2020年12月12日(土)午後3時からNPO法人【セールスフォースマネジメント研究会】の12月研究会としてZOOMによる私の「出版記念講演」が行われました。いつもは早稲田大学の国際会議場内の教室で行われていたのですが、コロナ禍のためにリモート会議の形式で行われたのですが、むしろその方がフランス・パリからの参加とか、家族で買い物中の車の中から参加が出来るなどZOOM会議も違った良さが有ることに気づきました。
今回もパワーポイント(以下P-P)に従ってスピーチをさせて頂きましたので、それに沿って補足解説を加えながら、今回のお話の骨子をご紹介します。実は私のこの講演は今年の3月に予定され、それに合わせてP-Pを作成しておりましたので、それを使って説明しますが、<コロナ騒ぎ>が起こりましたので、それに関連した内容も加えて解説致します。
左のP-P記載の内容(目次)の順でお話させて頂きます。①の「SFM研究会45周年の歴史」に就いては、私が長い間この研究会の事務局長を仰せつかっておりますので、この機会にSFM研究会の45年に亘る歩みを話させて頂きました。ここではその内容は割愛させて頂き、②の「出版について」から話に入りたいと思います。尚、この<目次>の中で黄色で表示してある部分が今回の<コロナ騒ぎ>によって内容を追加させて貰った部分です。
「出版文化」の歴史を見てみますと、中世まではお寺の「お経」が書き写されて(写経)出回ったのが出版のハシリのようですが、1455年グーテンベルグによる「活版印刷技術」の発明によってキリスト教布教の為に「四十二行聖書」が180部発刊されたのが世界初の「自費出版」と言われています。
日本に於いては江戸時代に松尾芭蕉の「貝おほい」、井原西鶴の「好色一代男」などが自費出版のようなものでしょうか。近代に入ると徳富蘆花の「黒潮」、島崎藤村「破戒」、宮沢賢治「春と修羅」などが自費出版されました。その後になって、共通の趣味を持つ仲間の集まりを「同人」と言いますが、この同人が出す機関誌を「同人誌」といい、例えば俳句や川柳などの「同人出版」が盛んになりました。出版が商売になるような時代になって来ると、出版社が制作費を負担して本を作るようになり「商業出版」が盛んになります。そして出版市場も好調に推移したのですが、20年ほど前から若者の本離れ現象が起き”紙媒体出版物”の市場の衰退が始まりました。有名作家や有名芸能人による出版も次第にマンネリ化した為に、素人の作家の中からヒット作品を探し出そうと、制作費のみを著者が負担し在庫管理/販売活動を出版社側で負担する「共同出版」方式が生まれました。しかしこの方式も後で解説します「出版業界の特異性」が足かせとなり、更に売れずに残った在庫に対して税金が掛かるために出版社に大きな負担がのしかかり「共同出版」は大きく伸びません。更にインターネット時代を迎え、ネット上に大量のデータを置けるようになり「電子出版」が普及、そして自分でサーバーを大量に持っているアマゾンなどは、本のデータをネット上に並べて注文が入った分だけを印刷して発送する「オンデマンド出版」という在庫問題を解消した方式も盛んとなって参ります。このようなインターネット通販は益々街の「本屋さん」を苦しめる結果となってしまったのです。
さて次に”出版業界の特異性”に就いてお話します。上のP-P資料をご覧くだい。「出版社」と「書店」の間に「取次店」という商社が介在します。出版業界が威勢がいい頃は、出版社が全国に散らばっている本屋に対して細かく営業活動は出来ない為に、それを専門に受けもつ商社として「出版物の取次店」が生まれたのです。本の需要が高かった時代は、この方式で物流も順調に流れてWIN・WINの関係だったですが、次第に社会が「活字離れ=本離れ」の時代に突入すると「書店」の経営も難しくなり、全国の書店数も年々減って行きます。2001年に21,000店有ったのが、2015年には13,500店となり35%も減りました。一方「共同出版」形態が生まれるなどして出版数にはさほど変化はないのですが、平均で年間76,000点ほどが新刊本として市場に出てくるのです。出版業界の不況から、書店の陳列スペースが次第に縮小傾向にある一方で、新刊本が次から次に出てくる状態は、新刊本の陳列期間を短くさせ、現在では本屋で置いてくれる期間は凡そ1ヶ月だそうです。つまり書店は1ヶ月間で売れなければ取次店に返却し、取次店は溜まった在庫は速やかに出版社に返却するので、出版社は在庫の山になるのです。今やこのような独特の流通経路は出版業界が伸びてゆく妨げとなっているのです。
話は変わって次に、今回の発刊の理由に就いて説明したいと思います。
私は75歳にして宮城県・気仙沼から山形県・酒田までの175kmを【酒街道】と名付けて、街道に沿った20の酒蔵を訪ねながらの”ひとりサイクリング”を敢行しました。この【酒街道】を書き物にする切っ掛けを作ったのは、出版社から「そろそろ次の作品を出しませんか」と催促の電話が入ると、私は「近々一人旅の計画があるので、それが終わったら考えてみるよ」と返事しておりました。私が無事にこの挑戦をやり終えると私はせっせと原稿を書き始めていたのです。もう一つの発刊理由となったのは、2011年3月に起きた「東日本大震災」の後でエッセイ【日本復活私論】を書き上げておりましたので、機会があれば是非多くの人に読んで頂きたいと思っておりました。この2つの理由でこの拙著が生まれたのです。
次に長ったらしい題名について説明致しましょう。”なぜ「翁」なのか”に就いてですが、70を過ぎた老人が「ひとり旅」とか「日本が変わる夢」といった内容の本を出すには何か適切な「表現」は無いものかと思い巡らせました。ふっと頭に浮かんだのが、2009年10月に書いたエッセイ『翁のひとりごと』でした。「翁」とは老人男性を言いますが、自分で言うときには”へりくだる気持ち”からで、そして相手に言うときは”敬って言う”のだそうですから大変に都合のいい「単語」だと知って今回の本の題名に使わせて貰ったのです。
また”何故に「夢想」としたのか”に就いてですが、【日本復活私論】は私の勝手な推論(つまり私論)なのですが、表題に「推論」とか「理論」という言葉では何か堅苦しく感じたので、”夢にまで見た好々爺の寝言”という感覚で「夢想」としたのです。しかし友人からは「何か宗教がかった本みたい」なんて感想を言われたのですから、残念ながら”気の利いた題名”ではなかった様です。
拙著では第1部が「街道ひとり旅」として【鯖街道】と【酒街道】を書いておりますが、ここで旅の話を回想しても聞かされる方は「他人の旅の話」を聞かされても楽しくは無かろうと判断して、ここから第2部で書かれている【日本復活私論】に重心を置いてお話に入らせて頂きました。
この【日本復活私論】の根底に有る考えは、世の中にあるすべてのもの、生き物(有機体)、文明、文化そして非生命(無機体)、などすべてのものが【誕生→成長→成熟→衰退→死・終焉】のサイクルを繰り返しているという考えです。このサイクルを【万物のサイクル】と名付けました。この辺の詳細は拙著の202〜204ページに書かれておりますので、ここでは【文明のサイクル】に絞って、つまり「古代文明」から現在に至るまで何度となく繰り返してきた「文明の進化」に就いてお話しました。
文明とは、人間の物質的な欲望から生まれるもので「戦い(戦争)」で得た結果なのです。国語辞典によれば、「文明」とは”技術や実用に重点が置かれ、精神的・物質的に生活が豊かである状態を言う”のだそうです。文明を築くために、その都度「戦う相手」が自然、動物、人間や細菌などに変わり、そして「戦う兵器」も技術の進歩によって、矢や刀、鉄砲、爆弾、戦艦、飛行機、ロケット、衛星そして電波へと変わって来ているのです。しかし現文明は「人間中心主義」のもとで地球上の自然を我が物顔で破壊し続けて来たために、遂に現文明が終焉に向かっていると私は考えるのです。地球破壊の一例として私が「ひとり歩き」での体験を御覧頂きましょう。
左の写真は私が【鯖街道】を歩いていた時の体験ですが、最後の峠を越えていよいよ京都・鞍馬の集落に出る手前の山道を歩いている時でしたが、道の脇に無残に捨てられた車がゴロゴロと横たわっているのです。これはほんの一例ですが、この様にして人間は地球の自然を汚し続けて来ているのです。
現文明が終焉に向かう中、それでは私達はこれからどう生活して行けばいいのかに就いて、拙著を通して私が問い掛けたいことは何か”を解説させて頂きます。
次のP-Pに書かれて有りますように、21世紀は「こころ」の時代ですから(213ページ参照)まずは欲望に振り回される事はせず、今与えられているものに満足すること(少欲知足)を大事にして、人様の為に行動することに喜びを感ずるように心がける(利他主義)の時代です。まさしく相田みつをさんの詩『奪い合えば足らぬ。分け合えば余る』の”分け合う時代”の到来です。
ところで現在私達は「新型コロナウイルス禍」に襲われて居るのですが、拙著の中で何とこの出来事を予言したような一節が【日本復活私論】第4章(257ページ)に有りますのでここでそれを書き出してみます。
『社会も人間(いや万物)もこのサイクルを繰り返しているとすれば、人間社会に於いて成熟期を終えて衰退期に入っている現在、これを通過し「死・終焉」の状態を迎えるが、それは世界恐慌や飢餓とか世界戦争、あるいはウイルスや放射能による奇病蔓延などの”人災”に加え、火山爆発、地震、津波、山火事などの”天災”が重なり、人類が直面する地獄絵のような過酷な状態を乗り切って、その後に全く新しい流れが生まれるというのが私の言うCatastrophe(大災)なのです。』
さて私は<コロナ禍>による「巣ごもり生活」のお蔭で、ダラダラとした時間の中でエッセイを書くことが出来たのです。世界中を襲っている「新型コロナウイルスの来襲」は、これこそ現文明が着々と【死・衰退】に向かっているCatastropheだと思い【日本復活私論】の続編のようなものを書き上げておりましたので、この機会にお話させて頂きました。今回はスピーチの残された時間もわずかでしたので要点のみをお話させて頂いたのですが、ご興味有る方は是非私のHPに掲載されておりますのでご一読ください。
HPのURL: http://kazum.net/wp/
このエッセイは左のP-P資料で示した内容で書かれています。
私はこの「新型コロナウイルスの来襲」は”神からの啓示”ではないかと思ったのです。
ウイルスはラテン語で「毒液」の意味で「人間を病気に落とし込む毒」と解釈されていたのですが、医学の進歩によりその実態が分かって来たのです。それは何と「元あった姿に戻す浄化活動をしている優れもの」だと分かったのです。そこで『ウイルスとは何者だ』そして、この<コロナ禍>が収まった後は『どんな世界が到来するのか』に就いてP-P資料に纏めましたので下のP-Pを御覧ください。
つまりは、”私達は、もう元の生活には戻れない”ということで、すでに厚生労働省が私達に勧めている【新しい生活様式】はこれまでの常識から外れた生き方をしなさいと言っているのです。いよいよ民主主義/資本主義の終焉が迫っているのでしょうか。
私達(ヒト)はどこへ行くのでしょうか。本日のスピーチの「まとめ」として次のP-Pを掲載して終わりにしたいと思います。
<完>
いやあ、驚きましたよ。中々格調の高いご講演でした。講演者の出版物を拝見した来た私としては 講演内容は抵抗なくストンと胸に収まる内容でした。 でも、人類の行き着くところとしての 「縄文文化風世界」までは飛躍があるようで、想像は出来ても、ちょっと具体像がイメージできない面もありますね。 ありがとうございました。