老年期=その2=を書き上げたのが2018年末でしたが、それから早くも8年目になっております。まだまだ書く力が残っているようなので、引き続き2019年(75歳)からの5年間を老年期=その3=として纏め上げることにしました。

2019(平成31)年の元旦は日本晴れでチョット暖かめで迎えることが出来ました。
今年は4月から新元号「令和」に変わるので「新時代の幕開けの年」と言われていますが、私は1月1日のブログで次のように書いています。
「私は近所の沢蔵司稲荷にて『越年・新年大護摩祈祷』に参加して108つの太鼓の音を聞きながら1年の邪念を振り払い、新しい気持ちで新年を迎えました。ちょっと寒い夜道を我が家に向かいながら、静かに元旦を迎えられたことが大いなる喜びです。今年も平穏で当たり前の一年でありますように。」
1月12日の【SFM研究会】が「東京夢の島マリーナ」において開催され、昨年6月に実施したひとりサイクリング【酒街道】に関する講演をさせて頂きました。講演後に私の選んだ日本酒5種の試飲を皆さんにして頂き「きき酒アンケート」をさせて頂きました。

そのアンケート集計で、香り一番が『角星酒造・特別純米【水鳥記】(気仙沼)』、二番が『竹の露酒造・純米吟醸【白露垂珠】(鶴岡市猪俣)』、最も辛口が『金の井酒造・特別純米【綿屋】(栗原市一迫)』、そして一番人気は『出羽の雪酒造・大吟醸【ひやおろし】(鶴岡市大山)』、平均的評価だったのが『男山酒造・特別純米【男山】(気仙沼)』という結果でしたが、皆さんで大いにテーストを楽しみました。 2月16日の【江戸連】2月講にて「“塩の道”から“酒街道”」と題して「ひとり旅の魅力」について講演をさせて頂きました。3月には【酒街道】踏破の為に購入した「我が自転車ロールスロイス」を無駄にしない為の「ひとりサイクリング」の2回目として【江戸六地蔵めぐり】を実施しました。

江戸から出ている街道口に鎮座する地蔵さんを巡るのですが、朝6時に自宅を出発、まずは東海道の品川にある「品川寺(ほんせんじ)」に南下し、それから北に向かって甲州街道口の新宿御苑前の「太宗寺」へ、次は中山道口の巣鴨「真性寺」へ、次に旧奥州街道口にあたる浅草・吉原の「東禅寺」を通って、次が水戸街道沿いになる江東区・深川の「霊厳寺」を訪ねました。最後の六番目は千葉街道沿いの門前仲町の「永代寺」だそうですが、今は“廃寺”となっているので、その側の「深川不動尊」を訪ねて帰路に向かい、途中小名木川に掛かる「たかはし」のところで休憩をとり、15:45無事に帰宅しました。
4月に入ると【経営者メンタークラブ(元ITECメンタークラブ)】が10周年を迎え、記念誌上で私のメンター体験を書かせてもらい、その最後の文章で「メンター精神」とは『ベンチャー企業や中小企業と継続的・定期的に交流を図りながら信頼関係を作り、助言や諸活動の指導を通じて精神的かつ社会的な成長を支援して行けるように取り組んで行く』と述べています。

5月のGWを利用して元号が「令和」に変わった事でもあり、私のホームページも気分一新を図ろうとデザインの全面変更に取り組みました。レイアウトの無料編集ソフト「WordPress」の入門編を読みながら何とか作り上げました。この新しいソフトは“レスポンシブルデザイン”となっているのでスマホでも見ることが出来るので嬉しいです。
6月7日午後3時過ぎに突然体調がおかしくなったのです。体を休めようとベッドに横になると目まいがして吐き気が襲ってくるのです。この症状をインターネットで検索すると【陽性発作性頭位めまい症】と判明、早速飯田橋にある救急病院に駆け込むと、2時間ほどの点滴を受けて信じられないほどケロリと治っておりました。

実は昨年6月に完走した【酒街道】ひとりサイクリングのエッセイを昨年11月頃から書き始め本年5月に書き上がったので、2010年にトライしていた【鯖街道】独り歩きと2011年3月に起きた「東日本大地震」の後に書いた【日本復活私論】のエッセイ3本を纏めて本にしようと「文芸社」と話を進めていましたが、8月に入って正式契約を結び発刊は来年2月と決まりました。私が2013年から5年間「織田学園」に勤めさせて頂いたのは、この出版資金に充てるという目的が有ったのです。
9月26日、ひとりサイクリングの第3弾として【六阿弥陀詣】を実行に移しました。永井荷風の短編随筆『放水路』の書き出しの部分に「大正3年の秋の彼岸に六阿弥陀詣を試みた」と書かれていますが、荷風が歩いた順番とは違って私は我が家から自転車で走りやすい順番で回ることにしました。朝6時に家を出発し、まずは旧古河庭園の裏にある「無量寺」へ、次に王子駅前を通過して北区豊島の「西福寺」に寄り、ここで朝食を取り、次に足立区江北の「恵明寺」へ、ここから田端駅を目指して「与楽寺」へ。

この後は不忍通りを南下して池之端の東天紅の裏にある「常楽寺・別院」に到着。ここからは東京スカイツリーを目指し押上駅前に出て最後の「常光寺」に到着したのが午前10:25。そうして何と昼前には家に戻れたのです。
10月21日(月)【例の会】のゴルフ・コンペが「オリムピックC.C.レイクつぶらだコース」にて開催され、私が45/47で優勝、そしてワイフが57/54で準優勝し、夫婦して何とも素晴らしい一日にすることが出来ました。
2020(令和2)年の正月三が日は好天に恵まれ穏やかに過ぎました。4日は【江戸連】主催の「東久留米七福神めぐり」に参加しました。

午後1時に西武池袋線「東久留米」駅に集合して、そこから南に下って歩き出し5分ほどで「落合川」に突き当たり、ちょっと上流に向かうと「南沢湧水」に出ますが、その水の透明さと水量の豊かさに東京都内にこのような清流が存在することに驚かされました。
1月末に確定申告の書類作りに入った時に、「石坂の家」の経営(賃貸業)も順調に来ていることから「この際、世の為に何かせねば」と考え、ユニセフの「マンスリー・サポート・プログラム」に参加することに決めて「つなぐよ、こに」に電話を入れ、毎月3千円を寄付することにしました。
2月に入ると世界を震撼させる出来事が起こります。その最初は小さな出来事から始まりました。2月3日、横浜港に入って来たクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」の船内で「新型コロナウイルス」感染者が見つかり、感染の広がりを抑える為にすべての乗船者を下船させずに船そのものを隔離したのです。

しかし今回の出来事は船内で起きた単なる事件では済まされず、中国・武漢を発生源として全世界に向けて「新型コロナウイルス感染拡大」という大事件に発展して行きます。2月にフランス・イタリアに拡がり、3月中旬には更に世界各地に感染拡大してゆく情勢を見て、ついにWHOが「パンデミック」相当と宣言したのです。8月の時点で世界の感染者数は2000万人を超え、死者数は70万人に達し、国別の感染者規模の大きい順に、アメリカ/ブラジル/インド/ロシア/南アフリカの順となっており、日本の感染者数は5万人、死者は1000人を超えました。

そんな情勢から2月〜3月の集会は全て中止となり完全に「巣篭もり生活」に変わっていました。しかし孫たちがマスクして家にじっと居る姿を見てかわいそうに思い近所への散歩に連れ出しました。3月6日には「小石川植物園」に行き咲き誇る梅林の周りをはしゃぎ周り、4月3日にはジジとババで孫を誘い出して東大の「三四郎池」から池之端「不忍池」を散歩しましたが、人は疎でスカイツリーが真っ青な空に突き刺さっていました。
そんな環境下、5月に入って【例の会】ゴルフ・コンペが「オリムピックC.C.レイクつぶらだコース」で行われ、今度は我がワイフが優勝し私が準優勝と、昨年の秋のコンペに引き続き夫婦二人して素晴らしい一日を作り上げたのです。
学校の夏休みが終わろうとする8月29日に1泊2日の家族旅行に行きました。コロナ禍の中では「三密」(密閉、密集、密接)を避ける様にと忠告されているので、それらをしっかりと考慮して旅程を検討しました。息子が「坂東三十三箇所」の札所巡りをしている途中なので、その最も北に位置している三十三札所の「八溝山・日輪寺」に寄りながら、宿は北茨城の「うぐいす谷温泉・竹の葉」と決め、「三密」を意識して19畳の大広間「万両」を予約して、更に往復の足の便にも「三密」を考慮して自家用車「アウディ」ではなく車内スペースが十分取れる「トヨタ・ベルファイア」をレンタカーするなど気の入れようでした。

10月に入ると我が家の玄関先にある金木犀の白い花が咲きいい匂いを撒き散らしています。
5日が息子の誕生日ですが、11日に私の油絵を展示してくれている地下鉄・東西線の「妙典」駅前の焼肉「城」にて誕生会を行いました。私は自分の油絵と3年振りのご対面でした。
我が絵が飾ってある下のテーブルで美味しいお肉を腹一杯楽しみました。
24日(土)に花奈加の七五三祝いで乃木神社へ、そして28日は10何年振りかでワイフと映画を見に出かけました。孫たちから面白いからと勧められ「鬼滅の刃・無限列車編」を観に上野東宝シネマに行き(料金はシニアで@1200円)、そして31日の「ハロウィン」では花奈加が仮装姿で3階を訪れジジ・ババを大いに驚かせました。

11月1日花奈加の「ピアノ発表会」で2曲目は功乃助との兄弟連弾を披露しましたが、なかなかの出来でした。3日はババの誕生日で3階玄関前のスペースでバーベキュー・パーティを行いババは大喜びでした。15日(日)にはコロナ禍対策として政府が行った【GOTOトラベル】を利用して老人クラブ「田町みのり会」による「海の幸を満喫する北茨城の旅」を企画しました。【GOTOトラベル】による補填は一人当たり宿泊代6300円で、更に地域クーポンとして一人当たり2700円が出るので合計9千円ですから大いに助かりました。宿泊場所は北茨城の旅荘【竹の葉】を利用し、丁度名物の「あんこう鍋」のシーズンでもあり温泉と美食を大いに楽しむことが出来ました。
12月12日(土)午後3時から【SFM研究会】に於いてZOOMによる「出版記念講演」を開いて頂きました。この講演では拙本【翁の街道ひとり旅、そして夢想】が私にとって4冊目の出版なので、その経験を通して「出版文化とその変遷」をテーマにお話をさせて頂きました。特に「出版業界の流れ(本の流れ)」に関するお話には皆さん大いに興味を持って聞いていただけた様です。
夏の家族旅行の際にレンタカーした「トヨタ・ベルファイア」の広い居住性が気に入り、また孫たちが大きくなった事も考慮すれば、現在の「アウディ」では車内が狭すぎるとして、諸事情を検討した結果「トヨタ・アルファード」に変えようという事に決まり、年の瀬の迫った27日に息子夫婦が車ディーラーに引き取りに行っており、新しい車で新年を迎えることが出来ます。

2021(令和3)年は「コロナ禍」の中でスタートしました。1月7日(木)に頼りない菅義偉(よしひで)総理が何とか【医療崩壊】を来たさないようにと2回目の【緊急事態宣言】を1都3県に発令しました。13日になると私の右目に何か違和感を感じ軽い肩こりと頭痛を感じていたので早速西巣鴨の「おはらざわ眼科」で診断を受けましたが、眼球には異常はなく、単なる「眼精疲労」でしょうとの診断でした。多分長時間に亘りパソコンのモニターを使ってエッセイ書きなどの仕事に集中しているのが原因で有ろうと判断して、パソコンの脇に『午前、午後、夜、使用は各1時間を厳守!』と書いた紙を貼り付けました。
2月に入って「確定申告」の準備に入りましたが、今回から息子のサポートを受けながら「e-Tax」にて電信にて納税を完了しました。また2月23日(火)は朝から春の様なポカポカ陽気でしたので、第4弾「ひとりサイクリング」で深川・芭蕉庵跡地まで走りました。
5月4日GW中の「みどりの日」に息子と孫二人を誘って4人で「水元公園」までサイクリングに挑戦しました。我が家から片道およそ16kmで9時半に我が家をスタート、行程は言問通り→谷中→寛永寺橋→金杉通り→三ノ輪→日光街道→千住新橋→四家(よつや)→飯塚橋→水元公園、と走りましたが、途中での小休止を2回取り目的地到着が12時10分過ぎでした。帰路は岩槻街道から水戸街道に出て東向島で明治通りに入り白鬚橋を渡ってすぐに私の両足がつってしまうハプニング。20分ほどの休憩を取り、足は元に戻ったので明治通りを三ノ輪の交差点に出て、それからは往路と同じルートで自宅に戻ったのが午後3時過ぎ。今回の往復30km強のサイクリングでヘトヘトになったのですから、やはり歳には勝てないなぁと体力の衰退を実感した一日でありました。

9月27日(月)「文京区高齢者クラブ連合(以下“文高連”)」が主催の【文京区歴史探訪:小日向台地を歩く】の企画に私はガイド役として参加しました。地下鉄・丸の内線「茗荷谷」駅前に集合し、10名ずつ2班に分かれて歩き始めました。行程は林泉寺・しばられ地蔵→深光寺・滝沢馬琴の墓→拓殖大学と桂太郎→鼠坂→鷺坂→江戸川公園→大洗堰、と歩き最終地の細川庭園に到着が午前11時半、秋晴れの中、大変に楽しいウォーキングでした。
10月21日(木)にも引き続き【文京区歴史探訪:本郷文士村を探る】が開催され、再びガイド役で参加しました。

地下鉄・丸の内線「本郷三丁目」駅に朝9時に集合し、そこから「かねやす」→「本郷薬師」→「真光寺跡と十一面観世音菩薩」→「桜木神社」→「石川啄木旧居と喜之床」→「真砂中央図書館」→「坪内逍遥旧居跡」→「宮沢賢治旧居跡」→「菊富士ホテル跡」→「真砂遺跡」→「本妙寺跡」→「赤心館跡」→「樋口一葉の桜木の宿」→「法真寺」→「金魚坂」→「燕楽軒跡」→「見送り坂と見返り坂」→本郷三丁目に戻ってきました。私のガイドは名所旧跡のところに立っている「説明板」に書かれていることは簡単に説明して、むしろその場所、人物に関係したエピソードを多く話す様に心がけています。なぜなら私のこれ迄の経験から、聞き手の方々は私の話す「よもやま話」の方に大変に興味を持って聞いてくれるからです。例えば「坪内逍遥旧居跡」のところに来て私の「よもやま話」として次の様な話をしておりました。
『逍遥の凄いのは、そこの説明板にあるように「小説神髄」や「当世書生気質」などを書いた近代文学の創設者ということ以外に、東大生のときから根津遊郭に通い詰めた挙句に遊女の「花紫」を妻に迎えるというその一途なところで、さらに私が感心してしまうのは、学生の分際でありながら遊郭に通い詰める財力がよく続いたものだという点です。この高台からこの方向のすぐその先に同時代に樋口一葉が住んでおりました。彼女がもしこの下の「炭団坂」を上がって来て逍遥に偶然出会っていたら、そして逍遥が「小説の書き方を私がお教えしましょうか」なんて一葉にアプローチしていたら歴史は変わっていたかも知れませんね』

11月17日(水)に第5弾となる「ひとりサイクリング」で新宿区内の「落合」を巡って来ました。この地は神田川と妙正寺川が落ち合うところからそう呼ばれる様になったとそうです。明治になって武蔵野の面影を残し、のどかな田園と閑静な住宅が広がり、過密化が進む都心を離れ静かな地を求め多くの文化人が移り住み、大きな「文化村」となったそうです。今回は記念館巡りの様なもので、まずは「中村彝(つね)アトリエ記念館」、「佐伯祐三アトリエ記念館」、「林芙美子記念館」、そして帰路の途中早稲田にある「漱石山房記念館」に寄って参りました。今回新宿区の最北端に「落合」という小洒落た素晴らしい一角がある事を知り、この地には60名以上の文学者や芸術家が足跡をのこしているそうで、改めて「落合文化村」を訪ねてみたいと思いました。
12月に入って、大掃除の準備として我が家の風呂場天井が急斜面のガラス張りで出来ているので、その傾斜面の汚れを取るのに頭を悩ませていたのですが、息子がネット上で「窓拭きロボット」を見つけたので、それを購入し実際に使ってみましたが、それが大成功!
大晦日の日に、やるべき作業の全てを終えて一風呂浴び、その後まだ陽が残っていたのでワイフは風呂場の電灯を点けずにお風呂を楽しんでいたようです。彼女が風呂を出たら二人で今年“最後の晩餐”が始まるのです。その前のわずかな時間で『私の今年の10大ニュース』を選び時系列的に書き出してみました。

・e-Taxにて「確定申告」(2月)
・シンガポールの友人佐々木氏との10年ぶりのメールやり取り
(2月)
・孫たちと「水元公園」へサイクリング(5月)
・息子一家と長野墓参と湯田中温泉での一泊(8月)
・敬老の日に「田町みのり会」によるウォーキング&うなぎ弁当
(9月)
・文京区高齢者クラブの「歴史探訪街歩き」で小日向台地巡りのガイド役(9月)
・「ひとりサイクリング」で新宿・落合探訪(11月)
・新宿の呑み処「よたろう」にて忘年カラオケ大会(12月)
・東十条スポーツジムの駐車場で自らの接触事故(12月)
・30年以上続いた「例の会ゴルフコンペの最終回」にて第3位入賞(12月)

2022(令和4)年の正月は息子一家が新潟に行っており順子と二人での静かな元旦を迎えました。いや静かではなく、孫たちが飼っているインコ(サクラとラムネ)を預かっているので、その鳴き声で賑やかだったのです。6日(木)にワイフの弟・実さんが入っている「医心館」(世田谷区経堂)に頼まれ物を届けに出かける時にチラチラと雪が舞っていました。見舞いに行っても「コロナ禍」の為面接は出来ずに物を預けてすぐに帰らねばなりません。帰路の途中、三宅坂交差点付近に来ると大粒の雪が降り始め、先方の最高裁判所の建物が霞んで見えます。翌日の朝、我が家の前の石坂が積雪10cmで真白になっていました。 1月9日に【江戸連】の1月講として「新宿山の手七福神めぐり」に参加しました。参加者は26人で、「コロナ禍」による巣ごもり生活でストレスが溜まり発散したくて大勢の参加となったのでしょう。このウォーキングで沢山の発見がありました。スタートは神楽坂の「善国寺(毘沙門天)」から始まり次は「経王寺(大黒天)」、そして東新宿の「稲荷鬼王神社(恵比寿)」→「永福寺(福禄寿)」→「厳島神社(弁財天)」と周り六番目「法善寺(寿老人)」に来てその隣にある「西向天神社」に寄った時、何とも大きな“気”を感じたのです。

繁華街の新宿のそばにこんなに広大な社寺敷地がある事に驚かされ、敷地内に立派な「東大久保富士」と呼ばれる富士山があり、江戸時代には富士講の地として有名だったそうで二代歌川広重の【絵本江戸土産 八編】の中に描かれています。また太田道灌の【山吹伝説】の謂れの地であることや、藤圭子の「新宿の女」の碑も有る事を知り、いやはや色々な事に巡り会えた七福神巡りでした。
今年は森鴎外の生誕160年・没後100年に当たる事から、「文高連」の【文京歴史探訪】の企画として「森鴎外の地を歩く」が組まれ今回もガイド役で参加致しました。5月31日(火)朝10時に森鴎外が卒業した「東京大学農学部」の正門前に集合しましたが、残念ながら小雨模様ではありましたが、17名の参加でした。行程としては鴎外の小説【青年】に出てくる「青年の道」を歩き「願行寺」から「東京聖テモテ教会」→「根津神社」→「徳川家宣の胞衣(えな)塚」→「森鴎外記念館(観潮楼敷地)」と歩いてお昼前に解散となりました。

9月11日(日)、【江戸連】9月講で私が「感染症の歴史と江戸時代の施策」というテーマで講演をさせて頂きました。会場は青山にある「東京ウィメンズプラザ」会議室で行われ、同時にZOOM発信されました。コロナ禍において「巣ごもり生活」が強いられ毎日不安なストレス生活の中で私は「新型コロナウイルス」に関連してエッセイ【新しい時代の入り口】を書き上げておりましたので、またその時期に感染症関連の書物を6冊ほど読みましたので、私としては今回の講演内容がそれなりに纏まっていたと自負しているのですが。
10月10日(月)孫・花奈加の2回目のピアノ発表会で発表曲は「ゴーストバスターズ」を演奏し、2曲目は父親・健一との連弾で「聖者の行進」を演奏しましたが、上出来だったと思いました。

11月21日(月)はワイフと息子・健一と3人でチェックメイトC.C.にてゴルフをしましたが、思いがけずに親子での最高の一日を体験出来たのです。前の日の日曜日が雨降りで、どうなることやらと心配していたのですが、月曜の朝も雨がシトシト。「運を天に任せて、まあ兎に角行ってみよう」と言う事でゴルフ場に向かう事にしたのです。ゴルフ場が近づくと何と、何と雨が止んだではありませんか。ゴルフ場に着いても人が少ない様です。3人でスタートホールのティーグランドに行くと、私たちが一番スタートのようです。3番ホールに来て後ろを見ても、後ろの組が来ていない様子。下界から白い雲が黙々と上昇して来て、あたかも私たちが雲上でゴルフをしているように錯覚してしまいます。

名物ホールのパー5のホールに来るとフェアウエイの遥か先に野生の鹿が数頭いるように見えます。近くへ行くと親子でのんびりと日向ぼっこをしている様で逃げようとしないのです。ワイフが喜んで鹿に近づいて行ったので記念写真をパチリ。最終18番ホールに上る頃には真っ白な富士山が私たちの前にデ〜ンと勇姿を現しておりました。昨日はほぼ諦め気味だったのが、来てみれば「雲上の天国」を3人で満喫出来て本当に幸せな一日になったのでした。
2023(令和5)年は、実は憂鬱な気分で新年を迎えたのです。昨年11月頃から腹の調子がおかしく掛り付けの医者でも原因が掴めず腸関係の専門外科を紹介頂き「東京新宿メディカルセンター」に於いて丸1日を掛けて採血、CT、レントゲン、心電図、内視鏡などあちこち回されデータ取りをされ、1月11日にその結果が出て、最終的には「大腸炎でしょう。普通の食事と生活でOKでしょう」との診断を受けましたが、何となくスッキリしない気持ちで病院を後にしました。一旦腸を傷めると回復には時間を要すことは知っていましたが、2月に入って医者に勧められて「コルベミン」を飲むが効果がない様で、次に「ラモセトロン塩酸塩(イリボー)」を1ヶ月ほど飲んでみるが、これも効果ない様です。それではと普通の整腸剤「ザガード」を飲むことにしました。

3月12日(日)朝からポカポカ陽気に誘い出される様に渋谷の【縄文回廊】を歩きました。
この縄文回廊とは私が名づけたのですが、さてどんな回廊ルートか説明しましょう。まずは東京メトロ半蔵門線「表参道」駅から「骨董通り」を直進し「岡本太郎記念館」へ。ここはパワースポットとして若者たちに有名だそうで、ここでまずパワーを頂戴しましょう。そこから「常陸宮邸」に出てその先の「白根記念郷土文化館」を訪ねます。ここで渋谷区域の原始時代から現在に至る歴史を学ぶことが出来ます。次にそばにある「國學院大学博物館」を訪ねます。ここには縄文土器から弥生土器に亘りこの地で発掘された凄まじい数の土器が陳列されていて度肝をぬかされます。展示品そして展示スペースのスケールの大きさに驚かされ、そして渋谷台地が縄文の時代にすでに賑わっていたことにビックリするのです。ゆっくり時間を掛けて展示内容を見た後は、回廊の最終地は文化館の隣にある「氷川神社」を訪ねます。神社の中を進み鳥居の先が急な下り階段となっていて、そこから「渋谷川」が流れる谷地の方を眺めてチョットばかり縄文時代の雰囲気に浸るのです。
5月に入っても腹の調子がおかしく、むしろ腹と言うより肛門部分がおかしいのでは思い始めていました。何故なら“おなら”と同時に尻から無色透明の液体が出て下着を汚すのが何とも不便なのです。医者から「肛門内科医」を紹介され診察を受けた結果、30年ほど前にやった痔の手術が原因で歳を取った為に、肛門括約筋が弛緩して「肛門液」が漏れ出しているのでは、と診断されました。その対処法として便を固くする薬を飲んでみようということになりました。
この頃からコロナ騒ぎも落ち着き始めて、マスクの着用も自己判断でOKとの政府見解が発表され、集会や旅行、飲み会がジャンジャンと開催される様になりました。
6月28日の「東京都老人クラブ連合会」が主催する【健康づくり大学】に入学しました。期間は半年間でその間に13回の講義がありますが、自分の体調が今ひとつ冴えないだけに気が乗らない挑戦でした。

今年は9月23〜24日が田町々会のお祭りの日ですが、今年は4年に一度の「本社祭り」の年に当たり桜木神社の神輿が練り歩きました。我が「田町々会」のお祭りは“祭り好き”には有名で、毎年200名以上の神輿担ぎ手が集まり我が町会のハッピを着て、初日の「宵宮渡御」そして2日目に「宮入り渡御」が行われますが毎年大勢で賑わいます。
10月に入っても私の腹(直腸か?)の調子は芳しくなく、夜1〜2時間おきにトイレに行きたくなり、排泄物に血の塊みたいなものが有る様なので、夜寝る時には紙パンツの世話にならなくなりました。10月13日に再び「東京新宿メディカルセンター」を訪ねて精密検査を受け、その結果24日には「大腸内視鏡検査」を受ける事となました。内視鏡で腸内を見る前に、腸内を空っぽにする為に薄塩水を2リットルも飲むのですが、これが大変に辛かったのです。薄い塩味のまずい水を2時間ほど掛けてゆっくり飲み続けるのですが、その間にトイレに通って、排泄物に色が無くなるまで続けるこの時間が長く感じて閉口しました。31日に内視鏡検査の結果を聞きに病院に行くと、医師が曰く「1年ほど前に撮った大腸内視鏡調査の時より局部が悪化している様です。ほら、普通ならこのピンク色の腸の表面が鼠色に変わっているでしょう」と言われ、確かに画面を見ると気味の悪い色に変わっているので愕然としました。続けて医師が言うには「従って腸に負担の掛からない食事を摂ってください」と言うのみで、またまた気持ちがスッキリしないまま病院を後にしました。そこで31日に「よし! 酒を完全に断つことにしよう」と決めたのです。これまでも精々晩食の時に缶ビールを1缶飲んでいた程度でしたが、それも断つという決断でした。酒気の無い大晦日の晩餐、そして正月を考えると何か寂しくなって来る年の暮れです。
2024(令和5)年元旦午後4時ごろ、グラグラと来たのです。TV臨時ニュースで「新潟県、石川県に地震発生、津波が来るかもしれないので高いところに避難を」と激しい口調で連発しています。

息子一家が正月に嫁の実家のある新潟に行っているので大いに心配です。TV報道によると、能登半島が震度7で直撃され大被害を受けていると言う。ところが翌日2日に、羽田空港でこの能登に災害物資を送ろうと手配された小型便が離陸しようと滑走路に向う途中で、着陸しようとする旅客機と衝突する大事故が起きたのです。今年はとんでも無い出来事で始まりましたが、早速9日に「石川県能登半島地震義援金」として10万円を寄付致しました。
1月13〜14日家族で湯河原温泉ホテル「瑞鷹(ずいよう)」に行きました。この旅の目的が、功乃介が学校で「卓球部」に入っているとババが聞いていたので、ババが功乃介と卓球がしたいと言い出し卓球台の有るホテルをネットで探したのです。その結果、近場で条件が合う先としてこのホテルに決まりました。ホテルは湯河原の奥地にあり古く、高級感の漂うたたづまいでしたが、注目していた「卓球場」は最上階の寒々とした所にあり暖房装置などは無く、夕食の後に浴衣姿で卓球をしたのですが、これがいけなかった様です。まず功乃介が「インフルエンザ」に罹り、そして数日後には家族全員が「インフルエンザ」に罹ったのです。皆なで5日間「タミフル」を飲んで対処しました。

2月13日(火)第6回目の「ひとりサイクリング」として【東京十社めぐり】を実施しました。「東京十社」とは明治天皇が東京を護る為に、そして万人の安泰を祈る為に東京23区ならびに近郊にある12社を定めましたが、1975(昭和50)年になって、「昭和天皇即位50年」を奉祝して23区内に有る10社を巡る【東京十社めぐり】が企画されて、それが現在に繋がっているそうです。さて私が回った行程は、神田明神→山王日枝神社→赤坂氷川神社→芝大神宮→品川神社→富岡八幡宮→亀戸天神とここまで周って日没となり、その2日後に残した王子神社→白山神社→根津神社を走り10社を完走しましたが、この10社で今回初めて訪ねた寺は芝大神宮の1社だけでした。
5月12日(日)第7回目となる「ひとりサイクリング」で「7」と来るなら「七福神」を周ろうと考え、それも一度に3つの「七福神」を周ってしまえと、何とがっついた【廿一福神めぐり】となりました。3つとは「隅田川七福神」と「下谷七福神」そして「谷中七福神」を繋げて走るのです。まずは隅田川七福神ルートに入る為に我が家の前の「言問通り」を突っ走り、隅田川を跨ぐ「言問橋」を渡って「三囲神(みめぐり)社」から最北端の「多聞寺」まで北進して、それからはUターンする様に「明治通り」を南下して三ノ輪まで来て「下谷七福神」ルートに入ります。日暮里付近まで来ると偶然にも3年に一度の【元三島神社祭りの連合渡御】とぶち当たり十基以上の神輿行進を見てから、次に田端駅に出て、三番目の「谷中七福神」を巡り、七番目の「不忍池辯天堂」に着いたのが12時30分でした。今回のサイクリングは実働6時間半を掛けましたがチョット欲張り過ぎたかも知れません。

5月27日(月)「文高連」が主催する【文京区歴史探訪:阿部家の西片散歩】が開催され、私の地元ということでガイド役を引き受けました。参加者は16名、東大正門前からスタートし、清水橋→金澤邸→平野邸→田口邸→西片教会→誠之小学校→曙坂→橋本邸→西片公園→長岡半太郎邸跡→阿部伯爵邸跡→石坂と周り午前11時半には我が家の前で解散となりました。
実は今年に入って早々にこれ迄に書き綴って来たエッセイが溜まっているので、それを纏めて本にしてはどうか、と考えておりました。一方私が米国・シカゴで駐在生活をした関係で米国年金を毎月頂いているのですが、この蓄積分を出版資金に振り当てる事にして早速「文芸社」と交渉に入り、2月末に「出版契約書」を取り交わしました。7月には本の題名が【人生是、一喜一憂(翁のうっぷん晴らし)】と決まり、発売は11月からとなりました。
8月28日(火)「都老連」主催の「職員セミナー」が新霞ヶ関ビルにて開催され、「老人クラブの活動紹介」として私が「文高連の活動事例」を紹介しました。全国的に『高齢者人口が増えているのに、高齢者クラブの会員数が減ってゆく現象』に頭悩ませているのですが、文高連では【クラブ体験事業】という事業を起し着々と会員を増やしている現状を解説したのですが、皆さんからの評判は良かったようです。

10月5日(土)第23回【文京を歩くかい】を開催致しました。前回が<コロナ禍>の前の2019年11月でしたから5年ぶりの再開でした。もう皆さんから忘れられているのではと不安でしたが、何と参加者は14名も居られたのです。もう我が仲間は年齢も取っている事ですので、距離は短く、ゆっくり歩こうという事で行程は、お茶の水駅→湯島聖堂→神田明神→湯島天神→麟祥院→水道歴史館→宝生能楽堂→飯田橋と歩き、打ち上げは駅前の大衆酒場「祭酒場」にて皆さんで盛り上がりました。今回、この【文京を歩くかい】を愛してくださる皆さんに拙著【人生是、一喜一憂】を配本させて頂きました。

10月12日(土)我が家1階の南側のブロック塀の地震対策として、ブロックの上5段を取り外して針金フェンスにする工事が始まりました。これにてこれまでブロック壁の為に駐車場が暗く感じていたのが、明るくなった様に感じると同時に風通しも良くなった様です。
26日(土)北園高校第15期生【傘寿記念懇親会】が板橋駅の「ミライザカ」で開催され、何年ぶりかの再会でした。この会からの帰り道、近くの書店に立ち寄りました。入り口の正面に新刊本の紹介コーナーがあり、そこに何と拙著【人生是、一喜一憂】がデーンと平積みで2列積まれておりました。余りのビックリに携帯でその姿を写真に撮り、無意識のうちに1冊を買ってしまったのです。その一冊は家に帰って感謝の意を込めて神棚に納めました。 12月17日(火)都老連の「創立60周年記念式典」が「文京シビック大ホール」にて開催され、そこで【田町みのり会】が「優良老人クラブ」として表彰されました。なんとも光栄なことです。

年の瀬の迫った20日(金)にお茶の水にある血管外科クリニックで私の右足の「ふくらはぎ」に出来た「静脈瘤」の手術を受けました。手術は局部麻酔をかけて20分程で何の痛みを感じる事なく無事に済みました。
今年も年越しは近所にある「澤蔵司稲荷」での【越年新年大護摩祈祷】に息子と一緒に出掛けました。積み重ねられた護摩木が見る見るうちに炎となって上に燃え盛ります。強力な炎をジ〜ット見ていますと、決して二度と同じ形にはならず、天に向かって火力が強くなればなるほどゆらゆらする炎が黄色みがかり何か怒っている様にも感じるのです。炎を見ていると次第にこれまでに染みついた煩悩から次第に解放され大護摩が終わった時には何かスッキリした気持ちになっていました。
老年期=その2=からの続きとして、2019年からの5年間の流れを=その3=としてここに書き上げることが出来ました。世間では今や【人生100年時代】などと言われていますが、数10年後には更なる医学の進歩やAI技術の発展によって人間が100年を生きる時代がやって来るのでしょう。とすれば私は人生を幼年期/少年期/青年期/成年期/壮年期/老年期と分けて語ってきましたが、そんな時代が来れば70〜80歳まで働くのが当たり前となっているかも知れませんから、きっと成年期と壮年期が今より長くなっているのでしょうか。
さてさて私は「老年期」をこれから第何編まで書き続けられるのでしょうか。とすれば100年時代で最も長くなっているのは老年期なのかも知れません。
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