『外から観た日本』=回顧編= 2004・4・4
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私が社会人となって8年目の昭和53(1978)年6月からおよそ5年間シカゴにて駐在生活を体験し日本に戻って数年後の昭和61(1986)年1月にある異業種勉強会の席で『外から観た日本』をテーマに講演する機会に恵まれた。
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今から20数年前のシカゴ駐在初体験の書類に見入っているうちに、2回目の駐在地である大型ディズニーランド的「シンガポール」での思い出や それらの地にての異国生活での驚きの体験談、そしてそれらの時代と現状との対比を絡めながら『外から観た日本』の改訂版を書きたくなってきた。
【1】アパートは日当たりの悪い部屋の方が人気が高い! さて外から観た“日本”を語る前に、国外に出て日本とは全く価値観が違うのだと発見した体験談からお話を始めることにしよう。
当時はまだ商社でも家族の呼び寄せは夫の赴任の半年後と決められており、その半年の間に呼び寄せ家族の為に住居の確保をするのである。実は我家には8ヶ月前に誕生した長男がいたので例え夫の赴任と同時に家族帯同が出来たとしても飛行機での移動が困難であり、当時のルールは我家にはピッタリであったのだ。さて私はアパート探しの条件として@幼児がいるので広い庭があり日当たりのよい部屋があること A同じ会社の駐在員宅が密集していない地区 B出来ればオヘア エアポートに近い地区 の3条件を満たすアパート探しに入った。5つほどの物件を回って最後にアーリントン・ハイツ地区のアパートに決めたのであるが家賃は 月250ドル(当時換算で約6万円)であった。間取りは、20畳ほどのリビング・ダイニング、2ベッドルーム、キッチン、そして2バスルームと3人家族にはゆったりとした生活空間であった。地下には交換用タイヤ、雪用スコップなどの物入れ倉庫(2畳ほどの広さ)付きである。
冗談じゃあ無い。私から、なぜアメリカ人は日の当たらない北向きを好むのか聞きたい位である。しかしこの疑問は暫く経ってから「なるほど」と納得するのである。
日本ではそもそも海洋性気候で太陽の日差しもマイルドであり、ビルとビルに挟まれた手狭な住居空間であるから、どちらかと言えば 住まいの部屋にはさんさんと差し込む太陽を求めて 東や南向きアパートを好むのであろう。日米で全く正反対の好みとは驚きであった。
米国アパート事情の話が出たついでに、もう一つ米国と日本とでは全く違う年齢別住居事情をご紹介しよう。米国では押並べて若い世代の内に一戸立ち住居に住み、退職して老後の生活を迎えて 温暖な地 マイアミやラスベガス郊外に移りアパート住まいを希望する人が多いのだ。日本では若い内に一戸立ちなどは とても資金的に無理でありアパート住まいで過ごし、中年過ぎて資金が出来てやっと自分の家が持てるというプロセス。これも全く日米 逆の現象と言えよう。勿論これには土地事情や、市場価格事情などの違いがあるにせよ、やはり価値感の違いが根底に有るように思う。米国人に年老いてアパートに入りたい理由を聞くと、「年を取ってまで、やれ庭の芝刈りや落ち葉掃除、冬の雪かき、家の壁のペンキ塗りを続けるのは勘弁して欲しい。暖かい地域で のんびり住みたいのだ」と説明する。一方、ある日本人が曰く「私はやっとの事で自分の夢が実現出来ました。今年の始めに定年退職しまして その時の退職金で郊外に一戸立ちを購入出来ました。これまでは仕事一筋の生活でしたが、これからは庭いじりや園芸に時間を費やし楽しい人生を送って行こうと思います」と。
シンガポールでは自動車の購入価格はビックリするほど高い。その理由は狭い国土に自由に自動車を海外から輸入したらシンガポール島が自動車の重みで海中に沈んでしまう(?)からである。そこで政府は膨大な輸入税を掛け、各年に廃車台数に見合う新車許可台数を設定し 入札制にしてセリに掛けて落札させる方式を取っており、価格はおのずと上昇してしまう事になる。シンガポールでの自動車価格はそれぞれ生産国の価格の3倍以上とも言われており一番人気のベンツで 2000~3000万円というから日本ではほぼマンション価格に匹敵するのだ。
さて話を変えて もしあなたが5千円で購入したラジカセが故障し、修理を頼もうと秋葉原に出かけてある量販店で尋ねると「修理代金は およそ3〜4千円で修理期間に2〜3週間掛かります。このモデルの後継機は更に機能がアップされて6千円ですので 新品への切り替えをお薦めします。」と言われ、あなたならどうされますか? 日本人なら8割がた新品を袋に下げて店を出ることでしょう。アメリカは違います。8割がたのアメリカ人は新品にするには更に2~3千円余計に掛かるではないか、ラジカセに余計な機能はいらぬので修理で充分と判断するのです。私の友人でシカゴ在の日本人のS氏は これで大成功を収められたのです。
当時1台の修理代金が平均15ドル位で 1台からの上がりは高々数ドルであった。しかし“塵も積もれば山“のごとく、合理的ケチ人間のアメリカ人を相手に S氏は今では 300人ほどの修理マンを抱えた大企業に変身している。
私と一緒に仕事をしていたアメリカ人のセールスマンH氏(私より10歳ほど年上)と各地に商談のため出張に出た時の出来事。レストランにて夕食を共に取った後で、彼が会計の為にレジの所に行きます。すると彼は領収書の内容をジックリと1件1件詳細にチェックをしています。時々内容に不明点が発見されると彼が私に向かって「ハイ、KAZ。 あなたは○○○を注文したっけ?」なんて聞いて来ます。所がすでに食べ終わった私には○○○が どの料理だったか正確には分からず「食べたよ」なんて無責任に返事していました。一事が万事このようですから、アメリカ人は本当にしっかり者であり、日本人の場合は、そんな行動は貧乏臭いとか、黙ってサインをする見栄っ張りなのか なかなか日本人には親しめない行動とは思いませんか?
またまたチョット話は横道に反れますが、そのH氏から教わったユーモアたっぷりなマナーのお話。二人で地方に出張している時に、仕事を終えて予約してあったホテルに戻り さて二人して夕食に出ようとするが 二人に取って初めて訪れた地なのでどこに美味しいレストランがあるかは全く情報を持ち合わせていない。その場合のホテル受付に行って尋ねる際のマナーを教わった。 「ハロー。今晩は! 所でこの町で 2番目に美味しいレストランは何処ですか?」 と問い合わせると、受付嬢がニコニコ笑いながら丁寧に市内のレストラン案内と道順を教えてくれるのである。何故かお分かりでしょうか?? 「この町で一番美味しいレストランを教えてくれませんか?」 と聞いてしまうと、 「旦那様、それは目の前にあるでは有りませんか!」 とホテル内のレストランを紹介されてしまうから。
仕事を終えてさあシカゴに帰ろうとニューヨーク州シラキュース市のエアポートでの出来事でした。搭乗ゲートにて簡易な機上食バナナとヨーグルトとビスケットの入ったビニール袋を手にゲート待合室にてボーディング時間を待っていました。いよいよボーディング時間が迫って来た時、スピーカーから、 「飛行機にエンジントラブルが発生し、ご搭乗時間が暫く遅れる予定です。」 との簡単な説明。一瞬30〜40人の搭乗者がざわついたが、すぐに静かになった。しかしその後 待てど暮らせど次の案内が無く痺れを切らしてカウンターに状況を聞きに行く。 「済みませんが、搭乗は何時頃になりそうですか?」 と聞くと、なんとその返事は、 「それは飛行機に聞いてくれ。おれは知らない。」 私は 余計なことを聞いてしまったと反省気味にちょっと赤面して また元の席に戻り 回りを見渡すと、皆さん黙ったまんまで雑誌を読む人、貰ったビニール袋からバナナをかじっている人、目をつむって寝たふりをしている人、さまざまなれど、きっと日本なら こんな時“さらし”を巻いたお兄さんが登場して、 「おい! どないなっているんや? 早く乗せんかい!」 と単刀直入な質問を投げて これから一体どうなるのか不安な空気に包まれている空間に括を入れているだろうな、なんて考えている私でした。
彼らの場合のパーティとは 10〜20人と大勢を呼ぶケースが多く その場合に磁器製食器などを使用していると、その準備や後片付けなどでワイフが折角パーティに集まった招待客と一緒にエンジョイ出来ないので、ポイ捨ての紙食器を使用しているのだそうです。なるほど非常に合理的だ。
シカゴに駐在して3年目、我息子が3歳になりキンダーガーテン(幼稚園)に通うようになり、そんなある日、親が学校に呼ばれ親子面談のような機会がありました。その時、先生が我息子の学校生活状況を説明してくれるのですが、「KENは絵を描くのが好きで 乗り物の絵がとても上手だ。」とか兎に角“良い点”しか説明しないのです。最初はアメリカの先生は“煽てることしか言わず、足りないところを指摘してはくれないのだ”なんて勝手に思い込んでいたのです。 しばらく経ってから、日米では教育の仕方に大きな違いが有る事に気づきました。分かり易く中学生のレベルでの例で説明しましょう。例えば国語、数学、社会、理科、英語の5教科の成績が5段階方式で 3 / 5 / 3 / 2 / 2 だったとしましょう。アメリカなら先生は「数学が得意だから ドンドン伸ばせ」とアドバイスするでしょう。日本の教育なら「理科、英語が皆より遅れているので もっと頑張ってまずはこの2教科を“3”にしましょう」なんてアドバイス受けるのではないでしょうか。
これはシンガポール駐在時の体験談。着任して2年目、シンガポール人社員の結婚披露宴に招待された時の出来事である。シンガポールでは大型の中華料理飯店を貸し切って披露宴をするケースが多いが、それにも理由があるようだ。
「何故 チャント時間通りに宴会は始まらないの?」 「これ中国人の悪い習慣なのだよね。政府からも国民には“正しいマナーを”なんて指導が出ているが 永い間の習慣はなかなか替えられないね。特にこの習慣も“長老”に関係しているからなお更だよ。」 「長老に関係している?? それどうゆう事?」 「結婚式には その家族や親戚あるいは住んでいる村や町の中から関係の深い長老が“主賓”に選ばれるのだ。そしてその主賓が会場に到着するまで宴会は始まらないのだ。それまでは 若者達は皆で集まってカラオケとか歓談とかを自由に楽しむのだよ。」 「何で主賓がそんなに遅れて入場するのですか? 皆に失礼でしょう。」 「これも中国の慣習かな。長老は偉いから皆が集まって 今か今かと待たせ痺れを切らしたころ、皆から注目を一杯に受けながらゆっくりと入場して来るのだ。」 「日本の結婚披露宴では司会者が進行役をするが、ここでは司会を設けないのですか?」 「一般的には無いね。だって元々宴会を時間で区切って進行して行く習慣が無いから。参加者は帰りたい時に勝手に帰ればいい。会場から最後の一人がいなくなるまで宴会は続いているんだよ。最後に残ったグループが家路に戻るのは翌朝になるのがここでは普通だよ。」
「今日午後、東京から出張者が来るので、前に紹介してくれたシンガポールNO.1の中華料理店に付き合ってもらえませんか? 前にご馳走になった あの美味しい中華料理の品名を覚えてないので是非同席して欲しいのだが。」と言った趣旨の電話だった。 すると 「ごめん。今日は会社の社員の結婚式があり、夜は結婚披露宴なんだ。申し訳ないけど無理だな。それよりMr.ミヤハラ、結婚披露宴に来いよ。」なんて言い出した。そこで、 「だから今夜は東京からの客がいると言ったでしょう。それに全く知らない人が突然 結婚披露宴に出席するのは失礼でしょう。」と応えると、 「東京から来るあなたの友達と一緒に出たらいいよ。そこで一緒に中華料理を楽しめば目的が果たせるでしょう」と言う。私には理解出来ない。人をからかっているのではとさえ疑いたくなる。しかし東京から来る出張者は“好奇心旺盛タイプ”の人間であることを知っていたので、「OK。そうさせてもらいましょう」と返事をしたのだ。 早速 日本のお祝儀袋にあたる紅包(アンパオ)という袋を買ってきて S$40(吉事には偶数の金額が習慣で凶事には奇数の金額)を入れた袋を出張者の分と2つ用意して会場に向かった。出張者もシンガポールに到着直後に結婚披露宴に参加するなど信じられないという顔をしていたが、根っからの探究心旺盛な性格で すでに組まれていたスケジュールに喜んで同意してくれた。しかしその出張者が、 「ところで 礼服と白のネクタイを持ち合わせていないぜ。こんな普通の背広でいいのか?」と不安顔になった。そこで、 「中国人社会では 吉事の際は黒とか紺の礼服は避け、男性は普通のフォーマル服に明るいカラーのネクタイでOKなので
「このテーブルは本日の特別ゲストに用意されたものです。この機会に皆さんは縁有ってこの席に座っています。これを機会に皆さんお友達になりましょう。それでは紹介します」と言ってお互いを紹介し始めたのだ。この時紹介された方とは その後何度か一緒にゴルフをする機会が生れたのでした。
海外生活での驚きの体験を書き綴って来たが、次から次へと文化の違いが思い出され はっと気づくとすでに相当の紙面を割いてしまったようだ。このままでは表題の『外から観た日本』に関して充分に触れていないのではと ご指摘を受けてしまいそうだ。
■ 日本が輸出黒字で 何処が悪い! ■ ウサギ小屋と言われながら、働き蜂の日本サラリーマン兵 ■ 日本発のファミコンは米国家庭に団欒(家族の会話)を提供 ■ 日本は先端技術に創意工夫や独創性を養い独自の技術を磨け と言った内容だったが、18年も経った現在では世界情勢も変わり、高度情報化、循環型社会などと環境も大きく変わっており、当時の講演内容をここで回顧しても全く面白くない。但し上記の4番目のテーマ“独自の技術を磨け”に関してはノーベル賞受賞者“江崎玲於奈”氏が1985年12月、日本経済新聞社の“客員論説委員”としてニューヨーク在であった時に『ニューヨーク発』として書き送った新聞記事を参考にして話しをさせて頂いたのだが、18年経った今でも残念ながら殆ど変わっておらず 我日本は独創性で遅れを取り続けているのでは無かろうか。 この江崎氏の記事の中で日本人にはこの独創性を育むには大きな障害があると書いている。
(1) 従来からの行き掛かりにとらわれ過ぎてはいけない。さもなければ飛躍の機会を見失う。 (2) 他人の影響を受け過ぎてはいけない。
(3) 無用なものはすべて捨てなければいけない。
(4) 闘うことを避けてはいけない。その為には独立精神と勇気が必要。 (5)安心感、満足感にひたってはいけない。 <<完>> |