人間による自然破壊に大いに怒りを感じました。そしてそれに関して2つの手紙が行き来しました。最初の手紙は7月20日に私から「総合地球環境学研究所」に出状されたのです。
拝啓 暑中お見舞い申し上げます。
突然の出状をお許しください。小生はすでに年金生活者ですが、今年の5月連休明けの10日から3泊4日で「鯖街道・根来坂峠越え」を歩いて参りましたが、新緑に包まれた古道は大変にすばらしい景観でした。しかし一方で廃車や粗大ゴミが人気のない山道に激しく捨てられている姿に直面して大変にショックを受けて参りました。
突然に○○殿にお手紙する切っ掛けは、この鯖街道を歩いて4日目の最終日、鞍馬寺から鞍馬街道を京都に向って下りてまいりますと、二軒茶屋の町を過ぎて暫く行きますと、何と「総合地球環境学研究所」のバス停の所に出てまいりました。この時点ではこの研究所がどのような機関であるのか知りませんでした。
7月に入りまして「人間文化研究機構」主催のシンポジューム 7月9日『知の役割・知のおもしろさ』、そして7月16日『食・生物多様性と文化多様性の接点』に参加させて頂き、その時に貴研究所がこの機構のメンバーである事を知りました。小生はこのめぐり合わせに驚きました。そのシンポジュームにて各氏の講演を聞いたのですが、どうも専門分野が違うように感じまして、申し訳ないとは存じますがまずは○○殿の方に連絡を取ってみようと、出状させて頂いた次第です。
私が問題指摘したいのは、日本はこれから「観光立国」として取り組んで行くに際して、このように自然を破壊するような悲しい姿をまず取り去って行かねばと考えています。このような活動はどこの部署でしているのか?文部科学省ではどんな対策を考えているのだろうか?などなど、もし○○殿がお分かりでしたらご教授頂ければ幸甚に存じます。
ご参考に小生の駄文エッセイ『鯖街道・一人歩き』および自分で製作したDVDを同封してありますので、もしお時間が許したらその酷い一面をご覧頂ければと思います。
ご多忙とは存じますが、よろしくお願い申し上げます。
これからまだ暑さ厳しい折、ご自愛ください。 敬具
◆これに対して7月27日付けで次のようなご返事を頂きました。
拝復 先日はお便りを頂きまして、ありがとうございました。また人間文化機構のシンポにもおいでいただきまして、重ねてお礼を申し上げます。
さて、鯖街道でのゴミの不法投棄のお話、ほんとうに胸が痛みます。大型家電具の処分の有料化が始まってから、日本の里山から原生林まで、車道のあるところはゴミ捨て場なってしまいました。もちろん違法なので、警察に努力してもらうぐらいしか、当面の対策はないのだと思います。
「観光立国」として国土交通省から派生して環境庁が発足しましたが、そこまでは手が回らないのではないでしょうか。文部科学省はユネスコ担当なので、世界遺産などは視野に入っていますが、基本的には都道府県が具体的な対策を考えるしかないのが実情です。ただ、そもそも道徳教育がなっていないというなら、文部科学省の初等教育担当の部局も無関係ではありません。
わたしどもの総合地球環境学研究所では、地域に根ざした観光という問題には取り組んでおります。この秋に刊行予定の「地球環境学辞典」にも「持続可能なツーリズム」という項目を設けて、わたしが執筆しております。また沖縄などの南西諸島で、「地元の宝」を探す活動もやっておりますので、その成果本などをお送りいたします。
今後とも、よろしくご指導いただければ幸いに存じます。 敬具
(2)林秀彦著『日本を捨てて 日本を知った』に巡り会えて(2012/7/16)
6月の今にも雨が降りそうな蒸し暑い日だった。読む古本が無くなりそうなので、神保町に買出しに出た。そして3冊で500円の古本屋で購入した内の1冊がこの本である。筆者は売れっ子シナリオ・ライターで、テレビの脚本家として「ただ今11人」「7人の刑事」や「鳴子の海」などで活躍されたが、日本に絶望し、1988年にオーストラリアの山中に逃げ込んで10年目、外から観た日本に就いて書いたエッセイという。第1章「日本人はアングロ・サクソンを知らない」から強烈な日本人批判が始まるのだが、第2章「日本人は愛国心を知らない」の途中あたりから雲行きが変るのである。
彼が強烈な表現で日本人感を述べている前半の部分を纏めると;
『アングロ・サクソンとは、強盗団である。血も涙も無い、好戦的な野蛮人である。押しなべて「白人を見たら泥棒と思え」の認識は正しいのだが、中でもとりわけアングロ・サクソンを見たら人殺しと思ってよい。(略)それは彼らの生存する自然環境が、日本人が想像を絶するほどに苛酷だったからである。(略)南海の孤島の住民ならいざ知らず、ある程度の文化文明を創造しえた民族で、「窮地」を知らずに歴史を歩んだ民族は、日本人以外にない。そんな民族が「ポーカー民族(アメリカ人)」に勝てるわけも無く、世界戦略としての外交的剽悍(ひょうかん)と狡猾(こうかつ)に勝てるわけもない。畢竟(ひっきょう)、経済にも勝てないのである。』 しかし、筆者は映画監督・小津安二郎の映画作品『東京物語』を何度も観るうちに、役者のセリフから【一を聞いて十を知る】、日本語会話の深さに気づかされ、日本人は他の民族と比べ、たぶん二万年くらいよけいに進化した人類で、ガイジンたちはそのことに全く気づいていない、と日本人を褒めちぎっている。
そして文中『本当は、人間はみなかくあらねばならない。世界中の全民族が、日本人を見習わなくてはならない。しかし現実は、まだ違う。ガイジンらは常に血塗られた剣と、ポケットいっぱいのミサイルを誇示している。あと百年ほど先に、日本文明が世界の主流になる日まで、われわれはアチラ様の価値観に合わせなければならないのである』(108ページ)と書かれているのを読んで、小生の書いたエッセイ【日本復活私論】とダブってしまい、もし林氏がハプログループの研究結果「日本民族は特異なD系統」を知っていたらどんな書き方になっていたかと興味津々になって来る。
早速この驚きをオーストラリアの林氏に伝えようとメールを打電したが、住所不明でメールは届かない。インターネット検索で調べると、彼は2005年に帰国され2010年11月福岡県久留米市にて満76歳でお亡くなりになっておりました。 合掌
(3)次の選挙は「原発ゼロ」の候補から選ぼう!(2012/9/15)
まったく開いた口が塞がらない。9月14日、自民総裁選の5候補の演説を聞いたが、やはり期待はずれであった。まあ、この5人は普通人間(ありふれた人)で現在のような日本の局面を打開出来る様なスケールのでかい人物ではなかった。特に5人揃って原発ゼロには反対とは、お目出度い人たちと言えよう。
さらに輪をかけてお目出度い人がいる。何とか国民の意を受けて野田首相が180度考えを転換して、「2030年には原発ゼロに持って行こう」と方針を述べると、慌てて首相に「了承しかねる」と電話したという米倉経団連会長がそれだ。
しかし政府がやっと出してきた「原子力政策」にしても、原発ゼロ方針のもう一方で、敦賀市の高速増殖炉「もんじゅ」炉を研究が終るまで使用しその後廃炉とすると曖昧なことを言っている。
政財界の連中は「原発」というテクノロジーが如何に未熟で生命にどれだけ危険であるかを弁えず、ただただ人間の欲望を最優先にして「原発ゼロ反対」の発言を繰り返している。「原発ゼロ反対」の意見を主張している人の顔を見ると、やっぱり欲で突っ張った顔をされている。
地球は薄い大気層で覆われているからこそ、宇宙から飛び込んでくる放射線を遮断し、生物が生きられる青く澄んだ美しい星なのだ。なぜそんな美しい地球上で人間だけがシコシコと核分裂を利用した「原発」を続けることが許されるのか。地震の少ない国が開発した「原発テクノロジー」を地震多発国の日本がそのまま取り入れたのだから、バチが当たるのは当然である。
「原発」の本質を知るために【図解・原発のウソ】をインターネット古本で購入し一読されんことをお薦めしたい。そして近く来るかも知れない「総選挙」では「原発ゼロ」を主張する候補を選ぶようにしようではないか。その人が政治にどんなに素人でも「倫理」を踏まえた人物であれば、現在のような「政治屋」よりは益しであろう。
私も講演の機会が有る毎に「原発ゼロが正論」という付録テーマを設けて話させて頂いている。
その内容は; 人間が開発した技術に100%安全なものは存在しない。従いいつかは事故を起こす。その前提で「原発」は次の3点から【倫理に反している】ので,「原発ゼロ」の判断が正しい。
(1) 事故を起こせば他のすべてのエネルギーより一番コストが高い。
(2) 事故を起こせば1国に留まらず他国に被害を及ぼす。
(3) 事故を起こせば1世代で済まされず子供、孫の代まで害を及ぼす。
もう日本は事故を起こしたのである。
(4)遂に「衆院選挙」、国民力が試される!(2012/11/17)
いよいよやって来ました、国民が『ダメ政治』に意見を反映させることが出来るチャンスが。それも衆院選挙と東京都知事選の両方が12月16日(日)に行われる。さてその国民への最大のチャンスに私達はどのように臨めばいいのか。国会も政治屋だらけで、自分の首と面子のことしか考えず、国民を蚊帳の外に置いていたのだから、私達国民も、もうこれ以上過去に拘る人物や、あるいは私欲に走る人物はまず政治家としての器から外してしまおう。なぜなら、こんな時に彼ら議員さんも自分の延命の為か?自分勝手に党を作り、何やら新党が茲に来て5~6ケも生まれた様で、全部で15党ほどがバラバラと存在し、「数」を纏める為にどこと手を結ぶかで各党が躍起となっている姿は、ド三流の芝居を演じている役者に見える。 そんな状況下、私達有権者が一人ひとりが『立候補者に対する成績表』を作りその高得点者を今度の選挙で投票するようにしませんか。
その自分の成績表の中味だが、その候補者の政策が自分の考えに近いかどうかを判断出来るような項目で作り上げる。その【判断基準】の基となる課題項目としては、一般的に言われている、原発対策/TPP/増税(消費税)/金融/憲法改正/選挙制度/外交/教育などが挙げられようが、それに自分の判定の為に重要課題が別にあればそれを加えておく。その揃ったすべてのファクターを自分の重要度の高い順番に並び替えておくといい。更には政策だけでは無く、その人の持つ「人間性」や「倫理性」、そして「経歴」(育てってきた道程)なども一応チェックして採点に加えておくべきであろう。そして最も大事なことはその立候補者の推薦政党名を全く無視することであり、そしてその党首も無視することである。その総合判定の為には、当然の事として、まずは自分の選挙地区から出る立候補者の「趣旨書」にはジックリと目を通す必要がある。
一方現在の選挙方式では「小選挙区選挙」に加え「比例代表選挙」も在るので「党」を投票せねばならぬので、過去のサイズなど気にせず、これも旧党か新党かなどは無視して「党の主張」が自分の考えに近い党に投票する事にしてはどうだろう。
こうした結果として「多数党」が無くなり、どの党も「ドングリの背比べ」になってしまっても、それはそれでいい。そんな事は今我々が心配する事で無い。そんな状態が生まれれば、そこから次の道が生まれて来るのだから。私の考えを言えば、「もう、政治屋を選ぶな! 倫理観のある人物を選べ!」、という事は「国民の目線で仕事をする人を選べ。それが本当の政治家なり!」ということになろうか。
以上は「衆院選挙」での私の臨み方であるが、「都知事選」も全く同じ手法で人物を選びたいものである。そして国民一人ひとりが、そんな『立候補者の成績表』を作ると言った面倒な作業する努力を惜しまない事が、国民が政治を変えてゆく第一歩ではと思っている。
(5)これからは【人本主義】だ!(2013/1/16)
「人本主義」をご存知であろうか?
なぜ私がこんな事を考えたのか、その原因は雑誌「日経ビジネス 2013・1・7号」を読んだことにある。この号では「動き出す未来 シリーズ①」として【幸せな資本主義】と題し特集を組んでいた。その中に、これから世の中は、「株主主義」から「人本主義」に変って行くと書かれていて、岩井克人氏(国際基督教大学客員教授)が「株主主権の一人勝ちは終った」と述べていた。
しかし私はこの『人本主義の到来』を「社会の概念が変る」と言った狭義に捉えるのでは無く、「人間性を重んずる社会がまた到来する」と言った広義に捉えたい。
「人本主義」を国語辞書(新小辞林)で調べてみると、『すべての心理・知識は人間の要求・選択によって、生まれ制約されているという思想』でつまり「人文主義」とも言うとある。それでは「人文主義」とは何かを同じ国語辞書で調べると、『ルネッサンス期のイタリアに起こった思想で、ギリシャ、ローマを範とする人間性の発揚を強調する運動』でヒューマニズムと同義とある。
私はエッセイ【日本復活私論】の中で次のように説明している。
『欧米型人間中心主義(資本主義)は終焉を迎えつつあり、世の万物が持つサイクル〔誕生→成長→成熟→衰退→終焉〕から考えればこれまでの近代文明は行き詰まって、これからはD種族で且【森の民】である日本人が地球自然と共生する社会を返り咲かせる』と私見を述べている。その地球自然との共生社会の概念が私の言う【人本主義】である。つまり簡単に言えば「資本主義」の「資」である「カネ」を最優先にしていた世界から、文字を「人」に置き換えただけだが、「人」を最優先にするのが【人本主義】である。
今日もこれから東銀座の「築地社会教育会館」において、私は『日本は復活する・・・その為のビジネスモデルは』というテーマでスピーチするのだが、この「人本主義」に関しても話題にしてみたい。
(6)日本がおかしい、日本人を取り戻そう(2013/12/31)
遂に2013年最後の日を迎えた。昨日「年賀状を出してはみたがーー」という題でブログをUPしたが、これは安倍総理の突然の靖国参拝という出来事から私の出した賀状上の一言『日本復活』が間違って解釈されてはいけないと慌てて弁明をしたのだが、その弁明を後押ししてくれるような新聞記事を今朝見つけた。『大晦日に考える=日本人らしさよ=』と言う題の東京新聞・社説である。
頭だしの言葉が『“日本を取り戻そう”と安倍首相は言いますが、それよりも“日本人らしさを取り戻そう”と言いたい。そんなことを思った1年でもありました。』そして本文の骨子を要約すると、『今年印象深かった光景のひとつに、俳優高倉健さんの文化勲章を受けたときの会見で、「日本人に生まれて本当によかったーーー」。それを聞いて実に新鮮な感じを受けました。最近聞いた覚えが無かったからです。(略)そして健さんはこうも言いました。「一生懸命やっていると、ちゃんと見てもらっているんだなぁ」。日本人の倫理観を見事なほどに簡潔に述べています。勤勉を尊び、仕事は公正に評価される。うなずきつつ聞いた人もいたでしょう。(略)
日本人論といえば、作家の司馬遼太郎さんは、1991年文化功労者に選ばれたときの会見で、「どうして日本人はこんなに馬鹿になったんだろう。昔はちがったろう。ここからぼくの小説を書くことは始まった」と。(略)司馬さんは、明治を書くとことで、無謀な戦争の愚かさや、戦後の土地バブルのようなことは、断じて日本人らしくない、と諭そうとしたのでした。古い日本人をふりかざそうとは思いません。しかしそれは私たちの先人の知恵であり、振り返る価値のあるものです。(略)私たちは経済的に豊かな日本を取り戻すのか、それとも精神的に豊かな日本人らしさを取り戻すか、そこが見るべき岐路です。日本はいま自信喪失状態のようです。しかし政治にせよ、経済にせよ、日本人らしさを忘れているだけなのではないでしょうか。』といった内容でした。
そうです。来年からは私たち「個人」一人ひとりが「日本人らしく」行動して参りましょうよ。3・11のような大災害の時だけ「日本人らしさ」を発揮するのではなく、日常生活に於いても欧米の真似をして「経済の豊かさを求める」のでは無く、「人様のために生きること」で、それが自分の幸せに繋がると信じて行動して参りましょうよ。
もう一つ寝るとお正月
お正月には神酒飲んで、テレビを見ながらウトウトしましょう
早く来い来いお正月
それでは、よいお正月をお迎えください!
(7)やっぱし、「亡国」に向かうNIPPONか!(2015/11/23)
前の「悲憤慷慨(その1)」で「もんじゅ」に就いて悲憤したが、言い足りなかった。あの役立たずの「おばけ開発・もんじゅ」に年間1500億円使っていると言ったが、それでは「東日本大震災」の後に国家予算として一番大事な「被災者支援」にいくら用意したかご存知ですか。平成26年度の例で言うと年間1100億円ですよ。(復興特別会計の総額としては、平成26年で2兆2000億円。しかしその内で一番大きな数字は「原子力災害からの復興再生」に6600億円)。「被災者支援」を「もんじゅ開発」と比較して、こんな国の対応に納得できますか。被害にあった東北の方々を思うと、私には納得できません。
さて「悲憤慷慨」の(その2)は、そんなことやっている日本政府ですから、今、日本は「亡国」の道をまっしぐらに邁進していると思うのです。しかし明治の時代に、同じようなことを言っていた、つまり「こんなことやっていると日本は滅びる」と警告を発していた人物が居たことを知ったのです。この場合は「慷慨」でも「公害」が関係している話ですが。その人物の名は栃木県・佐野市生まれの【田中正造(1841~1913)】。彼は「足尾銅山鉱毒問題に取り組み、天皇にまで直訴した人物」だそうで、私が最も印象に残る彼の言葉、「国土の天産と自国の長所を捨てて、皆西洋にかぶれていると国は滅びる」と警告し、それを「畳の上に泥靴にて駆け上がる滑稽の有様」と形容したそうです。(小林裕著『真の文明は人を殺さず』小学館より)田中正造氏の指摘した通りその42年後には日本は太平洋戦争に負けて亡国しました。そして今まさしくNIPPONが再び同じように「西洋かぶれ」で突っ走っているのです。「国土の天産」とは”素晴らしい森の自然”を、そして「自国の長所」とは”人と和合してゆく精神”を忘れほけて、欧米の真似をこのまま続けてはならない。日本人よ、私たちは「Y染色体のDタイプのDNA」を持っている人類であることを自覚せよ!!
(8)ガソリンスタンドの脇で焚き火は誰?(2016/10/8)
ガソリンスタンドは「日本列島」、焚き火は「原子力発電所」。日本の島は地球を覆う岩盤(プレート)がぶつかりあって盛り上がって出来上がった「弧状列島」なのだ。そしてその割れ目からマグマが噴き出す火山は地球上の火山の1割がこの弧状列島に集中している。つまりは日本列島は岩盤のずれ込みの跳ね返りからくる地震や、火山の爆発で発生する地震で年がら年中「地震」に襲われて当たり前の「地震列島」なのだ。
「原子力発電」とはぶ厚い壁で覆った原子炉容器の中の水に「核燃料棒」を釣り下げて核分裂を起こす際に発する高熱を利用して作った水蒸気でタービンを回して電気を起こす原理だが、核燃料棒は揺れさせては危険なので、つまりは地震を最も嫌うのである。とすれば我々にとっての「原子力発電施設」は「原子力爆弾」と同じことになる。それよりもっと悪いことに「原子力爆弾」を破裂させるのは人間の判断である。しかし原子力発電爆弾は自然の力(地震)が破裂させるのだから手に負えない。そして最悪なことに「地震学」は全く何も解明出来ていない。これからも学者が一生懸命に研究を重ねても残念ながら正確な地震予測など出来ない「神の領域」なのだ。実は核分裂の領域も「神の領域」なので、我々が実体験した「福島第一原発事故」ですら5年の歳月が経っても全く目処が経っていない。なぜか? 全てが初体験であるから、その対策も「やってみてその結果がいずれ出る」といった状態なのだから。しかしそれぞれの対策結果が出るのが30年~300年のスパンだから研究者や事業者は無責任極まりないのだ。
現在日本列島にある原子力発電所爆弾は50箇所も有るが、直ちに「地雷撤去」と同様に「廃炉」に向かうべきと言えよう。現在稼働を始めている川内原発(鹿児島県)と井方原発(愛媛県)は地震メッカの「日本中央構造線」に隣接しており、数日前に原子力規制委員会が「適合」と審査判定した「美浜3号機」(福井県)は39年運転してきたもので、来月(11月)に40年満期を迎える高齢機で、これから後20年使うかもしれないのだ。いくら高齢者労働が当たり前の時代とはいえ、原発では堪忍してほしい。それこそ自然の力での爆発では無くて「自爆」の恐れすらあるからだ。そんな事態に陥っても、決して「想定外」と言わせない。 長々と話したが結論として、爆弾は撤去が原則だから「原発」は廃炉の道しか無いのだが、やはり電気エネルギー対策の一番は、国民一人ひとりの「電気の節約」に尽きるのだ。夜繁華街を照らすネオンの光など時間制限し、そしてテレビの24時間放映も夜中は放送を止めてしまうなど、孫の時代までを考えれば「原発対策」は沢山あるように思うのだ。みんなで考えよう!
(9)【2045年問題】『シンギュラリティ』なんて『信ギュラレますか?』(2017/1/28)
いま「2045年問題」が欧米で話題になっていますが、ご存知でしょうか。ところで「シンギュラリティ」(singularity)とは「特異点」という意味。数学的な特異点なら分母がゼロに近づくにつれて無限大になって行くような点、物理的な特異点はブラックホールのようなものだそうだ。そして技術的な特異点は「AI」が完成する2045年にやって来ると推測されているのです。これを予測したのはレイ・カーツワイルで、彼は「ムーアの法則」を拡張して「収穫加速の法則」を唱え、”コンピュータ計算能力は加速度的に向上している”と主張するのです。
現在のコンピュータはメモリに入っているプログラムを実行してゆく「ノイマン型コンピュータ」ですが、一方で全く異なる原理で動く「ニューロコンピュータ」といわれる「非ノイマン型」が研究開発されています。
人間の脳が140億個の「神経細胞の集合体」でありシナプス結合によって電気的パルス信号を伝達している構造と解明されていますが、まだ分かっていないのが「精神」と「魂」と呼ばれるものが一体何んなのか?なのです。しかし人間の脳の中は「神経細胞」のみで出来上がっていることが分かっており、140億個のニューロコンピュータが実現されば、きっと「知性」のあるコンピュータが出来上がり、そこに精神や魂が生成されて行くのではと考えられています。そして「知的レベル」がニューロン数に比例するとすれば、人間の脳細胞は増やせませんが、ニューロコピュータは幾らでも増やせるので、いずれ人間よりも知的なコンピュータが生まれても不思議ではありません。
つまりこれまでの炭素系化合物の「炭素人間」から、進化したシリコンチップ上の「シリコン人間」が生まれることになるだろうと言われています。(参考:リコー(株)広口正之氏寄稿)
こんな時代になれば、これまでの概念とは全く異なる「不連続な世界」に変わっていることでしょう。ロボットを使っていると思っているうちに、いつの間にかロボットに使われているという「パラダイムシフト」。
これが「シンギュラリティ理論」ですが、皆さん「信じラレテ~~~」おられますか?
私は「そうなってしまうだろう」と思うのです。何故なら2045年 になって大きく変わったとしても、それに気づかずに人々は過ごしてしまうのです。何故なら今から30年前に遡って考えれば、現在の生活など想像もつかなかったのですが、今はこの生活がたった30年の間にどんなに大きく変わったかなど気にせずに平然と毎日を生きているではありませんか。
(10)技術国の日本はこれで良いのか?(2018/5/16)
5月のある日の新聞に2つの記事が並んでいた。一つは「三菱航空機 資本増強へ」、そしてもう一つが「新型アイボも”ワン”ダフル」と言うもの。この2つの記事を読んで日本人として大いに不安と不満を抱いたのです。
三菱航空機の親会社「三菱重工」が資本増資で三菱航空機を支援する話だが、このプロジェクトは【日の丸ジェット】として2003年に立ち上げ経産省が巨額の補助金/融資で支援してきたが、やっと2008年(今から10年前に)実用機の開発に入ることができたが、しかし2013年の初号機の納入が出来ず、その後度重なる設計変更で5度も納期変更し、現時点では2年後の2020年に初納入の計画だ。(これもどうなるか全く見えない)当初予定の開発費2000億円に対して今では5000億円に膨らんでいる。競合のエンブラエル(ブラジル)やボンバルディア(カナダ)よりは早く市場に出せる優位点が今では消え欠けている。これまで447機の受注も納期遅れでキャンセルが続出で、こんな会社に更に増資して日本のためになるのか大いに疑問。三菱重工は、防衛・航空・宇宙・原子力の事業体で成り立っている「国策産業」だが、子供達に夢を与える企業として生き残れるのだろうか?
次に犬型ロボット「アイボ」に就いてだが、なんとソニーが1999年から生産開始し、旧製品が2006年までで15万台売れ、予期せぬ台数が売れたので新型アイボも多くの人から購入希望があると判断し、年初に本体を213,840円、新型はAIを使って独自の成長を楽しむソフトの3年分を97,200円で売り出したところ、4月中旬で11,111台の販売実績。 人間さまがロボットの成長を楽しむような時代にしていいのだろうか? 「生きている」という実感を大事にすることが人として大切な事だと思うのだが、ソニーよ! 売れれば、そしてルールを守っていれば何を生産しても良いという判断でいいのか! もっと21世紀のメーカーとして倫理的に考慮した製品作りに注力して欲しいと思うのだが。
(11)もう忘れたか? 原発の驚異(2019/4/16)
今日本は選挙カーが走り回る騒音の中にいる。いよいよ「統一地方選」がスタート、今度の日曜21日が投開票の日だ。原発脅威の県、福井県敦賀市の市長選でも「原発」に就いては議論を避けているという。理由は原発関係で働いている人々の票を意識している為という。
今日の新聞を開くと「福島第一3号機の核燃料取り出し作業開始」と記事が出ているが556本有る内で昨日4本を搬出し、完了は何と2年後の2021年3月予定という。まだ1号機には使用済燃料棒が392本、2号機には615本あり、これらの棒を引きずり出すのは2023年ころよりスタートという。この事だけでも私の生きている間には作業が終わりそうもない。それ以外にメルトタウンしたデブリは手付かずだがこれは一体どうするのか?どうなってしまうのか?どうやら私達の次の世代にお任せの結果となってしまったようだ。申し訳ない。
私は長崎生まれでもないのに「長崎楽会」に入会して10年近くになろうとしている。先月会員の方から分厚い本をお借りした。題名は「文明開化は長崎から」広瀬隆著 上/下2巻で読み切る為の借用期間は2年である。広瀬隆氏と言えば「東日本大震災」(2011・3・11)の1年前に「原子炉時限爆弾」という題名で出版した人物で、私は現在この2冊を並行読みしている。
「文明開化は長崎から」(初版2014年11月)の中で次のように書いた部分がある(上/P68)。『ポルトガル人 ルイス・フロイスが書いた「日本史」の中で1586年に起こった天正大地震における若狭湾(福井県)の大津波について、「大量の家屋と男女の人々を連れ去り、その地は塩水の泡だらけとなって、いっさいのものが海にのみこまれてしまった」と記述していた。にもかかわらず「この海岸線には津波は来ない」と軽佻浮薄の昼行灯揃いの電力会社のため、大津波到来を待つ若狭湾岸に14基が林立し、一触即発の日本となっているのが現在だ。』
2010年8月第1版の「原子炉時限爆弾」P69に次の記述がある。「実はこの最終原稿を書いている最中の2010年6月17日に、東京電力の福島第一原子力発電所二号機で、電源喪失事故が起こり、あわやメルトダウンに突入かという重大事故が発生したのだ。日本のマスコミは、20年前であれば、すべての新聞とテレビが大々的に報道しただろうが、この時には南アフリカのワールドカップ一色で、報道陣として国民を守る責務を放棄して、この深刻な事故についてほとんど無報道だった。」しかしこの本の出版後わずか7ヶ月後に福島第一原発でその通りのメルトダウン事故が起きたのだ。そして現在その後始末すら出来ずに、原発を再稼働しようと粉骨努力している政府/電力会社とは、一体何を考えているのだろうか。つまりはただただ国(最悪は地球)が壊れる日をジット待っているのだろうか。自分の生きている間は起きないことを信じながらーーーー。
<完>