
7月18日(金)に24回目となる【文京を歩くかい】が実施されましたが、実は2日前の16日は朝から大雨の為に予備日としていた18日に実施となったのです。この日は朝から快晴の「真夏日」となりましたが、予備日の開催となった為に6名の方々が欠席となり参加者は5名となりました。今回のコースに就いてはブログ(http://kazum.net/wp/2025/05/30/20250530-blog/)でご案内済ですが、JR池袋東口交番の脇に集合し、そこから「護国寺」を目指して歩き始めました(14:30)。途中で「雑司が谷霊園」に入って、「夏目漱石墓」、「ジョン万次郎墓」を回りながら、次に大通りの反対側に有る護国寺墓地に入って「コンドルの墓」(東大の建築学教授で鹿鳴館、ニコライ堂、岩崎邸、旧古河邸などを造った建築家)を回って護国寺・本殿に到着(15:10)。

この日(18日)は「月の御開帳日」と重なった為に、当初予定していた僧侶による本殿内のガイドを受けることは出来ませんでしたが、堂内に入ると丁度「開帳法要」が始まっておりました。祭壇正面の厨子の幕が左右に開き「如意輪観音」が姿を表しておりましたが、僧侶の読経が終わると同時に幕は閉められて御開帳が終了。私達も本殿から出て脇にある東屋に移動して休憩を取りました。気温35℃を超える暑さで周りには誰もおらず、セミも鳴くのを止めているようで静寂に包まれたひと時でした。
一休みの後、東屋を出ると再び強烈な太陽光線が体に降り注ぎます。次は不忍通りに出て左手に折れて「富士見坂」を上り「春日通り」との交差点に出て右折し、春日通りに沿って地下鉄・丸ノ内線「茗荷谷」駅を目指します。駅の所で右路地に入り「茗荷坂」を下ると左側に「林泉寺」のビルが現れます。

「しばられ地蔵」はこのビルの3階に鎮座ましており、そこへはエレベータで上がれますので今日のようなクソ暑い日には大いに助かりました。しばられ地蔵を挟んで記念写真をバチリ。
次は隣の「滝沢馬琴墓」がある「深光寺」へ。ここから次は地下鉄・丸ノ内線のガードを潜って“藤寺”として有名な「傳明寺」に立ち寄りました。藤棚の前にある急な登り坂「藤坂」をフウフウ言いながら登ると再び春日通りに出ます(16:10)。出た所の道の反対側が桜並木で有名な「播磨坂」になりますが、私達はここから春日通りを東進し「伝通院」を目指します。

しかし今日は風が吹いていてビルの影を歩いていると気狂い的な暑さがそれほど気になりません。むしろ風が涼しく感じさせて気持ちが良いくらいです。
茗台中学校ビルの前を通過し、暫く進むと反対側に都立竹早高校が出て来て、その先の伝通院前交差点を左折し伝通院の鎮守寺「澤蔵司稲荷」に到着(16:40)。
本殿に上がって住職から澤蔵司稲荷の縁起について30分程お話を伺いました。澤蔵司稲荷は小石川台地の突端に位置し、この周りには多くの文化人(宮沢賢治、島木赤彦、幸田露伴/文、円地文子、井上哲次郎、野間宏などなど)が住み、そして本殿の脇にはポッコリ凹んだ窪地があります。そこがパワースポットと言われている霊場【おあな】で、そこには狐が住んでいたと言われる穴が残っており、その上にある祠で皆で手を合わせてパワーを頂きました。


また江戸時代の話ですが、松尾芭蕉が神田上水工事に参加していた頃、遠くにこんもりと小石川の森が見え澤蔵司稲荷の方向を眺めながら芭蕉が作句してたそうで、その句が書かれた石碑が今も敷地内に残っています。
一時雨 礫や降って 小石川 (にわかあめ つぶてやふって こいしかわ)
「つぶて」とは小石のことで、雨粒が激しく降ってくる様子が小石を投げつけるようだと例えているそうですが、澤蔵司稲荷の場所が「小石川」に在るので、チョイト洒落ているいのでしょうか。
そこから善光寺坂を下って小石川柳町の商店街を歩き、次の「こんにゃく閻魔(源覚寺)」へ(17:20)。今日も猛暑の中を無事に歩けた事に感謝し閻魔様に手を合わせましたが、賽銭箱の脇には沢山の「こんにゃく」が積み重なっていました。「こんにゃく閻魔」と“こんにゃく”との繋がりに就いては https://b-kanko.jp/spot/254 をクリック。
さあ、いよいよ待ちに待った懇親会場の中華飯店「味菜里」に向かうのですが、冷たいビールが頭にちらつくと、皆さんの足取りも軽くなっているように感じられます。味菜里のドアを開けて正面に用意されていたテープルに皆さんが座るやいなや、「乾杯!」。 冷たい冷たいビールが火照った体にジーンと染み込んで行きました。
本当に暑い中、ご苦労さまでした(17:40)。