2004年1月〜〜2006年12月 更新記録

<2004年1月10日>
新年明けましておめでとうございます。今年は申年で私の年であります。ということは“還暦”を迎えるのであります。本人には もう60年も経ってしまったのかなどと実感は無いのですが、一応人生 原点からの再出発の節目とも言います。あらたな気持ちで頑張ります。

さて、久々のエッセイ 7作目 還暦を迎えるに際しての記念に『ふざける菜選集』を書上げました。昨今の世の中が何となくおかしい?と思いながら自分の不満を書き綴りました。ご一読頂きまして忌憚の無いご意見・ご感想を頂ければ幸甚に存じます。尚 2003年 油絵作品の掲載は 2月中旬を予定しておりますので、その折には連絡をさせて頂きます。寒い冬 お風邪をひかぬようご自愛くださいませ。

<2004年3月7日>
春がもうすぐそこに。桜前線も例年より10日ほど早いようです。何か2月は慌しく過ぎた感じがします。2月に入ると油絵教室の作品発表会があり そして還暦を迎える私達の小学中学合同の同期会があり、それに加えて例年 母の賃室業の確定申告・青色申告の書類作りを手伝っているために超多忙に過ぎ去った為でしょう。やっとのことで3月に入った最初の週末にHPの更新に取り組む事ができました。昨年度(2003年)の油絵作品をご覧下さい。

<2004年5月5日>
お久しぶりです。5月ゴールデンウイークは如何お過ごしでしたか? GW後半は天候が荒れ模様で残念でしたが、我が家はGW前半に家族で伊那谷を訪ねており、最高の休暇をエンジョイ出来ました。 この度 HPトップページの自画像を更新しました。また エッセイ第8作目「外から観た日本」を掲載いたしましたので、ご一読頂ければ幸甚です。このエッセイは私の商社マン時代の海外駐在生活体験から文化の違いをテーマに書いてみました。皆様からの読後感想をお聞かせ頂ければ感謝感激です。

<2004年10月16日>
記録的な猛暑の夏も過ぎて、秋の到来です。今年は日本を台風が それも大型で9回も襲ったわけで、またアメリカでも大型ハリケーンがフロリダ半島を襲ったそうで、何か自然の神様が 人類による地球破壊に対して怒りをぶつけているように感じてなりません。さて9月に ある大学の異業種勉強会にてスピーチした際にお配りした資料 小説「企業不祥事と継続企業の条件」を 茲許 掲載致しますので、一読ください。私が監査役を拝命して1年 監査役として参加した研修や講演からヒントを得て小説風に纏めたものですが、スピーチの課題が非常にお堅い内容ですので、このテーマを是非分かりやすく書きあげたてみようとトライしたものです。如何でしょうか。皆様の読後感想をお聞かせいただければ幸甚です。

  ++異業種勉強会でのスピーチ内容にご興味おありの方はここを→「講演レジメ」をクリックください。

またこのTOPページも5年前に編集してそれに継ぎ足しを重ねていたためにゴチャゴチャとなってしましましたので ここでチョット構成を変えてみました。「私の紹介」ページを別に作りましたので クリックしてみてください。

<2005年3月12日>
大変にご無沙汰してしまいました。前回の更新が昨年10月ですからもう半年が経たんとしています。この間にいろいろなことが起きました。私は12月に定年退職を迎え、一方世界では 10月巨大新潟中越地震、そして12月26日スマトラ沖地震&津波と地球上のあちこちで天変地異が起きています。2005年は本当の平和に一歩近づいて行って欲しいと祈ります。 2004年の油絵作品を掲載しました。また「私の紹介(プロフィールとアルバム)」のページに記載の『私のアルバム』も第1章「幼年期」から第7章「壮年期(後編)」まで完結しましたのでご一読ください。

<2005年4月10日>
皆様 お変わりございませんか。今年の桜は春先のグズグズした天候が開花予想を1週間ほど遅らせ、そして7日ころ咲いたと思ったらあっという間に
強風が吹いて散ってしまいました。何か味気のない現在の社会現象が気象現象に現れているようで不吉に感じてしまうのは、私だけでしょうか?よし
ここで少しでもこの不吉感を払拭しようと、「我がHP]もバックカラーを変更して雰囲気を変えてみることにしました。ここに掲載していたエッセイが遂に本になりました。是非一読頂ければありがたく存じます。

<2005年7月24日>
お暑うございます。 関東地方も いよいよ梅雨が明けて 祭日「海の日」(7/18)から夏日に入ったようです。皆様如何お過ごしでしょうか。拙著「伊那谷と私」も伊那地方ではお蔭様で沢山の方々に読んでいただき、感激しております。日本には古代の時代に生まれた、本州の2つの断層(中央構造線とフォッサマグナ)に張り付くように太平洋側・静岡県・相良町から日本海側・新潟県・糸魚川市までの全長350Kmの街道【塩の道】が走っています。5月末から この【塩の道】の“ひとり行脚”を始めました。4回に分けてこの350Kmを完歩する計画です。どうなりますことやら?!

<2005年8月7日>
気の狂うような猛暑が続いておりますが 如何おすごしでしょうか。この猛暑は私を家に閉じ込めさせて、久しぶりにHPを更新する時間ができました。お蔭様で小生の拙著「伊那谷と私」も伊那地方の多くの方々にお読み頂き、発刊からわずか4ヶ月目に入って第2刷に入ることが出来ました。皆様のご支援に感謝しております。さてこの5月から『塩の道・ひとり行脚』を始めました。この特集については下記の記事をお読みください。また<私のスピーチ>欄を今回から新設しましたので、ご興味おありの方はご一読ください。 まだまだ暑さが続きます。ご自愛くださいませ。

 【塩の道 ひとり行脚 スタート !!」

静岡県・相良町から秋葉街道を北に諏訪湖までが南塩の道、そして新潟県・糸魚川市から千国街道を南に塩尻までの北塩の道、その全長350Kmを4回に分けて「ひとり歩き」を始めました。その第1回目(相良町から秋葉神社山頂まで)は5月26日〜29日に実施されました。

第2回目(秋葉神社下社より大鹿村まで)は8〜9月に予定されています。第3回目(大鹿村〜穂高町)が今年10〜11月、そして第4回目(穂高町〜糸魚川市)が来春に予定されており 1年掛かりでございます。どうなりますことやら?? この塩の道・ひとり行脚・旅日記は <私の随筆>のページに連続掲載して参りますので、お読み頂ければ幸甚です。第1回目旅日記を 今回掲載いたしました。

<2005年10月19日>
今年の気象は何かおかしいように感じます。10月に入って半ば過ぎになりますが、晴れた日がたったの3日しかないそうです。毎日雨がしとしとと降って あたかも梅雨の時期のようです。皆様如何お過ごしでしょうか。私にとっては9月20日 母が85歳で他界し悲しい出来事がありましたが、時同じく私は9月末をもってサラリーマン家業を終了致しました。そんなわけで気の抜けたような日々が続きましたが、今は一日一日元のペースに戻りつつあります。お蔭様で11月から新しい仕事に恵まれ、マイペースで頑張ってまいる所存です。今後ともよろしくご指導ご鞭撻をお願い致します。

 ●「塩の道ひとり行脚」第2幕は来年に延期

第2幕(秋葉神社下社から大鹿村まで)は8月4日〜9日に計画されておりましたが、母の入院騒ぎと重なり、そして9月に入って母の葬儀となり、ひとり行脚の第2幕以降は来年に延期としました。しかし、この11月から新たな仕事が始まるので、来年は思うように休暇が取れないのでは?とちょっと不安です。

 ●学校法人「織田学園」にて講演: 「企業不祥事と継続企業の条件」(副題:21世紀はこころの時代)

8月に「織田学園」の理事に推薦され、その切っ掛けで8月31日に学校職員、事務員の皆様の前で講演をする機会に に恵まれました。突然でしたので、昨年早稲田大学SFM研究会にて発表させて頂いたテーマ「企業不祥事と継続企業の条件」と同じテーマを1時間弱の内容に縮小してお話させて頂きました。<私のスピーチ>の欄にその骨子を掲載致しました。

 ●「60過ぎての男の料理教室」半期を無事通過

定年を迎えた時に、「たまにはワイフの為に 料理の一つや二つ 造ってやろう」と考えて 料理教室の名前に魅せられて月一回の1年コースに5月から参加しました。この10月18日の第6回目で半期が終了です。さて教わった料理メニューとは 1回目:鱈の煮付け/茶碗蒸し/切干大根の煮物、2回目:もりそば/天ぷら/きゅうりとしらすの酢の物、3回目:鰺の塩焼き/かぼちゃのそぼろあんかけ/なすとみょうがの味噌汁、4回目:たこの酢の物/親子丼/きんぴらごぼう、5回
目:豚汁/鰯の蒲焼/焼きなす、そして6回目:ほうれん草のおひたし/肉じゃが/豆腐となめこの味噌汁、といった具合でした。このメニューの内で、私が実際に家で造ったものは、切干大根の煮物、きゅりとしらすの酢の物、なすとみょうがの味噌汁、きんぴらごぼうですが、今は亡き母にも食べもらい、「とてもよく出来ていますよ」と言ってもらえて、 「なかかなの素質があるのでは!」なんて思っている私です。

<2006年1月2日>
2006年 今年は丙戌(ひのえいぬ)三碧(さんぺき)木星の年だそうです。これではどんな年なのか私にはサッパリ。丙は「陽の気がいよいよ表れるとき」そして戌は「滅ぶとか切れる意」そして三碧木星は四季でいえば春、月なら4月、そして日でいえば午前5時〜7時だそうです。とすればこれまでの闇、暗黒の世界からやっと抜け出し”夜明け前”の年ということだろうか。過去の三碧木星の年(昭和9、18、27、45、54、63年)を見ても大したことが起きていないので ”まあ平凡な年”と観た。 これが最も幸せなことなのだが!!

昨年9月に母を亡くしました。母の書棚や引き出しを整理していると、沢山の思い出が甦ってきます。母を偲んでエッセイ【遂にその日は来た】を書きました。前後編と長くなりましたが、この度<前編>”コスモスとあじさい”を下記に掲載致しました。ご一読頂ければ幸いでございます。<合掌>

 ●アトリエ清水1月展 8日〜14日千代田区いきいきプラザにて開催

今年は「たまご絵展」と銘うって開催されるが、つまり”たまご型”を題材にした油絵のみが展示されます。私の出展作品は【たまご流星・運】と【大黒天星】の作品です。共になにか幸運が掴めそうな題名ですが、ご覧になってどんな印象を持たれますでしょうか。この1月展が終了後 <油絵 2005年作品>を  下記に掲載予定です。 昨年は上述のたまご絵作品の他に登山した時のシーンを題材にした【北沢峠・岩場】、【守屋山・せせらぎ】を描きました。ご期待ください。

<2006年2月2日>
早くも2月に入ってしまいました。今年の冬は豪雪地帯に記録的な大雪を降らせ、太平洋側は極端に雪が少ないという変な天候ですね。とにかく富士山の頂上に雪は少ないというのですから全くおかしいとか言いようがありません。この異様さは”偏西風の大蛇行”によるらしい。このまま行くと今月関東地方に大雪が降る可能性が高いとある気象予報士が述べていた。この予報は外れてくれた方がうれしい。

今年に入って”人間社会浄化作用”が起きたことがうれしい。昨年末、「エライヤチャ、ヨイ、ヨイ」と腹を出して踊っていた軍団(団長:ホリエモン)が逮捕された。もっと、もっと この浄化作用が幅広く行われることを切に期待したい。

今回【2005年 油絵作品】を掲載致しました。1月の「アトリエ清水 作品展」に出展の為に”たまご絵”に挑戦してアブストラクトな2作品が出来上がりましたが、”たまご型”のなんとも不思議な形状は”安定、平穏”を連想させ、たまご星雲の誕生をテーマに描いてみました。これも今年は丙戌(ひのえいぬ)、三碧木星の年にふさわしい絵ではと思っているのですが いかかでしょうか。1月掲載のエッセイ【遂にその日は来た】も合わせご一読頂ければと思います。悪い風邪が流行っています。健康に充分ご注意願います。

 ●今年は冬季オリンピック(イタリー・トリノ)の年

2月にトリノでの冬季オリンピックが楽しみです。これまでその度に花形競技が変わって来ている。1972年札幌ではジャンプ70mで金銀銅を制覇、1998年の長野ではモーグルで里谷が金、今年はフィギュア、スピードのスケートで興奮させてくれそうだ。ところでオリンピックは以前冬と夏の大会が同じ年に開催されていたと記憶するが、いつごろから別の年開催となったのだろうか。なんと10年程前 92年の冬季アルベールヒル(米国)の2年後にリレハンメル(ノルウェー)で開催し、92年夏季バルセロナ(スペイン)の4年後アトランタ(米国)開催、その後それぞれ4年周期で開催されている。 

<2006年3月5日>
早くも3月に入りました。最初の日曜日は快晴になり、本当の春の気配を感じます。皆様いかがお過ごしですか。あっと言う間にオリンピックも終わり、いよいよプロ野球が始まるのですが、今行われているWBCが今ひとつピンと来ません。報道関係が気が狂ったように「王野球」とかなんとか言って過剰報道してますが、中国、台湾を弱い者いじめしているような最もつまらない試合。2試合とも途中でコールドゲームになっちゃうのだから あまりバカ騒ぎせず静かにやって欲しい。大騒ぎすると海外にはずかしい。トリノ・オリンピックの日本報道陣のバカ騒ぎで、冷や水を浴びたばかりではないか。だけどゼロ個でなく1個にしてくれた“荒川静香さん”にはダメ日本を最後の最後で救ってくれたような気がして感謝したい。
ところでWBCだが これは“World Baseball Championship”ではなく、”World Baseball Classic”と呼ばれているのも何か重みが無くて気に食わない。大リーグでは米国生まれの選手が少なく強いチームが作れないので、米国自身、このWBC構想にはそもそも力が入っていないのではと勘ぐってしまうのだが。今回アジアシリーズで日本、韓国が米国に渡ってWBCに参戦して、その結果が見ものであろう。 

 ●エッセイ【遂にその日は来た】 完成

昨年9月20日母が他界しました。百か日法要が終わって母の書棚や戸棚を整理していると母が元気だった頃が懐かしく思い出されます。母が道で倒れ病院に担ぎ込まれ、それから1ヶ月と20日間で永い眠りに落ちてゆきます。母は元気なころから自分が死に至った時の必要なことすべてを準備してあり、また人の手を煩わせることなく他界する母はなんと“死に際のみごとな方”だろうと感心させられました。これが “よし、母について書き残しておこう”という気持ちにさせ、この作品が生まれました。下記のエッセイ欄に<後編>“オデコミュニケーションと精霊”を掲載しましたのでお読みください。

 <あらすじ>
(前編)母が7月31日(日曜)朝の散歩の途中で倒れ、救急車で病院に担ぎ込まれるところから始まります。毎日母を病院に見舞っている過程で、母が宮原家に嫁いで来たころの話、そ  して偶然に生まれた母との長い長い電車の旅の思い出などを綴ります。母は脳梗塞だったのですが、終戦記念日60周年 8月16日の翌日に脳梗塞の再発が起きてほぼ植物人 間に陥ります。
(後編)意識の無い母とは「オデコミュニケーション」が始まります。しかし日に日に母は弱まって行き、9月20日午後11時36分【遂にその日は来た】のです。しかしすでにやれることはすべてやったという満足感が私を「悲しい気持ち」にはさせませんでした。母が居なくなる、今まで居たものが無くなるという事はどうゆう事なのかと思い巡らせ、“精霊の存在”に辿り着きます。精霊が全部抜けた母は静かに彼岸のお浄土に向かわれて行ったのでした。


<2006年5月20日>
皆さんゴールデンウイーク(GW)は如何お過ごしでしたか。GWの間は眞にすばらしい天気でしたが、GWが終わるとまたまた不順な気候に戻ってしまい、朝が肌寒いくらいの日すらありました。一体今年の夏はどんな気象状況になるのでしょうね。私はこのGWに「塩の道 第2章:2つの峠越え」を敢行致しました。下記の<トピックス>欄に簡単にその報告を書きましたのでご一読ください。この不順な気象状況では このまま梅雨に入ってしまうのでしょうか。本当に憂鬱な日々ですね。皆様 お体には十分お気をつけ下さい。

 ●「塩の道 第2章 2つの峠越え」敢行!

既報通り第2弾はこの5月2日より7日までGWを利用して塩の道 秋葉神社の下、龍山村の脇にある秋葉ダムから一人歩きがスタート。1日目は天竜川を上流へ、そして佐久間町・西渡にて1泊目、2日目は「青崩峠 (1038m)」を越えて長野県・南信濃村・遠山郷へ。3日目は2つ目の峠「地蔵峠(1314m)に挑戦、峠を越えてだらだらと下り15kmを経て大鹿村に入る。この後の計画していたルート、大鹿村から長谷村を通って高遠までの秋葉街道は 充分に知りつくしているので、大鹿村からもう一つの塩の道である三州街道(伊那街道)ルートに変更することにした。大鹿村からバスで小渋渓谷を下って松川町に出てJR飯田線「伊那大島」駅前から天竜川の堤防に沿って歩きを開始 。この日は駒ヶ根のビジネスホテル泊。翌5日目は今回の最終目的地 伊那市まで。この夜は伊那市の街にて行き付けの割烹にて懐かしい友人たちが出迎えてくれて、私の無事完歩を祝して「乾杯!」。 この5日間、すべて最高の天気にめぐまれ、また一人歩きだからこそ出来た沢山の経験がありました。「塩の道:第2章」を出来るだけ早く下記エッセイ欄に掲載したいと思いますが、今回はその速報版として【峠ションと石ぐそ】を緊急レポート致します。今回5日間の総歩行距離は104kmでした。

  緊急レポートは ここをリクック −−−→ 【峠ションと石ぐそ】

 ● もう一つの【2007年問題】

【2007年問題】とくれば我ら年代層はすぐに「団塊の世代が定年を迎える」という大問題(?)、すなわち公園のベンチそして公共図書館の閲覧室のテーブルが朝から超満員となる現象が頭に浮かぶ。更には美術館・博物館がいつも盛況で、区役所で企画している生涯学習が定員オーバーで順番待ち、我が家のある文京区一帯でウイークデ−にも係わらず「文京の坂を訪ねて」とか「文豪をたずねて」といったウォーキイング・サークルが行列を作って歩いている姿、これが所謂2007年以降にはもっとドット常識化するのだろうか。

ところでもう一つの【2007年問題】が存在するのである。私は昨年11月からある専門学校の理事としてお世話になっているが、この業界にも大きな波が襲い掛かっていたのだ。その原因は「少子化問題」がベースにあるのだが、実は2007年には「大学等の入学定員と志願者が同じ数になるという「大学全入時代」の到来である。
すると「わざわざ専門学校に入る生徒はいなくなるだろう」という専門学校側の危機感である。しかし私はそうは思わない。「大学で理屈ばかり述べる人材を製造するより、自分の本当の仕事を見付け出し即社会で戦力となる人材を作り出す機関、それが専門学校なり」と強調したい。そんなわけで 少しでもお役に立てればと専門学校にお世話になり頑張っているのだが。

<2006年7月19日>
ここ二日ほど”突然の梅雨のぶり返し”なのか豪雨が日本全国を襲っています。沖縄や山陰・北陸地方で土砂崩れが起きているようです。とにかくこのHPの挨拶の欄でもここ何回か”気象のこと”ばかりが書かれています。それほど天候状況が不安定で不自然なのかも知れません。なにしろ天気予報がこの気象衛星の時代に全く当たらないのですから。昔の農家の人、漁師の人の予測の方がより正確だったような気がします。そして予報の表現も全く曖昧になったとしか思えません。今日も予報で東京の降水確率50%となっておりましたが、雨は一日中降り続いておりました。なんですか?この50%とは? どうもジメジメした日が続くと<ご挨拶>までグッチっぽくなりがちで、失礼致しました。   はぁ〜〜〜やく来い、来い 真夏の日!!

 ●「塩の道 第2章 2つの峠越え」 エッセイ完成     

5月の連休を利用して5月2日〜7日の間で「塩の道」を歩いて参りました。「塩の道 第1章 静岡県 相良町から火の神様”秋葉大社”まで」が昨年の5月26日〜29日でしたから、およそ1年ぶりの再開でした。今年に入ってからチョット多忙の為、運動不足気味で今回の連続歩行に不安を感じていましたが、ここで止めたらそのまま”塩の道を 自分の足で制覇”の夢が断ち切れてしまうと思い、無謀にも敢行してしまいました。今回の2つの峠越えは確かに厳しい行程でしたし、また普段では絶対に体験出来ないことをやってしまいました。旅を終えての直後にも”無謀な敢行”に対して神様が私にバチを与えて下さいました。そんなハチャメチャ行脚を下段<エッセイ>欄に掲載いたしましたのでご一読ください。 

 ●文明の”おみやげ”

今、数少なくなってしまった子供達が泣いています。温かく包み込んでくれるものが無くて泣いています。たくさん泣くと殺されてしまうかも知れません。そんなニュースで新聞紙上が溢れています。これは泣く子供が悪いのではなく、その親が悪いのでしょうか。そしてその親の親も悪いのでしょうか。なぜそうなってしまったのか。ある頃から人間は豊かさ・楽さバカリを求める文明に邁進した為に、結果としてその文明から私たちへの”おみやげ”なのでしょう。その対策はあるのでしょうか? 毎年いつもの軒先に戻って来るツバメの巣の中の親子の姿を、そして木の枝に巣を作って大雨の日だってタマゴを温めているヤマ鳩の親をジ〜ット観察していると、そのヒントが見つかるかも知れません。本当に大切なのは ”物の豊かさ”ではなく ”心の豊かさ”に気づかせてくれるからです!

 
<2006年11月6日>
芸術の秋もそろそろ終わり。11月からメールアドレスの変更と同時にHPアドレスも変更しましたので、晩秋らしいムードでHP構成をチョット模様替えしてみました。メールアドレスを変更した理由は、これまでHPがYahooのサーバを使かっていたのですが、このHPがメールにも繋がっていた為に毎日相当の数で迷惑メールが舞い込みます。これを断ち切るのが主目的でした。それにしてもこのHPは1999年に製作したのもを何度かのリノベーションを重ねながら現在に至っており、もう大変に旧式な構造ですので、これから1年掛りで時代に則したニューバージョン製作に挑戦したいと思っております。皆様のお元気な声をお聞かせ頂ければ幸甚です。

 <絵画を描いて10年>

油絵を描き始めて10年になりました。その間に書上げた油絵は33作品ですから 1年にわずか平均3作品でした。作品一つ一つが勉強ですので、とにかく色々な絵を描いて来ました。模写が6作品、静物画 7作品、風景画 13作品、抽象画 5作品、自画像 2作品という内容でした。しかし年代別に見るとまずは”静止画”から始まり、次に”風景画”、そして”模写”、またまた”風景画”に戻って暫く数年続き、昨年になって“抽象画”に兆戦。そして今年は印象派の”模写”に戻りクロード・モネの作品を模写しました。

 <印象派の絵画>

印象派は19世紀に入って生まれた技法で“目に映る印象をそのまま自由に描く”ことをモットーにしている。神話や聖書の登場人物ではなく同時代の女性を描いて近代ヌードを確立した「マネ」、刻々と変わる風景の色彩を連作で追求した「モネ」、ゆらめくようなタッチでおなじみの「ルノワール」、バレーや競馬といった都市風景を活写した「ドガ」など、現在もっとも人気が集まる画家たちを輩出した画派である。  (名画の歴史:西岡文彦著より)

 <私の作品の方がモネのより好き>

“絵描き”はこのようなずうずうしい気持ちが無ければ続きません。だって一生懸命時間を掛けて自分が描き終わった作品を見て「どうも、余りうまくないな」なんて思ったらバカバカしくて絵なんて描いていられませんよ。そもそもモネの『アムステルダムの港』の絵だって私はカラープリント物を模写したのであって、モネの実物の彩色が出ているか分かったものではない。どこのメーカーのカラー印刷機を使ったのだろうか、なんて考えてしまう。 やはり私の模写の方が私は好きだ。
(モネの模写作品は油絵<2006年作品>のページをご覧下さい。)


<2007年1月26日>
新しい年を迎えました。今年は猪(亥)年だそうで十二支の一番最後にあたるそうです。すぐに思い出せる言葉に「猪突猛進」がありますが、今年は諸先輩方々のアドバイスに耳を傾け、ただただ突っ走るのでは無く、一歩一歩踏ん張って人々のお役に立てればと頑張る所存です。1月の油絵展示会【アトリエ清水1月展】も無事終了、今年は昨年にも増して多くの方々にご来場頂きまして御礼を申し上げます。早速油絵作品「2006年度版」を下記に掲載しましたので、ご覧頂き忌憚の無いご感想をお聞かせ頂けますれば幸甚に存じます。これから寒さも更に厳しくなる折、お風邪には充分お気をつけください。

<2007年4月8日>
いよいよ 春です。先日近くの「小石川後楽園」に行って参りました。ちょっと桜は葉桜に変わりつつありましたが、それでもまだまだ見栄えがありました。そしてもみじの木々は葉を新緑に変えており春の訪れを一段と強く感じた次第です。早速私も このHPのもみじを春版に変えました。やはり春は何となくウキウキした気持ちにさせますね。そして低次元のTV番組だらけの毎日で見る番組が無かったのすが、プロ野球が始まると夕食時もTVを見ながらの余暇のひと時、やはり春はいい!5月連休には「塩の道 第3章(伊那市〜豊科市)」を計画しています。これも今からワクワクです。今回は<私のスピーチ>欄に2点掲載致しました。

<2007年7月10日>
暑中お見舞い申し上げます。

7月に入りました。今年の梅雨は雨が少なく、そして猛暑が襲ってくるという予報ですが、この所どうやら水瓶には恐れていたよりは貯水されているようで、まずは一安心と言ったところでしょうか。7月の最初の週末は法事で菩提寺のある長野に家族で行ってまいりました。梅雨の最中でもあり天候はある程度は諦めていたのですが、ラッキーにも快晴に恵まれすばらしい家族旅行が出来ました。菩提寺本堂の脇にある大きな樫の木で”カッコー鳥”が鳴いておりまして本当に心休まるひと時でした。
さてこの度、5月に敢行致しました”塩の道・第3章【爽やかな安曇野を渡る】”の紀行文が書きあがり 下記の「塩の道」エッセイ欄に掲載致しましたので、お時間がございましたら一読ください。「塩の道・最終章(信濃大町〜糸魚川)」は来月8月6〜10日を計画しております。これで念願の塩の道350Kmの【本州縦断・一人行脚】が完結致します。エッセイの読後感想を皆様の近況と合わせメールにてお聞かせ戴ければ幸甚に存じます。

今回は、今年に入って描いた油絵でモネの【ロンドンの国会議事堂】の模写作品を掲載致しました。
(2007年度作品欄に掲載)
この絵はロンドン・テームズ川から登る霧に包まれた国会議事堂を描いたものですが、この霧の中にボ〜〜ット映し出された建物を表現するのが大変に難しいのですが、あえてそれに挑戦してみました。これで私はモネ作品の模写は3作目になります。最初が【アムステルダムの港】 2作目が【睡蓮】でしたが(共に2006年度作品に掲載)、この3作品の絵には共通点があります。 それは”水”です。つまり題材が”海に浮かぶ帆船”であり “池に浮かぶ睡蓮”であり、”川の霧に浮かび出た国会議事堂”であり、すべて水がテーマなのです。モネは「帆船」に、「睡蓮」に、そして「国会議事堂」に興味があったのでは無く、目の前にある対象物を照らす”光”と、その結果生まれる”色彩”、そしてそれを包み込む”大気の表現”に関心が有ったのだと言われています。光、色彩、環境変化は季節そして時間帯で変わりますので、彼の作品には同一の環境・題材の連作が多いと言われる所以でしょう。モネは1900年ころからロンドンでの連作(積み藁、ルーアン大聖堂など)、1908年からはベネチュアの連作(黄昏、コンタリーニ宮など)を描いたそうですが、「睡蓮」の連作は1900年以前から死ぬまで描き続けていたそうです。そしてモネは庭師に命じて睡蓮が植えられる位置まで指定したそうです。つまりモネは睡蓮そのものの美しさよりも、その水面における配置に関心があったと言う事でしょうか。

サイズ:F10  Londres,le Parlement by Claude Monet

(参考:「モネ、ルノワ−ルと印象派」 監修:木下俊介 編集:日本経済新聞文化事業部 発行:日本経済新聞社)

<2007年9月30日>
今年の記録的な猛暑も去り、日に日に秋の色を深めている今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。私はこのくそ暑い盛りに既報のごとく「塩の道・最終章(信濃大町〜糸魚川)」に挑戦しておりました。南小谷〜姫川温泉〜大網峠間の古道には大いに苦戦しました。この辺の苦労談はエッセイに纏めて追って皆様にご報告しようと考えていますが、その旅日記速報版を書きましたのでお時間ございましたらここをクリックください。【塩の道・最終章 ・速報版

さて9月20日お彼岸の入りは母の命日に当たり、今年は早くも三回忌で、母に就いて書いたエッセイ【遂にその日は来た】を中心に一冊の本に纏め上げ仏前に納めその旨母に報告しました。この本に関する詳細は下記の<私の書籍ご案内>欄をご覧ください。
季節の変わり目、風邪などお引きにならぬようお気をつけくださいませ。

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