『ふざける菜選集』   (2003.12.27)

 

我愛する ワイフと家族に贈る。

2004年は申年、いよいよ還暦の年を迎え この60年ごく普通の人間として生きながらえて来たが それこそが最高の幸せであったと最近とみに思うようになっている。

いつも母から「口は災いの元」と注意されながら、反省もせず あいも変わらず世の出来事に「ふざける菜」を連発しながら鬱憤をはらし そのおかげで健康を維持してこられたのだと考えれば、いやいや その連発をずうっと聞かされてきた家族の皆に感謝をせねばならない。

 

序章:長距離高速バス

 

2003年12月に入った平日の昼過ぎ、新宿 14時30分発の駒ヶ根市行き中央高速バスに乗り込む。平日の午後なのでバス乗客は少なく いつものように席を後ろに移してゆっくりと座って行こうかと後ろから2列目の座席に勝手に移動する。

窓の外はヨドバシカメラ店の前、ヤングガールの甲高い客呼び込みの声、甘い物に集まるアリのごとく群れをなして店の出入口に殺到する人並み。クリスマス商戦の真っ只中、気が狂ったように薄型TV,デジタルカメラの販売合戦をしているが、本当に物は売れているのだろうか。

  先ほど新宿のデパート書籍売り場で購入したばかりの文庫本『バカの壁』(養老孟司著 新潮新書)をかばんから出して前のイスのポケットに入れ、乗車前に自動販売機で買った缶コーヒーを所定の位置に置いて これからの3.5時間の旅に備えた。乗客率は50〜60%位だろうと安心して後ろの席に移動したのだが、乗客は次第に前の席から埋まってくるではないか。もう私の前の席まで埋まってきた。これはもしかすると勝手に移動してきているこの私の席に予約者がいるのかもしれないと不安になって来る。すでに私の後ろの席には 同じ考えで前の席から移動してきている乗客が座っている。 出発数分前、一人の女性が乗ってくる。大きな紙袋を下げて狭いバスの通路を運びずらそうに後ろに向かって歩いて来て 私と通路を挟んで反対側の席に座った。その紙袋には「GUCCI」と大きな字で書かれていた。

  車内のスピーカーから発車する案内が放送されると間もなくバスは静かに動き出した。新宿の摩天楼、人類が造った自然破壊の巨大建築のバケモノ“東京都庁舎”の傍を抜けて甲州街道に出るのだが そこの信号がいつもの渋滞で通過まで長く時間がかかる。まぶしい位の強い太陽光が差し込んでくる窓の外に目を向けると バスのすぐ脇下、道路の中央にある安全地帯にはツツジが植えられており、その低木の細枝の間にブルーのビニールマットに包まれた物体が垣間見えた。そのマットの隅からナベ、やかんと思われる物や雨傘のような物が覗いている。昼間は温暖な新宿地下アーケード内で過ごしているホームレスが 生活必需品を昼間安全に保管しておく最適な場所として利用しているのだろう。

 

第一章:美女の出現

 

GUCCIの女性がその大きな紙袋をバスの狭い席の間に格納しようと一生懸命だったが、しばし動きが静かになった所を見ると窮屈ながらも一応置き場に収まったのであろうか。これから向かう地方にはちょっとばかり不似合いだなぁと思わせる容姿とその身のこなしである。医者の奥様か、それともクラブのママさんか、なんて勝手に思いをめぐらしている時、彼女はハンドバックをごそごそさせて取りだしたのが携帯電話だった。小さい声で話し始める。

「今、 新宿を出たところ。―――――あっ、そお。 ―――――うん。」

ここまでは小さな声でしゃべっていたのだが、だんだんテンションが上がってきて、

「そおね、楽しみだわ。―――うん、―――うん、待っててね。そちらに5時ごろ着くと思うので、宜しくね。じゃあ〜〜ね。」

 

男として この短い会話は許されないのだ。「ふざける菜って!」あなたが美貌だからいけないのだ。普通のおばさんか、あるいはおばあちゃんなら何故か許せるのだが。私が怒っているのは 乗合バスの座席で携帯電話を使っているマナーに対してでは無く、その話している内容に怒っているのだ。そして何か私にワザワザ聞かせるように話していたような その態度が許せないのだ。(いや違う。気になるのだ。)

  バスは中央高速道路に入り調布付近を通過中。暫く前から読み始めていた文庫本『バカの壁』も横の客でバカになっている私にはページが思うように先に進まない。さらにページを進めさせない出来事が起こるのである。彼女がまたあの巨大なGUCCIの紙袋を動かし出して、そして座っている席を窓側から通路側に移動したのだ。おや? 私に何か話し掛ける為に近くに移動をしたのかな? と自分に都合のいい解釈を取り始めていたのである。ちょっと彼女の位置が変わっただけだが、商社マン時代に海外出張に出たとき空港ロビーの中にあるデューティフリーショップの化粧品売り場の傍で嗅いだような匂いがかすかに鼻をくすぐった。

 

第二章:TVバカ番組

 

その文庫本の読み始め「バカの壁とは何か」の部分で「NHKは神か」の所を読み掛けていた時、数日前 家族と夕食後 TV番組を見ながらの団欒時に「マスメディアに就いての議論」が思い出された。それは8時台のタレント番組だったが、タレント同士の“じゃれ合い問答”をワイフが楽しそうに見ているときに 私の口がすべってしまった。

「全然 おかしくないんだよな〜〜あ。これじゃタレント連中の学芸会だよね。そしてスタジオの観衆が一斉に声を合わせて 驚いた風に【エ〜〜〜〜ッ!!】と言うのは白けるから止めて欲しいね。」

するとワイフが、

「何を言っているのですか。単なるお笑い番組として見ればいいので、いちいち文句を言っていては 時代遅れのオヤジと言われますよ!」とのお叱り。

そこでイッパツ始まったのだ。

「TVが普及し始めたころにマスメディアが【TVにより日本人 一億総白痴化】と言っていたがその通りになってしまったな。報道関係の連中もバカが多いから感動の無い番組ばかり作っていて、ふざける菜と言いたいよ。最近、料理番組がメッチャ多いが あれなんぞ制作費が安く済む番組だし 大体“匂いの無い料理”が美味いか視聴者には分かりっこない。ふざける菜。それから番組会場に集まった観衆が【ええっ〜〜〜!】と驚きの声を一斉にあげたり おかしくも無いのに(そう感じるのは私だけなのか?)一斉に笑わせるのだけは止めて欲しいね!」

と言い放ちながら一人居間を立ち 自分の部屋に引きこもったのであります。

  バスは高尾山の脇を上り相模湖付近を通過して、右に左にと向きを変え山間を登っていた。冬の太陽は早くも西に傾き始め それでもまだ強い日差しが車窓から差し込んでいた。文庫本に目を落としていた私も あまりにも強い光線が紙面に反射し“まぶしい”と思うとすぐにバスがまた方向を変え 直射日光が紙面から外れると急に暗くなり読み辛いなと思っている矢先に また強い光線が紙面に戻ってくる、といった繰り返しを重ねていた時、GUCCIの女性から突然声が掛かった。

「すみませんが カーテンを掛けて頂けますか」

私はその声につられて初めてまともに彼女の方に顔を向けると、彼女も手のひらで目のところを被い“まぶしい”と表現するように顔を私に向けていた。確かに美人の相だ。バランスの取れた彫りの深い顔立ちだ。するともう男の私の対応はあの“ふざける菜の怒り”から180度変わってしまっていたのだ。

「あっ! すみません。気が付きませんで。」

このまま話をとぎらしてはいけないと、続けて「ずいぶん大きな袋ですね。窮屈でしょう。一番後ろの空いたスペースに移動しましょうか。」なんて言ってしまったのだ。そんな言葉が出た勇気に自分ながら驚きを感じると同時に一方で、 いやむしろ何とお節介なことを言ってしまったのかと反省しきりであった。 すると、

「ご親切にありがとうございます。これ大きいけど とっても軽いですのよ。」とニッコリ笑って応えたのだ。そこで べつに驚く話でもないのに 私は大きな演技で「へぇ〜〜〜〜!!」と目を丸くして驚いて見せたのだ。するとそれに応えるように、

「私の妹へのプレゼントでコートですの。妹は今年大学を卒業して辰野の学校で先生をしているのですが、あちらはとても寒いと聞きましたのでーーー。」その美しい顔に見とれながら この強烈な“お姉さん愛“のセリフを聞かされた私は絶句して次の言葉が出てこない。

  乗車間もなく彼女がしていた携帯電話の内容を思い出している私。確かに妹さんとの会話でも全くおかしくない。きっとバスが駅に到着する頃に迎えに出て欲しいと電話していたのだろう。全く違う事を勝手に想像し腹を立てていた私がはずかしい。そんな事を自己反省しているわずかの間に彼女は薄い色のサングラスをはめ、耳から外していたイヤホンをまた耳に差し込んで音楽を聴き始めた。もう続きを話し掛けるチャンスは失せた。

第三章:ダメ学校教育 

 

残念そうに文庫本に目を移しながら 新宿から読み始めてまだ十数ページしか進んでいないのを知り苦笑い。とその時 気になる文章に引き込まれる。人間の行動はすべて一次方程式 y = a x で表されると書いてあるではないか。つまり五感から入力(x)して脳に伝わり「現実の重み」(係数 a)が掛け合わさって運動系から出力(y)するのだそうだ。身近な例が示されていた。【歩いていて足元に虫が這っていれば私は立ち止まるが、虫に興味の無い人は立ち止まらない。しかしその人は馬券が落ちていたら「もしかすると当たりかも」と立ち止まるかもしれない。私は落ちている馬券では立ち止まらないが.】と。つまり人によってこの係数 a がプラスだったりマイナスだったりゼロだったりと違うのだと言う。私は GUCCIの女性を見たときの係数 a は他の人より巨大な数字だったのだろうか。そしてこの係数 a が更に私の想像を次に発展させるのだ。

「姉さんが美人なら 妹である先生もさぞかし美人だろう。そんな先生に教わるなら学校生活も楽しいだろうなぁ」と空想している矢先に突然 私の係数 a がマイナスになった。それは先日ワイフとニュース番組をみながら出てしまったワイフとの「先生に就いてのふざける菜論議」が脳にひらめいて来た為だ。

 

【またまた賊が小学校に乱入 生徒に切りかかった】というニュースの時だった。

「本当にいやな時代ですね。なぜこんな事がしょっちゅう起こるのでしょうね。」とワイフが神妙になって言う。そこで私が静かに「そうだね。」と相槌を打っておけば それで終わっているものを、とんでもない所に話を飛躍させてしまったのだ。

「世の中に知能が幼児レベルで体だけが大人になった人間が多いんじゃないの。すべて教育の問題だな。太平洋戦争に負け マッカーサーが来て短期間で作った日本国憲法にかじりつきながら、物質面の豊かさだけを求めたその“貧欲さ”が 大事な教育面を置き去りにしてしまったのだな。私達世代にもその責任の一旦は有るんだがな。昭和40年代 大学を卒業して優秀なやつで学校の先生になろうというのはいなかったよ。就職出来ないやつがしょうがないから先生にでもなるか、なんていう時代だったな。そうして皆わがままな生き方に走り 核家族、越境入学、幼稚園からの受験地獄、かぎっ子、先生の塾収入、いじめ問題、週5日制などなど―――遂には家庭の主婦が学校に“なんで内の子だけいじめるのですか。”と駆け込む姿。そう言えばいたな! どこかの予備校の先生で キラキラの服に金色の高級腕時計や ごてごてアクセサリーをつけて得意満面にTVに出てはしゃいでいた人が。あんな人に自分の子供も育てばいいなぁ、なんて思っていた母親が相当いたんじゃないか。 “ふざける菜”と言いたいね。」

  話が取り留めの無い方向に突っ走り始めた所でワイフの一言、

「だから どおしろと言うのですか!!」

そこで、

「残念ながら教育だけは すぐには変えられないんだよな。生まれた時からの教育の積み重ねが大事だから 変わるには最低でも40〜50年は掛かるだろうね。時間を掛けながら少しずつ変わって行くしかないんだろうな。」

なんて分かった事のような解説にうんざりしたワイフは静に居間から出て行った。

  バスは長いトンネルを超えて甲府盆地に入っていた。GUCCIの彼女は気持ち良さそうに眠っている。真横から差し込んでくる太陽光は彼女のサングラスと頬の間を鮮明に照らし出しており クッキリと見える黒い睫毛が何とも色っぽく感じさせる。ふっと 彼女の先ほどのセリフ「――あちらはとても寒いと聞きましたので」が引っ掛かっていた。彼女の睫毛を見ているとやたらと想像が思い巡らす。待てよ。この一言から彼女はこの地方を初めて訪ねるのだろうか? いや、この地方の冬を知らないだけで他の季節に伊那谷を訪ねているかも知れない。しかしあの彫りの深い顔が健康的に日焼けしているように見えるのだが 濃い目の化粧をしているのだろうか? いや、海外に それも南半球に住んでいるのではなかろうか? シドニーか? それともバリ島か? 旦那は商社マンか? それとも現地の大富豪か? いやいや、あの鼻をくすぐる香りから外国エアラインのスチュワーデスをしているのでは? シンガポール・エアーか、それともタイ・エアーか?

  彼女側の窓の外に 鳳凰三山がその雄姿を見せているが、その横に薄っすらと頂上付近に白い雪をつけた南アルプスの山々が連なり なんともロマンチックな風情である。バスの中は程よい暖かさで どこからかかすかな寝息が聞こえて来た。

 

  第四章: 現代版高利貸し

 

文庫本から目を離し 冷たくなって残っていた最後の一口のコーヒーを 顔を上にあげて飲み干していると、前の席に座っているサラリーマン風男性の読んでいる新聞記事の活字が目に飛び込んできた。

【武富士会長が盗聴を自認】

それを見た瞬間、 私の「現実の重み」係数 a は突如またまたマイナスに振れたのだ。このマイナス度がある数値を過ぎると 私の場合は“表現品質”が極度に下品になり そして“ふざける菜“を自分で正味する事により それに比例して”私の鬱憤度”が極度に軽減されて行くのである。私の心の中では次のように“ふざける菜”を正味していたが、その内容が多少脱線気味なのだろうが これが私の鬱憤を晴らす最高の消化剤なのだ。

 

「やっぱりな! タケイ何某という会長も“ふざけた野郎”だよね。よくもここ迄ばれずに来られたものだよ。“消費者金融業”とか言われているが 単なる“高利貸し”じゃあねぇ〜か。1970年代 日本経済もグングンと元気が出て、そんな時に金貸しのターゲットを家庭の主婦に向けて小金を貸す。返済不能の主婦にはヤクザを廻して取り立てて、ダメなら体にてお支払いをが まかり通っていたという悪道一路で破竹の急成長、数年前には高額納税者番付で上位に顔を出していたのだから “ふざける菜”を通り越してバカヤローだ。 どこの駅前に行っても この業界の看板ダラケでもう勘弁してほしい! しかしタケイ何某の最後は 何とも“盗み聞き”というケチな手口でさらし首とは お粗末な話だが。」

この劣悪なる私の脳内表現は のどかで静かなバスの旅にはとても似つかない様に思われるかも知れないが、実は根っか
の東京っ子の私には気分爽快なのである。

今 安らかに寝ているGUCCIの彼女を揺り起こし、「そうでしょ! ね! そう思いますよねぇ!」と“ふざける菜”を正味して欲しい気持ちだったが、丁度その時バスのスピーカーから「次は辰野」のアナウンスが流れた。前の席の方でも次の駅で降りる数人がそわそわと荷纏めを始めている。彼女も耳からイヤホンを外し、そしてあの大型紙袋を運び易いように通路側に移動している。

その時、バスが止まり前のドアが開く音がした。彼女も立ち上がり荷物棚に上げていた黒のコートを羽織った。またあの香りが鼻をくすぐった。

  立ち上がって歩き始める時 私の方に顔を向けて「どうもーーー それでは、ま。。。。。。。」

私も前かがみになって 「どうも。 お気をつけて。」と小さい声で言った。

彼女は大きな紙袋を運び辛そうにしながら細い通路を前に進んで行った。彼女の細い声での最後の言葉がハッキリ聞き取れなかったが、しかしまたどこかでいつか会えるのかも知れない という予感みたいなものがよぎっていた。

 

第五章: ブッシュの戦争

 

もう窓の外はとっぷり日が暮れていて遠くに見える民家には明かりが灯っている。GUCCIの彼女が降りてしまった後は何となく気が抜けたような感じがしたが、一方でやっと目的地が近づいてきたという状況が私の気持ちを楽にしていた。

  消費者金融のタケイ何某は相当のカリスマ経営で 会社役員はすべてお飾り的存在であったという。丁度文庫本は 係数 a がゼロと無限大の場合を解説しているページに辿り着いていた。ゼロのケースは「無関心」、その逆の無限大のケースは「原理主義」と解説している。例えばゼロとは【おやじの説教を全然聞かない子供】そして無限大とは【ある情報、信条がその人にとって絶対的な現実になる。つまり尊師が言ったこと、アラーの神の言葉、聖書に書いてあることが全てを支配するような場合】と分かり易く説明している。

さすれば武富士の社員にとって タケイ何某の言葉は「現実の重み」係数 a は無限大で有ったという事になる訳だ。私は“カリスマ”とか“権力者”という言葉が大嫌いであるが、先日早々と学生時代の旧知と東京駅前の割烹でやった忘年会での「ふざける菜談義」を思い出していた。その時の話題は“自衛隊のイラク派遣の是非”に就いてであった。

  またまた皆の話の腰を折るような「ふざける菜」が出てしまったのだ。相当議論が取り交わされた後、意見の大勢が「全く戦争体験の無い自衛隊員を戦場に送り出し、米軍の援護や破壊されたユーティリティー設備の修復をさせると言ったって、当然戦争に巻き込まれテロによる被害者が出るのは当然であり、こんな中途半端な状態で送り出すべきではない。」という意見に収斂しそうな時に、

「おい! 宮原! 黙ってないでお前はどうなんだ?」と来たのだ。そこで、

「イラク戦争というが これが本当に戦争なのか? 従来の考え方での戦争とは国対国の戦いだから どちらかの大将が“負けました”と言えばそれで戦争は終わりだ。しかし今やっているイラクでの戦いは 相手がテロリストだよ。テロの長の首を取ったって またすぐに他の長が生まれて巨大権力に対してテロ行為に出てくる。つまり終わりが無いんだな。」

すると自衛隊派遣反対の意見の仲間から、

「やっぱり そんなテロとの戦場だから自衛隊の送り出しは反対という事だな。」と念を押してきた。そこで、

「そうでも無いんだな。今回は日本としてどうしても送り出さねばならない立場に立たされていたと思うよ。」と返した。

皆は 一貫性の無い説明に嫌気が差してか 私に対して軽蔑の眼差しを感じたので慌てて追加の説明に入った。

「そもそも資本主義の世界では権力者がその道を決めてしまうと思うよ。イラクへの派遣問題は 小泉総理が訪米し“ブッシュ”と会った時の約束で 日本として派遣せざるを得ない状況だったと思う。だってブッシュの頭には「石油の国 イラク」を自分のコントロール下に置く絶好のチャンスを あの“ナインイレブン事件”(2001911日テロによるニューヨーク貿易センタービルの崩落事件)が与えてくれたと思っていたのだろうから。ブッシュは米国民の復讐心を増殖させて一旦はテロの黒幕ウサマ・ビンラディンが潜伏するアフガニスタンに戦線布告したけど、しかしビンラディンの首を取ること出来ず 彼をイラクが匿っていると理屈を述べ、かつ世界を脅かす大量破壊兵器を隠し持っていると世界に訴え、いつの間にか本当の目的であるイラクのサダム・フセイン政権の崩壊に矛先を向けたのだから。」

さらに続けて、

「つまりベルリンの崩壊、ソビエットの分裂後 世界の頂点に達した米国は 後は最重要エネルギー資源である“石油”を手中に収めれば地球上を制覇した事になるとの判断の基 イラクでミサイル砲弾を落としまくっているのではないか。 “ばかブッシュ”とか言われているのだから 当然ブッシュを操っている黒幕(ネオコン集団)がいるらしいが、権力者になり上がると次から次へと権力の拡大に盲信して止められなくなってしまうのだね。小粒の日本・小泉総理も従がわざるを得なかっただろうね。権力者とは屁理屈をつけてでも権力の更なる拡大を図る為には 罪の無い一般市民の命を犠牲にするのもやむを得ないと考えており “ブッシュよ! もうこれ以上ふざける菜”と言いたいよ。」

  ちょっと力が入り長い講釈となったが、チャント仲間の一人から 「おい! そろそろ次の場所に移動しようぜ! 幹事、会計、会計たのむ!」との一声で、皆が“よいしょ”と席を立ち始めたのでした。

 

終章: 可笑し菜世界

 

バスは中央高速の料金所を出て トップリと暮れた伊那市の市街に向けて緩やかな坂道を下っていた。もう数分もすれば降車駅“伊那市バスターミナル”に到着する。文庫本の読み掛けのページの角を折り曲げてかばんにしまった。わすか数十ページしか進んでいなかったが、これはあの美女の出現が原因なのかとニヤットしている自分がいた。彼女の携帯電話の内容を勝手に解釈して私はふざける菜世界に埋没してしまったが、そのお陰で3時間半のバスの旅も飽きず眠らずに来られたのかも知れない。

  バスは伊那市の市街に入り人影の少ない商店街を通過中だが、都会育ちの私にはこの雄大な自然にスッポリと包まれ、時間がゆっくりと流れてゆく静寂のこの街が大好きである。伊那谷は南アルプスと中央アルプスに挟まれた盆地であり寒暖の差が激しく その結果、春夏秋冬の四季の変化が大変に美しく、これから始まる厳しい寒さがこれ又たまらなく私に取って魅力なのだ。そして凍てつく寒さを切り抜けると新緑の春を迎えるのだが、その頃になると「おこぎ」や「せり」、「こごみ」などの“わか菜”をオシタシにしていただくのがこれまた最高である。この味は箸にも棒にも掛からない都会生まれの“ふざける菜”とは比較のしようがない。

  都会には まだまだふざける菜の代表“りそ菜”なんて言う 煮ても焼いても食えないものも有る。しかし最近 新女性支店長が4店舗に誕生して危機感を持って再建に取り組むと報道されていたのがせめての救いである。また“カテ菜”という一時苦境に立たされていたがいち早く「人材育成」に重点を置き 会社体質を変えようと努力している2部上場会社や、また“パソ菜”と言う人材派遣会社は 赤字体質から抜けきれないダメ地方自治体から総務部門の業務を一括請け負うビジネスを構築したようで、どうやら21世紀も これから食えそうな“菜っ葉”がポツポツと出てきそうな雰囲気だ。

  バスが止まって殆どの乗客が立ち上がった。私も胸のポケットに入れってあった乗車券を手に立ち上がった。バスのステップを降りて外に出るとピーンと刺すように凍てついた空気が顔に触れた。襟を立てて歩き始めると すでに車中にて鬱憤を晴らし 清々した私の口から吐き出す白い息が暗い夜空に舞い上がって消えた。

 

<完>

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